第九十四走 ガバ勢と白銀の台地
「敵出るなよ……敵出るなよ……」
「コソコソコソ……コソコソコソコソ……」
ルーキたちは念仏を唱えながら、未知のエリアを歩いていた。
ついにたどり着いたロングダリーナの洞窟最上層。そのデスエンカ率、実に90%! 出会った魔物がほぼすべて、こちらより格上となる凄まじい場所だ。
「委員長……」
「何ですか? ルーキ君」
「き、緊張でゲロ吐きそう……」
「……やめてくださいね。ここで吐いたら、臭いでドラゴン寄ってきますよ……」
〈悪夢狩り〉の一族が作り出した世界の破壊痕を越えても、難所は終わらない。むしろあの大穴は最初から難所にカウントされていない。
台地のほぼ真下。あともう一歩で洞窟突破というこの位置こそが、洞窟内最大最悪の難関だった。
百里を行く者は九十を半ばとす、という言葉があるが、正にその通り。進めば進むほど、あと一歩という言葉の歩幅が広がっていく。走者敗戦率七割を誇るクソクソのクソ地獄地帯――。
「お願いします。敵出ないでください……。この地にまします我らが父よ。どうかその運気を俺に分けてください……」
「申し訳ないすけど、その人に祈るのだけはやめてもらっていいすか」
全方位に祈りながら、先の見えない曲がり角を何度も通過。RTA研究所の心拍数カウンターが働いていたら、140は超えているだろう。
もはや戦える相手はいない。エンカには逃げの一手。ここで二逃げミスするようではRTAを走る資格はないと、一門のチャートにもちゃーんと書いてある。
「(エンカ)暴れるなよ……暴れるなよ」
通過。エンカ。通過。エンカ……。
へろへろになりながらも、少しずつ、上へ上へと登っていく感覚。
そして、ついに。
上り坂の先に、石の光源とは違うまばゆい光を見る。
「……ッッッッ!!」
誰からともなく駆け出し、洞窟内に差し込んだ陽光の境界をくぐり抜ける。
あまりのまぶしさにルーキは思わず目を閉じ、
まぶたを開けると、雪国だった。
「おおお……!」
暗く閉塞した闇の世界から一転。広々とした大地、高い木々、荒々しい岩山、そのすべてに分厚い雪化粧が施された、美しい銀世界がそこに広がっていた。
風は肌を刺すように冷たいが、空気は澄み切り、陽光は雪景色を宝石箱のように光り輝かせている。
絶景。人が美を追求して生み出したものよりもはるかに緻密で洗礼された、神のみが作りだせる自然の景色だった。
「生きてる……! 生きてるゥ――」
歓喜の大絶叫をしようとしたルーキは、直後、ボディを的確に粉砕するタックルに吹き飛ばされ、のしかかられた上にさらに手で口を塞がれた。
「イワナ――書かなかったすかチャートに! でかい声出すなって!」
険しい形相で上からルーキを叱責したのはサクラだった。
ルーキを草むらに押し倒したまま、彼女は警戒する視線を周囲に走らせる。
やがて、下草越しに、異様な震動が伝わってきた。
「……!?」
ルーキは目を見張った。
明らかに風景とのサイズ比がおかしい人間が近づいてくる。
いや、人間ではない。青い肌の巨人――!
「サ、サイクロプス……!」
原始的な毛皮の衣服に身を包み、巨大な一つ目で周囲を睥睨するのは、多くの開拓地で生存競争の最上位に君臨する巨人族だった。
彼らの生息地が多数の開拓地にまたがっているのは、巨人族がかつて世界を支配していた名残だという。今はその栄華こそ衰退したものの、一生命体としての膂力と生存能力は健在であり、RTA研究所でも要注意モンスターの常に上位にランク入りしていた。
「キャプチャー……キャプチャー……」
石臼のような歯がずらりと並ぶ口を開き、何事かをつぶやきながら、サイクロプスの目は周辺を探り続ける。
その眼がこちらに向きかけたその時、サクラが荷物から白い布を取り出し、ばさりと自分たちの上に広げた。
「ノー・ボシン・センソー。ノー・ボシン・センソー……」
古い巨人の言葉なのだろうか。サイクロプスは奇妙な音を口にしながら、その足音を遠ざけていった。
穏やかな静寂が戻ってすぐ。サクラが身を隠していた布を取り払うと同時に、近くの岩の裏に避難していたリズたちが駆け寄ってきた。
「危ないところでしたね」
「サクラ、すごかったよ」
「な、何だよありゃあ……バケモノもいいとこじゃねーか」
カークが完全に青ざめた顔で言う。
「ロングダリーナ台地は、この開拓地の暴力の頂点ですよ。単純なエンカウントの危険度で言えば、今抜けてきた洞窟を余裕で超えます」
「わ、悪い、みんな……そんなことも忘れてはしゃいじまって……」
ルーキが神妙な面持ちで謝罪すると、体にまたがったままのサクラは苦笑いした。
「まあ、今のはクッソ激烈に間が悪かったっす。本来は、まわりに注意していれば叫んだくらいじゃモンスターに気づかれることもそうそうないっすよ」
「そうか。でも、助かったよ。ありがとな、サクラ。命拾いさせてもらった」
「そっすね」
サクラは微笑むと、体についた雪を払いながら立ち上がった。
委員長が雪原の先を見据え、姿勢を正す。
「ここからが〈ロングダリーナ〉の真の本番です。ほこらまで気を抜かないで」
「本番、何回始まるんだよ……」
天井知らずに上がっていく難易度に、ルーキはぼやかずにはいられなかった。
※
「敵出るなよ……敵出るなよ……」
「コソコソコソコソ……ソコソコソコソコ……」
目を見張るほど美しく開放的な景色なのに、のんびり鑑賞する時間的心理的余裕もなく、ルーキたちは暗闇に潜んでいたのと変わらない卑屈な姿勢で雪原を進んだ。
天気がよかったのは幸運だった。
強力なモンスターに加え、天候まで敵に回ったら、とても前には進めなかっただろう。
それでも、足にまとわりつく雪の重さには辟易したが。
「お、川だ」
白い世界をしばらく進むと、目の前を大きな川が横切っているのが見えた。
水音がほとんど聞こえない静かな川だが、うねるように流れる水の色は濃く、迂闊に足を差し入れただけで心臓を止められそうだった。
「あれ……?」
その川の向こうで動く人影に、ルーキは目を見張っていた。
「あれって……レイ親父たちだ……!」
白銀の世界に、黒いヘアバンドと緑の着流しが翻る。
「この川の向こうには、ソーラを祀った神殿があります。この〈ランペイジ〉のゴール地点ですよ……!」
リズも興奮した声を上げる。
「すげえ。きっちり洞窟を抜けて、もうあんなとこまで進んでたんだ……!」
ルーキの視界の中を、レイ親父の姿が踊るように跳ねまわる。
パーティは戦闘中だった。
相手はまたしても巨人。しかも、ルーキが出会った巨人よりもさらに屈強な体つきの“ギガンテス”だ。手にした棍棒は丸太をそのまま何本も束ねただけというひどく原始的で危険な形をしており、ドラゴンでさえ一撃で昏倒させられそうな代物だ。当然、人間相手に振るうべきものではない。
そんな棍棒が振り下ろされ、雪原を削り、衝撃と風圧で雪片を舞い上がらせる。
すべてが白くかすむ大地の上で、レイ親父が着ている着流しの緑色が、同じ皮膚色の巨人へと迫った。
遠くからもわかるあどけない横顔が凛々しく引き締まり、小さく形のよい唇は白い息を細く後方へと吹き流す。
直後、得物の「邪刀・宵」が、雪の上でもはっきりとわかる純白の線を引きながら、ギガンテスの岩肌のような足元をかち割った。
「オオオオオ……!」
人の五、六倍はある巨体が揺らいだ隙を見逃さず、レイ親父はギガンテスの体を駆け上がると、その心臓部目がけて剣を突き立てる。
「グ、ォオオオオォォォオオオオ――……!」
台地自体を震わせるような巨大な断末魔を発し、ギガンテスは倒れた。
そしてもう起き上がってくることはなかった。
「す、すげえ……!」
戦いを終えたレイ親父は力尽きた巨人の上で血振りをくれると、一部の隙も無い静謐な所作で、刀を鞘へと納める。
吹き上げられた雪が、音もなく舞っていた。
「トゥンク……」
「は? ルーキ君何て言いました?」
「い、いや、何も……」
「何か言ったのは知ってるんです。何て言ったのか聞いてるんです」
「ああ逃れられない!」
と。
「お、親父さん! この敵、アイテムを持っていたのらー!?」
レイ親父のパーティメンバーのタムラーが、何か長大なものを抱えながら、巨人の遺骸を登ってきた。
「お、親父、こいつは……! “破壊精霊の剣”ですぜ!?」
サグルマの驚愕の声が続くと、ルーキの近くにいた仲間たちの目の色も変わった。
「破壊精霊の剣……! まさか、そんな!」
「ありないっす!」
「馬鹿な!? えーと……! それであれ何でしたっけ?」
ルーキも一緒に驚いてみたものの、すぐについていけないと気づき、大人しく質問する。
委員長が教えてくれた。
「破壊精霊の剣は、わたしたちが地下で回収したソーラの武器を上回る、〈ロングダリーナ〉最強の装備です。この地であれ以上の攻撃力は存在しません。いわば走者側の切り札……!」
「そマ!? 親父はそれを手に入れたのか! で、でも何で、巨人が人間用の武器なんか持ってるんだ?」
「高位の巨人族は、戦士として認めた相手の遺品を持ち歩くことがあるんです。本人が使うわけではありませんから普通はボロボロになって、何の役にも立たないのですが、ここはソーラの影響力が強い土地。破壊精霊と同じく破壊のために作られた武具類は、より強力な形に勝手に進化していくんです。しかしそれを拾えるのは稀です!」
「何だその豪運!」
愕然とするルーキが視線を戻せば、レイ親父が、かつて巨人族と渡り合った人間の勇者の武器を天にかざしていた。
「一発ツモ来たwwwwwwwwこれルタ生記録更新あるでwwww勝ったなガハハwwwwwwww」
これ以上ないほどに上機嫌だった。確かに笑うしかない。
そこでふと、ルーキたちに気づいたらしく手を振ってくる。
「おー、新人か! おい見ろコレ! 破壊精霊の剣を手に入れたぞ! ロングダリーナの洞窟も二回目で突破したし、こんな〈ランペイジ〉は初めてだ。もう何も怖くねえぜ!」
ルーキも思い切り両手を振り返し、
「頑張ってください親父! サグルマ兄貴も、タムラー兄貴も! 俺も必ず完走しますから!」
「おうあくしろよ! 俺たちはこのまま華麗にゴールして先に〈アリスが作ったブラウニー亭〉で待ってるからな! ガハハ!」
レイ親父たちは意気揚々と雪原を進んでいった。
「よし、俺たちも行こう! レイ親父に続くんだ!」
「不吉な目標っすねえ……」
「あのままうまく行くとは……いえ、やめておきましょう。わたしの個人的な感想でみなを混乱させたくありませんから」
「何だか静かだね……。大地の戦力は軒並み神殿に回してるのかな……」
「静かなのは雪積もってるからじゃね?」
しかし、親のパーティが好調だからと言って、ルーキにできることが何か増えたわけではない。相変わらず「敵出るなよ……敵出るなよ……」と念じながら、雪原を進むだけだ。
それでも、時には無根拠の大胆さが功を奏することもある。
敵に見つかりやすい雪原を早々に抜け、隠れ場所の多い森の中に飛び込んだルーキたちは、目的地まであと少しというところまで迫っていた。
「コソコソコソコソ……ソコソコソコソコ……ん?」
ルーキはふと、木々の奥で何かが揺らめくのを見た。
はじめは、風に乗って吹きつけてくる雪片か何かかと思った。
だが、二度目にそれを見た時、はっきり違うと悟った。
「何だ、あいつは……?」
それは青白い炎だった。高温で青くなった火というよりは、氷が炎の形となって揺らめいているように見える。
それらが四体。炎のように揺れているため顔ははっきりとわからないが、踊るように飛び跳ねていることもあって、無邪気に笑っているように思えた。
「何だろ。氷の妖精か何かかな?」
「なにのんきなこと言ってんすかガバ兄さん! ここの代表的デスエンカ“ブリザッド”の群れっすよ!?」
「ヘアッ!?」
ルーキはその場から飛びのいた。
「落ち着いてください。彼らを刺激しないように……静かに通り抜ければ大丈夫です。ロングダリーナ台地の凍てつく寒さがソーラの影響によって攻撃性を持った、あくまで自然物に近い気まぐれな存在です」
リズに諭され、ルーキたちは木の陰を利用しながらそこを迂回する。
が。
バキッ。
「――――!!」
サマヨエルが雪の下に隠れていた枯れ枝を踏み割ってしまった。
踊り跳ねていたブリザッドたちがぴたりと止まる。
ルーキたちは間一髪のところで木の裏に隠れたが、ブリザッドたちはこちらの様子をうかがっているようだった。
「にゃ……にゃー、にゃー」
サマヨエルが何とかごまかそうとする。
するとブリザッドたちは「何だ猫か……」という様子で、こちらへの関心を失いかけた。
ここぞとばかりにカークも猫真似で応援する。
「にゃーにゃーにゃー、ホッ、ホッ、ホアー」
途端、ブリザッドたちが怒った様子でこっちに向かってきた。その吊り上がったまなじりは「汚い猫だな……」とでも言っているかのようだった。
「何でオレん時はダメなんだよ!」
「声が汚いからっすよ! 猫がホアーとか言うっすか!? みんな逃げるっす! こいつは“クリフトン”を使うっすよ!」
走り出しながらサクラが言う。
「ク、クリフトンって何だっけ!?」
ルーキは走りながら聞いた。ロングダリーナの洞窟を突破して気が抜けたせいか、チャートの記憶がほとんど抜け落ちている。
「生き物の体内を瞬時に凍結させて、仮死状態にしてしまう魔法っす! まあ一応、成功率はそれほど高くないので、相当運が悪くない限り、一発目から直撃は早々当たるものでは……」
「そっか! それなら大丈夫だな!」
「…………」
「…………」
「いいんちょさん、ガバ兄さんにラストヒール――」
《クリフトン!》
「うぐッッッッ!!!?」
ルーキは心臓を抑えてよろめいた。それを委員長が横から支える。
「ラストヒール間に合いました! サクラさん、次来たら盾二枚目使って!」
《クリフトン!》
「カーク・バー↑リヤー↓! ヘイキダモーン!」
「何だとてめぇサク――ヌッッッッ!!!?(心停止)」
瞬時に仮死状態に陥ったカークを、サクラが担ぎ上げて走る。
「あと少しでサファイアス様のほこらだよ! 走って! みんな走れー!!」
《クリフトン!》
「…………ッ!」
「全員セーフっす! へっ、甘ちゃんが! ぺっ!」
「見えたよ、ほこら! 結界が張ってあってモンスターは近づけないから、みんな滑り込んで!!」
『つくゥー!!!』
ズザー!!
滑り込んだそのすぐ後ろで、追い迫っていたクリフトンの冷気が吹き散らされる。
結界があるとわかったブリザッドたちは、特に執着するでもなくその場から離れていった。
「どうにか、なりましたね……」
「生きてるっす……はは……」
「やった……」
こうしてルーキたちは――というか、ルーキとカークを抱えたリズたちは、どうにか〈ロングダリーナ〉最後の拠点、サファイアスのほこらへとたどり着いたのだった。
神には祈らないが父には祈る子の鑑。(gav)amen!




