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茉莉花の失恋4


制服に着替えるためにバックヤードに入る。

このカフェの良いところはバックヤードにちゃんと着替えるための狭いが小さな個室があるところだ。

白のトップス、黒のズボンに黒のロングエプロンを巻いて、トップスの胸ポケットに名札とボールペンを差し込み、完成だ。

もちろん肩まで伸びている髪は一つに結った。



「瀬戸さん、今日もよろしくね〜」

そう良い人が言ってくる。店長だ。


「はい、お願いします。今日は随分ゆったりしてそうですね」


店内は2人しか客がいない。

昼間のお茶時の時間にこのくらいしか人がいないのは珍しい。


「うん、佐藤さんもシフト入ってたんだけど暇そうだからって伝えたらちょうど予定入ったので今日来ないって。だから今日瀬戸さんだけだから、よろしくね。暑いからねぇ、みんなここまでくるの面倒なんでしょ」


駅から離れたこの店は確かに暑い中わざわざ来ようと思うのはそれなりに常連さんだったりこの店が好きな客ばかりだ。

現に今店内にいる2人もよく見る顔だ。


やることがないと気が紛れないので少しだけガッカリする。

仕方がなく紙ナプキンやコーヒーシュガーなどの資材を補充することにした。


「瀬戸さん、彼氏いるの?」


「……それ聞きます?聞き方によっては今の時代、セクハラになりますよ」


そう笑って答える。


「え、そうなの?ごめん、じゃあ聞かなかったことにして!」


慌てる店長が面白くて思わずバイト中ということを忘れ笑ってしまう。


「今は、いません。1年の最初の頃は付き合ってた人いましたけど、それっきり」


「そうなんだ。夏だからそういうの、欲しいんじゃないの?」


答えたからか調子に乗って店長が聞いてくる。


「いや、今はいいです。なんかそういうの、疲れちゃって」


「訳ありっぽいねぇ〜まぁ若いうちに色々経験しておいた方が良いよ」


そう笑って言う店長の言葉に、そう思えたら楽なのになと少し反抗的に思ったが、この人は良い人だ。

曖昧に笑ってその話を終わらせた。


ぼんやりとテラス席を眺めると、夏の太陽が木々の影を作っていた。

キラキラしていてずっと見ていられそうだ。

あまりにも暇でぼんやりしていると、1人の客が会計を済ませようとレジの前に立っていた。

ハッとし急いでレジの対応をしてその客を見送った。

よく見る顔の、初老の女性だ。

ごちそうさまとゆるやかに言う彼女は、その佇まいから品の良さを感じる人だからこの店に来る客の中でも印象が強い。


いつもカフェオレを飲むので、注文はほとんどとらずに、彼女のいつもので、の一言で済むお客さんだ。



そんな人を見送った後、ちょうど入れ違いで新しいお客さんが店内へと入ってきた。

やることができてちょうど良いと思ってその人の顔を見た。


「あ」

「あっ!」


あの、リネンのシャツの彼だった。


「い、いらっしゃいませ。空いてる席にどうぞ」


午前のことがあったためどんな顔をすれば良いか分からず思わず営業スマイルを顔に貼り付けた。


どうも、と一言言って彼が座ったのは、三番、自分が店内で一番良い席だと思っている場所だった。

流石に何も言わずに業務的に接客するのも愛想が悪いかと思いながらお冷とメニューを持って行く。


「あの、今日、すみませんでした。突然」


「いや、こちらこそ、予定があるって言ってたからバイトじゃないだろうと思って来ちゃったけど……あんな後に顔合わせるのなんて嫌だろうし……」


苦笑いを浮かべ彼が言う。



「いや!私が悪かったんです!ほんと、すみません」


そうお辞儀をすると彼は笑って、じゃあホットコーヒーをお願いしますと言った。


この暑い中ホットコーヒーか、と思いながら店長にオーダーを頼みコーヒーが出来上がるのを待った。


静かな店内だ。普段は聞こえない振り子時計の音が聞こえるくらい静かだった。


「はい、これよろしくね」


そう店長に差し出されたホットコーヒーを受け取り、彼のテーブルに向かおうとした時にふと彼は午前またあの場所で描くと言っていたことを思い出した。


(おしぼり、いるかな)


そう思って一つ、よく冷えたおしぼりも持っていった。



「お待たせしました。あと、これ、よかったら使ってください」


「あぁ。ありがとうございます」


「じゃあ、ごゆっくり」


そう言ってキッチンとホールの間の、いつも立っている場所に戻った。


「知り合い?」


そう小さな声で店長に声をかけられる。


「大学が一緒なんです。と言っても最近知り合ったんですけど」


「彼、たまにここ来るよね。若いのに落ち着いてて、あの白いシャツ、よく似合うし、なんか雰囲気ある子だよね」


へぇ、そうなんですかとなんてことのない相槌を打ってぼんやりとまたテラス席の方へと目を向けた。

相変わらず木々の影がキラキラしていて綺麗だ。

綺麗すぎて、このまま面倒な自分の感情も、その綺麗さでかき消してくれたら良いのにと思う。

はぁっと思わずため息が漏れそうになるがバイト中だ。

きゅっと口を結び息が漏れないようにした時だ、ふとあのリネンのシャツの彼と目が合った。


何だろうと思ったのと、あまりにも暇だったのでなんとなく彼の席の近くに向かった。

流石にこんなに暇なのだから駄弁っていても店長も怒らないだろう。というか、あの良い人が怒ったのを見たことがない。


「ここ、たまに来てくれてるって店長がさっき言ってました。私、全然知らなかったんですが」


「うん、たまに。駅から離れてるから割と落ち着いてるし、テラスの緑が綺麗に見えるから、この席気に入ってて。あ、そうだ、今日の政治理論で前期末のレポート内容発表されたんだけど、誰かから聞いた?今日サボったって言ってた気がしたから」


よく覚えてるなと思いながら、急に目の前で泣いた人間の話は流石に覚えてるかと、自分のことながらいたたまれなくなりつつ会話を続けた。


「いや、まだ聞いてないです」


「そっか。もし必要だったら伝えるから、声かけて」


「ありがとうございます」


彼がコーヒーを手に取る。

ふとその手にほんの少し青いものが付いていることに気がついた。

おしぼりを渡したはずだが拭かなかったのかと不思議に思っているとその目線に気づいたのか、彼が口を開いた。


「折角くれたけど、完全に取ろうとするとおしぼり汚しちゃうの悪い気がして。来る前には一応落としてるんだけど」


そう穏やかに笑う彼は本当に同じ学年かと思うほど落ち着いていた。


「全然構わないのに。おしぼりは業者さんに頼んでるからこのお店は全く困らないですよ」


そう言うとハハッと彼は笑った。


「絵を描くのは趣味なんですか?」


「趣味…うん、そんなとこかな」


「勿体無いですね、あんなに綺麗な絵を描くのに」


そう言うと彼は少し驚いたような、けれども無表情にも見える顔で一瞬止まった。


「……そんな風に褒めてもらえて嬉しいよ。えっと…瀬戸…さん?」


ネームプレートに目線を当てられ、そういえば名前をお互い言っていなかったことに気がついた。


「あ、そうです。瀬戸茉莉花です」


「俺は高浦樹。よろしく」


「よろしくお願いします」


そうお互い微笑み合った。

同じ学年なのに、なんだか少し自分の周りにいる友人たちとはタイプが違うような、ゆったりとした表情を浮かべる彼が不思議でたまらなかった。



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