第九十二走 ガバ勢と一度きりのヒーロー
ポワンヌールに戻ったルーキたちは道具屋で消耗品を補充した。携帯食料と薬草に加え、照光石を持てるだけ持つ。
その店は前回アタック前にも利用して、店員とは顔見知りだったが、帰ってきたことに特に何を言われることもなかった。
町の人々も〈ロングダリーナ〉の洞窟に挑む新たなパーティを祝福していた。レベリングで手間取った走者たちが続々とここに集まりつつあり、お祭り騒ぎはさらに加速しているようだ。
準備を済ませて教会に戻ろうとすると、走者の現況を知らせる立て看板が目に留まる。
再走十七。
断念十五。
「……?」
再走の数はあまり増えていないのに、この短時間で断念したパーティが倍近くに膨れ上がっている。
ルーキはすぐに〈ロングダリーナ〉の洞窟での脱落者だと気づいた。
走者全体から見ても〈ランペイジ〉は後半に差し掛かっている。すぐにはRTAに戻れないほどの損害があったとすれば、それはもう、あのダンジョンしか考えられない。
再走のチャンスすら与えられない一撃壊滅。今、〈ロングダリーナ〉は真の牙を剥いて来ているのだ。
だが、乗り越えてみせる。この先でレイ親父たちが待っている……!
※
「よーし。二度目だし、まあ楽に構えていこうや」
「おいカーク、そんな油断してると……」
「うぎゃあああああああ!」
「ああ! カークがやられた!」
「こんな序盤から弾避けがなくなるのは想定外なので、一旦町に戻りましょう……」
※
「ドオオオリャアアアアアアアアア!!」
「うわああああ何だこいつはああああ!?」
「バーサーカーですルーキ君! ソーラの影響をもっとも受けている妖魔の騎士ですよ! 気をつけてください、こいつの腕力は巨人並です!」
「ワハハハハハハハハハ!!!!」
「おいルーキ!? いつまでも追ってくんぞあいつ!!!???」
「ダメっす完全に臭いを覚えられました! 撤収! 撤収!」
※
「えーっとこの道をこっちに……」
「ル、ルーキ。この道、さっきも通ったよ……?」
「え、そ、そうかな……」
「ガバ兄さん……。ひょっとしてグダってないっすか?」
「そ、そんなことねえよ。大丈夫だって安心しろよ……えーとここはインド人を右に……」
「薬草が尽きましたね。今回はここまでです……」
※
三連続アタック失敗で、次が五回目のトライ。
最初の成功がウソのように序盤でやり直しになっている。
(……ひょっとして、一回目はまぐれで、実は全然レベルが足りてないのか?)
アレンガルドへの順応度ではなく、そもそもの力量不足。リズとサクラはまだしも、RTA初心者である自分はまだここに来てはいけなかったのではないか。
そんなルーキの焦りをそばで支えてくれたのは、委員長からの労いの言葉だった。
「これが普通です。生きて戻れてるだけ優秀ですよ。あなたは」
教会前の掲示板をチェックすれば、断念したパーティが十八に増えている。こちらが三敗するうちに、同じダンジョンで三つのパーティが壊滅したのだ。
こちらはまだ走れる足が残っているだけマシか。
それに……少しずつだが、あの洞窟の空気感が掴めてきている気がするのだ。
闇の奥からの音の聞こえ方。誰かが通り過ぎた後の掻き混ぜられた空気。そういったものを嗅覚が覚えつつある。
「次こそは、クリアしてみせる……!」
ルーキは拳を握り、五度目のロングダリーナの洞窟に挑んだ。
※
驚くほど順調だった。
敵との遭遇を上手く回避し、仮に接触してもしっかり逃げきれている。そもそも、エンカ自体が少ない。敵の空気が漂ってきても、ちょうど別のモンスターの縄張りに入ったのか、むこうから引き下がっていく感覚がある。
「エンカデレ来たか……?」
これを待っていた。
第一回のアタックで到達した落とし穴だらけのフロアを歩きながら、ルーキは確かな手応えを感じる。
幸運とは、初めのうちは小さな「兆し」でしかない。次に「変化」となり、それを自分に有利に動かせてようやく「幸運」と呼べるものになる。
その「兆し」を見逃さない集中力こそ、すべての走者に必要なものだった。
(大丈夫……俺は集中できてる……!)
神経網が体の外に飛び出して、周囲の闇すら事細かに分析できている気すらする。
このまま緩むことなく進めれば、もしかすると、抜けられるのかもしれない。新人だらけのパーティが、RTAでも屈指のこの難ダンジョンを。
しかし。
「……? 何か、変な音聞こえないか?」
過敏になった聴覚が何かを聞き取り、ルーキは立ち止まって仲間たちへ振り向いた。
後ろにいたリズたちは耳に手を当て、その時初めて怪訝そうな表情を向け合う。
「何の音でしょうか。まったく聞いたことのない音です」
音は、どうやら進む先から聞こえててきるようだ。
ルーキたちは慎重に進み、そして、それと出会った。
「なっ……何だこれ!?」
「冗談きついっすね……」
仲間たちも唖然とするそれは、巨大な断崖だった。
マップにはこの先も細い通路が枝分かれする様子が記されていたが、それがごっそり消失している。ダンジョンの床が丸ごと崩落した――と表現するのも生ぬるいほどの規模だった。
ルーキは崖際から下をのぞき込む。
何も見えない完全な闇。試しに、照光石を一つ投げ込んでみたが、小さな光はあっという間に闇に呑まれ、それきり音すら残さなかった。
「一階層分どころじゃない……? お、おかしいだろ。俺たち下から登ってきたんだぜ。こんな底なしの穴、あったか?」
「もしかすると……」
リズが言う。
「これ、〈悪夢狩り〉の一族がぶち抜いた跡では?」
「ええ……?」
ルーキは改めて穴の底を見つめる。飛び跳ね続けるブレーメンの襲撃隊が、急降下攻撃中に落とし穴にハマり、その勢いで下の階層どころか次元の壁まで突き抜いたという「おまえは何を言ってるんだ」級の与太話だが、疑う者は少ないだろう。
ここが、その現場だというのか。確かにこの穴は地上というより、もっと世界の深いところまで落ち込んでいるようにも思える。
ルーキは、この下から、何かが聞こえてきていることに気づいた。
「何だろ? 何か、ビーとかプーとか変な音が聞こえるぞ」
「ヘッタクソな音楽隊みたいな音すかね」
「これって、まさか……」
さあっと青ざめたのは、耳に手を当てて音を注意深く聞いていたサマヨエルだった。
「これ、世界が壊れた音だよ」
「ええっ?」
彼女は震える自分を抱きしめるようにしながら、
「この世界には“与えてはいけない質の衝撃”っていうのがあって、サファイアス様はそれを“カ・セットヲ・ユビデ・ハ・ジーク”って呼んでた。穴の下の方の壁、緑色になってるのわかる?」
「全然見えないな……」
首を振ったルーキに、サマヨエルはひどく怯えた声で言った。
「色がおかしいのは、世界が変質しちゃってるから。とにかくこの穴は、下の階に繋がってるんじゃない。この世界の外側に繋がってるの。絶対に落ちちゃダメだよ。サファイアス様と繋がってるわたしならまだしも、人間だけで落ちたらきっともう見つけられない。早く離れよう」
「……ところがですね」
彼女の言葉を即座に否定するかのように、リズが断崖の先を指さした。
「洞窟の出口はあっちにあるんですよね。しかも、嫌がらせみたいに細い道が残ってますよ」
委員長が言う通り、ごっそりと床が抜けた壁際に、人がぎりぎり通れるほどの細い足場が残っていた。
「最悪だな」
うめいたカークに反論できる者はいなかった。それでもあそこを通るしかない。未知なる別のルートを探す方が、今は危険だった。
ルーキはもちろん先頭を行くつもりだったが、
「こういう場所は、体重の軽い人から通るのがセオリーです」
と、委員長に言われて、カークと一緒に最後尾に回されてしまった。
探索・索敵能力に優れたサクラが先頭。サマヨエル、リズの順に足場を渡っていく。
しばらくして、闇の奥で光が左右に振れた。
無事、向こうに渡り切ったサクラたちが石を振っているようだ。
「よし、俺たちも行くか。カーク」
「絶対渡りたくねえけど、残っても確実に死ぬよな……」
ここにたどり着くまでが文字通り綱渡りだったことを、カークも理解していた。これはその延長にすぎない。
細い足場に足を乗せる前に、ルーキは壁の状態を確かめて、顔をしかめた。
冷たく、濡れた感触。岩は溶けた蝋燭のように丸みを帯びている上に異様に硬い。これではグラップルクローのアンカーも弾かれる。
(大丈夫。委員長たちは何ともなかった。ドジらなきゃいいんだ)
ルーキは壁に背中をぴったりと合わせ、慎重に足場を渡り始めた。
すぐ後にカークが続く。
「な、何だよ。何とかなりそうじゃねえか。案ずるより産むがやすしってか?」
「そうだな……」
強がりのようにも聞こえるカークの声に同意しつつ、ルーキはじりじりと前進した。
普通に歩けば狭い道だが、この体勢なら足を踏み外すことはまずない。
(だが、油断はしない……)
神経を尖らせながら、一歩一歩着実に進んでいく。
と。
聴覚が、不吉な音を拾った。
羽音だ。
「な、何か来るぞ。気をつけろカーク!」
「何!? き、気をつけろったっておまえ……! こんな場所で一体何が来るって――」
カークの声が途切れた。彼にも聞こえたのだ。広大すぎる闇から近づいてくる羽ばたきの音が。
小さな影が躍動する。
「メイジパピラスだ……!」
ルーキはうめいた。
事前調査によれば、メイジパピラスはロングダリーナの洞窟の上層部に住む翼竜だ。
ただし、洞窟内部の生存競争を勝ち抜いているわけではなく、普段はロングダリーナ台地の上で暮らし、洞窟内に巣を作っているというだけだ。それゆえ、脅威度としてもこのダンジョンではぶっちぎりに低い。
翼竜とは呼ばれてもドラゴンのような威厳はなく、ドラゴンにちょっと似た鳥程度のモンスター。吐き出す火球に気をつけるくらいで十分。しかし――。
ヤツらに翼があり、こちらにはないという一点において、今、ここで出会うことは絶望的にまずい。
闇の奥で火の粉が舞った。
「うわあっ!?」
ルーキのすぐ足元で火炎が弾け、細い足場を削り取る。さらに続けて数発。メイジパピラスは標的を直に狙うのではなく、完全にこちらの墜落を狙っていた。
「ルーキ君、早く渡ってください!」
遠くから仲間たちの悲鳴のような声が聞こえる。
崖際から何かを投げているような気配があるが、闇の中に浮かぶ見えないモンスターを追い払うには不十分すぎた。
ついにルーキの足場が砕ける。
「うおおお!?」
体が闇の底に引きずり込まれる、その直前。
ルーキの手を、誰かが掴んだ。
「っっ……!」
「カ、カーク!!」
散発的に周囲に着弾する火の玉が、カークの苦痛に歪んだ表情を照らし出す。
彼は狭い足場で屈んでいた。無理な姿勢だ。火の玉の風に煽られただけでも、バランスを崩して落ちそうに見える。
(どうする……!?)
宙ぶらりんになったまま、ルーキは必死に目を周囲に走らせた。
グラップルクローが使えそうな壁はない。
メイジパピラスへの反撃手段もない。
何かを考える時間も、ない。
(こ、ここまで順調だったのに……!)
油断はなかった。気を緩めもしなかった。
……それでも足りない。それでも及ばない。
もはや人の力では、どうしようもない。そういう事態が、この世には確実に存在する。
詰み。
ここまでの積み重ねを何もかも否定されたような状況に、体の芯から力が抜け落ちていく。そんなルーキに、カークの苦しげな声が降ってきた。
「ルーキよお……。やっぱオレ、ヒーローは無理だわ……」
「……!」
彼の声も、顔も、歪んでいた。
このままでは二人とも落ちる。いや、何をしようと結局二人とも落ちるかもしれないが。そんな状況のカークが、次にできることと言えば……。
彼の言葉が続く。
「だってよ、ヒーローはずっと、人助けとか立派なことしてんだぜ。騒いでるヤツらは、その一部を知ってるだけなんだ。ヒーローは見えないとこでもちゃんとヒーローやってんだよ」
カークの顔が泣きそうになる。
「オレには無理だよ。だって、根がダメ人間だからよ。一度くらい立派なことしたって、すぐメッキが剥がれちまう。ヒーローじゃねえって、すぐにバレちまう。今までの旅だって、どうせリズが何かやってたんだろ? オレがそんな善人なわけねえって」
「カ、カーク……! て、手を……!」
自分の声が重かった。手を離せ。そう伝えるのが正しい。だがそうすれば、死ぬ。
俺は、死ぬ……!
覚悟はあったが、本当に死ぬのだ。満身創痍でもなく、体力も万全なのに、なすすべもなく、強敵でも何でもないモンスターによって殺られる。実感がない。納得できない。受け容れられない。
しかし、言わなければ仲間を殺すことになる! この最後の決断だけは、絶対に間違えられない!
「手を離せ、カァァァァク!!」
「だがよおルーキ!!!」
歯を食いしばるようなカークの声が、ルーキの最後の指示を遮った。
「オレもヒーローになりてえよルーキ! おまえみたいに、何だかんだで人助けして、色んなヤツから認められてえよ! 男の子だからよ、こればっかりはしょうがねえよ!」
彼の目が強い光を宿す。
「だから考えたぜェ、ルーキ! 一つだけ、オレのメッキが剥がれねえ方法がある! たった一度の良いことで、こんなオレでも永遠にヒーローになれる方法がよォ!」
ルーキの手首を握るカークの手が、すさまじい圧力を持った。
一日中農具を握る農民の膂力は、時に半端な戦士を上回る。
ルーキの体が一気に闇から引き上げられた。
目を見張るほどのカークの馬鹿力。――だが、その代償は大きかった。
バランスを崩したカークの体が、虚空へと傾いていく。そうしなければ、人一人を引っ張り上げる力を生み出す姿勢を作れなかった。
顔がすれ違う。
カークの、やり切ったような、そしてやっぱり後悔しているような複雑な表情が、ルーキの目の前を通り過ぎた。
「死んだヒーローは、ずっとヒーローのままだよな?」
泣きそうな声でそうつぶやきながら。




