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【第3話】蒸したパークのなかで



 写真記者の大角を加えた三人で、取材先へと向かう。


 岸井グレース莉璃。これから俺たちが取材するスケーターの名前だ。


 日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれた、いわゆるダブル。両親の影響で、五歳のときにスケートボードを始め、二〇歳になった今は世界ランキングでも一二位に食い込むなど、今後の注目が期待される気鋭の選手である。雑誌で知った情報だ。


 そのことを徳永に伝えると、「私より年下なのにすごい」とありきたりな感想を漏らしていた。年齢で人を判断するような人間であることに、少し辟易する。


 はじめて入ったスケートパークは、屋内だからか熱気で蒸していて、俺たちはすぐに上着を脱いだ。背後から涼しい風が吹いては来るが、真夏みたいに暑い。暗いフロアに点在するライトが街灯みたいに室内を照らし、夜に足を踏み入れた感覚があった。


 カーブ状の斜面はランプ。手すりはレール。四角いブロックはカーブ。セクションと呼ばれる構造物が、あちらこちらに散りばめられている。滞留する熱気に、思わず身をかがめたくなる。立っているだけで汗が滲んできそうだ。


 ウィールの音が近づいてくる。デッキを左右に振りながら、岸井が近づいてきた。


 耳の辺りで切り揃えられた茶髪。長い手足と相反する小さな顔。目の色は微かにオレンジを湛えていて、肌は雪みたいに白い。一七五センチメートルある俺の背丈と遜色なく、汗に濡れたTシャツがはためいている。


「はじめまして。岸井グレース莉璃といいます。今日はよろしくお願いします」


 薄い唇に笑みが浮かぶ。何もかもを受け入れるおおらかさだ。


「はじめまして。スポーツ東美の根本光一郎です。こちらこそ今日はよろしくお願いします」


 俺は名刺を差し出した。受け取った岸井は、名刺と俺の顔を交互に見る。自分でもわかっている。不相応な名前だというのは。


 それでも、おかげで今まで取材してきた選手たちにはすぐに名前を覚えてもらえた。名付けてくれた両親に感謝である。


「同じくスポーツ東美の徳永絵里子です。今日が初めての取材なので緊張していますが、何卒よろしくお願いします」


 言葉とは裏腹に、徳永は実に落ち着いて名刺を岸井に渡していた。「私もドキドキしていますよ」と同じ目線にまで屈んで岸井が言う。同性の記者の登場を密かに喜んでいるように見えた。徳永もはにかんでいる。


 大角も名刺を渡して、それぞれの自己紹介は終わった。岸井はわざわざ壁に掛けてあるバッグにまで戻って、名刺をしまっていた。人との出会いをぞんざいに扱いたくないようだ。


「では、取材を始めさせていただきます。最初に滑っているところを何枚か撮影させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」


「大丈夫です。実際、口で言うよりも見てもらった方が分かりやすいと思いますし」


 スケートボードを体の前で立てかける画から撮影はスタートした。ジグザグにデッキを揺らして進み、滑りながらデッキと一緒に跳び上がる。近くにあったパイロンを優に跳び越すほどの高度。何度も跳び上がっていたけれど、高度は全く落ちなかった。


 その後も岸井は、跳びながらデッキを回したり、レールをデッキに乗せながら進んだり、カーブにデッキの先端をかけて滑ったりと、多彩な技を披露していた。足がデッキに吸い付いているようだった。


 「今のはバックサイド・ノーズグラインドです。ノーズと呼ばれるデッキの先端部分をかけながらグラインドするトリックです」と事もなげに言う。十五年のキャリアは伊達ではない。


 技が決まるたびに、徳永は拍手をしていて、それが岸井の気をよくしたようだった。滑りながら笑顔も覗いている。俺たちのリクエストにもすべて答えてくれた。


 やがて、大角が満足そうに頷く。撮影終了のサインだ。


「これで紙面に載せる写真は全て撮れました。ありがとうございます。引き続きインタビューの方に移らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」


「はい、問題ありません。何でも聞いてください」


 少し英語のイントネーションも混じった声は、柔らかだった。俺はICレコーダーを岸井に向ける。雑誌のインタビューで慣れているからか、驚いた様子は見られなかった。


「では、質問に移らせていただきます。まず岸井選手が、スケートボードを始めたきっかけとは何だったのでしょうか」


「両親ともにスケートボードをしていたので、その影響ですね。出会いもパークだったみたいですし、家に普通にボードがありました。両親は私がトリックができるようになると、自分のことのように喜んでくれましたし、そのことが私のルーツになっています」


 岸井は、しっかりと俺を見て答える。力強い目に引き込まれそうになる。


「岸井選手はグラインド系のトリックを武器に国内外の大会で好成績を収めています。一年後には東京オリンピックがありますが、どのようにお考えでしょうか」


 岸井の表情が緩んだ気がした。まるで聞かれることを分かっていたかのように。


「今はまだ東京でオリンピックが開かれるという実感はないですし、私はスケートボードが好きで楽しいからやっているだけなんですけど、オリンピックという注目が集まる舞台で滑ることができるのは楽しみです。まだ選ばれるかどうかは分からないですが、しっかりと大会で結果を残していきたいと思います」


 オリンピックには当然、開催国枠がある。世界ランキングで最も順位の高い日本人選手は、自動的にオリンピックに出場できる仕組みだ。そして、岸井は今、日本人最上位の一二位にいる。つまりは最もオリンピックに近い位置にいるということだ。


 本人も分かっているのだろう。「分からない」と前置きしておきながらも、口ぶりには自信が感じられた。


「スケートボードが楽しいとおっしゃいましたが、岸井選手が考えるスケートボードの楽しいところとは、どんなところでしょうか」


 岸井は少し考える様子を見せる。シャッターを切る音がした。


「そうですね……。やっぱり自由度の高さですかね。スケートボードには本来ルールはないですし、スケーターの数だけ個性がありますから、誰かが滑っているのを見ているだけでも楽しいです。あとは新しいトリックができるようになったときの快感ですかね。胸の奥から湧き上がってくるような。スケートボードに終わりはないですし、まだまだ私にもできることがたくさんあると思うと、ワクワクしてきます」


 そう語る岸井の目は爛々としていた。横で徳永が頷いている。弓道をしていた自分に重ね合わせているのだろうか。種目は全く違うというのに。


 俺はさらに、いくつかの質問を投げかけた。その度に岸井は過不足なく答えてくれて、取材のしやすさはこれまででも屈指だった。


 腕時計を見ると、パークに来てからもう一時間が経っていた。次の取材もあるし、そろそろ頃合いだろう。


 「今日はありがとうございました」と言おうとしたとき、割って入る声があった。


 徳永だ。ただ見ているだけの取材に我慢ができなくなったのか、はきはきとした声で喋り始めた。


「最後に一ついいですか。岸井選手、これからスケートボードを始めたいと思っている方に何か伝えたいことはありますか」


 突飛な質問だと感じた。専門誌ならともかく、総合メディアであるスポーツ新聞には、そのようなメッセージに紙幅を割く余裕はない。


 それでも徳永は聞いた。確かな熱を持って。


「スケートボードを楽しんでください。それに尽きるんじゃないでしょうか。はじめはなかなかうまくいかないかもしれませんけど、チックタックやオーリーなど小さなトリックでもできるようになると嬉しいですし。スケートボードは楽しいものだということを伝えたいです」


「ありがとうございます。実は、私も岸井選手が滑る姿を見て、スケートボードをやりたくなりました。参考にしたいと思います」


 徳永が、本心で言ったのかどうかは分からない。それでも、岸井の表情はこの日一番晴れやかになっていた。次の取材もきっとしやすくなるだろう。


 しかし、徳永の横顔は単純に微笑んでいて、打算的な態度はおくびにも出していなかった。


 取材を終えて、岸井が練習に戻っていく。俺たちは、荷物をまとめて、次の取材先へと向かった。


 背後でウィールが回る音がする。パークの外に出ると、一時間ぶりの日差しが眩しかった。



(続く)

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