茉莉花の失恋2
「綾美、今日お昼学食?」
「そうだよ〜!茉莉花、サークルのみんなとだよね?」
「あぁ、言ってなかった。サークル辞めたんだよね」
「え?」
綾美の凛とした顔が驚きに染まる。
そう、私はあれから颯太も所属しているサークルを辞めた。
サークルといっても特定の何かをするものではなく、季節のイベントと定期的な飲み会を開くみんなで遊んで楽しむサークルだったのでメンバーの出入りも多く辞めるのは案外簡単だった。
仲の良いメンバーはいるが、食堂でサークルメンバーといると勝手に集まってきてしまう。だから極力授業もお昼も一緒にならないようにしたかったのだ。
「まぁ、色々とあってさ」
そう苦笑いを浮かべ言うと綾美はそっかと言って優しく笑ってくれた。
こんな友人が一人でもいてくれたことに感謝しなければならない。
「で、何があったの?」
少し小さな声で当たり前のように食堂で綾美が聞いてくる。
「好きな人ができたんだって。しかも私も知ってる人。なんならもう、付き合ったらしいよ」
「え、何それ、流石にひどくない?」
「まぁ私もしょうもなかったからさ、何も言えないよね」
「そっかぁ…せめて知らない人だったらよかったのにね」
その言葉に思わず目に浮かべたくないものが浮かんできてしまう。
「綾美ぃ〜!!ほんと私、綾美と友達でよかった。ほんとに……」
ぽろりとひとつ涙が溢れた。
学食で泣いてるなんてメンヘラ認定されかねない。
早く泣き止まないとと思い手の甲で涙を掬った。
「けど、まぁ、これでやっと茉莉花も新しい方へ向けるかもね」
その言葉にコクンと頷く。
数日前、颯太と沙希さんが並んで歩いているのを見かけた。
2人とも心底幸せそうで、颯太のあの表情は自分には引き出せないものだとすぐにわかるものだった。
本当に起こったことなのかと疑いたくなる気持ちもあったが、そんな姿を見たら仕方がなかったのだと無理矢理自分を納得させるしかなかった。
自分だけが取り残された気分になり、ここ数日は何にもやる気が起きない。
辛うじて大学には来ているが、颯太や沙希さんと顔を合わせないようにとコソコソとする学校は辛い以外のなにものでもなかった。
彼らは4年生だ。さっさと卒業してくれれば良いがまだ半年近くもあるという事実に呆然とする。
心の奥底に澱んだ泥のようなものがへばりついて、取れない。そんな気分だ。
気を紛らわすためにとカフェのバイトのシフトを沢山入れた。
店長が良い人で、シフトに融通が効くので1年の頃からずっと続けている。
大学から少し離れた場所にあるカフェは大きくはないが明るく落ち着いた雰囲気で、ごく稀に同じ大学だろう学生もたまに来る。
二テーブルだけだが、知る人ぞ知る中庭のようになったテラス席もある気持ちの良い場所だ。
たまたまネットの求人情報で見つけたあの時の自分を褒めてあげたい。
「瀬戸さん、今週いっぱいシフト入ってくれて助かるよ〜」
そう声をかけてきたのは良い人ならぬ店長だ。
40代後半らいしが、その割には若く見える。
「いえ、私もちょっと稼ぎたいって思ってたところだったのでシフト入れてもらえてよかったです!」
「夏休みももうすぐだもんね〜。学生の頃は夏休みなんて遊び呆けてたからなぁ。瀬戸さんも、悔いのないように遊びなよ!」
そう店長が言うので、学生メンバーが誰も夏休み中シフトに入らなかったらどうするのだろうかとこっちが不安になってしまうが、
まぁうまくやるのだろうと思い愛想笑いで返しておいた。
制服に着替え、接客をしていれば何も考えなくて済む。
笑顔を振りまいていれば、心の底の淀んだ泥のことを気にしないで済む。
たまに行くのが面倒だなと思うこともなくはないが、こう言う時のためにアルバイトというものはあるのかもしれないと思うくらいには常に頭から颯太のことが離れなかった。
どうして私じゃなかったのなんてくだらないことを言いたくもない。
けれど、沙希さんと並んで歩く彼の表情が忘れられなかった。
好きな人の幸せを願える人ってすごいと思う。
私は全く思わなかった。
何であなただけそんな幸せそうなの?と問い詰めたくなっていた。
「これ、三番さんのね」
そう店長が渡してきたホットコーヒーを言われたテーブルに運ぶ。
三番テーブルと呼んでいるその席は、テラス席ではないが、窓際の、店舗内の一番良い席だと思っている。
夏だけどホットコーヒーとは、暑くないのかなとは思うものの
そういう選択をとる人は少なくはない。
自分はもっぱら夏はアイスティー派なのでよくわからないが。
「お待たせしました、ホットコーヒーです」
そこに座る客は白いリネンのシャツを腕まくりした、男性だった。
自分よりも少し年上だろうか。
机に広げているのは自分も持っている国際政治学の本だ。
同じ大学かもしれないが、見た事のない人だった。
テーブルの上にコーヒーを置こうとするとふとその人の手に何か青いものが薄らとついていることに気がつき、声を掛ける。
「おしぼり、お持ちしましょうか?」
この店では軽食を取る客にはおしぼりを渡すが、飲み物だけの客には基本的には出さない。
けれど汚れているのがわかっているのに声をかけないのは自分の良心が許さない。
それに少しでも良いことをしたら、何か良いことでもあるんじゃないかという
馬鹿らしい思いをここ数日抱いていたのは事実だ。
「あぁ、えっと、じゃあお願いします」
その客は手元を見ながらそう言ったので、少しお待ちくださいとだけ伝え、おしぼりを取りに行った。
その日はほどほどに客の出入りもあり、気を紛らわすためにはちょうど良い日だった。
けれども大変なのは、バイトが終わって一人暮らしの家に帰った後だ。
一人無表情に帰宅し、真っ暗な部屋に電気を灯す。
来るはずもない颯太からのLINEを確認して、ため息をつきベッドに倒れ込む。
それが日課になってきている。
会いたい、と思う。
けれどもう絶対に会いたくないとも思う。
散々遊んで、何がしたかったのかと思うのと同時に
それに埋もれていた自分が馬鹿みたいで不甲斐なくて、泣けてくる。
恋なんかでこんな風になってしまう自分にも嫌気が差す。
夜の闇はそんな自分をどんどんと飲み込んで、
このままもう起き上がれなくなるのではないかと思うような重みを感じながらベッドの上、一人で泣いた。