第八十一走 ガバ勢と運命の数字「HP」
『HP?』
ルーキとサマヨエルがオウム返しにすると、サクラは難しい顔で髪をかき、
「何分オカルトチックな話なんで、理解しづらいとは思うんすけど……。言うなれば、決着までの猶予を数値化したものっす」
「んん……?」
ルーキは唸りながら、似たような表情のサマヨエルと顔を見合わせ、揃って首を傾げる。
「HPの正式名称はヒットポイント。ヒットとは、直撃のことっす。このHPがゼロになるということは、致命傷を食らったってことを表してるっす」
「生命力ってこと?」
サマヨエルの言い換えに、サクラは首を横に振った。
「それとは別物っす。瀕死の人間を放置したらそのうち死ぬっすけど、HPが残り1の人間はだいたいの場合において普通に動き回れるし、ほっときゃ回復するっす」
「わかんねえな……」
ルーキは頭を抱える。サクラは「そうっすよね」と同意を口にし、
「何というか、戦いとはこのHPの削り合いである、っていう概念ありきの数字なんすよ。最初はマックスで、戦いの中でどんどん減少していく……でもその減り具合が、直接受けた傷とか、疲労とかと完全に一致してるかというと、必ずしもそうじゃないっす。500あっても次の一撃で一気に消し飛ぶかもしれないし、残り1でも戦い続けられる人もいるんす。ただゼロになった時、必ず決着がつく――そういう観念上の数字なんす」
「何だろうな……。運命とか、決着までのカウントダウンみたいなものか?」
冗談半分で言うと彼女は少し眉を持ち上げ、
「兄さんの方からそういう曖昧な言葉を出してくれるのはありがたいっすね。RTA研究所のステータス表でも、実はマスクデータとして計測されてて、職員の間じゃ〈運命限界係数〉って呼ばれてるんすよ。戦いが終わるまでの運命を示した数値だってね」
「そんなの、数字にできるの?」
サマヨエルは疑うように聞く。彼女が言うと、ますます、RTA研究所にいるロコがそのまま疑問を呈したみたいになる。サクラは肩をすくめ、
「正直、信憑性ゼロっすね。減少値も一定じゃなければ、予測もできない。ゼロになったら決着っていう、ただの後付けみたいな数値なんで。実際、HP自体、実在するかどうかも怪しいもんだったんすよ。ある時までね……」
彼女の苦々しい目が、広場の端にいる一人の人物に向けられた。
大鎌を背負った一人の少女――委員長。
「“ラストヒール”って魔法を編み出した一族がいるんすよ。何かっていうと、HPを必ず1残す魔法っす。つまり、絶対相手を死なせない魔法。これが機能していると判明することによって、HPという概念がどうやら本当に存在するらしいということが裏付けられてしまったっす」
「えっ……すごいじゃないか! 絶対死なせないなんて!」
まさに〈ファフニール〉のレギュレーショナーである彼女のための魔法だ。
しかし、歓声を上げたルーキを、サクラの温度の低い目が諫めるように見据える。
「ただしこの魔法、滅茶苦茶使い勝手が悪いんすよね。魔法消費量は大きく、効果時間も極めて短い。とてもじゃないっすけど、戦いの前から保険としてかけておけるものじゃないっす」
「でも、たとえばさ、相打ち覚悟で敵に攻撃する場合、こっちは必ず助かるんだろ? かなり使えるじゃないか」
「それがとんだ落とし穴でしてね」
サクラはぼやくように言った。
「自分から攻撃を受けにいった場合、この魔法機能しないんすよ。何と」
「ええ? 何でだよ?」
「ヒールなんて名前ついてるから、致命傷を受けた瞬間、ほんの少しだけ生命力を回復してくれるようなイメージがあるっすけど、さっきも言ったようにHPは生命力とは別物でしてね……。どうやらこの魔法、回復魔法とは全然別物で、生存本能を最大増幅させて一気に消費し、致命傷を間一髪のところで回避させてるらしいんす。つまり、最初から攻撃を食らう覚悟があると十分に働かないわけっすね。こんな変な魔法、兄さんならどう使うっすか?」
「…………」
ルーキは少し黙考し、「まさか……」とおののく声をもらした。サクラは重くうなずいた。ヤケ気味に笑う形を作った唇が言う。
「そうっすね。何も知らない他人にかけて、敵に投げつける。そうすれば、短い効果時間の間に、ほぼ確実に一発分の肉盾にできるって寸法っす。いいんちょさんなら、その隙に確実に相手の命取れますしね……」
「ヒッ……」
ルーキは震え上がった。それならば委員長はやりかねない。というより、やる。確実に。
攻撃は最大の防御とは言うが、動作としての攻撃と防御は同時には行えない。だからこそ攻撃の隙を突くカウンターが成立する。
相手の攻撃を、こちらの思った通りのタイミングで誘発できるのなら……ガチ勢は嬉々として、生贄を差し出すだろう。
「で、でも、リズがそんなことするはずないよっ」
不意に、サマヨエルが両拳をぎゅっと握って発言する。
「さっきだって、ぎりぎりのところでラストヒールが間に合ったからカークは生きてるんでしょ?」
これまでの認識と微妙に噛み合わないセリフに、ルーキとサクラは顔を見合わせた。
少しの思案の後、サクラの目が「サマ姉さん、もしかしてさっきの見てないっすか?」と問いかけてくる。
その可能性は十分すぎるほどにあった。あの時サマヨエルは完全に怯えていて、とてもカークのことなど見ていられなかったはず。つまり、カークは普通に敵に倒されたと思い込んでいるのだ。
ルーキがサクラに首肯すると、彼女は心得た様子でうなずき返し、すぐに「まあ、そうっすねえ」と、曖昧な言葉を曖昧な角度で放った。
これは彼女が人をけむに巻く時の口調だ。だがそれでいい。
何もこんな残酷な現実を知ることはない。彼女が怯えた深紅の騎士が、実はそれを上回る危険な仲間に叩き潰されたなんて、この先、一緒に旅をするにあたって、知らない方がいいのだ。
サクラはそのまま話をそらすように続ける。
「いやしかし、まさか短期間のうちにこんな魔法まで身に着けてくるとは思わなかったっすよ……。誰かさんが〈ファフニール〉とかいう縛りを与えちゃうから、その中で使えるものを、いいんちょさんなりに必死に探したんすねえ、きっと……」
「よくわからないけど、リズ、すごいね?」
サマヨエルが小さな白い背中を尊敬の眼差しで見つめる。
話はすっかり別方向へと移ったようだ。
「あれっ……ちょっと待って……?」
そこでルーキはふと、重大なことに気づいてしまった。小声でサクラに問いかける。
「カークは今回のRTA、飛び入り参加だよな。つまり、今のラストヒールって委員長のアドリブってこと? もしカークがいなかったら……?」
サクラは光の消えた目でルーキを見返し、がっ、と肩を掴むように手を置いて囁いた。
「本来の肉盾は、兄さんかサクラっすね。まあ、隙あらば両方ってのが正解でしょうけど……」
「ヒエッ……」
委員長との初めてのRTA、コンドジでのことを思い出す。彼女はあそこで、一体何を――いや、誰を、いともたやすく使い捨ててみせたか。そしてそれは、ガチ勢としてまったく正しい姿なのだ。
彼女はその酷薄な姿勢を一度は拒み、走者としての在り方に悩むにまで至った。
仲間は見捨てられない。しかしそれではガチ勢たりえない。そんな葛藤。
しかし今、彼女はそれを乗り越えてここにいる。ガチ勢であり〈ファフニール〉である自分を掴み取って。
以前、彼女の屋敷を訪ねた時に言っていた。もう道は見つけていると。それがこれだ。
仲間は使うが、使い捨てはしない。
何度でも、何度でも使う。使い続ける。生かしたまま。決して失わないまま。壊れるギリギリのところで何度も修理して、何度でも何度でも使い続ける……ッ!
(これが、委員長のRTA道……!!)
慄然として言葉を失う。何が一番脅威かと言えば、彼女は何一つ、信念を違えていないこと。まったく正しいまま、彼女は己を貫いているということだ。
もう誰も、彼女を止めることはできない。
と。
「クゥーン……ハッ!? ここはどこだ? オレはどうなった!?」
カークが目を覚ました。
「いっ!? 痛え!? 何かすげー痛いぞ!? 何があったんだ? 何でオレ寝てるんだ? 直前の記憶がねえ! おいコラルーキ、一体何があったか説明しろ!」
サクラの話ではHPは勝手に回復するらしいので、今の彼は次一発もらったら終わりという危険な状態は脱しているのだろう。意外と元気に体をさすっている。
「カーク、大丈夫?」とサマヨエルが声をかける。
「カーク、さっきの敵にやられたんだよ。でも、リズがぎりぎりのところで助けてくれたの」
「えっ……?」
カークの顔がさっと青ざめた。何かを思い出そうとしている。
ルーキは焦った。カークは、委員長が自分を囮として使ったことを、前回のオオテツアリ戦で疑っている。もし正しい答えに行き着いてしまえば、騒ぎ出すに決まっている。それでは、サマヨエルにも知られてしまう。
ここは一つ――。
「い、いやあ、ナイスアシストだったぜ、カーク!」
記憶をたどろうと懸命にもがくカークの思考を掻き乱すように、ルーキは大声を向けた。意図を察したサクラもすぐさま便乗して、
「そちらさんが敵の注意をそらしてくれたおかげで、こっちも勝てたっす! これってもしや、勝利の立役者、縁の下の力持ちってやつっすかねえ!」
「そ、そうだったんだ!? カークすごいね?」
純真なサマヨエルにまで感心されてしまっては、まともな思考などできるはずもなく、カークはすっかり得意げに鼻を膨らませ、
「そ、そうだったかな? まあ、その可能性は十分にあるな! 何しろオレは、ローラシュタットの危機を救った男だしな? 無意識にそういう英雄的な行動を取ってしまっても不思議はない。むしろ取らない方が不自然的な? まいったぜ。損な性格だよな、まったくよお……!」
ルーキとサクラはほっと胸をなでおろす。本当に乗せやすい男でよかった。
「でも、カークとはもうお別れなんだよね……」
唐突に、サマヨエルが残念そうに言った。
『えっ……?』
ルーキとサクラ、そしてカークまでもが驚きの顔を彼女に向ける。
「だって、カークはムーフェンシアの故郷に帰るために、ルーキたちについてきたんでしょ? ここから先は、もうムーフェンシアじゃないから……」
「あー……そーいやそうだったなー……」
カークはぼりぼりと頭をかいた。ルーキとサクラは再び青ざめる。このままでは彼が離脱してしまう。今一番ラストヒールを使われやすい彼が。
「まあ確かにそうなんだけどよ。そうなんだけどさあ」
チラッとサマヨエルを見やり、
「せっかく冒険らしくなってきたのにここで抜けるってのもな」チララッ。「クニに帰っても、どうせ畑仕事が待ってるだけだし」チラララッ。「オレがいなくてこの先不安だって言うならよお」チラララララ。「しょうがねえからもうちょっとだけ付き合ってやってもいいんだけどなー。オレもなー」チッラララララララ!
「カーク、一緒に行こうぜ!」
「いやあ、そちらさんの力と勇気が今こそ必要なんすよ! 一緒に行くっす!」
ルーキとサクラは全力でカークを引き留めていた。
彼は一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐにさも当然とうなずいてみせ、二人の肩をばんばん叩き始める。
「何だよしょうがねえなー。オレがいないとホントおまえらはよォ!」
「そうそう、カークがいないとな!」
「あんたが大将っす! よっ、ちくわ大明神!」
「何だ今のハハハ!」
カークの笑い声に合わせながら、ルーキとサクラは汚い視線を交換しあった。これでいい。彼にはまだまだ働いてもらわなければならない。彼がいれば、自分がラストヒールの標的になる確率は三分の一。どうせなら、低い方がいいではないか……。
「何ですか? 絶好調ですか?」
リズが戻ってくる。三人の馬鹿笑いを怪訝そうに問う彼女に、カークは「おうよ」と陽気に返し、
「ま、オレが作ったチャンスをちゃんと活かせただけ、リズも大したもんだよ。そこは認めてやる。でもまあ、これからだよこれから。あんな敵、一発で終わらせられないとな。調子に乗らずに、しっかり精進するんだぜ?」
「はあ……」
委員長は何が何やらわからない様子で、曖昧にうなずく。いくら記憶がないとはいえ、この少女に対してここまで上から目線になれるのはもはや才能の一つに思えた。
「とにかくそういうわけだから、この先もよろしくな、サマヨエル」
「うん、よろしくねカーク!」
サマヨエルは嬉しそうに微笑んだ。淀んだ廃墟の一角に、汚れなき小さな花が咲いたようだった。
こうして第二のチェックポイントを通過。頼りになる仲間も維持したまま、ルーキの〈ランペイジ〉は続いていく。
ルーキも走者としての汚い自覚がついてきたようです。
HP=致命傷を回避する能力という説があるそうで……。すごい発想だ……。




