第六十三走 ガバ勢と〈エンドコーリンガー〉
ハロルドの部屋を出て、何となく廊下を彷徨っていると、委員長が迎えに来てくれた。
「お菓子の用意ができてますから、こちらへどうぞ」
実の父がどんな話をしたかも知らない彼女は、どこまでもいつも通りだ。
一方で、腰の後ろで手を組んで歩く彼女の後姿が、さっきの寝室での話を思い出させ、ルーキの胸に不気味な動きをもたらす。
手錠。押し倒す。喜ぶ……。
「ルーキ君?」
「ファイ!?」
「大丈夫ですか? 父に何か言われました?」
振り返って問いかける生真面目な眼差しが、清風のように胸をすり抜けて、たちどころにピンク色の邪念を取り払っていった。
「いや、何でもない」
有り得ない。こんな凛とした委員長が、そんな変態的な状況を喜ぶなどと。
ハロルドの言ったことは、病人のうわ言と思っておくのがいいのだろう。そもそもガチ勢というのはだいたい常識が通じない奇人ばかりじゃないか。今、目の前にいる颯爽としたリズの佇まいが、真実のすべてなのだ。
腐りかけた脳内の洗浄も兼ねて、ルーキから話を切り出した。
「委員長こそ、あれから大丈夫なのか? RTAのやり方のことでさ……」
かつて背中を丸め悩んでいた姿は、今はもうない。以前と同じく真っ直ぐ伸びた気持ちのいい背中が目の前にある。それでも確認だけはしておきたかった。
リズは眼鏡の奥の目を柔らかく細め、
「ええ。あなたのおかげで……すっきりしましたから。自分がどうしたいのか。そして、どうしたらそうなれるのか。もう見極めはついています」
「さすがだな」
「その台詞は早いです。まだ勉強し始めたばかりですよ?」
そうやって、すぐさま目標に動き出せる人間がどれほどいるか。目指すものはあっても、そこにたどり着く道はなかなか見えないのが普通だ。
「必ずなってみせます。きちんと言ってくれた、あなたのためにも」
真っ直ぐにゆく人というのは、彼女のような人のことを言うのだろう。ルーキも身が引き締まった。
「俺も委員長に負けないよう頑張るよ。一人前になって、一緒にRTAするって約束があるからな」
「ええ、頑張ってください。……先にヘバっちゃうなんて、ダメですからね」
「おう」
「まあ、その時は元気になるまで待っててあげますけど……」
「う、うん? ……ありがと」
リズは薄く笑い、立派な木造りの扉の前で足を止めた。
「あ。いらっしゃーい」
高そうなアンティークで囲まれた応接間では、ローズが待っていた。
制服姿のまま、手錠をはめて。
「……………………」
――「女子学生とか! 好きだから!」「好きだから!」「好きだから……」(エコー)
再びしゃしゃり出てきた元英雄の叫びにルーキが固まっていると、隣のリズが澄ました顔を少し赤らめ、目を閉じて告げた。
「母さん。ルーキ君の前ですよ。そんなものはずしてください」
「ごめんなさ~い。夜が待ちきれなくて、つい……」
照れた様子のローズが、ジャカッ、と鎖を鳴らして両手首を返すと、二つの輪の拘束はすっかり解けて、テーブルの上に丁寧に揃えて置かれていた。
「……!!??」
ルーキは目を見開いていた。今、何をした?
あの手錠はオモチャではないはずだ。さっき拾った際の手ざわりと重みは、ホンモノであることをはっきりと示していた。いくらローズの手が華奢と言っても、輪から勝手に抜けるほど細いわけでもない。それなのに、一瞬で解除してみせた……?
「さあさあ、二人とも座って座って~。あ、紅茶しかなかったんだけど、いいわよね~?」
「は、はあ……」
後ろに回ったローズがルーキとリズの肩を押して、大きなソファーに着席させた。
てきぱきとカップにお茶を注ぎ、ケーキを切り分ける仕草は、そこだけは母親に見えなくもない。
「リズちゃんからねー、ルーくんの話をたくさん聞かされるのよー。いっぱい冒険してるのよねー。懐かしいわー。わたしもハロルドさんと色んなところにRTAしに行ったからー」
「ローズさんも?」
「そうよー。リズちゃんが使ってる〈魔王喰い〉は、ハロルドさんの前はわたしが使ってたんだからー」
どうやら結構使い手が変わっているらしい。それにしても、委員長の母親も走者だったとは。いや、娘である委員長の力量を考えれば不自然な話ではないし、それならさっき見た異様な早業も納得できる。
「ローズさんとハロルドさんは、どんな走者だったんですか?」
興味がわいて聞いていた。
「それはもう、世界最強の二人よ~。息ぴったりで、相性も抜群で~。朝も夜も~」
ローズは両手を頬にあて、恥ずかしそうに身をよじった。わざとらしいポーズのはずだが、シャレにならないくらい似合っていた。
それにしても、夜討ち朝駆け上等とは、さすがだ。昨今のRTAは、必要があれば確かにそうするが、業界全体としては効率性を最重視している。朝早くの行動はともかくとして、夜の行動は避ける傾向にあった。そのため、若い世代の走者は、いざという時の無茶がきかない、という問題が浮上しかかっているという。
「色んな開拓地に行って、悪いやつらをぶっ飛ばしてきたんだから~。あぁ~、記憶が生き返るわ~。二人で何度も死にかけて、そのつど愛の力で生き延びて……。今よりもっとRTAが未発達だった頃だから、チャートも全然だったのよ~」
「やっぱり、その時のケガが原因で、ハロルドさんは今……?」
「えっ」
「えっ」
ローズがきょとんとしたので、ルーキも同じ顔になってしまった。
しばらくぽかんと見つめ合った後、ローズは恥ずかしそうな笑顔になって、
「あっあっ~。違うのよ~。あれはね、わたしがついつい調子に乗って、夕べもおとついも――」
「ゴホン」という咳払いが、にやけるローズの声を中断させる。
「二人の話なんてどうでもいいじゃないですか。それより母さん、ルーキ君に話があったんでしょう?」
委員長の一言でローズは「あら~」と手を叩き、
「ルー君――」
「は、はい」
それまでおちゃらけていた目の光が、真剣な色味に凝縮され、自然とルーキの背筋を正させた。
「リズの母親として礼を言わせてもらうわ。この子の命を救ってくれてありがとう。この子はわたしたちの宝。家柄なんて関係なく、決して失いたくない大切な子供なの」
聞こえてくる声の真摯さに、ルーキは我知らず、膝の上で拳を握りしめていた。
「けれどティーゲルセイバーの女はみな戦う者。安全な場所で花のように飾っておくことはできない。この子がホンモノになるには、よき友、よき戦場が必要だわ。どうか、これからもこの子にとってよき人であってください」
ローズはそう言って頭を下げた。
慌てふためいて「顔を上げてください」なんて不格好な寝言は言わない。
聞くべきは、託された言葉のみ。
「精一杯努力します」
ルーキもぐっと頭を下げる。
やっぱり母親なんだな、と思う。
子供は大切だ。けれど、大切にしすぎては、逆に子供の成長を妨げることになってしまう。伸びるべき向きを強制された植物のように。
親たちは子供を信じて、荒海に突き落とさなければいけない。
それでも。
心配することは、決してやめられないのだ。
二人揃って顔を上げた時には、もうローズはさっきのぽやぽやカッチャマに戻っていた。
「さっ、堅苦しい話はおしまい。ケーキをどうぞ。これカッチャマの手作りなのよ~」
「あっ、はい。いただきます」
紅茶もケーキもクッソ激烈にうまあじだった。〈アリスが作ったブラウニー亭〉ではよく、〈アリスが作ったブラウニー〉という名前のクッキーと9番茶がサービスで出るが、あれと比べると宮廷料理と鉛筆くらいの味の差があった。
「今日は二人の話をいっぱい聞きたいわ~。あっ、ねえ、あれやってあれ。完走した感想! 一度聞いてみたかったの~。みなさまのためにい~とか」
ローズにせがまれ、ルーキはリズと顔を見合わせた。
リズが申し訳なさそうに言う。
「付き合ってあげてもらえますか? 本気で楽しみにしてたみたいなので」
「いいですとも!」
こうして、ルーキとリズは、これまでの冒険を彼女に語って聞かせたのだった。
※
「トイレもでけえなあ……」
完走した感想を終え、廊下の窓から見える空は夕焼け。用を足し終えて部屋に戻ろうとするルーキには、さっきローズに投げかけられた「夕飯も是非食べていって」という声に応えを返す必要があった。
さすがに夜飯までごちそうになるのは図々しすぎる気はする。しかし、ローズはそれを望んでいるようでもあるし、こちらとしても、ティーゲルセイバーの過去のRTAで聞きたいことはたくさんある。少しでも勉強しておきたい……。
そう悩みながら踏み出した足が、突然、空を切った。
「――うおおおぉぉぉつつつッッ!?」
反応する間もなかった。落ちた。なぜか廊下に空いていた大きな穴に。
咄嗟に左腕を上に向けるが、グラップルクローはつけてきていない。
落下時間はすでに建物二階分を通り過ぎた。やばい!
墜落に身構えた全身に、衝撃はこなかった。
柔らかく受け止める感触に押し返され、体が高く跳ねる。
「!?」
空中で体勢を整えると、ルーキは両足で着地した。
簡素なベッドが体の下にある。
慌てて降りて、あたりを見回した。
ここは一体どこだ。地下室のようだが。
「来たね、婿殿」
周囲の暗闇からそんな声がし、ルーキの視線を誘引した。
爆ぜるような音が連続し、あちこちで明かりがともる。
松明の光にさらされたのは、ルーキの下のベッドと、広さ以外、何もない部屋の全貌だった。
いや、もう一つ――。
「だ、誰だ……?」
ルーキと、部屋の出口のちょうど中間に立ちふさがるように立っているのは、一人の女性だった。
目を凝らして相手を見る。
年齢にして三十すぎか。簡素な白いシャツにカーディガンを羽織り、黒褐色の長いスカート姿。こんな地下室には場違いな、それこそ普通の主婦にも見えた。顔立ちは理知的に整っており、ひっつめにした髪はグリーン……。
「委員長の、お母さん……?」
さっき実母のローズと話したばかりだというのに、ルーキは自分でもとんちんかんなつぶやきを発していた。なんとなく、彼女の母親ならこんな感じだろうかという想像の方が勝ってしまったのだ。
しかし、彼女から返った言葉は、完全にルーキを驚倒させるものだった。
「何言ってンだい。あたしゃあ、かーちゃンじゃない。ばーちゃンだよ」
「な!?」
バッチャマ!? これが? この見た目で!?
じゃあ俺んちのばーちゃんは何なんだ? 人にやや似た漬物か何かか!?
「あたしの名前はレジー。ローズの母親だ」
「あっ、俺は走者のルーキです。委員長にはお世話になってます」
ルーキはぺこりと頭を下げ、それからがばと顔を跳ね上げた。
「レジー……。まさか“エンドコーリンガー”!?」
この屋敷に来る前の予習で学んだ。
ティーゲルセイバー家のエンドコーリンガー――エンディングを呼びつける女。
開拓地に来たと思ったら、わけのわからない早さで脅威を排除し、去っていくことからつけられた異名。
曰く、ワンコールで来なかったエンディングの胸倉を掴んで建物の裏につれていった。
曰く、倒された魔王が葬式の最中に「えっ、おれ死んだのか?」とつぶやいた。
曰く、エンディングの方が長い。
とにかく、異常な伝説しかない。
「あーン? そンな古臭い名前を知ってるとは、あンたも歳より若く見られるタチかい?」
「俺は見た目通りですよ! ティーゲルセイバーさんちと一緒にしないでください!」
「まあ、それはいい」
レジーは一方的に話を打ち切り、伝法な言葉遣いで言った。
「ちゃきちゃきの旧世代なンでね、単刀直入に言わせてもらうよ婿殿。娘夫婦は、若い二人に任せようなんて甘いことを言ってるが、あたしゃあ違う。あンたを試させてもらう。うちの孫娘に相応しいかどうかをね!」
「婿……!? いや俺は……」
パーンと破裂するような音が鳴って、ルーキの肌をびりびりと震えさせた。
レジーが床に叩きつけた、馬上鞭のような長い武器の音だった。
「さあ、いくよ」
無理矢理呼びつけられたエンディングさんは、あることないこと適当に語るしかない。




