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第六十四走 ガバ勢と彼女の切り札

 ずうっ、と流水が押し寄せるような勢いで、レジーが目の前に滑ってきた。


「うわあ!」


 再びの破裂音。上段から振り下ろされた鞭が床を弾いた音だった。

 かわせた。ギリギリで。だが、音だけで肌がびりびりと震えるこの威力は何だ?


 あの鞭はあえて言うなら非殺傷のための武器だ。しかし、“エンドコーリンガー”の人知を超えた技と力で振るわれれば、たとえあれがねこじゃらしであっても砕け散れる自信が、ルーキにはあった。


 孫によく似た鋭い眼差でこちらを捉え、レジーが言う。


「リズは現代っ子だかンね。空気を読みすぎて思うように話ができなかったり、傷つくことを恐れて自由に振る舞えなかったりする――」

「だからどこが!?」

「だが、結局人は、上っ面だけじゃ付き合えないンだ。だから、代わりにあたしがあンたの腹の底を引きずり出してやろうって言ってンのさ! あと、じーさンが寝たきりだからヒマァ!」

「そっちがほンねかあーッ!!」


 再びの鞭を回避する。「腹の底を引きずり出す」が、もはや「はらわたを食らい尽くしてくれるわ」にしか受け取れない中、うまい具合に立ち位置が入れ替わり、出口までのルートが空っぽになった。


 今だ! 全力で逃走! ここで逃げミスをするようなヤツにRTAをする資格はない!


 カチッ。


「え?」


 何かを踏んだ、と思った直後。

 ルーキは天井まで跳ね上げられていた。


「!?」


 ぎりぎりで体勢を入れ替え、足の裏を天井につける。足が痺れるほどの衝撃だった。もし頭からいっていたら、意識を吹っ飛ばされていた。


「ほぉン? 小兵だが、反応は悪くないねえ」


 床に着地したルーキを、レジーのどこか面白くなさそうな感心が迎える。


「い、今のは!?」

「ああ。言ってなかったね。あれこれ口で説明しない世代なンでね。だが、さすがにノーヒントは大人げないから、一回だけ見せてやるよ」


 パチン、と指を鳴らす。

 部屋の内側が、変形した。


 床、壁、天井のタイルの石の隙間から、バネ仕掛けのパンチグローブやら、棒やら、拷問器具みたいなものが、まるで挨拶でもするみたいにぞわっと出現して、すぐに引っ込んだ。


「こいつらとあたしを相手に、無事この部屋から逃げおおせたら婿として認めてやるよ」

「蟻の這い出る隙間もなかったんですけど!?」

「そこに突っ込んでこじ開けるのが男ってもンだろうが! さあ、あンたの底を見せてみな!」


 レジーが滑走してくる。長いスカートの裾をほとんど揺らさない、異様な足さばきだ。

 さっき見せられたトラップは、ルーキの現在地を包囲していた。

 何も知らなかったさっきまでと違い、今では足を自由に置くことさえままならない。


 逃げ道なし。

 向かってくるレジーに対しても、打つ手なし。


「詰んだ――!?」


 そう叫んだ直後だった。

 背中からまばゆい光が膨れ上がり、ルーキの、そしてレジーの目を襲った。


「なにッ!?」


 顔を手でかばいながら、一瞬で間合いを広げるレジー。一方のルーキも、自分の後方で何が起こったのかまったく理解できずにいた。

 ただ、何か、温かいものが、腰の――ズボンの後ろポケットのあたりにある。


 体がふわりと浮き上がった。


「わっ! な、何だ!?」

「こいつは……“糸”か!」


 答えはレジーの方が知っていた。


「糸!? そ、それってまさか、ボウケンソウシャーの……!?」

「招待された人ンちに糸を持ってくるたあ、なかなか用意周到じゃないか。けど、その顔を見るにあンた自身が持ち込ンだわけじゃないらしい……。鼻の利く相棒か、良い参謀がいるね」


 空中であたふたするルーキに、レジーの呵々と笑う声が届いた。


「いいだろう婿殿。一つ認めるよ! 良き仲間に出会うためには、まず己が良き仲間でなきゃあならない。そうしてお節介焼いてもらえるくらいには、あンたは慕われてるってこった!」

「だから俺は婿殿じゃなくて!」

「あの子たちにはあたしから謝っといてやるよ。泥棒と勘違いして追い返したってね! けど次からは、勝手にうちに出入りしていいよ! 顔パスってわけさ。ナカナカヤルジャナイ!」

「人の話を聞け――」


 絶叫の途中、ルーキの体は完全に光に圧された。

 体が細い糸のようになり、あらゆる隙間をすり抜けてどこかに飛んでいく感触。

 地下を越え、壁を抜け、気がつくと、彼は静まり返った上流住宅地の入り口に立っていた。


 ※


「ただいま……」


 ルーキがボロアパートの扉を開けると、ベッドの上から何かがとんでもない速度で壁際まで吹っ飛んでいった。


「……おかえりなさいませ」

「あれ、ユメミクサ。寝てたのか?」

「いいえ?」


 メイド少女は澄ました顔で言った。

 ルーキは、ベッドの上のくしゃくしゃに丸められたシーツを見る。


「でも今、俺のベッドの上にいたような……」

「ここにいるではないですか」

「残像出るレベルで、そこに飛んでいっただろ」

「残像? ただのメイドの女の子がそんなもの出すわけないでしょう? 夢でも見たのではないですか?」


 頑として譲らないユメミクサは、そう断言しながら、少し乱れていた横髪を指一本すっと通すだけで整えた。


「そんなことより、早かったですね。今夜は帰らないと思っていました」

「さすがにそれは迷惑すぎるだろ……」


 ルーキが苦笑すると、彼女は素っ気ない顔で言った。


「夕食は? お風呂にしますか? それとも……」

「ユメミクサ、まだ時間あるか?」


 ユメミクサの形のいい眉がぴくりと動いた。


「…………。もうお屋敷に帰るところでしたが、ご用があるのなら何なりと」

「おでん、買ってきたんだけど、一緒にどうかなって」


 ルーキはすぐそこの屋台で買ってきたおでんを見せた。ユメミクサはちらりとそれを見て、


「……。好きですよ、おでん。でも、いきなりどうしたんですか?」

「いや、急に食べたくなってさ。あと、お礼しとこうと思って」

「…………。お礼って、何のです?」

「いつも色々と世話になってるなあって」

「………………。色々とは?」

「一言では言い切れない。とにかく色々だ」

「……………………イジワルっすね……」

「? 何て?」

「何も」


 短く言って立ち上がったユメミクサは、ルーキの隣に――肩が触れ合うほどすぐ隣にすとんと座り直した。


「さあ、冷めないうちにいただきましょう。こんぶと玉子と大根とがんもとはんぺんとこんにゃくとちくわぶをもらいますね」

「えっ……。あとウインナーしか残ってないんだけど……」

「いただきます」


 行儀よく言うと、ユメミクサは上機嫌な手つきでおでんをぱくぱく食べ始めてしまった。

 ルーキは器に残ったわずかな具を見つめ、


「……壊れちゃった……俺のおでん……」


 ズヒーとすすった出汁は、うすあじだった。


最後に持って行くのはニンジャ。古事記にもそう書いてある。


※お知らせ

諸事情が重なったため、次回投稿は二か月後の12月10日を予定しています。

恐らく多少は早まるかと思いますが、投稿の際はツイッター・活動報告にてお知らせしますので、よければそちらをご確認ください。

今までで一番間が空いてしまいますが、また読みにきてもらえると嬉しいです。

それではまたお会いしましょう!


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― 新着の感想 ―
[一言] このおでん塩と砂糖間違えてやがるぜ……
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