瞬殺
旧市街は主に築20年以上が経過している住宅が集まった低地と街の有力者達の屋敷が点在する高地に別れる。柊坂中学校があるのは低地で、多くの生徒はそのまま歩いて旧市街の低地かもしくは自転車で新市街へと帰っていく。だが限られたごく一部の生徒は舗装された長い長い坂道を登って、高地の方へと歩いていく。所謂お屋敷住みのお坊ちゃんお嬢さんというやつだ。そして地元の名士の家に引き取られた鷲尾空も、その一人となる。だが1キロ以上ある坂道を延々と歩いて登り続けるという生徒は殆どいないらしい。
「空さん、転校初日はどうでしたか?」
「えっと……クラスの人が良くしてくれて、友達も出来ました」
「まぁ、それは大変喜ばしいことですね」
以前、空を市の施設に飛和が迎えに来た時に乗っていたものとはまた違ったシルバーカラーの車の中で、空は鷲尾家に家政婦として雇われている山崎春代と話していた。四〇代前半程の春代は常に一歩引いた姿勢を貫いているが、基本的には誰に対しても大らかな人で空にとっては比較的話しやすい大人だった。
空は林檎と翼の学校案内が終わって帰ろうと校門に向かったところ、丁度連絡を入れておいた春代が車で迎えに来ていたところだったのだ。どうも高地に住んでいるお坊ちゃんお嬢さん系の生徒にとってはこの様な送迎が基本らしい。だが鷲尾家は『自分の足で歩かせる』方針らしく、今日の様に迎えがあるというのは実は珍しいことだと言うのだ。
「本当でしたら、飛和さんの教育方針的には空さん、風さんのお二人には徒歩で通学していただくのですが……。ここ最近はちょっと事情が事情ですので、私が朝お送りして放課後にお迎えにあがりますね」
春代は空を学校へ送る際にそんなことを言っていた。
空は車内でシートベルトを締めつつぼんやりと外の景色を眺めていた。もう住宅の密集地帯は抜けて、鷲尾家のお屋敷に続く長い長い上り坂に差し掛かっていた。周りはひたすらに木、木、木……夏場になればカブトムシやクワガタを幾らでも採れそうな風景が広がっている。深い雑木林はそのまま市の南部に広がる山へと繋がっているらしい。迷ったらちょっと洒落にならない事になりそうだと空は思った。
「ねえ、春代さん」
「はい? 何か?」
助手席に座る空はふと思い出した様に春代に声を掛ける。それに対して運転中の春代は視線を空に向けず、真っ直ぐ進行方向を見たまま応えた。
「最近この辺で起きてる『切り裂き魔事件』って、そんなに酷い事件なんですか?」
「……斬り裂き魔、ですか」
空が振った話題にミラー越しの春代の表情が曇るのが分かった。この『斬り裂き魔事件』こそが、今この街を震え上がらせている凶悪事件なのだ。柊坂中学の部活動の禁止も、鷲尾家の珍しい車での送り迎えも、市内全域の小中学校へ『放課後と休日の不要・不急の外出の禁止』が言い渡されているからである。無論今日の学校のホームルームで恵子先生が口をすっぱくして空達に注意していた。
春代は空自身にも自衛のための危機感を持ってもらうことは大切と考え、自身がワイドショーや飛和から聞いた話を空に語り始めた。
ことの始まりは二週間ほど前。早朝、天宮市内のとある公園にて、野良猫のバラバラの切断死体が幾つも発見されたのだ。次に農家で飼育されていた鶏、イベント用に市で飼育している馬とどんどん規模が大きくり1週間経つ頃には人間の切断死体が発見された。それ以降、二日に一人のペースで発見される死体は増え続けている。ニュースでは昨晩4人目の犠牲者が見つかったと報じられていた。
全て被害者が一人でいる所を襲われたとみられ、警察は『一人で出歩かないように』と警告を発しているという。当然、空達の通う柊坂中学校も生徒達に徹底指導し集団下校を推奨し、離れた場所に住む子供には先生が付き添う等といった対策をしている。それでもやはり空の家の様に車で迎えに来る保護者が圧倒的に多いのだが。
空が春代から斬り裂き魔事件について聞き、『しばらくは一人で出歩かないように』と釘をさされたところで車は坂を登り切り鷲尾家に到着する。広大な敷地内に入るのに何故か大きな門をくぐり、立派な日本庭園に迎えられる。この広い庭の管理はほとんど飛和が行っているのだから驚きだ。庭園を横切るとそこに駐車スペースが設けられており、同時に巨大な平屋造りの日本家屋が目に入る。
「外から帰ってきて見ると改めて、でかい……」
「ふふ、それはまぁ市内でも一番の敷地ですからねぇ。空さんは余り実感無いかもしれませんが、鷲尾家はこの地方ではかなり有数の資産家ですから。飛和さんも御当主として何かとお忙しい方なんですよ?」
「うへぇ……パパの実家、凄い……」
空は改めて実家の規格外さに圧倒されながらも玄関から帰宅する。春代は空を迎えに行く前についでに買ったというスーパーの袋を抱えて裏口に向かっていった。家の構造上台所へは裏口から直接入る方が近道らしい。空は手伝おうと申し出たがすげなく断られてしまった。
そして空は引き戸となっている玄関のドアをガラガラと開き、家に入る。
「ただいまー」
「うげ、あんた…………」
「…………あの、風姉さん。流石に人の顔見て『うげ』って酷くない?」
どうやら出ていこうとする丁度そのタイミングで空が帰ってきて鉢合わせてしまったらしい。空と顔を合わせて露骨に嫌そうに顔をしかめているのは高校生位の少女だ。くせっ毛の無い綺麗な黒髪をポニーテールに纏めた凛とした美人で、曲がったことが嫌いそうな鋭い目つきは飛和に似ている。というか、一応空の家族である。
名前は鷲尾風。市内の進学校と言われる位には偏差値の高い高校に通う花の女子高生だ。高校では生徒会の副会長を務め、部活動では柔道部の主将を任される。成績優秀運動神経抜群容姿端麗と基本、非の打ちどころの無い生徒だ。そしてこの鷲尾家に住む空の従姉でもある。風の母親が空の父親の妹なのだ。
「そりゃ、嫌なタイミングで嫌いな従妹の顔を見れば『うげ』って言うわよ。折角お祖母ちゃん達の目を盗んで合気道の練習しようと胴着持ってここまで来たのに。よりによってあんたに見つかるなんて……」
風は飛和と同様に空のことを快く思っていないのだが、嫌悪感を表に出そうとしない飛和と異なり真正面から空にぶつけてくる。だがそれでも伊達に副会長や主将を任されはしないのか、根は悪い人では無い様でこのように嫌味を言って来るだけに留まり会話もキチンと成立する。この飛和と似た妙な真面目さが空は嫌いにはなれず、彼女と話すこと事態は特に苦痛は感じなかった。
「えっと、柔道って部活の……?」
そこで、空はようやく風の手に持っている荷物に気付いた。明らかに柔道の胴着が入っているであろうバッグを抱えている。
「ええ、そうよそうよ。全く、斬り裂き魔が出るから~って試合前だってのに部活動中止なんて。だからうちのの部員で家が柔道教室開いてる子がいて、その子の家の道場で集まろうって話が持ち上がったのよ」
どうやら風は誰にも内緒でこっそり抜け出して練習に行くつもりだったらしい。そしてそれを運悪く空に見つかった。
「いい、空? あんたは何も見なかったし聞かなかった。私は部屋でずーっと真面目に勉強してたってことにしなさい。いいわね?」
「えっと、取りあえずお祖母ちゃんに今の話全部教えてあげればいいんだね?」
「な……なんでそうなるのよッ!?」
空の言葉に風の顔色がサーっと血の気が引いて青くなる。鷲尾風は美人で勉強も出来てスポーツ万能、男女問わずモテる完璧な女子高生だ。だがしかし、哀しきかなその唯一にして絶対的な弱点を会って数日の空に見抜かれている。
「だって風姉さんってお祖母ちゃんの前でええかっこしいって言うか、見え張りたがるし……。だったらそこ崩すのが一番効くかなーって……」
「な、な、なーーーーッ!!」
「そもそも私達の送り迎えもお祖母ちゃんが決めたことなんでしょ? なら猶更、今は勝手に出ていったら怒るんじゃない?」
「ぅ、ぐ、ぬぐうぅぅぅ…………ッ!!」
顔を真っ赤にしながらも三つ年下の空に反論出来なくなって涙目になる残念系美人の鷲尾風。彼女の唯一にして最大の弱点、それは『今は反抗期で反発したがっているが、祖母である鷲尾飛和のことが大好き過ぎる事が全く隠せてない』ということである。
空自身、基本的に真面目でわざわざ飛和に心配を掛けるようなことをする気は毛頭ない。加えて風のことが心配でもあるため、速攻で沈めて部屋に引き返してもらうことにする。
「ほらほら、風姉さん。今なら私もお祖母ちゃんに黙っててあげるからさ、部活の皆さんに『練習中止します』って連絡して、部屋に戻った方がいいんじゃない?」
「う、ぐ……あ、あんたのそういう所…………私嫌いッ!!!!」
最早半泣きとなった風は『練習に行かない』という意思表示の様に空へ胴着の入ったバッグを押し付けると、脱兎のごとく自分の部屋の方へ走り去っていった。
「…………風姉さん、あれで学校では『完璧美人』で通ってるの凄いなぁ。このギャップ知られたらもっと人気出たりするのかな……? ギャップ萌え~、みたいな」
空は風の実質の降参宣言である胴着入りのバッグを抱えて彼女の背中を見送った。取りあえず、胴着は後で風の部屋に返しに行こうと決める。この妙な肝の太さとよく回る舌が余計に風に嫌われる要因となっているのだが、空からすれば先に仕掛けてくるのはいつも向こうなので知ったことではない。あと彼女のコロコロ変わる表情の百面相は見ていて飽きないので風が変に突っかかってくる限りはやり返すつもりだった。
鷲尾風
鷲尾空の従姉であり、鷲尾家に元から住んでいる女子高生。学校では『完璧美人』で通っているらしいが、最大の弱点が『鷲尾飛和』であることを会って数日の空に見抜かれている。飛和と同じく空を嫌っているが、嫌味も悪口も全部呆れるくらいに真正面からぶつけるので頻繁に空からのカウンターを喰らってしまう。彼女の中で明確な線引きがあるのか、決して空を害する様なことはしないので割と空からの心象は良い(本人の意図に反して)。