第八十六走 ガバ勢と旅の交差点
精霊サファイアスの加護により風を受けたスクールダイス号は、名前に反して何事もなくルーキたちを〈旅の泉の小島〉へと運んだ。
簡素な船着き場と、古びた神殿。それが、あるもののすべてといっていいほどの、小さな孤島だ。
ルーキたちが降りると、船は無人のままルフガンの街へと戻っていった。これは精霊サファイアスのサービスらしい。意外と気前のいい精霊様だ。
「さて、ここからだけど……」
ルーキは神殿に立ち入ると、内部を見回した。
遺跡と言った方が正しいかもしれない。石灰石の床と、精霊サファイアスらしき女性を象った無数の白い石柱が、島の自然と神殿の敷地を見分けるすべてで、天井や壁のような大掛かりな仕切りはない。
そして、床に掘られた無数の溜め池。これが〈旅の泉〉と呼ばれるもので、飛び込めば、別の場所に一瞬で移動させてくれる。
普段はただの池にすぎないが、サファイアスに遣わされた精霊人が力を貸すことで、そういった不思議な力を得るのだという。
「ええと、まずどこから行くんだったかな……」
ルーキは神殿の端をなぞるように掘られた泉を見回す。
先に船で着いていた走者パーティが、泉と泉の間を忙しなく行き来していた。しかし、泉には道先を示す看板が出ているわけでもなく、どの泉がどこと繋がっているのかは走者自身が把握していなければならない。
「右の奥から二番目の泉に入って金策ですよ」
メモ帳を取り出そうとするルーキより先に、委員長が口を開いた。
「サンキュー委員長。悪いな。リーダーの俺が覚えてないといけないのに」
「ここからは複雑ですからね。一夜漬け程度では、ここに来るまでに全部吹っ飛んでいてもおかしくありません」
委員長はそう言い、「それに」と付け加えて薄く笑った。
「リーダーのすべきことはチャートの丸暗記じゃないですよ。できることは仲間に任せればいいんです。困難が立ちふさがった時、どう動くかをみんなに示すのがリーダーの役目。そしてその時みんなに疑念や不安を抱かせないよう、日頃から信頼関係を築いておくことです」
「そうか……。わかった。頑張るよ、委員長」
「ええ。頑張りましょう」
リズは優しい微笑みを返してきた。
仲間を連れて目的の泉へと向かう。
先頭集団のパーティが行き交う神殿の中央あたりを通りかかった時、ふと、走者の中に白い髪と緑の着流しを見つけた。
「あっ、レイ親父だ……!」
一足先に定期便で来ていた親のパーティは、すでに〈旅の泉〉を活用して立ち回っているようだ。サグルマとタムラーをつれ、迷わぬ足取りで颯爽と泉に向かい――そして立ち止まって反対側へと引き返し、さらに今度はまったく違う方向へと歩きかけて、やめた。
「ど、どこへ行けばよかとですか……?」
ついには涙目になってサグルマとタムラーに行き先を確かめている。
(か、可愛い……)
サグルマとタムラーも、チャートの確認を忘れてニヤつきかけている。ガバを責める気すらないらしい。
あのパーティにいられたなら、俺もしょっちゅうあの姿が見られたのに――。
ルーキがそう思った、直後。
「何ですか今の↑→↑←はぁ? 証拠品として記録しますからねえ? まさか、誰かに見とれて真っ直ぐ歩けなかったとかじゃないですよねぇ?」
「ヒイッ!?」
さっきは頼もしい味方だった少女の眼鏡が、陽光を照り返して酷薄に輝いていた。
「な、何でもないよ。さあ行こう!」
「本当ですかあ? ルーキ君、ごまかそうとしてもわたしちゃんと見てますからね? こうしてわざわざ聞いているのは、あなたの口から正直に話してほしいからですよ? ちゃんとわたしの方を向いて話してください。ほら距離もあと二十センチは近寄って。寄らないならこっちから行きますよ?」
「お姉さん許して!」
反射光の向こう側、瞬きもせずに見つめてくる暗い目から何とか逃れ、ルーキは泉の前に立った。
「これ、ホントに飛び込んで平気なのか?」
石で周囲を固められた、人工の溜め池だ。水の透明度が極めて高いせいで、上から見通せないほどの深さが一目でわかってしまう。藍色から黒に染まっていく水底に寒気を感じながら言ったルーキに、サマヨエルの声が柔らかく応じた。
「大丈夫だよ。水に見えるけど、今はわたしたちの力で別のものになってるから。濡れることもないんだよ。ただ、入った直後少しめまいがするから、むこうで倒れないようにそこだけ注意してね」
意を決して泉に飛び込む。
あるべき水の抵抗に身構えていた体は、一切何も感じずに水面を通過したことに強い戸惑いを覚えさせられる。そして、サマヨエルが言った通りのめまい。まるで視界をスープのように掻き回され、渦巻く景色が焦点のど真ん中へと吸い込まれていく。やがて平衡感覚も怪しくなって――。
「うわっと……!」
「ルーキ!」
よろけそうになったところを、誰かに支えられた。隣を見れば、サマヨエルが抱き着くように体を支えてくれている。
「大丈夫?」
「あ、ああ。助かったよサマヨエル。いやあ、思ったよりすごかった……」
「ふふ……。一度経験したから、次からはもう大丈夫だと思うよ」
サマヨエルがくすくす笑ったその横で、「ぐへっ」とカークが倒れ込んだ。
「いってえ……! おいリズにサクラ。そばにいたんならオレを助けろよ!」
「あ、いたんですか」
「サクラこう見えてめまいしてたんで」
「こんのピネガキども……! おいルーキ、預かってる児童の教育くらいちゃんとしとけよ。サマヨエルの優しさを見習えって。…………。あ、やっぱいいわ。なれないものになれっていうのは酷だよな」
彼が小馬鹿にしたように言った直後。
「仕方ありませんね。手を貸してあげますよ」
「オラッ、立つっす! 忍法光龍波!(623P)」
「ゴボォ!?」
襟首を掴み上げられ、また他方からは腹を拳で突き上げられ、カークは浮き上がるように立ち上がった。その後すぐに突っ伏すことになったのだが、それはそれとして。
「それで、ここは……?」
ルーキは周囲を見回す。
薄暗く、狭い通路だ。
ところどころに松明が設置されているものの、闇は濃く、静寂に満ちた空気が妙に重苦しい。壁に使われているレンガの一つ一つすら、心なしか押し潰れているように感じられた。
「ここはローラシュタット城の地下牢っす」
サクラがいつになく低い声で言った。
「ローラシュタット? RTAの出発点じゃないか。何でここに戻ってきた?」
「理由は二つ。一つ目は、ここがRTA開始直後に来てはいけないほど危険な場所だから。もう一つは、ここはローラシュタットでありながら、城のどこにも入り口がないからっす……」
「い、入り口がない? 何で?」
「ここに誰も入れないよう、そして、ここから誰も出られないよう、作った直後に壁を塗り固めてしまったんすよ……」
ぞくりという寒気が、暗闇からルーキへと這い寄ってきた気がした。
「入り口は〈旅の泉の小島〉のみ。看守が食事を運ぶ時以外、誰もここには近づかないっす」
そうまでして、ローラシュタットは一体何を、ここに捕らえているというのか?
サマヨエルが不安そうな顔でルーキに半歩分、身を寄せてくる。
「行きますよ」
リズが先頭に立って、牢獄の廊下を進んだ。
ルーキは刺すような静寂の中、牢屋の一つ一つに注意を払う。
牢屋と聞いて真っ先にイメージするような鉄格子はなく、重たそうな鉄の扉がいくつも壁に埋め込まれていた。格子付きののぞき窓があり、その先は完全な闇だった。
少なくとも、何者かが潜んでいる気配はない。濃すぎる暗黒が、それらを一切遮断していないとは言い切れないが……。
「何だ……?」
湿った空気の中にわずかな雑音が混ざり込み、ルーキは眉をひそめた。
それは声であり、祝詞であり、呪詛だった。
通路の先から地を這う冷気のように漂ってくる闇深い言葉に、思わず身を硬くする。咄嗟に見やったリズの背中に、呼び止める声をかけようかどうか迷った矢先、彼女は足を止めてこちらを振り向いた。
「ここですね」
鉄扉の前だった。
ここだけ、のぞき窓からおぼろげな光がもれている。蝋燭の光だろうか。
「委員長、一体何を……」
ルーキが呼びかけるのとほぼ同時。リズは扉と壁を繋いでいた留め具を外した。つまり――牢屋の扉の鍵をあっさりと開けてしまった。
通路を流れていた呪詛が、ぴたりと止む。
その不穏な静寂へ、リズは躊躇わず踏み込んでいった。
慌てて後を追ったルーキが見たのは、寝床と排泄用の設備以外何もない窮屈な牢屋の内部――そして、病的な密度で壁に描き巡らされた何かの魔法陣だった。
さらに奥の壁には、元からあったとはとても思えない簡素な祭壇。まさか素手で壁を加工したとでもいうのか? 台座には蝋燭が二本立てられて、小さな明かりを揺らめかせている。
そこに正対する男――恐らく――がいた。
ゆっくりと振り向く。
「ほっほっほ……」
ルーキはぎょっとなった。
高い笑い声の出所は、奇妙な仮面の裏だった。
目の部分には横長のスリット。口の部分には丸い小さな穴があるだけの簡素な仮面だったが、生物の外貌が持つシンプルな機能美をもう一段階、あってはならない域に削ぎ落としたような気味の悪さが感じられた。
彼が着ているローブは、聖職者が身に着けるものとよく似ている。ただ中央に施された正体不明の意匠は、何も知らないルーキをしても禍々しいものに映った。
「まさか、わたしをここから出してくれるとは……」
開け放たれた扉を見て、甲高い、性別不明の声がこぼれる。
ルーキは肌が粟立つのを感じた。この感覚。身に覚えがある。
それを体が思い出すかのように、目が自然とリズの背中へと走った。
そうかこいつ、妖魔だ!
「お礼に、あなた方の亡骸を破壊精霊への供物としてあげましょう!」
「げ、げえっ!? こいつ悪霊神官じゃねえか!?」
カークの悲鳴と同時に、妖魔――悪霊神官の体が二倍に膨れ上がったように、ルーキには見えた。
「……そうだ、こいつらはソーラの……!」
危機感が呼び水となって、チャートの記憶から敵の詳細を浮上させる。
悪霊神官。ロングダリーナ台地に住む妖魔たちの中でも、破壊精霊ソーラに強く傾倒する者たちだ。〈ランペイジ〉の原因となるソーラ召喚の儀式は彼らの凶行であり、悪霊神官こそが討伐すべき最終目標と言っていい。
ローラシュタットは何らかの方法でその首謀者の一人を捕らえ、そして完璧な形で幽閉した。委員長は、その扉を開けたのだ。
悪霊神官の手が素早く印を結ぶ。目に見えない破壊の粒子がその中央へと収束し、空気を歪ませた。ソーラにもっとも近い魔物の攻撃が来る。
この距離。この狭さでどう対処する!?
ルーキの背中に焦りの熱が走ったのと同時。パーティと妖魔の間に、敢然と踏み込んだ男がいた。
「えっ?」
と、まるで自分でも不思議そうにしているその男の名は、カーク。
「フハハハッ! わざわざ前に出てくるとはよい心掛けです! 死になさい、イオナイザー!!」
「ぎゃああああああああああああ!?」
狭い牢獄の中で炸裂した爆光は、ちょうどカークの背後に人一人分の暗闇を残して室内を白く塗りつぶした。
続けて走る衝撃と破壊音。カークの背後に綺麗に整列していたルーキたちは難を逃れたが、牢獄は激しく振動し、かびた空気の中に細かな石牢の破片を混ざり込ませる。
扉ごと牢屋の壁が消し飛ばないのは、そこにびっしりと書き込まれた魔法陣が魔法の威力を相殺しているからのようだった。そうでなければ、ただの鉄扉ごときでこの妖魔を捕らえておけるはずもない。
恐るべき魔力。しかし。
「なっ……!? 仲間を盾に!?」
悪霊神官が驚愕に揺れた時には、もう大鎌が間合いを詰め切っていた。
刃ではなく、支柱部分での刺突が、邪教のローブに描かれた邪な紋章を真っ直ぐに撃ち抜く。
「ぐふっ!」
神官の体が吊り上げられる魚のように浮き上がり、奥の壁へと衝突。それでも消えきれなかった衝撃力が、続けて彼を天井の隅にまで連れ去って叩きつけ直した。
ただの一撃。それで勝負はついたようだった。
リズが強くなったのか、それとも彼がバーニングシティの妖魔たちより接近戦が苦手だったのかはわからないが、何にせよ、完全に脱力した体勢で落下し、床へと叩きつけられた悪霊神官が反撃に転じてくることはなかった。
彼のローブから、からん、と乾いた音を立てて何かが転がり出てくる。
それは、長さ三十センチほどの小さなステッキだった。
委員長はさっとそれを拾い上げる。すると、息を吹き返したのか、倒れ伏したままの悪霊神官が必死に手を伸ばして訴えてきた。
「か、返しなさい! それはわたしが長い時間をかけてソーラへの祈りを魔力と共に封入したご神体……! それがなくては、我が信仰は……!」
伸ばされた手を足蹴にするような冷めた眼差しで、リズは彼に言い放つ。
「おや? これがなければ、あなたは神様にお祈りもできないのですか? あなたの信仰心とは、その程度のものなのですか?」
「ぐ、ぐうっ!? わたしの信仰を試すつもりですか!?」
仮面の奥の顔がはっきりと歪むのが、ルーキにはわかった。
「本当に破壊精霊を畏れ敬う気持ちがあるのなら、こんな偶像などに頼らず、己の心に祈るべきでは? まあ、仮に必要だとしても、なくしたら作り直せばいいのです。あなたのソーラへの想いが本物だというところを見せてくださいよ」
「うう……! おのれ人間! わたしのソーラへの祈りを疑うとは! こんなところに閉じ込めようとも、わたしの信仰は決して揺らぎはしない! 見ていなさい、すぐに作り直してみせます!」
「期待してますよ。フフ……」
蝋燭の光に下から照らされ、薄く笑う委員長は、どっちが悪の神官かわからない声でそう言い残すと、さっさと牢屋を出て行ってしまった。
ルーキは巨大アフロヘアと化したカーク(なぜかそこに破壊が集中したらしい)を担ぎ、逃げるようにその後に続く。とりあえず今回も致命傷は避けられたようだ。HPは残り1だろうが。
扉を閉め、鍵もつけ直した委員長は、ルーキたちに振り向いて冷淡に告げた。
「さて、彼が頑張ってもう一本この“神鳴の杖”を作っている間に、我々はローラシュタットに戻ってこれをお店に売ってしまいましょうか。用事が済んだ頃には、ちょうどできあがってるでしょうから」
「えっ……。まさか、もう一本奪うの……?」
ルーキがぎょっとして聞くと、リズは素っ気なく「違いますよ」と返し、
「もう二本です。別のパーティが来ると過労で彼のペースが落ちるかもしれないので、そうなる前にさっさと戻りましょう。〈旅の泉〉を使えばすぐですよ」
ルーキは知らなかった。チャートには、神鳴の杖で金策、くらいしか書かれていなかったのだ。
しかし、そのあまりにも残酷な内容を目の当たりにした時、ルーキはただ恐れるように委員長から目をそらし、のぞき窓の奥の光へと憐憫を向けることしかできなかった。
「わたしは! わたしの信仰は、あんなやつらなんかに負けにゃい! 偉大なるソーラよ! 我に力を与えたまえ! ナニトゾー! ナニトゾー!!」
一心不乱に祈る声が聞こえ、果たして三度目も彼はこのモチベーションを保てるのだろうか、という哀れみにも似た気持ちが、ルーキの胸をそっとかすめていった。
人の姿をして相手の信仰を問う……やっぱり悪魔じゃないか!




