第九十走 ガバ勢とロングダリーナの洞窟
湿り気を帯びた空気は、まだ背後に外の光が感じられるうちは、他のダンジョンと大差がなかった。
しかし、あたりが重さすら感じさせる闇に閉ざされた途端、ルーキはその異質さに気づく。
底なしの闇。
洞窟としては広々とした通路であることを加味しても、異常な空漠さが神経を狂わせる。
ありとあらゆる危険と脅威を内包してまだ余りある闇。
命をいくら飲み干してもまだ飽き足りない無限の漆黒。
仲間の安否はおろか、自分の手がまだ腕の先についているかどうかもわからなくなる無明で、ルーキはキーンと高く鳴る音を聞いた。
リズが打ち鳴らした照光石だ。衝撃を与えると発光する不思議な石で、使用制限なしの貴重な明かりになる。
ルーキもポーチから照光石を二つ取り出し、互いに打ちつける。音叉のように響く音がしばらく続いた後、石はじんわりと光を放ち始めた。
何とも頼りない光ではあるが、強い光はかえって周囲の闇を濃くしてしまう。目の慣れも考えてこれぐらいがちょうどいい。
「今回のチャートでは、〈ロングダリーナ〉の洞窟へのアタックは最低二回。一度はポワンヌールに戻って補給することになります」
明かりの準備を終えたリズが確かめるように言った。
ルーキはうなずく。あんだけ盛大に送り出されておいてしれっと帰るのは何やら気が引けるが、町の人間もそれが通例なので気にしないそうだ。
「一度目のアタックは、地下にある“ソーラの武器”を回収することが目的なんだよな?」
確かめ返すと、リズは口元をわずかに緩め、
「ええ。本来は、使おうとすれば持ち主にさえ害を及ぼす呪われた武器ですが、洞窟を抜けた決戦の地で必要になるものです」
第一目標を確認し合うと、ルーキは洞窟を進んだ。
巨大な生物の骨を思わせる真っ白い壁が、石の光を照り返してくる。
さわってみると、濡れていた。地下水が垂れてきているらしい。
小さく息を吐く。
ここでのエンカは七割が対処不能。対応しつつも逃げるのが鉄則とされ、もし逃げた先で別のモンスターの群れと遭遇してしまうようなら、最低でも誰か一人は落ちる覚悟がいる。
余分な戦力のない走者からすれば、それは町への一時撤退を意味していた。
(そうならないために、できることは……)
冷静かつ的確に逃げ道を確保すること。
パニックを起こして迂闊に動き回れば、それだけ別の脅威と遭遇する危険度は高まる。
それが、走者ができる唯一の対抗策。
それでもリスクをゼロにすることはできない。リスクを負いたくなければ、まずこんなところに来ないことだ。
前進するパーティの足音にわずかに異音が混じった。
ルーキは素早くあたりを見回す。通路はいくつかに分岐しており、音は見通せない闇のいずれかから聞こえてきていた。
右の道を示して歩き出すと、仲間たちは足音を殺してついてきた。
光る石を服の中に隠し、息をひそめること数秒。はっきりとした足音が、さっきまでルーキたちがいた場所を通過していった。
「危ねえ……」
音が完全に立ち去った後で、ルーキは大きく息を吐いて体から力を抜いた。
石を取り出すと、サマヨエルが自分にしがみついていることに気づく。
彼女は、不安げにこちらを見上げながら言ってきた。
「さっきの、ムーフェンシアにいたボーンナイトにそっくりだったよ……」
「あの暗闇で見えたのか?」
「うん。少しだけだけど……」
精霊人は目のデキも人間とは違うようだ。
あの時の恐怖が蘇ったことを心配して「大丈夫か?」とたずねると、サマヨエルは弱々しく笑ってうなずいた。
「いい判断でしたね。この調子でお願いします」
リズが口を開く。軽口のように聞こえて、薄闇に浮かんだ彼女の顔もやはり硬い。今のエンカでも、対処を誤ればパーティーが壊滅していた可能性はある。あのボーンナイト級の強敵が、この洞窟には一般ジャコとしてひしめいているのだ。
攻略を再開。
強敵だけでなく、入り組んだダンジョン構造も厄介そのもの。いくつもある上り坂と下り坂から正解を選ぶのは初見では不可能だろう。
先人が残したマップがなければ、確実に迷っていた。初期の勇者たちの苦労は――いや、ここで偲ぶまでもなく、この先いやでも思い知らされるだろう。
「な、なあルーキ」とカークが恐々口を開き、「地下に行くんだろ? 上に登ってないか?」という問いを投げかけてくる。
「いいんだ」
ルーキは静かに答えた。
「上からしか行けない場所に、お目当てのブツはある」
「何だそれ。面倒くせえな……」
うんざりしたように言いつつも、彼の本音は「帰りたい」ではなく、「すぐにここを登り切って楽になりたい」にあるようだった。
まったく同意だ。
こんな、歩いているだけで命を半分取られているような場所で長居なんかしたくない。
べちゃり。
濡れた何かが落ちた音がして、ルーキは足を止めた。
思わず洞窟の天井を見上げた。
目が、合った。
巨人のような、巨大な目と。
「なっ……!?」
二つだとか四つだとかでは済まない。
天井にびっしりと目玉が張りついていた。
「おわあああああああああ!?」
絶叫するカークを誰も「うるせえ!」とは言えない。それほどの意味不明な光景。
「ダークゲイザーです!」
リズが叫んで照光石を掲げる。
それは、ほぼ眼球だけという異様な形状のモンスターだった。
巨大な目玉と、天井からその目玉をぶら下げる視神経のような肉繊維がすべて。それが、おぞましい数で天井を埋め尽くしている。
「あの目を見てはダメです。魔力を吸われますよ!」
言うが早いか、ダークゲイザーが水流になびく水草のように一斉に揺らめいた。
魔法なんか一つも使えないルーキでさえ、何かが抜けていくような不快感。さっと目をそらしたリズとサクラに対し、一人、カークは平気な顔で天井を見ていた。
「な、何だ魔力を取るだけのモンスターかよ、ビビらせやがって! 変な踊りしてるんじゃねーぞコラ! オレが本当のダンスを見せてやんよ!」
ここまでのストレスで混乱しているのか、カークが踊りだす。
「ルーキ君、そこのバカを引っ張ってきてください! 逃げますよ!」
リズの要請を受けたルーキは、ダークゲイザーとダンスバトル中のカークの腕を掴んでその場から逃走した。
幸い追撃はなく、他のモンスターたちと鉢合わせもなしに、戦場を脱出できた。
さらに上を目指す。
「ここまでは……デスエンカなしっすね……」
サクラが油断していない声でつぶやく。わざわざ彼女が口にしたのは、ここから棲息するモンスターの格がさらに一段上がるからだ。
さらに非常に地盤が脆く、迂闊なところを踏み抜けばあっさり下の階まで落っこちてしまう難所。
先人が残したマップには崩れやすい場所が記されているが、そういう箇所が増えていないという保証はない。
「みんな、俺から少し離れろ」
ルーキは前に出ながら言った。
「ルーキ。大丈夫なの?」
不安げに聞いてくるサマヨエルに「いざという時はこいつがある」と返しながら、グラップルクローを指し示す。これを天井に撃てば、落下は避けられる。
「頼みますよルーキ君。このパーティではあなたが一番、ガバった後の反応が早いですから」
リズの言葉を受けながら、前進。
暗闇の中でマップと現在地を見比べるのは大変だったが、どうにかパーティメンバーを先導する。
「うおわ!?」
「キャーッ!」
床が崩れ、ルーキの体が沈む。サマヨエルが悲鳴を上げるのとほぼ同時に射出されたグラップルクローが、彼の体をかろうじて同じ階層へと引き留めた。
背後から冷たい声がする。
「ルーキ君……今のとこ、普通にマップに書いてある穴でしたけど……?」
「ちっ、違う。今のはその……ほら、俺の足も十六年使ってるから色々とガバムーブが……」
「なら、わたしが後で念入りにメンテナンスしてあげますから。楽しみにしててください」
「ヒエッ……」
リズに叱られつつも、どうにか目的地にたどり着く。
「……穴じゃねえか」
カークが呆れたように言った。
その階層の隅っこ。ぽっかりと空いた大穴が、ルーキたちの前に広がっている。
穴の縁は、かなり急ではあるが、一応、滑り降りられる坂のようになっていた。ただ、いったん下れば、ここを戻ってくるのは難しいだろう。
「ここを下る」
「マジかよ。今回、かなり上まで登れてるんじゃねえのか? 今のペースならこのままダンジョン突破できそうだし、行っちまおうぜ」
不満げなカークに首を振り、
「この下でソーラの武器を回収できなきゃ、ここを突破できても先がない」
「でもよお……」
「行きたければ一人で上に行くといいっす、と言いたいところさんっすけど、そんなことしたらこの世で一番の運のいい男でも確実に死ぬんで、さっさと降りろっす」
「うわああああああ――」
サクラから突き飛ばされ、カークはよりによって頭を下側にしたうつ伏せの姿勢――滑り台でもっとも勇敢な滑り方とされるマン・オブ・スティール・ダイブ――で滑っていった。
ルーキたちもそれに続く。
長い長い滑走になった。
やがて下にたどり着くと、先にスロープを下りていたカークが、呆然と立ち尽くしていた。
「おいルーキ……。何だよここ……。何なんだよ……」
震える声で問う彼が目を釘付けにされているのは、目の前に広がる光景。
不可思議な淡いブルーの光に包まれ、闇に浮かび上がるのは、投げ捨てられた、あるいは地面に突き立った、数えきれないほどの武器だった。
ルーキはその光景に目を細め、チャートで下調べした時以上の厳かな気持ちのまま、彼に応えていた。
「ここは、古い勇者たちの墓だ」
ひょっとしてこれって……シリアス回じゃない?




