第七十二走 ガバ勢と〈ロングダリーナ〉の水先案内人
〈ロングダリーナ〉――開拓民の間ではアレンガルドという名前で通っているらしいが――は、緑豊かな実り多き土地だ。
王都の文明発展に寄与するような大きな発見こそなかったが、収穫の時期になると大量に輸出される食糧は、間違いなく人類圏の食生活に安定をもたらした。
ただ、同時にこの開拓地特有の問題も存在した。
魔王ソーラである。
ソーラは生物としての個体ではなく、精霊、しかも破壊精霊と呼ばれる存在だった。
アレンガルドを守護する精霊サファイアス曰く、破壊精霊とは、自然災害が巻き起こす破壊の象徴そのものだという。
嵐が過ぎ去った後に木の枝が一本も折れていないことがないように、破壊精霊はその出現自体が破壊を意味する。
そして嵐がそうであるように、ソーラそのものも世界から完全に消え去ることはない。
この破壊の具現体は、アレンガルドのほぼ中央に位置する、険峻な山に囲まれたロングダリーナ台地に住む妖魔たちの怪しげな儀式によって、たびたび顕現しているのだ。
「〈ロングダリーナ〉の〈ランペイジ〉の概要は、所定のチェックポイントを回りながら標的となるモンスターを討伐することです。これが達成できたパーティーは精霊サファイアスから許しを得て、〈ロングダリーナ〉へ通じる洞窟へと挑むことができます。ここを抜けてソーラ召喚の儀式を阻止すれば、RTA終了です」
列車に積み込まれた荷箱の隙間で、肩を並べて座る委員長がルーキにそう説明してくれた。
「ソーラはまだ復活していないのか?」
ルーキの質問に答えたのはサクラだ。
「ソーラが復活するのは稀っすよ。〈ランペイジ〉は、“ちょっと最近魔物が増えて来たから走者を一斉に走らせて大掃除すっぺ”っていうのが基本理念っす」
「魔物たちの破壊行為は、破壊精霊を呼び寄せやすくするんです。だから、時折一掃する必要があるんですね」
「なるほどなあ」
〈ロングダリーナ〉で〈ランペイジ〉が行われる理由も、パーティー人数が小分けにされている理由もわかった。妖魔がいるというのは気になるが、魔王そのものと戦うことがないのなら、何とかやれそうだ。
「それで、今回のパーティーについてなんですが」
委員長が言う。
「リーダーはルーキ君ということでいいですか?」
「えっ、俺?」
ルーキは驚いてリズとサクラの顔を見やった。
「実力的に委員長がやった方がよくないか?」
「元々あなたが参加したがっていたRTAですし、実力はこの際関係ありませんよ。経験にもなりますし、わたしも精一杯サポートしますから、やってみませんか」
「サクラも、ガバ兄さんがリーダーでもんくないっす」
「そっ、そうか。……俺がリーダーか……へへ……」
ルーキはにやけた。もちろん責任の重さは理解しているが、任せてもらえる信頼感が嬉しい。委員長が頑張っているように、自分も頑張っている。これも成長の証と受け取っていいだろう。
「時にルーキ君」
リズが咳払いし、もったいぶった口調で言った。
「よいリーダーというのは、まず第一に、パーティーメンバーとしっかり意思疎通できることが重要です。そちらのレイ親父さんも、一門の長でありながら、子弟たちから気安く話かけられるでしょう? 良い話も、ダメな話も」
「あ、確かに……。一門から怒られてることもあるな」
特大ガバを「誤差だよ誤差!」と言い張って逃げ回っている姿が思い浮かんだ。
「良い情報も、悪い情報も、委縮せずに伝えられる。それがよいリーダーとしての第一歩です。仲間が恐縮してしまって普段から話しかけられないようなリーダーは、必要な時に必要な情報も伝えてもらえなくなります。それでは正しい決断はできません」
「なるほどな。よくわかったよ。コミュニケーションだな?」
ルーキがうなずくと、涼しい顔をしていた委員長の唇の端が一瞬だけ吊り上がり、
「それでは、予行演習としてわたしと話でもしましょうか。目的地まではたっぷり時間がありますから、しっかりと仲間とのコミュニケーションを。そうですね、たまにはわたしたちの訓練学校時代の話なんてどうです? 今の段階で振り返ってみれば、違った印象の思い出がたくさんあるかもしれませんよ。そこから今に活かせる知恵を掘り出すというのもですね……」
すると、横から別の声が割り込んだ。
「いやいや、イインチョーさん。サクラもガバ兄さんのレベルアップには貢献するっすよ。まあ、サクラは普段から兄さんと一つ屋根の下っすから? 時には二人並んで装備の修繕をしたり、おでんを食べたり、普段からパーフェクトコミュニケーションフルマックスっすけど? はるか遠く離れて暮らしてるイインチョーさんと違って、今さら特別な話もないというか、むしろいちいち会話せずとも目と目で通じ合うレベルではあるっすけど、多少はね?」
「ほう……」
「ふゥン……」
意味ありげな目線を絡ませ合った直後、背後にカッと荒ぶる虎とイタチが垣間見えた気がしたが、この後、左右から同時に延々話しかけられる苦行をさせられたルーキにとっては、それも些細な演出に過ぎなかった。
※
大鉄道の駅に最も近いローラシュタットのお城では、今まさに走者たちの出立式が行われていた。
王都のような大宮殿とはいかないが、小さいながらも華美さと堅牢さをコンパクトに凝縮させた、瀟洒な外観である。
「ギ、ギリギリセーフ!」
「何とか間に合いましたね」
「遅刻してもギリ間に合うあたり、兄さんもガバ勢が板についてきた感じっす」
列車を降りてから猛ダッシュのまま謁見の間の最後列に飛び込んだルーキは、そこに集まっている走者たちの数に圧倒された。
三百人は下らないだろう。
朝、屋台通りの一風景にいる総数に匹敵する人員。
これほどまでに大規模なRTAをルーキは知らなかった。
さすがにこの人の数では、レイ親父の目立つ白髪頭を探すのも無理そうだった。もっとも彼はひどく小柄なので、走者たちに簡単に埋もれてしまうという理由もありはしたが。
「先日、ムーフェンシアの城から使いが来て、かの地が落ちたとの報せがあった。あそこはしょっちゅう落ちているから、今回もみな無事落ち延びたと思いたいが、ロングダリーナがソーラ復活の儀式を始めた点については認めざるを得ないじゃろう」
謁見の間、最奥の玉座につく王は、威厳ある声でそう伝えた。
城が一つ落ちた。恐らくは遠い土地のことで、ここには血や火事で焼け焦げた木材の臭いも届かないが、その冷えた響きだけはルーキの胸の奥を重く詰まらせる。
他の走者たちも真剣な面持ちで話を聞いている――かと思いきや。
「うートイレトイレ」
「少女チャートガン見中……」
「みなさまのためにぃ……」
RTA心得一つ。走者は、走っていない時はしっかりリラックスすべし。王様の長話やムービー中、特に開拓民のロマンスとかいうどうでもいい時間では、リトル・ジョーやビッグ・ベンなどを行い有効活用せよ。
ということなので、ほぼ誰も話を聞かず、上の空だった。
王様やまわりの兵士たちも慣れっこなのだろう。特に咎めだてもせず、走者たちの武運と精霊サファイアスの加護を願う文言を述べると、マントをさっとはためかせ、右手を前方へと掲げた。
「支度金として50ゴールドと、精霊サファイアスが祝福した凶器、棍棒を授けよう。ではゆくがよい、勇敢なる走者たちよ!」
『ホイ!』
それを合図として、走者たちは一斉に出口へと殺到した。
「うわっ! 何が起こったんだ!?」
「ここからよーいドンなんですよ! 宿も店も早い者勝ちです!」
「ちょっとガバ兄さん!? サクラたちまだチンケな50ゴールドも棍棒も受け取ってないっすよ!? 特に棍棒は参加証っすから、もらわないわけにはいかないっす!」
「横に……! 流れの横に出るんだ!」
ルーキたちはもみくちゃにされながらも、どうにか走者の流れの外に逃げ延びた。
スタート直後の喧騒はあっという間に城下町の方へと移り、急に広くなった謁見の間に、早速へろへろになったルーキたちだけが残される。
「どうした。おぬしたちは行かぬのか?」
走者たちを見送った王が声をかけてきた。開拓地の、しかも小さなお城の主――とは言え、真っ白いヒゲと王冠がまぶしい彼からは、確かに一般人が持ちえない気品と威厳が感じられる。ルーキはかしこまりながら、
「実はさっきここに着いたばかりで、まだ棍棒をもらえてないんです」
「そうであったか。では早速準備させよう。なに、遅参を気にすることはない。走ってくれる者が一人でも増えるのは大歓迎じゃからな。おお、そうだ――」
朗らかに言った王は、ぽんと手のひらを拳で叩き、
「カーク、カークはおるか?」
「はっ? えっ、はい! ここにいますけど……」
呼ばれた兵士が、部屋の隅から返事をした。
「カークよ、ムーフェンシアからの使いの任、大儀であった。傷も癒えたし、そろそろ故郷が恋しかろう。この者たちに同行させてもらうがよい」
「えっ? オレがですか」
「なんじゃ、クニに帰りたくないと申すか?」
「いえっ、とんでもない。じゃ、じゃあ、準備してきますんで……」
「うむ。――というわけで、カークもつれていってやってくれ。ムーフェンシアで兵士をやっていた男で、傷を負いながらも城の変事をここまで報せに来てくれた。根性は保証するぞ」
ここで「いいえ」と答えても永遠に同じ依頼を繰り返されそうだったので、ルーキはおとなしくうなずいておいた。
ムーフェンシアは精霊サファイアスから出されているチェックポイントの一つだ。そこまでの旅先案内人が加わったと思えば、こちらにとっても悪い話ではない。
ただ、あのカークという男にやる気が感じられないのが、少し気になるところではあったが。
※
城下町は走者というアリにたかられるショートケーキみたいになっていた。
道具屋には行列。そのロスを気にして早々町を離れる者もいれば、そうしたせっかちを見込んで暴利の露店を開く手合いもいて、ちょっとしたお祭り状態だ。
「と、とにかくさっきの金で薬草を買おう。早く並ばないと……うっ、あっちはもう品切れか。こっちは行列が……」
ルーキが右往左往していると、リズが冷静な声をかけた。
「落ち着きましょうルーキ君。この段階で慌てる必要はまずないです」
「えっ、そうなのか?」
きょとんとするルーキに、サクラの声が続く。
「〈ロングダリーナ〉は基本、敵が強力なんで、走者が撃退されることもしばしばあるんすよ。だから準備をしっかりして、戦闘で負けない体勢作りをする方が、結果としてタイムは良くなるんす。それに、このRTAの代名詞でもある〈ロングダリーナ〉への洞窟は、トップだったチームが最下位へ転落することも余裕でありうる難所中の難所。今の段階での差なんて、本当の意味で誤差っす」
二人の助言にルーキは素直にうなずいた。
目先のタイムに囚われて精神的に疲れたり、下準備をおろそかにするようではリーダー失格だ。
「んで、話はまとまったのかよルーキ」
近くの柵に腰掛けていたカークが言う。
カークは、くすんだ金髪の、ルーキたちより少し年上の男だった。
ひょろりとして背が高く、体つき自体はさすがに兵士とあって締まっているが、目には覇気が感じられない。
「ああ、とにかく、もらった50ゴールドで薬草を買う」
「そうかい。ならオレはここにいるから、勝手にやっちまってくれ」
仕えるべき城が落とされて失意のどん底にいるのか、カークはぞんざいに手を振った。
「なんか元気ないですね。傷がまだ癒えてないんですか?」
委員長がたずねる。カークはやる気のない目を向けて、わざとらしいため息をついた。
「いや、傷なんかとっくに治ってるわ。もう城からも離れたし、話しちまってもいいか……。ぶっちゃけよォ、オレ、ムーフェンシアとか全然帰りたくねえんだわ」
「え?」
ルーキが目をしばたかせると、彼は天を仰ぎながら、
「オレの生まれはムーフェンシアのお城から離れたド田舎だし、思い入れとか全然ねえんだ。悪ィけど」
「カークも田舎生まれか。俺もそうだぜ」
そう言ったルーキに、カークは初めて目を輝かせ、
「おっ! やっぱりおめーもカッペかよ! 何となく空気でわかったぜ。目上の人間に対する言葉遣いがどうしても野暮ったいんだよな。ま、地元で偉いヤツっていうと、普通に野良仕事してる村長くらいしかいねーから仕方ねーんだけど」
「…………。一緒に戦ったムーフェンシアの仲間たちに何か思うことはないんですか?」
委員長が真面目な質問をすると、ルーキとの対話とは一変、カークは煙たそうに顔を向け、
「勤めに入ってからまだ半月くらいしかたってなかったからよ。正直、上司のオッサンくらいしか覚えてねーわ。王様の顔も、そこらのじいさんと区別つかね。敵が攻めてきた時は結構てきぱき撤退準備してたし、どうせ助かったろ。つーか、オレこそ一番の功労者じゃね? ムーフェンシアからローラシュタットまで来たんだぜ? 徒歩で。一人で。正直よォ……オレこれで英雄だわ、おっほ、とか思ってたよ道中。オレの名前がついた長距離走大会が誕生したり、オレの記念日ができたりさ。女の子にもモッテモテって期待してたよ。それなのに何? 連絡ご苦労、傷が治ったらクニに帰れ? 褒美とか何もなしに? はあー、がっかりだわローラシュタット。マジ。女の子も全然振り向いてくれねーし、マジ。こうやって一番頑張ったヤツがバカを見る世の中なんだよなあ。あーやだやだ……」
彼の口から吐き出される怒涛の愚痴に、リズの顔からは表情が消え、サクラも乾いた笑みを浮かべた。
確かに、これからこの土地のために命を懸けて戦おうとしている相手に対し、浅薄ここに極まれりといった口振りではある。
しかしルーキには、カークにそれほど反感を抱かなかった。
英雄願望は、ちょっと形は違うがルーキにもある。
一人前になって、ダメだった自分を見返す。完走した感想で店を一軒埋める。それは、カークの願望と大差ないものだ。
だからルーキは、かける言葉もない二人と違い、カークに釘を刺す声を向けた。
「気持ちはわかるけど、ダルそうにしてると余計疲れるぞ。畑仕事もそうだろ」
「あーやめろ、同じ体験から説教されると言い返せねえ。わかったわかった。買い物に行こうぜ。裏に人気のねえ道具屋があるから、そこなら空いてるだろ。――ところでよお、ルーキ?」
億劫そうに立ち上がりながら、彼は思い出したように言う。
「おめー、何でこんなツルペッタンのペペペのペーを二人もつれてRTAなんかしてんだ? 託児所でも開いてんのか?」
「え? 託児所?」
「どうせならもっと、ゆうてい! みやおう! きむこう! みたいにドーンとして、目の保養になるのをつれてこいよな。そうすりゃオレの旅も楽しくなんのに。……まあいいや。そんないい女つれてこられてもなんかムカつくし、ある意味、この程度がちょうどいいのかもしんねー」
「えぇ? ああ……? そう……なのか?」
ルーキが言葉の意味を飲み込めないうちに、カークはさっさと歩き出していた。
([∩∩])<…………。
([∩∩])<…………。
それに無言で続く仲間二人の小さな背中に、何か言い知れぬ寒気を感じつつ、ルーキも慌てて仲間を追う。
後になって思えば、この時彼の運命は決まったのかもしれない。
すけさん→かくさん→カクさん→カーク(ガバガバ命名法)




