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茉莉花の失恋10


翌日、昨日の雨が嘘だったかのような見事な夏の晴れた日だった。

歩道の花壇の植物にはまだ少し昨日の雨が残っていてキラキラと光っている。


すれ違った子供が小さな水溜りで足踏みをして遊んでいた。

横で父親だろう人が困った顔で笑いながら見守っている姿がなんとも微笑ましく思えた。



『ごめん、ちょっと体調悪くて今日授業休むね』


自宅から最寄駅まで歩いている時に綾美から連絡が来た。

大丈夫かなと思いつつ返事をして電車に乗る。


気のせいか、いつもよりは神経質に周りを見渡さなくても済んでいる気がする。

会ったらあったでまた違う感情を抱くのだろうかとは思うものの、その時はその時でしかたがない。

どんな感情を抱くかはわからない。その時考えよう。



颯太の家の最寄り駅に着き、少しの停車時間の後、発車ベルが鳴る。

彼は乗り込んでこなかった。

そのことに少しの安心感を抱いたのだからやはりまだ会いたくはないんだろうなと少しだけ心の中で苦笑いをした。


スマホを取り出しLINEを見ると綾美から、資料よろしく、といった内容だった。

その返事を打っているときだ。


「瀬戸さん、おはよう」


「あ、高浦くん。おはようございます」


そう言うと、彼は笑う。


「本当、敬語だね。俺なんか先輩みたいじゃん」


「いや、多分先輩だと思います。心理的な」


「何だそれ。普通で良いのに」


その言葉にへへっと笑って、綾美への返事を送信する。

高浦くんに授業を聞くと同じものだと言うことがわかり、そのまま教室まで一緒に行くことにした。


「高浦くん、昨日ほんとにありがとうございました。なんか久しぶりによく寝れました」


「え、そんなに?大したこと話してないのに」


「いや、なんか私自分の気持ちなんて見ずに、置いてけぼりにしてたのかなって」


「面白いこと言うね、瀬戸さん」


「そうですか?」


「うん。感情をちゃんと飲み込んでるっていうのかな。うまく言えないけど」


何のことかよくわからないのでふーんと曖昧な相槌を打つ。

感情を飲み込んでるとはどう言うことか。

たしかにここ最近は自分の感情と何度も何度も向き合っている。そのことを言っているのだろうか。


「まぁまた目の前にしたらどう思うかわかりませんけどね」


そう言いながら笑うと高浦くんも笑ってくれた。


「その時また一緒にいたら助け舟でも出すか」


「それは心強い」


あははと笑って気づけば教室の手前まで来ていた。

いつも通り後ろの方の席に行こうかと思ったがサークルのメンバーも多く同じ授業を取っていることをふと思い出した。

一人でいる所を見つけられて誘われ、そのメンバーとそのまま学食に連れていかれたらと思うと気があまり乗らない。


「授業、一緒に受けても良いですか?」


「え、うん。今日一人の日?」


「いつも一緒に受けてる子、体調崩して休みで」


なるほどねと言った後、高浦くんは前に座っていた教室の前方の窓際の席に座ったので、ひと席開けて隣に座った。


「高浦くんて窓際好きですよね」


「あぁ、気持ちよくない?」


「それはわかります。私もわりと窓際族なので」


そう言うと彼はクッと笑いを堪えていた。

そんなに面白いことを言ったつもりはないが。


2コマ続く授業は、間に休み時間があるとは言え長丁場に感じる。

たまにボーッとしたりしながら無事に授業は終わり、お昼の時間になった。

今日の午後は授業も、バイトも入れていない。

そういえば沙希さんに今日の夜、誘われたんだったなとふと思い出したが自分には関係のないことだ。


「瀬戸さんお昼どうするの?」


そう声をかけられうーんと考える。

そうするとぱっと良い案が浮かんだ。


「お弁当屋さんで買って、あの庭園にでも行こうかと」


天気が良い。きっと外で食べるご飯は最高だ。


「お、良いね。俺も一緒にいい?」


「もちろん。高浦くん、午後授業は?」


「今日はもうこれで終わり。どっちにしろあそこ行こうと思ってたし」


そう言って学校の傍にある学生向けの安くて美味しいお弁当屋さんでお昼ご飯を買ってあの庭園に向かった。


天気が良いためか庭園はいつもより賑わっていた。

ベンチが空いていないので芝生で良いかと空いている場所に座る。

ちょうど太陽の日差しと大きな木の木陰とが絶妙なバランスの場所が空いていたのでそこを選んだ。

芝生がまだ濡れているかと思えば全くそんなことはなくカラリとした夏の芝は気持ちが良い。

程よく風も吹き、思わず伸びをしたくなるような気候だ。


「高浦くんはバイトしてないんですか?」


「あぁ、たまに単発のやるくらい」


「それよりも絵描いてたいってやつですか?」


「そんなとこ。画材費用稼いでる感じ」


なるほど、と思う。

自分は何のために稼いでるんだったかなとふと考えたが答えは特段出てこない。

服や化粧品、気付けばバイト代は消えている。


「はぁ、やっぱり趣味があるって良いですね」


「本は?趣味じゃないの?この前持ってた」


「あぁ、読むんですけど、量はそんなに読まないです。中学の頃とかは結構読んでましたけど」


「宮沢賢治、読んだ?」


「銀河鉄道だけとりあえず。久しぶりに読んだらやっぱり綺麗ですね、あれ。桔梗いろの空とか、表現も静かなのに情景がはっきりわかるって言うか。うまく言えないですけど」


「あぁ、静か、か。確かに。あと空白があるところも良い。未完だって言われてるけどあれはあれで、完成形なんだろうなって思う」


「わかるかも。余白があるからあの作品が良いというか。あとドキッとした言葉もありました。『ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか』って。自分は何が欲しいんだろうなぁって」


そう言って高浦くんのほうを見ると彼はぼんやりと芝生を見つめているようだった。

どうしたんだろうと思って見ているとそれに気づいた彼はこちらを向いた。


「瀬戸さん、ほんと面白いね。みんな『ほんとうのさいわい』の箇所を挙げるのに。俺その言葉どこに出てくるか全然覚えてないや」


「多分、今自分を見失ってるからだと思います」


思わず苦笑いで答えてしまうと彼も笑ってくれた。


「他の作品は?」


「まだです」


「そっか。この前は好きに呼んだら良いっていったけど、『ひのきとひなげし』っていうのに引用されてる詩が瀬戸さん向けだから読んでみて」


「へぇ、読んでみますね」


そんな話を続けお弁当を食べ終えると、高浦くんはそのまま画材道具をリュックから取り出し、絵を描く準備をしていた。

自分はどうしようかと思ったが、夏風が気持ちよく少しだけそこでぼんやりすることにした。

高浦くんには邪魔はしないので、と一言だけ断りは入れておいた。


風が頬を、髪を、撫でる。

少しくすぐったいような感じもするが心地が良い。

思わず芝生の上にゴロンと仰向けになる。


「瀬戸さん、服汚れるとか気にしないタイプなんだね」


絵の具の準備をしながら高浦くんが笑う。


「後で洗えばいっかって。目の前の心地よさに弱いです」


そう言うとそっか、と高浦くんは笑って準備を続けていた。


木の葉の隙間から見える空が青く綺麗だ。

天色とはまさにこの色の名前をとったのかなと思いながらぼんやりと眺めていた。


10分ほどか、そのまま空を見上げていたがずっとこうしているのもなと思い起き上がる。

高浦くんの描いている絵は相変わらず藍色に近い青だ。

初めて見た完成したものと同じように綺麗な色だなと思いながらぼんやりとそれを見ていると視線に気づいてか、彼がこちらを向いた。


「あ、ごめんなさい。邪魔しないって言ったのにめっちゃ見てました」


「そんなに面白いものじゃないと思うけど」


そう笑いながら高浦くんが言う。


「いや、私にとっては面白いです。私、絵とか全く専門外なので新鮮なんです」


そう言うと彼は手元に目線を戻して、口を開いた。


「描いたもの人に見せるなんて最近してなかったからこっちも新鮮」


「昔はしてたんですか?」


そう聞くと何故かはっとした表情が彼の横顔に浮かんだ。


「あぁ、まぁ」


なんだか歯切れの悪い回答だ。

ふーんと答えておくが、何か悪いことを聞いたのか。人に見せていた過去が悪いものとは全く思わない。

まぁいいかと思い荷物を片付け帰る支度をし始めた。


「帰る?」

高浦くんが聞く。


「はい、そろそろ。じゃあまた」


そう言ってその場を後にした。

久しぶりに早い時間に家に帰る。

最近適当に済ませていたから自炊でもしようか。そんなことを考えながら家路をたどった。


昨日の高浦くんの言葉のおかげか、深く沈み込むことはないがやはり何かをしていないと気が紛れない。


小さな炊飯器でご飯を炊く準備をした後、読みかけの本を手に取った。


(ひのきとかなんとか言ってたな)


そう思い目次を確認し、その作品のページまでめくる。


作品を読んで思わず笑ってしまった。

笑うような作品ではない。

けれどひのきの随分と人を諭すような感じが、高浦くんの何かを大きく受け止めているような雰囲気にどこか似てるような感じがしてしまったのだ。

名前も樹だし、なんて言ったら怒られるだろうか。



彼の言っていた引用されている詩とはこれかと思ってさっと読んだ後その部分を再度読んでみたが、これまた笑ってしまった。

確かに名前は花の名前だが、空の星と同列にしてくれるなんて大きく書いてくれたなと思う。花それ自体は確かに星と並んで綺麗だが、たまたま花と同じ名前のつけられた自分はそんな美しくも綺麗だとも思わない。

笑うところではないのはわかっているが。


これはちょっと今度彼にあったら話をしたいなと思った。


その後もいくつかの作品を読んで、少し早めに夕飯の支度を始めることにした。

材料を余らせないためにと買った野菜ミックスの袋を開けた時だ。


ローテーブルに置いたスマホが鳴っている。

誰だろうと思い開くと加奈子だ。

彼女は昔同じサークルに所属していた。

自分より早く辞めたため最近はあまり接点はなかったが何だろうと思いそれを開く。


変な連絡だと嫌なので、トーク画面を開くが内容がいまいちわからない部分しか見えない。


昨日確か沙希さんはサークル辞めた子達と、と言っていた。

これは開けない方が賢明かと思い、そのメッセージの開封をとどまった。


(颯太や沙希さんがいなければみんなに会いたいんだけどな)


そう思うと少しだけ気分が暗くなる。


(むしろ乗り込んでみる?)


いやいや、と頭を振る。

行って良いことがある予感は全くしない。

それに昨日せっかく高浦くんが助け舟を出してくれたのだ。

大人しくその連絡は見なかったことにして夕飯の準備を進めた。


久しぶりにした自炊だったからか、その日の食事はなんだか味が薄かった。


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