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斬り裂き魔

 視界を埋め尽くすのは木、木、木、どれだけ走っても変わらない景色が続き時間の感覚がおかしくなりそうだ。スマホを落としてしまったらしく、地図アプリで方角を確かめる事も現在位置を確認することも出来やしない。空は整備の手等全く入っていない雑木林のでこぼこした地面を必死になって蹴り飛ばし、少しでも遠くへ逃げる為にもがく様にして走っていた。少しでも気を抜いた瞬間、背後から追いかけて来る『狩人』に捕まってしまう。そして、それが自分の人生の終わりだという確信があった。

「はぁ……ッ、はぁ……ッ」

 空が逃げ回っているのは天宮市の外れにある雑木林だ。旧市街の奥にあり、丁度空が鷲尾家に帰る通学路の近辺に入口がある。奥はそのまま深い山へと通じており、舗装されている道以外は人の手等ほとんど入っておらず、季節によっては熊が出現することもある。地元民でも道を外れて迷ってしまえば容易には出られないようなこの雑木林で、方位すら分からずに我武者羅に走り続ける空が抜け出せるはずもない。既に遭難一歩手前という場所にまで来ており空もそれを薄々察してはいるのだが、生憎足を止める訳にも引き返す訳にもいかない。

「ぁ、ぐぁッ!?」

 木の根っこに足を取られ、空は転がるようにして倒れた。口の中に青臭い泥が入り、夏服で白の生地だった制服は泥だらけになる。だが、そんな事を気にしている暇はない。空は立ち上がって、再び走り出そうとした。だが、遅かった。

「ああ、ごめんね。可愛い可愛い小鹿ちゃん。残念ながらゲームセットなんだ」

「ッ!?」

 粘っこい、そして人を馬鹿にしたような声が空の耳元で囁かれる。空がそれに対して反射的に飛び退こうとするよりも一瞬速く、空の背中に焼け付くような鋭い痛みが走った。

「ぁ、い、ああああああ……ッ!?」

 今までの人生で経験したことも無い激痛が、空を襲いまともな言葉を発することすらできずに膝から前のめりに崩れ落ちる。狩人に追いつかれたのだと、崩れ落ちてからようやく理解する。激痛にのたうち回って泣き喚き、助けを求めたいのに倒れ伏したまま動けず、声もまるで獣のようなうめき声が漏れ出るだけである。

「ぐ、ぎ……ぁぁああ……。痛、い……痛い……!」

 初めて経験する激痛から逃げる様に地面を這いずろうとするが、腕や脚を動かすだけで背中に信じられない様な痛みが走る。もがきながら、空はようやく自分の背後に立つ狩人を見た。

「ひゃー。もぞもぞと蠢きながら痛がっちゃって……かーわいー」

 狩人は上半身を赤く染めながら、どこにでもいそうなカジュアル系の服装にはまるで似合わないひと振りの無骨な西洋剣を持って恍惚とした顔で笑っていた。西洋剣の先端にしたたる赤い液体を見て、空は自分の背中を背後からあの剣で斬られたのだと悟る。

 痛みと恐怖でボロボロと涙を流しながら、空は考えてしまう。あまりにも理不尽で狂った今の現状に、どうして自分が陥らなければならないのか。

(なんで……なんで、こんなことになったの……ッ!?)

 何故鷲尾空がこの様な狂気の現場で、命の危機に瀕しているのか。それはわずか十数分前に遡る。




 時刻は夕方、それでもまだ暗くなるような時間でもない。最近の斬り裂き魔事件の影響か、市内を出歩く人はまばらですれ違う人も数える程だ。ようやく旧市街の鷲尾家のある山の方へと繋がる坂道の入り口付近まで来たが、どことなくもの寂しさを感じる。近くにある雑木林、道の脇にならぶ田畑、この辺りから鷲尾家まで住宅が極端に少なくなるのだ。

(はぁ、昨日の夢も怖かったけどやっぱりこういった現実的な怖さの方が嫌だなぁ……。ほんと、早く犯人捕まって欲しいよ……)

 空はため息を吐きながら速足で坂道を登っていこうとする。このまま行けばもう20分もすれば家に到着するだろう。

「あ、すみませーーん!!」

「え?」

 不意に後ろから声を掛けられる。空が振り向くと最近のファッション誌に載っているカジュアルコーデをそのまま着ているようで、それがよく似合っている高校生くらいの少年がいた。背は高めで人好きのする笑顔が印象的な彼は息を切らせながら空へと駆け寄って来る。

「ごめんね、この辺でリードが付いた犬見なかった? 散歩中にいきなり走り出して、見失っちゃって……」

「えっと、犬……ですか? 私は見てませんけど……」

 どうやら犬の散歩中に逃げられてしまったらしい。その少年は困ったという表情を浮かべ、頭を掻く。

「そうですか……。参ったな、雑木林の方に入っていたら厄介だぞ……。あそこ熊も出るのに、ただでさえ最近物騒なんだから……」

 空の通学路から道を一本脇に逸れると、奥の雲連岳を始めとした市の南部に広がる山々への登山道へと繋がる雑木林の入り口がある。熊も出現するというその雑木林は地元の人でも余り近寄らず、もし登山道から外れてしまえばすぐに遭難してしまうというものだ。確かにそこに飼い犬が迷い込めば、発見は絶望的かもしれない。

「それは確かに大変ですね……。いっそ警察とかに連絡するのも手かもしれませんよ」

 空は同情しつつも、流石に一緒に探すという提案は出来なかった。飼い犬がいなくなってしまったのは明らかに目の前の少年の不注意が原因だし、何より斬り裂き魔事件でぴりぴりしている今の市内で散歩等に連れ出すべきでは無かったのだ。いなくなった犬は可哀そうだが、無事を祈ってあげることしか出来ない。

「ああ、そうだね……。もうちょっと探してダメなら、110番してみるよ……」

「ええ、それがいいと思います……。それじゃあ、私はこれで……」

 そういって空は飼い主の少年に背を向ける。遅くなっては家の人達に余計な心配をさせてしまうし、空自身あまり外はうろつきたくない。いなくなった犬と飼い主の少年の再会を祈りつつ、坂道を登っていこうと一歩踏み出したところだった。

「ああ、わざわざごめんね……」

「え……?」

 空は腰の辺りにビリッと電気が走る様な感覚と共に鈍い痛みを感じたかと思うと、意識が暗転し身体が糸の切れた操り人形のようにアスファルトの地面に崩れ落ちる。

 意識を失った空を見下ろしながら、その少年は先ほどまでの人好きのする様な笑顔を崩し口元を嫌らしく釣り上げながら肩を震わせる。左手持った市販の高威力スタンガンを腰のバッグに入れると、人目が無いことを確認してから空の体を担ぎ上げる。

「……思った以上にお人好しだったね君は。お陰で随分と楽に事が運びそうだ」

 空は気付かなかった。わざわざ犬を散歩に連れて行く程に大切にしている飼い主が市内に連続殺人犯が潜伏している中で散歩に連れ出す筈が無く、加えてそんな状況で犬がいなくなってしまったという割にはこの少年が落ち着き過ぎていたことに。鷲尾空は元来、真面目な女の子だ。普段から不審者に気をつけているし、意味もなく余計な寄り道をしたりしない。だが、真面目な分『飼い犬を探している』といった様に尤もらしい理由で堂々と尋ねられれば親切かつ無用心に会話をしてしまう危うさがあった。この少年は流石にそこまで鷲尾空のことを知っていた訳では無いが、運悪くこの少年の取った手段は空にとって一番効果的な誘拐方法だったのだ。




「ん……く……?」

 空が目を覚ますとそこは一面の雑木林だった。先日までの雨でぬかるんだ地面の上に仰向けに倒れていたのだ。何故自分はこんな所にいるのだろうか、確か下校中に飼い犬を探している高校生くらいの男に話しかけられて……それから……。

「やあ、鷲尾家のお嬢さん。ご機嫌いかがかな?」

「ッ!?」

 自分が何をされたのかを理解すると同時に空の視界いっぱいに先ほどの少年の顔が覗き込んできた。反射的に飛び上がって後ろに下がる。

「貴方、私に何をーーッ!」

「ひゃー、君結構運動神経いいんだね? やっぱり”実験”のターゲットに選んで正解かも。今回は初めて逃げ回る相手を狩るんだ。元気な方がいい」

 空の反応を拍手しながら楽しそうに見て笑うその少年は、何者なのだろうか?

 ファッション誌で紹介されているのをそのまま持ってきた様な格好で、白のインナーの上に羽織っている焦げ茶色の薄手のジャケット。下はジーンズと何ともありふれた格好をしている。顔立ちは整っているのだが先程とは異なり笑顔に悪意が滲んでおり受ける印象は好青年の対極といったところか。高校生くらいの年齢でこの時間帯に私服を着ているという事は学校に行っていないか、もしくは風とは別の私服通学が認められている私立高校の生徒だろうか。

「”実験”……? ターゲット……? 狩る……?」

 彼の言葉の意味など空には分からないが、碌でもないものであることくらいは分かる。なんとかして人通りの多いところまで逃げたいが、見渡す限り木、木、木、この雑木林の出口がどちらにあるのかも方位もまるで検討が付かない。

「さて、そろそろスタンガンの痺れも抜けてるでしょ? ゲームの簡単なルール説明だ。ほら、チュートリアルで特別に見せてあげるよ。これが僕の……”切り裂き魔”の力だよ」

 自らを”切り裂き魔”と宣言したその少年は、指をパチンと鳴らす。空の常識が、昨晩に続いてもう一度根元から崩れる。彼の合図に合わせる様にして虚空からまるで手品の様に白いレイピアが出現し、切り裂き魔の手に収まる。

「な……ッ!? どこから……ッ!?」

「どこでもないよ。今、創ったんだからさ」

 なんでもない様に言うと切り裂き魔は自身の横に生えていた一本の枯れ木に向かってそのレイピアを振るう。まるで力の入っていない様なひと振りだったが、枯れ木はバターの様に滑らかに一切の抵抗なく切り倒される。切り裂き魔の持つレイピアはそれでチュートリアルという役目を終えた様に霧散し空気に溶ける様に消えた。

「こんな風に僕は”なんでも斬れる剣を創り出せる”んだ。今まではそれで何人もひと振りで斬って斬って切り殺してきたんだけど……。今日はちょっと趣向が違う。鷲尾ちゃん、この雑木林をフィールドにして僕と鬼ごっこをしよう。ルールは簡単、僕から逃げ切れたら君の勝ちで僕に追いつかれたら負け。ね? 楽しそうだろう?」

 意味が、分からなかった。目の前の少年が街を恐怖に震わせている連続殺人犯で、その凶器は常識の外にある力……。そして空が次のターゲットだというのだ。余りにも現実離れし過ぎていて頭が痛くなる。

「ぁ、ああ……ああ……ッ」

 気づけば声が震え、空は数歩後ずさっていた。この世界には理不尽な悪意や理由の無い殺意が幾らでも転がっていることは知っている。人間なんて法や理性、規則で雁字搦めにしなければ欲望のままに動くしかない獣だ。人間は社会生活を維持する為に自分たちを鎖で縛り付けている。ならば恐らく、目の前の切り裂き魔はその鎖が断ち切られてしまっているのだ。他でも無い、彼の”なんでも斬れる剣を創り出せる”という訳の分からない能力によって。

「それじゃあ僕が10数えたら始めるからね? いーち、にーい、さーん……」

「っく……ッ!!」

 まるで小さい子供が公園で友達と遊ぶ時の様な気楽さで、切り裂き魔はカウントダウンを始める。とにかく逃げなければ、と空は弾かれる様に背中を向けて雑木林の奥へと駆け出した。

(雑木林の出口は……多分あいつの背後! 私が奥へ奥へ逃げて林の外に出られなくなる様にしてるはず! なら、一度奥へ逃げてそのまま大回りにUターンすればあいつに追いつかれずに林を抜け出せる……!!)

 切り裂き魔の持つ力がどういう理屈なのか分からないし、何故自分がターゲットにされてしまったのかも分からない。だがそれでも何よりも優先するべきことは彼から逃げ切ることだ。謎など放置でいい、あんな凶悪殺人犯の相手なんて小説に出てくるハイスペックな探偵とかに任せるべきだ。だがそれでも、切り裂き魔の常識の外にある力を見て空は一つだけ確信を抱いてしまったことがある。

(十中八九間違いない……昨日の夜、彷徨う道化(ファントムクラウン)が私の枕元に現れたのは夢なんかじゃない、現実だ! 彷徨う道化(ファントムクラウン)も正体不明の力を使ってた。それにシードを与えるとかなんとか……。そんなタイミングで街で事件を起こしてる謎の力を持った殺人犯が出てくるなんて、無関係ってことは絶対ありえないッ!!)

 足場の悪い雑木林の中を空は必死に走り抜けていく。その背中を切り裂き魔が、獲物を狙う狩人となって常人離れした身体能力を駆使し木々の上を飛び移りながら追いかけ始めた。

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