第六十五走 ガバ勢とクレリックタワー
エルカ・アトランディアがユメミクサ抜きでアパートに来るのは珍しいことだった。
さらに、三角巾もモップもバケツもなく、つい先日見たばかりの服装――ユリノワール女学院のワインレッドの制服まで着て、さらに同じ服装の見知らぬ少女をつれてきているとなると、もうルーキには何が何だかわからなかった。
「ルーキにお願いがありますの」
エルカは訴えるような眼差しで、じっとルーキを見つめた。
その斜め後ろに控える黒髪の少女は不安そうな顔をしていたが、それは、エルカにつれてこられたこの建物が、彼女が普段生活している家屋に比べてあまりにもぼろかったからではなく、もっと切実な理由がそこにあるからだと、ルーキは直後に知ることになる。
黒髪の少女の唇が動き、こう言った。
「助けてください。友達を、救いたいんです」
※
〈クレリックタワー〉と呼ばれている屋敷だった。
かつて聖職者が一人で暮らしており、彼の要望で大きな塔が建てられたことがその由来だそうだが、とある事故以来無人となり、買い手がつかないまま朽ちる一方の日々を過ごしているという。
神に祈るために静かな場所を選んだという屋敷は、上流住宅地の端にある林の中にぽつんと建っており、ルーキは急に暗くなり始めた空の下で、その欝々とした佇まいをぼんやりと見上げた。
「何か、妙なことになったな……」
念のために装備してきたグラップルクローをひと撫ですると、横から不満げな声が上がる。
「妙なことなんてありませんわ。これは立派な人助けでしてよ。走者なら、人助けはするものですわ」
エルカだ。彼女の隣には、決意を込めた眼差しで屋敷を見上げるジェニルファーの姿もある。
――友達を、救いたい。
あの時、彼女はそうルーキに告げた。
事の起こりは、ユリノワール女学院のオカルト研究会のメンバーが、この〈クレリックタワー〉へのフィールドワークを行ったこと。
顧問と三人の生徒がこの屋敷を訪れたが、丸一日たっても彼女たちは帰らなかった。
学校に助けを求めるべきでは――? というルーキのまっとうな意見は、ジェニルファーが語るオカルト研究会の微妙な成り立ちによって却下された。
「オカルト研究会は学院非公認なの」
顧問も一人の教師が個人的に務めてくれているにすぎず、もしこんないかがわしい活動が学院側にバレてしまったら、彼女はクビになってしまうかもしれないとのこと。今回のことがあれば、なおさら。
面倒見がよく、優しく、美人で、人気の教師だという。
認可が下りずに落ち込んでいたオカルト研究会のメンバーを見かねて、こっそり顧問役を買ってくれたそうだ。そういうこともあって、ジェニルファーとしては、オカ研の友人たち共々、彼女の立場も守りたいらしい。
ちなみにジェニルファーは会員ではなく、会員のロレッタが親友という繋がりだ。
「不気味ね。ここにこうして立っているだけで怖いわ」
屋敷を囲う林が風でざわざわと音を立てる中、ジェニルファーが髪を押さえながら言った。
「でも、本当にありがとうルーキさん。あなたが一緒に来てくれて、とても心強い」
「あ、ああ……」
ものすごく頼りにされてそうな熱視線を向けられ、ルーキはぽりぽりと頬をかいた。
「何たって、本物の走者なんだもの。わたし、RTAには結構詳しいの。ガチ勢が凄腕なのは知ってるけど、ガバ勢だって普通の人よりずっとものすごい人たちだってこと、ちゃんとわかってるわ。それに、街に現れた百人の悪党からエルカさんを助けてくれたルーキさんなら……」
素直そうな双眸からきらきらと照射される星屑に顔をべしべし叩かれ、ルーキは恨みがましい目と小声をエルカへと向けた。
「何をした?」
「つい盛っちゃったんですわ……」
エルカがはるか遠くを見つめながら、小声で返した。
「し、仕方ないじゃありませんか。学院の女の子たちはこういうヒロイックな話に飢えているのですから。ちょっと尾ひれをつけて川に放流したら、勝手に羽まで生えて帰ってきちゃっただけですの。で、ついそれを認めちゃっただけですの。わたくしの罪は軽微ですわ」
益体もない言い訳に、真実を知らないジェニルファーのうっとりとした声が垂れ流れてくる。
「それにその日以来、ルーキさんがエルカさんの秘密のナイトとして、陰から彼女の安全を守ってくれているだなんて……素敵!」
ルーキは再びエルカに尋ねた。
「羽で済みましたか?」
「鯉は成長すると竜になると東方の伝説では言いますし……。誤差ですわ誤差」
エルカは遠い星を見つめ始めた。ちょっと前までは些細な失敗にも再走再走と目くじらを立てていたのに、ずいぶんと大らかになったものだ。
この竜になった鯉に仕立てられたメダカくらいの雑魚の厄介なところは、完全にウソとは言い切れないところにある。
実際に、エルカの陰にはユメミクサに扮したサクラがひっついている。
何のためにサクラがそうしているのかはわからないが、そのへんの事実とエルカの見栄っ張りが変に融合して、謎の怪魚を生み出さないことを祈るばかりだった。
それはさておき、今は目の前の問題。
〈クレリックタワー〉で行方不明となっているのは以下の四名。
生徒のロレッタ、アナ、ロール。顧問のマリージュ。
ロレッタはジェニルファーの親友だが、アナ、ロールとは面識はないらしい。だが、ロレッタの話によるといい人たちだそうだ。
「古そうな屋敷だからな。扉が壊れてどこかに閉じ込めらているか、ケガをして動けなくなってるか……何にせよ、早く助けよう」
エルカの言ったように、人を助けるのが走者の仕事だ。
「あ、待って。これだけは伝えておかないといけないわ」
ジェニルファーが言った。
「このお屋敷にはね、ある噂があるの」
「噂?」
聞き返すルーキに彼女はうなずき、
「そう。ここの前の住人であるサルモン・ホロウズ氏が、死者を生き返らせる実験をしていたという噂」
「死者を?」
「でも蘇った死者には理性がなくて、サルモン氏はそれに殺されてしまったという話よ」
「ホントかなあ」
カイブツとかバケモノの話はRTAをしていると事欠かないが、それも奇々怪々が溢れ出る開拓地での話。ルタの街で、しかも整然とした上流住宅地でそんな怪事件があったとは到底信じられなかった。しかしジェニルファーはあくまで真面目な顔で、
「表向きの記録では、彼は家の中の事故でケガをしたのが原因でここから引っ越したことになっているわ。けれど行き先は誰も知らない。ここが変よね。どこの誰かもわからない人じゃなくて、名簿にも名前が残ってる聖堂教会に仕える聖職者だったっていうのに、そんな曖昧な結末なんて。逆に、事故で死んだのなら、そう伝えていいはず。隠すべき何かがあったのよ。それで、サルモン氏を殺したという死者は、まだあの屋敷の中に――」
――閃光。
「キャーッ!」
不意に走った稲光と同時に、エルカがルーキの腕にしがみついてきた。
重々しい雷鳴がその後に続き、にわかに、葉を叩く雨音があたりを囲い始める。
「こりゃまずいな」
「中に入りましょう」
ルーキはエルカをしがみつかせたまま、ジェニルファーと一緒に館の入り口へと向かった。
広いひさしの下にたどり着く頃には、雨は本降りになっていた。
「開いてるな……」
ルーキは半開きの玄関の扉をちらりと見て言った。
「ロレッタたちが通ったのかもしれないわ。行きましょう」
ジェニルファーが率先してドアノブを掴むと、扉はひどい軋みを立てて闇への入り口を開いた。
「ま、待ってくださいませルーキ。わ、わたくしまだ心の準備がっ」
「ここまでついて来たんならもう準備できてるも同然だ。行くぞ」
「きゃあっ! もう、なんて人!」
へっぴり腰のエルカを引き連れて堂々と内部へと入る。
しかし――。
「何だ、これ……?」
入ってすぐ、ルーキたちは呆然と立ち尽くすことになった。
外は雷雨で暗いとはいえ、まだ時刻は昼間。閉じられたカーテンの隙間から入るぼんやりとした光で、一階エントランスの様子はよくわかる。
それが、異様だった。
「ここ、本当に廃屋か? 外から見た感じだと、中も相当荒れてると思ったが……」
内部は、無人になって久しいとは思えないほどに清潔で、整然としていた。
「まるで、今でも誰かが住んでるみたいですわ……」
戸惑うルーキに続き、腕にしがみついたままのエルカも呆然とつぶやく。
「ごめんくださーい。どなたか、いらっしゃいませんかー」
ジェニルファーが呼びかけたが、館から返事はなかった。
それはつまり、行方不明となっているロレッタたちからも、ということだが。
「行きましょう」
「えっ、いいのか?」
高そうなフロアマットに濡れた靴底を乗せることをためらっていたルーキが問うと、ジェニルファーは気丈な声で応じる。
「ここで待ってても始まらないわ。もし誰かが住んでいたら正直に話して、怒られましょう」
彼女は背負っていたリュックからカンテラを取り出すと、それに火を入れる。
「ま、待ってジェニルファー。誰かが住んでるって、まさか……キャーッ、ちょっとルーキ、勝手に歩き出さないでくださいませ! いくときはいくってちゃんとおっしゃって!」
非難の言葉を浴びせながらも、さっき以上に身を寄せてきたエルカと共に、ルーキは先頭を行くジェニルファーの背中に続いた。
エントランスにある曲がりくねった階段を上り、二階の長い廊下を進む。こういう屋敷の作りに慣れているのか、彼女の足取りはしっかりしていた。
「実はね、ロレッタから、少しだけこのお屋敷の内部について聞いていたの」
彼女は歩きながら種明かしする。
フィールドワークに入る前に、オカ研はこの屋敷について色々下調べしていたという。屋敷の見取り図もどこからか入手しており、ジェニルファーは親友のロレッタから口頭でそれを教えてもらっていた、ということだそうだ。
親友はこの探検をとても楽しみにしていたらしい。それが、こんなことになってしまうとは……。
「館は二階建てで、このお屋敷の名前の由来にもなった尖塔へは二階から行けるはずよ。ロレッタたちも、そこを目指したと思う」
「じゃあ、まずはそこから調べよう」
「RTAだったら、これがチャートになるのよね」
ジェニルファーが独り言のように言うのを聞き、ルーキは苦笑した。
現場にたどり着いてから構築とは、なんと雑なチャートだろう。下調べ第一主義の現代RTAと相容れるものではなく、まるで一昔前の“冒険”だ。
もっともうちの頭領なら、これを無理やりオリチャーにしてしまえるかもしれないが。
「うう、怖いですわ……。どうしてこんな時に限って天気まで……」
窓ががたがたと鳴って、そのつどエルカを怖がらせていた。雨だけでなく、風も強くなってきたようだ。屋敷に来る前はそんな予兆もなかったのに、こちらのパーティーに誰か、クッソ激烈に運のない人間がいるのかもしれない。
二階の廊下を歩きながら、ルーキはふと窓の外に目をやった。
ガラスの上で波を作る雨粒のむこうに、二階の屋根から突き出した尖塔が見える。
「あれが、そのクレリックタワーなんだよな?」
「ええ、そうよ。大聖堂の主に祈りを捧げるための塔。表向きはね……」
ジェニルファーは含みのある答えを返した。
この館の主、サルモン・ホロウズたっての願いで設計に加えられた祈りの塔。
子供の頃、駄賃を握りしめて見上げた王都の本家大聖堂の記憶となぜか一致しない姿にルーキは違和感を覚えたが、その正体はすぐにわかった。
塔を取り巻く魔よけのガーゴイル像だ。
本家のガーゴイルは鳥のようなくちばしを持っている。聖堂教会は鳥を神聖視していて、御使いにも鳩の羽が生えていた。しかしこちらは――はっきりとは見えないが――もっと人間に近い、いや、鼻も唇もないのっぺりとした仮面のような顔をしているようだ。
ただ、それがおかしいことなのかどうか、教徒でもなければ王都の住人でもないルーキには判断がつかなかった。
ゴロゴロと空が唸る。
そろそろ大きいのが来そうだな、と思ったすぐ後だった。
周囲の音と景色を同時に奪うような強烈な稲光が、ルーキの視界を白く染め上げる。
同瞬、色のない世界に建つ尖塔の窓が砕け散り、中から何かが落ちていくのが見えた。
「!?」
全員がその場で硬直した。
雷轟の衝撃と共に訪れたのは、窓を突き破って落ちていったのは人間、そして、それがワインレッドの色彩を持っていたという二つの認識だった。
ユリノワール女学院の制服の色だ。
飛びつくように窓際に駆け寄ったルーキは、裏庭の草むらの上で、ひしゃげたように手足を広げる人影を確かに見る。
エルカとジェニルファーの悲鳴が廊下に響き渡った。
しれっと再開していきましょう。
ジェニファーに似てるのでジェニルファー。
リハビリのためのエピソードなのに普段と雰囲気違うとかこれもうわかんないですね……。




