第九十五走 ガバ勢とサファイアスのほこら
「うーん、クォクォア……?」
「あ、起きたっす」
ルーキは自分が寝ていることに気づき、慌てて上体を起こそうとした。
体が鉛のように重い。神経がほとんど通っていないかのようだった。
「ブリザッドのクリフトンを一発目から食らったっすよ。まあでもラストヒールが間に合って、何とか逃げ切って、ここはサファイアスのほこらっす」
「サファイアスのほこら……」
思考も感情も目覚め切らないまま、ルーキはあたりを見回す。
そこは、野原に小さな祭壇があるだけの場所だった。
雪は積もっておらず、地面からは小さな泉が湧き出し、ぶどうの実をつけた大きな木も生えている。さらには小動物が飛び跳ね、小鳥がのどかに囀っており、凶悪なモンスターが跋扈する過酷な雪山の中で、まるで楽園のようになっていた。
「サファイアス様が破壊精霊の力を退けて、結界を張ってくれてるの。ここにいれば、いくらでも休憩できるから。はいこれ、ぶどう。元気になれるよ」
そう説明してくれたのは、ぶどうを取って来てくれたサマヨエルだ。彼女から渡されたぶどうを一粒食べると、体中がふつふつと目覚めていくように力が戻ってくる。
「また、迷惑かけちまったな……」
ルーキは申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、仲間たちを見た。
「ガバ勢に運を期待する方が間違ってるっすから」
「迷惑だなんて誰も思ってないよ。だってルーキがちゃんとリーダーしてくれたから、みんなここまで来れたんだから」
サクラとサマヨエルが揃って笑い返してくれる。
「ええと、委員長は……?」
リズを探そうとすると、ちょうど、他のパーティのところから戻ってくる彼女の姿が目に留まった。
他のパーティ。そうだ。ここには、ロングダリーナの洞窟を抜けてきた最後の精鋭が集まっているのだ。ガチ勢にしろガバ勢にしろ、尊敬しうる先輩走者たちが。
……しかしそんな彼らも、地面にひっくり返っていたり、疲れたように座り込んでいたり、まるで野戦病院のような雰囲気なのは気のせいだろうか?
「どこのパーティも、今回は相当苦戦しているようです」
リズは近くにちょこんと座るなり、そう報告してきた。
「どのくらいのパーティがここにたどり着いたんだろう」
ルーキは聞いてみた。
「わたしたちで十二組目だそうです。ただ、そのうち三組は完全に走りを断念したので、実質的にこのロングダリーナ台地にいるのは九つのパーティーのみですね」
「九……!」
いつの間にか、ベスト10に入っていたのだ。だが、周囲の疲弊した状況を見れば、それが何らめでたい事ではないということがはっきりわかる。
ガチ勢もガバ勢も、みなギリギリのところで戦っていた。
「もうゴールしたパーティはいるのかな」
「まだですね。ここからソーラの神殿に向かうだけでも一苦労ですから……。さっき会ったレイ親父さんたちが一番進んでいると見て間違いないと思います」
「そうか……」
ルーキは再び視線を巡らせた。
ボウケンソウシャーや、バーニングファイターと市長のコンビ、そしてスタールッカーの姿はここにはない。行方不明の〈悪夢狩り〉の一族もだ。
今正にソーラの神殿に進撃しているのか、それともまだロングダリーナの洞窟に捕まっているのか。どちらにせよ、いよいよ彼らとのタイムの競り合いにも決着が着くことを、ルーキはまだ乏しい実感の中で確かめた。
「おまえたち、今着いたところか?」
不意に声をかけられ、ルーキたちは振り向いた。
三人組の男だった。
白髪交じりの短髪。シワの深い顔から、もう老年の入り口に差し掛かっていることがうかがえる。
ルーキには見覚えがなく、リズとサクラも目立った反応を返していないことから、ガチ勢でもガバ勢でもないノーマルな走者らしい。
しかし見事な雪焼けやしっかりした装備を見るに、〈ロングダリーナ〉を走り慣れている気配はあった。背筋もしゃんとしており、見た目以外に老いを感じさせる部分はない。
そして何より、ここにいるということが彼らの実力を物語っている。
「ほう、若いパーティだな」
先頭の男が、短く揃えた白いヒゲをこすりながら穏やかに笑った。
「今ここに残っているのはベテランの走者ばかりだ。おまえたちのような若者は珍しい」
「どうも……」
ルーキは少し恐縮しながら応じた。
この男からは隠れた古強者の気配がした。派手な名声もなく、輝かしい功績もなく、しかしそれでも実直に、無欲に、RTAを走り続けてきた。そんなひたむきな走者の佇まいだった。
レイ・システムが盛んになり、RTAがもてはやされるようになった時代でも、こんな走者がいる。なぜかそれが少しもったいなく、そして少し嬉しい。
走者たちの世界は、まだまだ広く、深いのだ。
「おれはフルーケ、後ろの二人はカワズトとバシャーだ」
「俺はルーキです。仲間は――」
ルーキは仲間を紹介しながらフルーケと握手を交わした。
「変わったパーティだな。ガバ勢とガチ勢が一緒にいるというのは」
フルーケはこちらが説明してもいない素性を、いともたやすく看破してきた。
「俺たちはまだ見習いなんです。よく一緒に走ってます」
「見習い! そうか。だったらますます忠告しておかないとな」
彼は静かに告げた。
「引き返せ。もう十分だ」
「え……?」
「ロングダリーナの洞窟を抜けた時点で、おまえたちの実力は十分に世間に伝わった。ここから先はベテラン走者でさえ簡単に命を落とす区画。おまえたちのような若い走者が無理をして挑む必要はない。もっと経験を積んでから――」
「余計なお世話だぜオッサン」
闖入してきた声にぎょっとして振り向けば、ぶどうをモリモリ食いながら不機嫌そうな顔をするカークが立っていた。
「ここで満足できるようなら、そもそもあんなイカれた洞窟抜けてきてねーよ」
「ムーフェンシアの兵士……? ますます奇妙なパーティだ。言いたいことはわかるが、長い目で見ればこれも無数にあるRTAの一つでしかない。〈ランペイジ〉の役目は十分に果たしているし、降りても誰も笑いはしまい」
フルーケは慇懃に説明する。が、
「だからその長い目ってやつで見て、後悔したくねーんだよ」
「ほう……」
カークはぶどうの種をぺっと吐き出す。
「痛い目見ないうちに小利口に手を引いたつもりで、その実でっかいもの失くすんだよ、人ってのは。そっからの人生ずーっと後悔がついて回る。そんな気分で生きるくらいなら、多少は無茶してでもはっきりしたものを手に入れねえと割に合わねえんだよ」
フルーケは優しく微笑んだ。
「若いな」
「見りゃわかんだろうが。そんで、あんたはジジイだよ」
「その通りだ。この歳になると、若者に無茶をしろとは言えなくなってな……」
「フルーケさん。カークの言う通り、俺たちは降りない」
ルーキが真っ直ぐに告げると、フルーケの静かな目がこちらを向いた。
「無茶は承知だ。その上で完走できるよう、できる限りのことをする。俺たちに必要なのは、うまくいった記憶だけじゃない。今ここでできなかったことも知らないといけないんだ」
「失敗を糧に、か。ガバ勢らしい意見だ。多くの若者はがむしゃらに成功だけを求めるか、いたずらに失敗を恐れるかのどちらかだ。見習いのうちから失敗の価値を認められるのは、素直に羨ましいよ」
フルーケは穏やかな表情を変えないまま、話に区切りをつけるみたいに仲間たちと視線を交わした。再び向き直って言う。
「時間をロスさせて悪かった。もう引き留めない。若者らしくぶち当たってくるといい。だが、これだけは覚えておいてくれ。今回の〈ロングダリーナ〉は、何か不穏な気配がする。普段とは違う何かが起こる、そんな気がする。しっかりと目と頭を使え。兆しを見逃すな」
「はい。フルーケさんたちも気をつけて」
ルーキはそう言い、踵を返した。
仲間たちも自然とそれに続く。
精気を完全に取り戻した足取りが軽かった。
意地を張ったわけじゃない。反発もしていない。ただ、真っ直ぐ道が伸びていて、それをしっかり見据え、自分の意志で進めている。それを感じた。
今なら、ソーラの神殿にだって簡単にたどり着ける。
ルーキは颯爽とサファイアスのほこらを後にした。
――そして、例のモンスターと目が合った。
《クリフトン!》
「ぬわーーーーっ!!」
ルーキは倒れた。
「ラストヒール間に合いました! サクラさん、ルーキ君つれてほこら戻って! 盾、二枚目準備!」
《クリフトン!》
「やらせはしません! とう!」
「ちょ、おま……ぎょえーーーっ!」
カークは倒れた。
「一歩エンカはやめて繰り返す一歩エンカはやめたげてよお!!」
パーティ・ルーキ。
現在第九位。
ソーラの神殿への第一次遠征、一歩にて終了。
ふるいけや かわずとびこむ みずのおと ばしゃ 4ひえた




