第七十走 ガバ勢と尖塔の決戦
ルーキたちがたどり着いたクレリックタワーは、あの人形たちからは一切漂っていなかった本物の死の臭いに満ちていた。
石造りの塔内部には何も落ちていない。にもかかわらず、そこにかしこに肉片や血だまりを幻視してしまうほど、ここには死の兆しが染みついている。
人のものとは言い切れない。獣のものかもしれない。何にせよ、まともな場所ではない。
ルーキを先頭に、段差の小さい階段を上っていくと、小部屋に出た。
まだ最上階ではなく、恐らくは上にある施設の準備室。木箱が積み上げてある。
「あっ、あそこよルーキさん!」
ジェニルファーが割れた窓ガラスを見て叫んだ。
雨風がわずかに吹き込んでいる。思ったよりも大きく、人が楽々出入りできるサイズだ。
期待通り、鎧戸はついていなかった。
ルーキは窓際から下を確認する。地面まで、グラップルクローのワイヤーではわずかにたりない。一旦二階の屋根に降りて、再度クローを刺し直す方法が無難か。
「どうですのルーキ。何とかなりそうですの?」
「ああ。大丈夫だ。ハイパワーモードを使えば、全員いっぺんにでも降りられるよ」
それを聞いた少女たちの顔が、一斉に華やいだ。
その時だった。
「ヨク、モ……」
背後からくぐもった声がした。
まるで、口の中にワラを詰められた人間がしゃべっているように聞き取りづらい音だった。
「よクも……邪魔ヲしたな……」
ルーキたちはぎょっとして振り向く。
部屋に置かれた木箱の陰から、忍び寄るように現れた人影。それは。
「マリージュ先生……?」
ロレッタが呆然とつぶやく。
女性的なスーツとパンツ姿が、彼女にそう言わせたのだろう。
しかし。
「ヨグモオオオオッ!」
無数の羽虫が一斉に羽を震わせたような絶叫に、ルーキたちは慄然とする。
あれがマリージュ先生などと、誰も認められるはずがなかった。
その口は明らかに人間のものではない。
引き裂かれた布の上下を糸で縫い留めた、人形のものだ。
だが目元や頬は人間のもの。
人間の、皮。
「キャアアアアッ!」
理解した誰かが悲鳴を上げる。
人形が、人間の皮をかぶっている。
人間が着ぐるみをかぶっているのではなく!
人形が、剥いだ人間の皮を体に縫い付けている!
「ゴバオオオオオオッ!」
人でも獣でもない咆哮を上げながら、マリージュが飛びかかってきた。
狙いはジェニルファー。
しかしルーキは、ちょうど少女たちが壁になってすぐには動けない位置にいた。
「ジェニルファー!」
狙われたジェニルファーを、ロレッタが突き飛ばす。
「オオオオオオ!」
直後、マリージュの皮人形はロレッタに飛びつき、共に窓の外へと転落していった。
「ロレッタ! いやああああっ!」
「ジェニルファー! ダメよ!」
飛び降りる勢いで窓際へと駆け寄ろうとしたジェニルファーを、エルカが必死に押さえつける。
ルーキは大急ぎで窓から外へ乗り出した。
下を見つめ、ほっと息を吐く。
「大丈夫だ、二人とも。ロレッタは無事だ」
「えっ!?」
「ぎりぎりでキャッチしたよ」
ルーキはそう言って、射出済みだったグラップルクローの回収ボタンを押した。
※
あれから――。
一行は駆け足で〈クレリックタワー〉から逃げ出した。
雨は降りやまなかったが、そんなこと気にしていられなかった。
結局、マリージュ先生は何だったのか?
人間がきぐるみをかぶっていたのではなく、人形が人間をかぶっているように見えた、あれは?
――わからない。
あの館が何だったのかさえ、何一つ。
けれど今は、無事あそこから生還できたことを祝いたい。
エルカ・アトランディアは自宅の浴室で、バスタブに身を沈めていた。
雨と恐怖で冷たくなった体を芯から温めてくれるお湯が、数々の悪夢も染み出させてくれている気がした。
とてつもない冒険だった。
あんなことになるなんて、当初は想像もしなかった。
けれど後悔は薄い。もうみんな助かったのだから。それに……。
「…………」
エルカはお湯の中から手を持ち上げた。
ずっと、ルーキが握ってくれていた左手。
危険が迫り、対処しなければいけなくなった時以外、ずっと。
お湯で温まった全身の中で、ここだけは違った体温を残している手を、エルカはそっと頬に押し当てた。
鍛錬とRTAを重ね、すっかり硬くなったあの感触が蘇る。
ここにまだ、彼がいる。
「や、やだ。何をしているのかしら、わたくしったら……」
エルカは赤くなりながら手を離した。
気まずくなって周囲を見回すが、バスタブと洗い場はカーテンで囲われており、誰の目もない。
「…………」
ユメミクサや他のメイドたちが突然入ってこないことを無駄に確認した後、ほっと溜息をつく。
「今日のルーキは……。ま、まあまあ及第点でしたわね……」
いつものようにずっと守ってくれたし、何だかジェニルファーの方が走者っぽかった気もするが、まあそこはガバ勢。みんなの精神的支柱だったことは事実で、最後の最後でニクい立ち回りも見せてくれたのだから、最低限の評価くらいはあげてもいい。
そもそもあれは、及第点くらいでちょうどいい人物なのだ。こちらの予想のはるか上なんて行ってほしくない。だって、そんなに遠くに行ってしまったら、手が、離れてしまいそうで……。
「…………!」
ぼうん、と赤くなると、エルカは慌てて首を横に振った。
何を考えているのか、自分は!
盛りまくったルーキ・ナイト説に浮かれているのは同級生たちだけではない。自分もそれに舞い上がってしまっている。あれは全部嘘だ。ルーキは、別にいつでも近くで見守ってくれているわけじゃない……。
でも、もし……そうだとしたら。
そして、今日の冒険を無事終えられたことを、褒めてくれたとしたら。
「…………」
エルカは左手をじっと見つめ、無言で、タオルを巻いた頭の上に置いた。
「…………」
ゆっくり、なでなでする。
「…………」
なでなでする。
「…………」
そして、
「はァーーーッ(気)!! 何やってるのわたくしったら! アホかしら! アホかしらもうっ!」
エルカはさらに顔を真っ赤にしながら、左手で水面をばしばし叩いた。
「はあ……。ホント、何してるのかしら」
もう出た方がいい。助かった安堵感と、恐怖から解放された大胆さで、頭がどうかしている。このまま湯に浸かっていては、もっとおかしなことをしかねない。
その時。
ごとり、とカーテンの外で何か音がした。
何かが床に落ちたような。
「? ユメミクサ?」
普段屋敷でエルカ付きとなっているメイドの名を呼ぶが、反応がない。
おかしい。彼女は、呼べばいつの間にかそこにいてくれるはずなのに。
「着替えを取りに行ってるのかしら……?」
また、カーテンの外で何かが動く気配。今度は勘違いではない。
「ユメミクサ、いるの? メアリー? それともアルマータ?」
返事はない。たとえそこにいるのが誰であっても、使用人なら何らかの返事をするはずなのに。
「まっ、まさか、ルーキじゃありませんわよね?」
思わず、湯に沈めた体をかばうように抱きしめてしまう。
彼がそこにいる根拠など全然ないが、予想外のことをしでかすのもガバ勢の特権だ。
「い、いけませんわ。女の子のお風呂をのぞくなんて。すぐに立ち去りなさい。そうすれば許してあげますわ! わ、わたくしだけですのよ、こうして見逃してあげるのはっ。かっ、勘違いしないでくださいませ。バレなければ見てもいいと言ってるのではないですのよ」
濡れた足音。だんだんと、近づいてくる。
「ちょ、ちょっと!? ダメですってば! そういうお覚悟がおありなんですのルーキ!? ……も、もしあなたが本気なら、わたくしも多少は……」
足音が止まる。カーテンのすぐむこうに、誰かがいる。
「って、何ですのこの茶番! 本当はユメミクサなんでしょう!? いい加減に――」
エルカはバスタブに身を隠したまま、カーテンをさっとめくった。
そこには。
――誰も、いない。
「あ、あら……? 確かに誰かがいたような気がしたのですけれど……」
そう言って、視線を元に戻す。
そこに……。
も誰かがいるわけでもなく、お湯の上に浮き出た両膝を見つめたエルカは、本当に頭がおかしくなってくると思い、さっさと風呂を出ることにした。
※
「つーかまーえたー♪」
大鎌の切っ先に胸を貫かれ、宙づりにされたままもがく人形を見ながら、ローズ・ティーゲルセイバーは無邪気に微笑んだ。
場所は上流住宅街、アトランディア邸の屋根の上。ちょうど風呂場の真上にあたるところで、窓からは花の香りを含んだ湯気が登ってきている。
「やっぱりこういう妖物を相手にするときは“魔王喰い”が一番楽なのよねー。リズちゃんから借りてきてよかったわあー」
「まあ、その鎌自体が強烈な呪いの集合体みたいなもンだからね。毒を以て毒を制すさ」
その横でチンピラみたいな座り方をしている主婦は、レジー・ティーゲルセイバーだ。
「とはいえ、獲物の居場所がわからなきゃお手上げだった。あンた、よく知らせてくれたね」
あごをしゃくるようにして視線を向けた先には、屋根の上にひっそりと佇むメイド少女ユメミクサの姿がある。風で少し乱れた髪を、指先一本を素通しして整えた彼女は、月夜のように静かな声で言った。
「へろへろに疲れた上に、“憑かれて”帰ってきた主をまさか放ってはおけませんので」
「いい子ね~」
ローズはにっこり微笑むと、鎌の先端でもがく人形を再び見上げた。
「どんな気分? マリージュ先生?」
目は笑みの形に細まっていたが、瞳は一切笑っていなかった。
「いつか隙を見て吹き消してあげようと思ってたけど、まさか、中にいるのがソウルイータークラスの怪物だったとはね~。カムフラージュがお上手なんだから~」
ローズはふっと無表情になり、告げた。
「ティーゲルセイバーはナメくさられるのが一番嫌いなの。いくら強力な暗示を常時放出してるからって、教員室ではす向かいの席に何食わぬ顔で座っちゃってぇ……。まあ、教え子とルー君に感謝しなさい。もし例のクレリックやその女性みたいにあの子たちに手を出してたら、安息の死は永遠に訪れなかったわよ……?」
ズバアッ! 鎌を振り抜くと、人形は内側から弾けて散った。
「ヨコセ……スガタモ……タマシイモ……」
人形はくぐもった声でうめきながら、風に溶けるように消えていった。
それを見たレジーが口元を歪める。
「バケモンが。当時の聖堂教会のバカどももわからンかったンかね。こンな人形が依り代になるはずないって。教会公認の聖女の毛を上から下まで剃り落として編ンだ糸で作ってようやく、封印できるかどうかって相手だろ、こいつは」
「もう母さんったら~。教会の悪口言うと後々面倒が~。これだから“獣の時代”世代は荒くていや~。ルー君が引いちゃったらリズちゃんが悲しむわ~」
「はッ、細かいことを気にするンじゃないよ。ほら、あれだ。婿殿ンとこの……ええと、ガバ勢の親玉の白髪頭だって、あの時代の生き残りだろうが。もうとっくに慣れてるさ」
ぞんざいに言い捨てると、レジーはユメミクサに目を向けた。
「ところでお嬢ちゃン。あンたの主は、婿殿とどういう関係だい?」
「エルカお嬢様とルーキは、タダのオトモダチです」
レジーの、意図せずとも自然と刺すようになる視線に、ユメミクサはいつも通り眉一つ動かさず答えた。が。
「そうなのね~。じゃあいつか、リズちゃんともお友達になれるかもしれないわ~」
ローズが歩み寄り、ユメミクサの横顔に張り付いていた髪をそっとどけて、そこに隠れていた汗を優しくハンカチで拭った。
「……!」
「あなたともね~。今度ルー君と一緒にお屋敷に遊びに来なさいな~」
「まあ、オスの取り合いは生き残り戦だ。最初が何人だろうと、かまやしないさ……」
そう言うと、二人は屋根を蹴っていずこかへと消えた。着地した音はなかった。
さっきの人形と勇者の末裔たち。果たして、どちらがバケモノだったのか。
一人残された少女は、らしくなく大きなため息をつきながら、つぶやいた。
「ほんと……あんなのを引き寄せてくるんだから、厄介な兄さんっすよ……」
エピソード終了回。
…………。
お気づきいただけただろうか?
ジェニルファーのある行動が未消化であることを……。
そう、彼女が書斎で回収した本。あれはどうなったのか……。
悪夢はまだ続くのだ……。
本「助けてくれ!」




