両断の剣製
鷲尾空は知る由もないが、天宮市内で発生していた”切り裂き魔事件”は警察内では『不可能犯罪』と噂されていた。この一連の事件、当然短期間に集中していることから関連性があるのは想像に難くないが警察は模倣犯ではなく、専ら全て同一犯による犯行とみて捜査していた。その根拠となるのが殺し方だった。まず全てが身体を切断されて殺されており、それ以外の外傷は皆無だということ。そして動物人間問わず、身体を切断しての殺害という非常に困難な殺害方法を取っていながら遺体に抵抗の形跡が皆無だということ。頭に打撲痕も無く、胃から睡眠薬の類も検出されていないことから犯人は『生きた人間を抵抗する間も与えずに殺害した』ということになる。それも現場はいずれも人気が無いとはいえ、公園や路地裏、国道脇の雑木林といった特殊な機械も無い普通の場所で遺体を移動させた形跡すら無いという。ダメ押しにこれは通り魔事件だ。被害者に共通点はほぼ無いと言っていい。
この事件の捜査に駆り出された警察の末端に至るまで、全員が『人間にこんな殺し方は不可能だ』という認識を心の内では持ちつつも公言できないでいた。当然だろう、人間に出来ないのなら犯人は人間以外ということになってしまう。現場の状況からして事故死も病死も自殺もあり得ない。
これらの事はマスコミに伏せられており、”切り裂き魔”はあくまで連続殺人鬼であり正体不明の犯”人”ということになっている。しかしネットには情報が流れ始めており、”切り裂き魔事件は令和の不可能犯罪だ”という都市伝説地味た話が持ち上がりつつある。曰く『自衛隊の秘密兵器の非公認実験だ』『どこぞの高校生探偵や旅館の女将さんに解かれるのを待っているのだ』『伝説の暗殺者の仕事だ』『異能力者のバトルが日常の裏側で密かに行われているのだ』……まさか、この様な与太話の中に真実が混ざっている等日本中の誰も本気で思っていないだろう。
”切り裂き魔”の正体は、天宮市に住む一見育ちの良い好青年にしか見えないどこにでもいそうな男子高校生である。ただ、彼を非凡とするものがある。それが人間にはあり得ない高い身体能力と物理法則を無視した”なんでも斬れる剣を創り出せる”という異能の力だ。人間には出来ない犯行をしているのは、人間を超えた異能力者……そんな常識外のことが本当に起きているのだ。
空は背中に走る焼ける様な痛みに涙を流し、それでも叫びたいのをぐっと堪えながら、目の前に立つ切り裂き魔を睨みつける。
「ぐ……ッ。やっぱり、貴方が……切り裂き魔……ッ! その、力は……!」
「うん、この力は僕だけの力。名前は……『両断の剣製』。まぁ、何も知らない一般人の鷲尾ちゃんには分かんないか。それにしても……ひゃー、凄いね。泣き叫ぶかと思ったけど君はガッツがある」
そう言って、切り裂き魔は白い長剣を創り出す。先ほど木を切ったものとも、空の背中を切ったものとも違うものだ。そして一歩、空の元へと踏み込む。
「…………来る、な…………!!」
とにかく逃げないといけない。空は這いつくばった状態のまま、地面のぬかるんだ泥を掴むとそのまま目の前の切り裂き魔の眼前へと投げつける。
「……ッ!?」
そしてそのまま空は痛む背中の傷を無視して跳ね起きると一直線に切り裂き魔の懐へと飛び込み、全体重を乗せて体当たりする。
雑木林の出口が何処にあるのか、気絶させられて連れてこられた空には分からない。だが切り裂き魔は万が一にも空に出口の方向へ逃げられては困る筈だ。なら切り裂き魔は空から見て出口のある方向へ立ち、彼女の逃げ道を塞ぐのではないか? 最初は雑木林を大きく回って切り裂き魔から逃げようとしていた空だが、今は最早そんな余裕は無い。意表を突いて隙を作っての正面突破。これが今の空に考えつく最善手だった。
切り裂き魔は案の定、空の体当たりには不意を突かれたのかバランスを崩す。その脇を空は自分に出せる最速でくぐり抜けた。
(……よし、抜けた! 今は理解出来ない変な力のことなんてどうでもいい。この場にいない彷徨う道化の事もどうでもいい。この殺人鬼から逃げることだけを考えて……)
切り裂き魔は空の体当たりと足元の泥で体勢を崩した。このまま彼は重力に従って倒れこむしかない。そして起き上がるまでの数秒で可能な限りの距離を稼ぐのだ。だがそこで、空の背筋にゾクリとした悪寒が走る。
「ひゃー、ほんとに大したもんだ。でも残念」
「え?」
空の両足首から鮮血が飛び散った。足首の後方にあるアキレス腱が両断され、地面を踏みしめていた筈の足からがくんと力が抜ける。そして勢いのままに空の体はごろごろと、下手なマット運動のように泥の中を転がった。
「ぐ、ああ、ああああッ!!!!??」
困惑と激痛が同時に襲ってきて空は意識が飛びそうになる。視線の奥では切り裂き魔が地面に尻餅を付いた状態のまま赤い血の付いた剣を握っており、彼が倒れこむ姿勢のままに空の足首を狙って斬ったのだとようやく理解する。空は奥歯を砕けそうな程に強く噛み締めて切り裂き魔を睨みつけることしか出来なかった。
アキレス腱の断絶はサッカーのようなスポーツをしていると時折起きてしまう怪我だが、大抵は片足だけの怪我だ。故に痛みが強くなければギプスで固定することで引きずって歩くことも出来る。だが空の場合は別だ。内側での断絶ではなく、刃物による外側からの裂傷で。しかも両足首を同時に切り裂かれている。これでは走って逃げることも、満足に立ち上がって歩くことも困難だろう。
「いやぁ、そういえば『実験』に付き合ってもらう鷲尾ちゃんに事情を教えてなかったね? やっぱりさ、流石に何でこんなに痛い目に合わなきゃいけないのか位は教えておいてあげないと不誠実かなって思うんだよ」
血の付いた剣を投げ捨て再び新しい剣を創り出し、それを肩に担ぎながら切り裂き魔は悠々と空に近づいてくる。
「そもそも僕は二週間ちょっと前までは普通の人間だったんだよ。当然、こんな剣を出したりも出来なかった。でもね、仮面を付けたやたらテンション高めの女の人が僕の元に現れてシードっていうカードを僕にくれたのさ。そうして僕に発現したのが両断の剣製。始めは使い方を試行錯誤したよ。猫とか鶏とか、その辺りを斬ってみた。いわゆる試し切りって奴だね……楽しかったなぁ。人間を斬れるようになるのに、そこまで時間は掛からなかったよ」
切り裂き魔は空の目の前に立ち、空の首筋に剣を当てる。空の恐怖心を煽るように首の皮膚を撫でる様に剣を滑らせながら話し続ける。
「でも僕以外にも更に九人、こんな能力を発現させる人達がいるって仮面の女性は僕に教えてくれた。彼女は僕らを『候補者』って呼んだ。なんでも強い自我を持った人間にシードを与えると物理法則を超えた能力を手に入れるみたいでね。僕を含めた十人の候補者で、ある一席を懸けた戦いをするっていうんだよ」
「たた、かい……?」
「そう、戦いだ。その名を『ロード』。自分の強い自我によって物理法則を超える力を得た十人の候補者、戦い抜くことでその自我も能力も強まり成長していく……。自分以外の九人を殺した時、その力は極限にまで高まって文字通り……”世界を意のままに改変出来る王”になれるんだってさ?」
切り裂き魔はまるで都市伝説や与太話を楽しむ様に語る。彼自身、仮面の女こと彷徨う道化の語ったことを全て信じている訳ではない。『世界を意のままに改変出来る王』になれる、そんな事を言われても荒唐無稽にも程があって薄っぺらく聞こえてしまう。だがそれでも、もし本当だったらとても面白そうだ……そう思ったのだ。
「そんな馬鹿なこと、あり得ない……! 漫画や小説の中だけの話にしてよ……!」
「うん、僕もそう思った。実際に両断の剣製の力を手に入れてもね。でもさ、本当だったら面白いと思わない? 十人の能力者による正真正銘の殺し合い、しかもロードに参戦する候補者は皆超が付く程のエゴイストらしい。戦いに参加するだけでも楽しそうだし、勝ち抜けたら世界を思うがままに出来るって宣伝文句まで付いてるんだよ? 人間一度きりの人生なんだ。ロマンを信じて手を伸ばすくらいしてみたって、いいんじゃないかな?」
「何が、ロマンだ……ッ。貴方のやってることは、力に酔ってるただの快楽殺人でしかない……!」
背中と足首に走る激痛に顔を歪め、目に涙を浮かべながらも空は切り裂き魔を睨み続ける。自分に出来ることは最早それくらいしか無いことが腹ただしく、気を抜けば意識が遠のいてしまうのを胸の中で沸騰する様な怒りでなんとか繋いでいるのが情けない現状だった。
「もちろん否定はしない。というか、これまでは僕もただ力に酔ってそれを行使したいだけの殺人をしてきたからね。でもね、鷲尾ちゃん。今回は、君だけは明確に違うんだよ。ちゃんと目的があって僕は君を狙って、今までの様に一撃で即死させない様にしているんだ」
「……………………ッ」
空は歯を食いしばる。そうだ、ずっと疑問があった。太い木をひと振りで両断してしまえる程の剣を創り出せる目の前の男が何故空をこうも執拗に何度も斬りつけているのか。今まで二度斬られた時も追いついた時に空の身体を後ろから両断出来た筈だし、両足首の裏を斬られた時だってあの崩れた体勢から空の両足首のアキレス腱を正確に斬る程の技量があるのに斬ったのはアキレス腱に留まった。両足首を切断してしまえば最早空に動くことは不可能だし、恐らくそのまま失血のショックで死ぬだろう。簡単に殺せた筈なのに何故それをせずに空を生かしているのか。そもそも殺すだけなら最初に意識を奪った時にわざわざ意識が回復するのを待つ必要も無かった。ただ空が必死に足掻くのを見て楽しむだけでは、足りない気がする。
「確かに、僕はとても強い力を手に入れた。使い方にも慣れてきたし、他の候補者に負ける気は無い。でもね、僕はついこの前までは何の変哲も無い普通の男子高校生だったんだよ。特別な力を持った連続殺人鬼”切り裂き魔”になったのはつい最近なんだ。そんな僕が戦う相手の候補者はどんな人間かは全く分からない。それこそあれだよ、自衛隊とかプロのスポーツ選手とか人の体の動かし方ってものを深く理解しているエゴイストがロードに参加する可能性だって十分あり得るじゃないか。それに僕の両断の剣製は斬ることに特化しているが、僕自身は人体に付いては素人でね。『どこをどう斬れば相手が動けなくなって、どれだけ斬れば相手を殺せるのか』が全く分からない」
空は生唾を飲む。ようやく合点がいった。つまり、目の前の切り裂き魔が自分を生かさず殺さずで嬲るように斬るのは。そして、彼が先ほどから言っていた『実験』というものの内容は。
「……私で確かめたいってことですか。人間は、どこを斬れば動けなくなるのか。どれだけ血を流せば死ぬのか……! それが、貴方の言う『実験』……ッ!!」
「ひゃー、その通り! ご明察だよ鷲尾ちゃん!
君のことは昨日から目を付けてたんだ。転校生で知り合いが少なくて、ちょっと遠慮がちな女の子。昨日の放課後、偶然君を中学校の前で見かけてね。迎えの車をこっそり追跡したら、あの有名な鷲尾家に入っていくじゃないか。学校と家の間にはおあつらえ向きの雑木林があったし、その時点で僕は君をターゲットに決めたんだ。スタンガンとかを用意して、今日高校を休んで君の家に忍び込んでこっそり車のタイヤをパンクさせてもらった。後は君の知っての通り、一人で帰らざるを得なくなった君を騙して気絶させてこの雑木林に拉致ったってわけさ」
全部仕組まれていた。切り裂き魔が語る内容に空は心臓がきゅっと締め付けられる様な恐怖を感じた。恐らく彼は他にも様々な工作をしていたのだろう。ここまでのやり取りで、切り裂き魔は自身の力に酔っていて快楽主義的だが抜け目は無く入念な下準備をする性格だと嫌という程に実感させられた。故に、万が一にも鷲尾空が逃げ出せる余地は無く彼女の運命は切り裂き魔に痛めつけられ殺されるという事に決定したと言える。
(…………………ふざ、けるな)
怖くて仕方が無い。だが、それでも自身を殺さんとする理不尽な悪意に対して鷲尾空が抱いたのは明確な怒りだった。