第九十八走 ガバ勢と二人きりの駅
「何で委員長が来ないんだ!?」
裏路地を何度も往復した後でルーキは頭を抱えた。
これで三度目のチャレンジになる。前回、誘惑にハマりかけた部分もしっかり修正し、今度こそすべてを冷静に跳ねのけてこの場面までやって来たというのに、やはりリズの姿はない。
「こうなったらこっちから会いに行くか? 家にいるかもしれないし!」
列車の発車時刻が迫りつつある。焦りから声が大きくなるルーキに、サクラも強い声を返した。
「いや、それより今回は駅に向かってみるっす。そっちにいる可能性の方が高いすよ!」
彼らは駅へと向かった。
デッデッデデデデ!
ちょうど発車のベルが鳴り響く。ルーキはホームに乗客がいないことを訝るようにあたりを見回し、
「委員長は……? 来てないか?」
「……ガバ兄さん。それより、もっと変なことに気づかないっすか……?」
「え?」
「ホームに列車、来てないっすよ……」
ルーキは弾かれるようにホームの奥を見やる。
デッデッデデデデ!(カーン!)デデデデ!
発車のベルは二周目に入ったというのに、確かにそこには、何もなかった。
「な、何だこりゃ……!?」
慌てて駆け寄ったルーキは、列車があるであろう場所に恐る恐る手を伸ばした。彼の指先はいつまでも虚空を掻くばかりで、見えない何かに到達することは決してなかった。
「だ、だけどよ……」
「……ええ。あるっすね、列車……。この振動、発車前の独特の空気……。ここにあるけど、ない、って感じっす」
「わけわからん……」
ルーキは途方に暮れたまま、三度目の世界でイクゾーを聞いた。
※
「やっぱ、正しい形になってないとダメってことなんだろうな?」
翌朝――ではなく、再び同日の朝に戻ってきたルーキは、ベッドにひっくり返ったまま天井にそう呼びかけた。
「そうっすね……。逆に言えば、あの列車が見えてて、乗り込めたら正解ってことでよさそうっす」
「どうにか委員長を探さないとな……」
「それなんすけどね……」
サクラは切り出しにくそうに言った。
「いいんちょさん、あの裏道にいたような気がするんすよ」
「……!? 見たのか?」
「いえ……。ただ、かすかに気配みたいなものは感じられたっす。すぐそばに」
「そこにいたのに、いなかった? それってもしかして、あの列車と同じか?」
「そう、なんすかね……」
歯切れ悪そうなサクラの返事だが、今の彼らに他に手がかりはなかった。
「どこかで、正しくない形を引いた。それで委員長に会えない……ってことなのか? どこなんだ? 正しくないのは?」
「…………」
独り言のような問いかけに、サクラからの返事はなかった。
やがて起きる時間になり、ルーキたちは再びそれぞれの朝の行動へと移る。
彼は覚えている限り正確にあの日の通りに行動し、そして再び裏道へと戻った。
リズは、現れない。
「委員長、近くにいるのか?」
ルーキは声を張ったが、返事はなかった。
「一体何が間違ってるんだ。もう四回目だ。そろそろ受け答えの演技も様になってきたと思うぜ」
「サクラの方も、当日の動きは完璧に再現できてるっす」
二人は一周目で入った団子屋から裏道の様子を見張りつつ、情報を交換し合った。
「基本的には、あの日のルタの街と変わりがない。ちょくちょくパーティに参加したがる誰かがいる点をのぞいてな。怪しいとしたら、やっぱそこか……」
「……そうっすねえ……」
「パーティに本来いない誰かを加えさせて、正しい形を崩そうって魂胆だろうが……。でも俺たち、この段階では確かに二人だったよな?」
「それは確かっす」
「だとしたら何が間違ってるってんだ……」
ルーキは大きく息を吐いた。
今回も、時間が経過しすぎている。
もうじきルタの街には世界を巻き戻す発車のベルが鳴り響く。
「今回もダメっぽいか……」
ルーキは団子の串を皿の上に置いた。
「くっそー、なかなか難しいな。どうにも突破できない。委員長か、あるいは他の仲間がどうにかしてくれるのを期待したいが……いや、ここはリーダーの俺がしっかりしないとダメだな」
「気負ってるっすねえ」
サクラは茶化すように言った。
「まあな。やっぱパーティのリーダーは普通とは違うよ。今まで何気なくやれてたことが、何となくやりにくくなる。責任の重さってヤツなんだろうな。親父とか委員長は、これをずっと背負ってたんだ。俺も今回で、それがわかるようになった。これからのRTAに必ず活かすよ」
彼は仕切り直すようにうなずくと、隣で大人しくしているサクラに顔を向けた。
「でも、正直なところ、サクラが一緒にいてくれてよかった」
「なっ、なんすか、急に……」
サクラは慌てた様子でそわそわと体を揺らした。
「こんなわけわからん状態、一人じゃどうしようもなかった。最初は手がかりもなかったしな。委員長がこの幻の中にいるかもしれないって話も、サクラじゃなきゃ気づかなかった」
「そ、それほどでも、あるっすかね。ガバ兄さんは鈍いっすから」
ルーキは「そうだな」と苦笑し、
「それに、なんていうか……。サクラといると安心するんだよ。何か、いつも通りって感じで……」
「そ、そうすか? ちょっと言い過ぎじゃないすかね、えへへ……」
頬を赤くして頭に手をやるサクラに、
「まあ、色々とガバに付き合ってもらってるからな。考えてみれば、一番最初のRTAから一緒だったか。何だかんだで、一番多く組んでる」
「へっ、へえ~。サクラ、癒し系だったんすねえ。やっぱ、大人しくて従順な性格よりも、小悪魔的妹キャラ大正義っすかね?」
「かもな」
彼は微笑み、
「委員長とだったらこうはいかなかった。ほら、委員長、圧が強いからさ。一緒にいると緊張するっていうか、疲れるから。こういう時だと、余計泥沼にはまってたかもな」
「…………。へーぇ……」
すっ、と。サクラの目が細くなった。
「そういうこと、っすか」
ひどく冷めた声でつぶやく。
「サクラ?」
驚いたような顔をしたルーキに、彼女は冷厳に告げた。
「認めたかないっすけど、ガバ兄さんはいいんちょさんのことガチで尊敬してるんすよ。崇拝に近いっすかね。いいんちょさんがしょっちゅう圧力かけてるのは確かっすけど、それも含めて、ガバ兄さんはあの人と一緒にいることを、本当に嬉しく思ってるっす」
「…………!!」
ルーキは目を見開いた。
「ガバ兄さんが、“正しくない形”だったっすね」
「サ、サクラ……」
「動くな」
音もなく。サクラは腰の後ろから脇差を引き抜くと、立ち上がりかけたルーキののど元に刃を突きつけていた。
「言ってないすけど、忍者ってのは走者よりも軍人寄りの人種なんすよ。ニセモノとわかった以上、声や見てくれが同じでも、何の躊躇もしないっすよ?」
「お、俺は……俺が、ニセモノ……?」
戸惑う顔のルーキに、サクラは少し唇の端を緩める。
「自覚がないんすね。多分、サクラの頭の中から作り出された都合のいい兄さんなんでしょうけど……」
「…………俺が」
ルーキは顔をしかめ、しばらく押し黙ってから、サクラを見つめた。
「……じゃあ、俺のRTAはここで終わりなのか?」
「……!」
刃がわずかに揺れる。
「俺はもう、おまえと一緒に行けないのか?」
哀しい目だった。
「……何て顔してるんすか」
サクラは寂しげに笑った。
「兄さんがサクラの中から出てきたっていうなら、いつも一緒ってことじゃないすか。夢にでも出てくればいいんすよ。待ってるっすよ。いつでも……」
少女は刃を突きつけたまま、そっと顔を近づけた。
二人の影が重なった。
頬を薄紅に染めたサクラは、呆然とした顔のままのルーキにささやくように言う。
「おさらばっす。サクラのことが好きな兄さん」
唇にかすかな桜の香りを残し、花吹雪と共に彼女は姿を消した。
※
駅は黄昏の光に包まれていた。
世界は影絵のように金と黒に分かれ、ホームの柱によってできた影は、背後に果てしなく伸びていた。
妖魔が仕掛けた夢幻は崩れ、もはや背後には何も存在していない。駅のホームと、そこから線路側に見える景色が、この世界に残された最後の形。
あの街も。
あの人も。
全部消えた。
自分の価値と成長の大部分をRTAに託していた人間が、それを失った時、どんな気持ちになるのだろう。もう走れないとわかった時、どんな気持ちで、うなだれるのだろう。
もしあの時、彼に「行かないでくれ」と言われていたら……。
「言わなかったっすけどね……」
その口を塞いだ。
だが、その後でも言えたし、その前にも言えたはずだった。
彼は言わなかった。もしかしたら自分が抗えなかったかもしれない、その言葉を。
なぜ?
所詮はニセモノ。こちらの認識と願望を材料にして組み立てられた、ガワだけをそれらしく演じるカラクリ人形にすぎない。その内部に、人としての複雑な思考があったかどうかは疑わしい。
だが、それでも……。
サクラはかぶりを振った。
考えても答えの出ない命題に、立ち止まったままこだわり続けることは、プロフェッショナルとしてあるまじきことだ。そういうことは、体を動かしながら手探っていくものだ。足を止めた時、思考も止まる。
「ったく、兄さんはニセモノになってもこれっすか……」
深いため息をつき、ホームの端からぼんやりと黄昏色の景色を眺める彼女に、かかる声があった。
「アンニュイですか」
真横に立った色彩を、ぼやけた視界の端で確かめる。
シャギーカットの緑髪と、白い旅装束。
リズ・ティーゲルセイバー。RTA用の荷物まできちんと背負った出立の姿。
「世界で二番目に好きな男をフッた後ってのは、こんな気分なんすかね」
サクラがぼやくと、リズからは微苦笑のような空気が流れ、「かもしれませんね」という声に繋がった。
「そちらは何で気づいたっすか?」
サクラは短く聞く。それで彼女には十分通じる。
リズはちらりとこちらを一瞥し、とても不満そうな声で応じた。
「ある人について、有り得ないことを言っていたので。それで彼がニセモノと気づきました」
サクラは苦笑した。それで自分には十分通じた。
「お互い、自分がどう思われてるかの判定は激甘なのに、敵がどう思われてるかについては適切みたいっすね」
「戦いの基本ですよ。敵を知り、己はまあ適当に」
「それじゃ勝率は五割っす」
そう言い返してやると、彼女は微笑んだ。
それから小さくため息をこぼしてくる。
「何すか? そっちもアンニュイすね。もしかして、せっかくだからもうちょっとイチャついておけばよかったとでも思ってるっす?」
「なっ……何を根拠に? ははーん……さては自己紹介ですね? キスだけでは物足りなかったと」
「……な!? み、見てたんすか!?」
「見てません。が、こっちには“勇者の目利き”がありますから。あなたはニセモノと気づいて刃物を突き付けておきながら、情に流されてそれくらいしてあげそうな人です」
「ぬぐっ!? な、何のことかさっぱりわからんすけど、そういういいんちょさんだって、似たようなことは確実にしてるっすね! へこんだニセ兄さんの頭を抱きしめて後頭部ぽんぽんとかしてあげてそう! 忍者のカンっす!」
「……!? しょ、証拠もなしに決めつけるのは汚い!」
「震え声すごいですね! しのぶれど色に出でにけりなんとやらっす。はい完全論破」
「か、勝ったと思う――」
無益な言い争いを断ち切ったのは、まばゆい光のむこうからやってきた列車だった。
「今度はちゃんと見えてるっすね」
「正解ということでしょう」
幻惑ではなく、本物だけでここに立つことが“正しい形”だったようだ。ニセモノは一人たりともいてはいけなかった。もし、あの日の形にこだわっていたら、延々とこの世界を繰り返すことになっていただろう。
「詰めが甘いっすねえ……」
あの余計な一言さえなければ、少なくともあと数周はループから抜け出せなかっただろう。けれど同時にサクラは思う。
(あれは、いつまでも上手くやれるような人じゃない)
ガバ勢なのだから。
やるべくして彼はやらかした。彼のニセモノを罠に組み込んだ妖魔たちも、その血の運命の重さまでは想定できなかったらしい。
(本物なら、この致命傷で済んだガバからリカバーしようとしてたっすかね? まあ、もう予想外っす)
入り口の手すりに掴まった時、サクラはふと思い、たずねた。
「ところでいいんちょさん、気になりませんか。ホントのガバ兄さんは、今、誰の夢を見てるのかって」
「……!!」
リズの眼鏡の奥の目が見開かれる。
「一番に起きられれば、寝言くらいは聞けるかもしれないっすね」
二人は早足で車掌のいる先頭車両にたどり着き、扉をドンドンと叩いた。
「早く出発してください。(駅の)中に(はもう)誰もいませんよ」
「オラッ、いるのはわかってるっす。早く出ろっす!」
デッデッデデデデ!(ワタシガココマデ)デデデデ!(オイコマレルトハ……)
列車はこれまでの世界よりほんの少し早く、駅を出発した。
そうして今度こそ、何もかも光の中に消えた。




