第九十三走 ガバ勢とヒーロー未満な僕ら
「カァァァァァク!!」
ルーキは飛び降りた。
躊躇いも考える時間もいらない。
カークが自分の身と引き換えに足場に戻してくれた体を、再び暗黒の淵へと投げ出していた。
(俺は……本当にバカだ……! ど素人だッ!)
手足をたたみ、体を矢尻のように細く鋭くしながら、落ちていくカークを追う。
照光石を腰に提げたままの彼はすぐに見つかった。
「カーク! こっちを見ろおおおお!」
「あぁ!? てめえルーキ、結局落ちたのか!? ってか、まさか自分から落ちやがったんじゃねえだろうな!? オレの一世一代の英雄計画が台無しじゃねえかボケ!」
「うるせえ、黙って手を伸ばせ! 犬死にカークにはなりたくねえだろ!」
「当たり前だクソがァ!」
カークが悪態をつきながら懸命に手を伸ばしてくる。ルーキは何度も空気を掻きながら彼に近づき、どうにかそれを掴んだ。
「で!? これでどうするんだよ!? 野郎と寄り添って心中なんかしたくねえぞ!」
「言われなくてもわかってるよォ! 見てろ!」
ルーキは左腕を絶壁に向ける。
凄まじい勢いで流れていく滑らかな壁。それをにらみつけながら、自分の肺腑の底に言葉を叩きこむ。
(俺は未熟だ。もっと強くならないといけない……!)
結局、いろいろ言われて、やはり舞い上がっていたのだ。
戦いの強さだけじゃない。判断力、観察力、集中力……! 速い走者になるだけじゃない。“強い走者”にならなければ、人に認められる価値などない。自分を一人前などと認められない!
(よく見ろ!)
さっき自分が落ちかけていた時はわからなかった。触れるほどの距離に迫った死の重圧に、思考が偏りすぎていた。過去から、解決策を探そうとしていた。アンカーを引っかけられそうな岩の“形”を探してしまっていた。
それは間違いだ。
必要だったのは、想像力。そこにあるかもしれないものを想像し、無理矢理発見する力。
カークが命を懸けて引き上げてくれた瞬間、死への恐怖が一瞬和らぎ、ようやく目がそれを見つけてくれた。
白骨の色に艶めく洞窟の壁面。その一部に、凍った部分があった。
氷ならば、アンカーは噛みつける!
ロングダリーナ台地はかなりの標高だ。高さが上がればそれだけ気温も低くなる。たとえ地中だとしても、どこかに外へと通じる穴はある。生活圏が外界になるバピラスが飛んでいるのが何よりの証拠。外気が直接当たる部分は凍結している可能性が高い。そんな予想もできないとは。しかし!
「ガバ勢はなあ……ガバってからが本領なんだよ!」
ガバ勢は祈らない。そして、ガバ勢は諦めない。
限界まで目を見開き、ルーキはそれを捉えた。
絶壁の凍った部分目がけてグラップルクローを射出。
世界一頼れる相棒が仕上げてくれた強靭なバネ仕掛けのアンカーは、下から絶え間なく押し寄せる風圧にもその軌道を一切揺らがせることなく、ルーキが腕で示した空間を真っ直ぐに貫いて、壁面へと到達した。
確かな手応え。飛び散る白い氷片。
噛みついた!
「う、うおおお!?」
アンカーが固定した部分を支点として、ルーキとカークは振り子のように、壁面へと引き寄せられる。
「手ェ離すんじゃねえぞカーク!」
「うわあああああこんちくしょうがあああああ!」
これまでの落下速度がすべて加味された衝撃。両足を前に突き出す余裕もなく、二人は壁に叩きつけられた。
「いたいッシュ!」
だが、どうにか二人とも、手を離さずに耐えきった。
「カーク、生きてるか?」
「ああ、何とかな……」
カークの苦笑いのような返事を確かめた後、ルーキは周囲を見回す。
周囲は完全な真っ暗闇。上も下も際限なく底が抜け、体を押し当てている壁だけが、唯一の足掛かり。
だが、メイジパピラスはいないようだし、何よりも、二人とも生きている。
はああぁぁ……と同時に大きなため息をついた。
「で? これからどうすんだ?」
カークが聞いてくる。
「えっ。ああ……ここから先は考えてなかった……」
ルーキが率直に答えると、呆れたような笑いが返ってきた。
「何やってんだよまったくよお。せっかくお手軽にヒーローになれるチャンスだったのに、また面倒くせえピンチに逆戻りかよ。おめえも、英雄カークに救われた悲劇の走者として人気者になれただろうに、これじゃいつものオレとおまえのまんまじゃねえか」
ぼやく彼に、ルーキは端的に答える。
「そっちの方がいいだろ?」
きょとんとしたような空気が流れ、すぐに忍び笑いがもれた。
「ヘッ……だな……!」
ルーキとカークは笑い合った。
「フフフ……」
「ハハハ……」
『ハァーッハッハッハッハ!』
状況は相変わらず最悪だったが、なぜか気持ちは楽だった。
この先、何が起きても俺たちが本気を出せば何とかなる。そんな中学二年生並みの無根拠の自信が、二人を笑わせた。
ピキッ、と上から不吉な音がして、二人の笑いを止める。
『へ……?』
ルーキとカークは揃って上を――グラップルクローが噛みついた、氷の部分を見上げた。
ピキッ、パキッ……。
霧のように細かい小さな氷の破片が、ルーキの顔に落ちてくる。
壁面に張られた氷は薄く、二人分の人間の体重を支えるには、あまりにも脆かった。
『ホギャアアアアアアアアアアアア!!!!』
さっきの三段高笑いから一転、ルーキとカークが揃って世にも情けない悲鳴を上げた、その時。
ガリリリリリ! と凄まじい音を立てながら、火花がはるか空から降って来る。その火花の到来と、アンカーが氷を噛み砕くのはほぼ同時だった。
白い指ぬきグローブが、壁面から外れた直後のアンカーを掴み取る。
「ふうっ……ギリギリですね……」
壁に大鎌を突き立て、ここまで降りてきたのは、正真正銘、英雄の家系に生まれた一人の少女だった。
「いいんちょおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「りずううううううううううううううううううう!」
身の程を知った男二人の涙声は、濃い暗黒の隅々にまで響き渡った。
※
「ルーキ、カーク! よかった……二人ともよかったよおお……わああああああん……!」
崖の上に復帰するなり、ルーキたちに飛びついてきたのはサマヨエルだった。
ルーキとカークの服を掴んだままわんわん泣く彼女に、二人は申し訳なさそうな顔を見合わせるしかなかった。
あれからルーキたちは、助けに来た委員長によって、上へと引っ張り上げられた。
鎌を壁に突き刺し、もう片方の手でほとんど真っ平の壁を掴みながら男二人を引き上げていく様子は、もはや人ではない別の何かにしか見えなかった。
「二人が落ちた時、もうダメだと思って、わたし、わたし……! こんなの、こんなの絶対にいやだと思って……でも何もできなくて……!」
泣きじゃくるサマヨエルの肩に、カークが気安く手を置く。
「そんなに泣くなよサマヨエル。大丈夫だって。今までだってどうにかなってたじゃねえか。なんてったって、うちのパーティにはこのオレ――」
いつものように言いかけた彼は苦笑し、
「いや……ルーキがいるからな。こいつがどうにかするさ」
「えっ? おいおい、俺は別に……」
「うるせえ。リーダーのおめえが何かするから、みんな続いて動くんだ。これからも何とかしたりしなかったりしろ!」
そう笑いながら言うカークに、歩み寄る人物がいた。リズだった。
「ルーキ君を助けてくれたこと、心からお礼を言います」
「へ……?」
きょんとする彼にサクラも頭を下げる。
「ガバ兄さんを助けてくれてありがとうっす。あんさんこそ男の中の男っす」
「お、おいおい、マジ……?」
普段、何かと火花を散らしている二人から率直に感謝を述べられ、カークは気恥ずかしいような、戸惑うような顔を、ルーキに向けてきた。
「へっ、こういう気分かよ。確かに……こっちのがいいぜ」
何かを見つけたようにそうつぶやくと、彼は笑いながら離れていった。
「委員長、助けてくれてありがとな」
しがみついたまま泣きじゃくるサマヨエルの背中を優しく叩いてやりながら、ルーキはリズに礼を言った。
彼女は危険な崖に舞い戻り、メイジパピラスの猛攻の中、こちらを救出に来てくれた真のヒーローだ。が、彼女は、「そういうレギュレーションですから」と、素っ気なく返してくる。
そういえば、そうだった。ラストヒールをかけてカークの盾を使い続けているのは、単に使い捨ては効率が悪いからというわけではなく、彼女が〈ファフニール〉のレギュレーショナーだったからだった。
が、そこから少し微笑み、
「あなたなら、どこかで必ず粘っていると信じてましたから」
と言って肩のあたりにふれ、シャツをぎゅっと握った。彼女はしばらく、それを手放さなかった。
「ホント、ありがとな……」
そう言うルーキのわき腹に、ごす、と重い衝撃が刺さる。驚いて見下ろすと、サクラの頭突きだった。
彼女は頭をわき腹に押し当てたまま、
「心配したっすよ、クソガバ兄さん。助かる算段ついてるなら、一言くらい言ってから飛び降りてほしいっす。これからも死ぬほど心配しなきゃいけないと思うと、気が重いっすよ」
「悪い……」
伏せたままの顔が笑った。
「生きて帰ってくるうちは許す」
サクラは結局一度も顔を見せないまま、その場を離れていった。
命が救われた感動の場面ではあったが、ここは危険なダンジョンの中。いつまでもこうしているわけにもいかない。
「サマヨエル、大丈夫か? そろそろ行かないと」
RTA心得一つ。ダンジョンは駆け抜けろ。
しかし、やんわりと引き離そうとした途端、サマヨエルは顔を上げ、濡れた目を向けてきた。
「やだ……」
と彼女はつぶやくように言い、首を横に振る。
ルーキの胸の奥がドキリと跳ねた。
「今は一緒にいて……お願い……今だけでいいから……」
「は、はい……」
そう言って胸に顔を寄せてくるサマヨエルをどうにもできず、ルーキはただ立ち尽くすしかなかった。RTA専門用語でこれをガバという。
最適なタイミングでの出発を逃した彼には、じきに冷たい風が吹き始めるだろう。
脇役も成長できるのがこの小説のいいところ。
三号「( ゜д゜)…………」
三号「( ゜д゜ )」




