第六十九走 ガバ勢と少女の死体
ジェニルファーがルーキを押しのけるようにして室内に飛び込んだ。
彼女がいた。
赤茶のショートヘアで、ジャケットこそ身に着けていないが、ユリノワール女学院の制服。部屋のほぼ真ん中で膝を抱え、顔を伏せて座り込んでいる。
「ロレッタ、ロレッタ!」
ジェニルファーが呼びかけると、彼女は顔を上げた。
「ジェニルファー……?」
人懐こそうな丸い眼と、そばかすが特徴的な少女だった。
目の下にクマができ、ひどく憔悴した様子だが、特段大きなケガはしていないようだった。ルーキとエルカはほっと胸をなでおろす。
「助けに来たわロレッタ。さあ、早くここから逃げましょう」
「ダメよ。できない……」
ロレッタは暗い目を伏せた。
「どうして!?」
「帰れないわよ、もう! みんな殺されたわ。アナも、ロールも! 見て、ここに彼女がいるわ! わたしのせいで殺されてしまったのよ!」
ロレッタはヒステリックに叫び、すぐ傍らにあるものを指さした。
「ロール……!?」
ジェニルファーだけでなく、ルーキも、エルカも目を剥いていた。
狭い部屋だ。入った瞬間に全体が見渡せるほどの広さしかない。もし人の死体があれば、すぐに気づいていたはずだ。
だから。
ロレッタのすぐ隣にあるのは。
腹を裂かれ、綿を綿雲のように膨れ上がらせ、制服を着ている――。
人形、だった。
「こんなひどい殺され方をしたのよ、わたしのせいで……! 血もいっぱい出て、お腹の中のものも……。彼女、最後までわたしを恨みながら死んでいったわ。今さらわたし一人が生きて帰ったって、みんなの家族に何て言ったらいいの……」
嗚咽する彼女の言葉を聞いたジェニルファーが、当惑した目をルーキたちに向けてきた。
同じものを返すしかなかった。
ここにあるのはどう見ても人形だ。
ジェニルファーは意を決したように口を開いた。
「ロレッタ、落ち着いて。ここにロールがいるのね?」
「そうよ。見ればわかるでしょう」
ロレッタの声は確信と自責に満ちている。
「ロレッタ、聞いてね。わたしはあなたの味方だし、あなたの言うことを信じてる。もう一度聞くわ。これがロールの死体なのね?」
「何度も聞かないで! 他に何に見えるっていうの!?」
ジェニルファーは口ごもる。彼女の言っていることは明らかにおかしい。しかし、友人をこれ以上傷つけたくない……。
「人形に見えますわ……」
代わりに伝えたのは、エルカだった。
「えっ……?」
ロレッタがやつれた眼差しを向ける。
「あなたがロールさんの遺体だというのは、ただの人形ですわ。それと似たようなものを、屋敷のバスタブでも見ましたの。それは、アナさんのハンカチを持っていましたのよ」
「人形……人形……? あなた、何を言って……」
おろおろと戸惑う視線を行き来させるロレッタを、ジェニルファーが抱きしめた。
「落ち着いて。冷静になって。彼女が言ったことは本当よ。わたしにも、これはただの人形に見える。学校の制服を着せた人形。血も出ていないし、内臓だって出てない」
「ジェニルファー? そんなこと言ったって……」
「もう一度ちゃんと確かめて。できる? わたしと一緒に見ましょう。さあ手を握って。1、2の3で見ましょう。いいわね。1、2の、3っ」
「――あっ……? ああああああっ!?」
ロレッタは悲鳴を上げた。ジェニルファーの腕から飛び出すと、ロールだと言っていた人形へと駆け寄る。
「ロールじゃない……! 人間じゃない! ど、どういうこと? だってわたし、確かに彼女と話を……死ぬ間際まで、“恨んでやる”って……ううう……!」
ウソを言っている様子はない。戸惑い、絶句し、視線を逃がす場所も見つからず、人形の横で這いつくばっている。
「ショックで幻覚を見たのでしょうか……?」
「いや、もっと意図的なものだ。催眠術や暗示の類かもしれない」
だとすると、自分たちもそれにハマりかけていた。
暗示をかけるには、まず人の心を掻き乱すこと。喜び、怒り……あるいは、恐怖で。
ルーキたちが最初に見せられたあのズタボロの制服は、きっとそれが狙いだった。ロレッタも似たようなことをされたのだろう。
ジェニルファーは、頭を抱えて震えるロレッタを抱きしめてやりながら何かを考え込んでいたが、不意に口を開いた。
「ねえロレッタ、このお屋敷に最初に来ようって言い出したのは誰だった?」
「ロ、ロールとアナだけど……。あと、マリージュ先生」
ロレッタをのぞいたオカ研のメンバー全員だ。
ロレッタの背中を優しく撫でながら、ジェニルファーは顔を向けることなく、ルーキに言った。
「ルーキさん。こういうことは考えられない? オカ研なんて初めからなかった、って……」
『え……?』
ルーキだけでなく、エルカも、ロレッタも、意表を突かれたように身じろぎした。
「わたしはアナにもロールにも会ったことはないし、どのクラスかも知らない。同級生なら、どこかで彼女たちの名前を聞いても不思議はないはずなのに」
空気が急速に冷え、奇妙な耳鳴りを呼んだ。
「ま、まさか、ロレッタはずっと、この人形を友達だと思い込まされていたってことか?」
言いながら、ルーキは自分の発言にぞくりとする。
「け、けれど、マリージュ先生は本当にいらっしゃいますわ」
エルカが慌てて釘を刺す。しかし、ジェニルファーはすでに彼女についても何か思い至っていたらしく、口調を変えずに聞いた。
「ロレッタ、マリージュ先生はどこ?」
「そ、それが、最初に屋敷に一人で入って……。帰ってこないから、みんなで中に探しにいったの」
おずおず答えたロレッタの目を見つめ、ジェニルファーは確証を得たようにうなずいた。
「この館はただのオカルトスポットじゃない。生きた人間が何かを求めて使っている場所よ。この地下道に降りてくる前に、祭壇のような場所があって、ロレッタの手帳が捧げられていたわ。狙いは最初からあなただったと考えれば、辻褄は合う」
空気がざわついた。
「それって、マリージュ先生が黒幕だと言いたいの?」
ロレッタが声に反発を滲ませながら確認する。
親友からの疑念に対し、ジェニルファーは毅然と答えた。
「ここまでマリージュ先生の痕跡を見つけたことはなかったわ。アナとロールのものはこれみよがしに見せつけてきたのに。彼女はまだ役目があって、死を偽装することができなかったのかも。それはきっと、二人の死の幻を見せられて精神的に弱ったあなたに、何かをさせるっていう役目で……」
「ジェニルファー、それは先生に失礼よ! 全部あなたの憶測でしょう?」
「ええ、証拠はないわ。でもわたしはローズ先生から、大人をなめるなと教わっている。大人のマリージュ先生が何も考えずに一人で館に入って、ここの住人にあっさり捕まったとはどうしても思えないの」
二人はしっかりと身を寄せ合いながらも、対立した目を向け合うばかりだった。
だが、今はそんなことをしている場合ではなかった。
「議論は後にしよう。とりあえず今はロレッタを家に連れ帰ることだ」
ルーキが口を出すと、ロレッタが恐る恐るといった様子でこちらを見てくる。
「あの……ジェニルファー、この男性は?」
「この人はルーキさん。エルカさんがつれてきてくれたの。RTA走者よ」
「えっ、本物の走者! すごい!」
それまで不安そうだったロレッタの顔に、純粋な驚きと憧憬が広がる。
「この人のおかげでここまで来られたの」
「えっ……そ、そうだったかな……」
「ルーキ、そういうことにしておきなさいな」
エルカがこそこそと耳打ちしてきた。今はロレッタを安心させることが優先ということだろう。ルーキは大人しくうなずいておいた。
「さあ、ひとまずここから脱出しましょう」
「でも、もし先生もどこかで捕まっていたりしたら……」
ジェニルファーの提案を、ロレッタがすぐに拒絶する。また押し問答が始まってはたまらない。ルーキはすかさず割り込んだ。
「ジェニルファーたちが脱出したら、俺がもう一度中に入って先生を探してみる。それでいいか?」
「! ルーキさん、ありがとうございます」
ロレッタが嬉しそうに頭を下げ、ようやく話がまとまった。
四人はすぐにエレベーターに乗り込み、地上を目指す。
「けれどルーキ、館の出入り口は全部封鎖されてしまったのではなくて?」
エルカが聞いてくる。
「それなんだけどさ、クレリックタワーから誰かの制服――多分、ロレッタのジャケットが落ちてきたのを覚えてるだろ? あの時、多分ハサミ男だと思うんだけど、窓をぶち破ってるんだよ。見た感じ鎧戸も取り付けられてなかったみたいだし、あそこから脱出できないかな」
「でも、あそこは二階以上の高さがあるわ。降りられるかしら」
ジェニルファーが口をはさむ。が、ルーキは動じず腕を見せて、
「このグラップルクローがあるから大丈夫だ。仮に下まで長さが足りなくとも、一旦二階の屋根に降りれば、確実に屋敷の外までたどり着ける」
「すごいわルーキさん!」
「さすがは走者ね! 頼りになる!」
ジェニルファーとロレッタが口々に自分を褒めちぎるのを聞き、ルーキは何だかいじめられている気分になった。
「エレベーターを降りれば塔まではすぐのはずよ。みんな、頑張りましょう」
ジェニルファーがそう言って、階層を示すランプを見上げた時――。
「ひっ!?」
突然、彼女は引きつった悲鳴を上げた。
ルーキたちは一斉に彼女の目線を追う。
「きゃああああ!」
少女たちが揃って叫んだ。
天板が一枚はずされ、そこからのっぺりとした仮面の顔がのぞいていた。
ハサミ男だ。
この閉所。逃げ場も、戦うスペースもない。
ハサミ男が飛び降りてくる!
「きゃあああっ!」
絶叫しながら、ジェニルファーが着地前のハサミ男の足をそっと横に払った。
「!!!」
足から着地するはずだった小柄な体は約百二十度ほど回転し、絶望的にイヤな角度で首から接地した。
ぐぎり、と異様な音を立て床にのびたハサミ男を見て、ジェニルファーは室内で死んだ虫を見つけたように叫んだ。
「きゃあああっ――キャオラッ!」
微妙に曲がった首筋に、押し込むようなトドメの蹴りを入れた直後、エレベーターが地上に到着する。
「今よ、みんな逃げましょう!」
「早く早く!」
ジェニルファーとロレッタが扉の外へ駆け出すのを追いながら、ルーキとエルカはぼやくように言い合った。
「今の絶対悲鳴じゃなかったよな……」
「オラって言いましたわ、オラって……」
四人は書庫を出てすぐのところにあった、クレリックタワーへと通じる階段を駆け上がる。
今や、捜索地点と脱出口はまったく同じ意味と場所になっていた。
階段の先にあった扉を押し開けると、一層強い臭気がルーキたちを取り囲む。
「げほっ、げほっ、ひどいにおいですわ……」
エルカがせき込む。
「ホント、何のにおいなのコレ……」
ロレッタも顔をしかめる中、ルーキは一人、唇の奥で歯を食いしばっていた。
これは、死臭だ。
ジェニルファーさえいなければちゃんとしたホラーになれた可能性が




