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第六十二走 ガバ勢と古き勇者

「やあ、君がルーキか……」


 乾きかけたブラウンの双眸で静かに見据えられ、ルーキは息を呑んだ。


 ――お茶にする前に、あの人に会ってあげて~。まだ起き上がれないから~。


 ローズからそう言われ、案内された大きな部屋の中央。


 彼はいた。


 勇者ハロルド。

 ティーゲルセイバーの近代史を紐解けば、真っ先にその名前が出てくる英雄中の英雄。


 その。


 変わり果てた姿。


 天蓋つきの立派なベッドに埋もれるようにして、彼は横たわっていた。


 委員長に招待を受けてから、せめて多少は知っておかなければと、〈アリスが作ったブラウニー亭〉の書庫で探した現当主の資料。その肖像画に描かれていた力強い面差しは、今や見る影もなくやせ細り、乾いた荒野に取り残された枯れ木を連想させるほどだった。


 彼の、それ単体で一冊の歴史書ができるほどの激闘史を、ルーキは先日初めて知った。

 そして自分をアホだと思った。こんな偉人の娘のそばにいて、何も知らなかったなんて。


 委員長が使っている〈魔王喰い〉の正統前任者。打ち立てたRTAの記録は数知れず、今でこそ多くが塗り替えられているものの、王都の方ではいまだに勇者として風化しない名声を誇っている。


 まだRTAの情報網も不確かで、レイ・システムもない、孤独で手探りの時代の英雄。

 あらゆる方面から見つめても強者でしかない、一人の男。

 しかし、その激しすぎる生き様の結果が、これなのか。


「ルーキです。初めまして……」


 ルーキは慎重に声を出した。

 こちらが大声を出すだけで、彼は折れてしまいそうに見えた。


 委員長とローズはこの場にはいない。ハロルドが、二人に外に出るよう頼んだ。

 ティーゲルセイバーの家長と、二人きりだ。


「すまないね、こんな格好で」


 彼はかすれた声で言った。乾いた木の葉が風に揺れた音のようだった。


「いえ……」

「娘が、世話になったそうだ」

「俺の方こそ、委員長には助けられっぱなしです。これは謙遜とか嘘じゃないです。委員長がいなければ、俺はここにはいないと思います」

「あれと同じことを言うんだな。互いを尊重しあえるのはいいことだ。聞いているよ。命を救われただけじゃなく、難しい相談にも乗ってもらったと」


 ルーキは首の後ろを硬くした。

 難しい相談というのは、ガチ勢とティーゲルセイバーの家名、その両方に押し潰されそうになっていたことに違いない。ルーキはそれに対し、もっと自由に考えるべきだと答えた。


 ティーゲルセイバーの名がどれほど偉大か、苛烈か、知らずに。


 だが、吐いた言葉を飲み込むつもりはない。ティーゲルセイバーの強大さを知った後でも、リズに自由かつ堂々と悩んでほしいという気持ちは揺らがない。


 しかし同時に、この、勇者の名を背負い続けた男の言葉を、時代遅れの繰り言と軽んじるつもりもない。数々の偉業の果てに燃え尽きた姿を見て、そんなことをしていいはずがないと、偽らざる心が言っている。


「そう身構えなくていい」


 彼は穏やかに言った。


「ティーゲルセイバーの血というのは、実質的には女系なんだ。わたしも、わたしの岳父も婿養子だった。一応、わたしが家長ということになっているが、あくまで対外的な立場にすぎない」

「それでも、ハロルドさんの功績がなかったことになるわけじゃないです。あなたは立派な走者だ」


 ルーキは真っ直ぐに彼を見つめた。乾いた目が、少し和らいだ。


「照れるね……。今さら、若者にそんなふうに見つめられると」


 彼は、竜も魔王も山ほど倒してきた。

 それはルーキが目指す道でもある。


 そんな相手に敬意を払えないようなのは、男じゃない。相手の凄さを認められない、ただの臆病者だ。

 レイ親父と等しく、彼は本物なのだ。


 聞きたいことが山のようにある。戦歴のすべて。そこで培ったもの。見舞われた悲劇。潜り抜けた機知。これからの自分のRTAの血肉になるはずの、何もかもを。


 しかし、今の彼からその多くを引き出すのは難しそうだった。ときおり挟まれる乾いたせきが、物悲しく部屋の空気に染み込んでいく。


 だからこそ、ここでの会話を、ここに呼ばれた意味を、決して、軽んじてはいけない。

 はい、はい。なんて生返事するのではなく、真剣に、一言一句を胸に刻まなければならない。


「それで、ルーキ……」

「はい」

「もうリズとは肉体関係を持ったのかね?」

「ヘアッ!!???」


 思わずムッキーになりかけて、ルーキは声を上げていた。


「いきなり下世話な話ですまないが、重要なことなのだ。できれば正直に答えてほしい」


 彼の声はいたって真摯だった。突然の猥談ではなく、その響きの背後にティーゲルセイバーの歴史の重さを垣間見たような気がしたルーキは、気を引き締めて質問に答えた。


「いえ。そういうことはしていません……」

「そうか。……よかった」


 よかった、という言葉に、なぜか反感のようなものを抱いたルーキだったが、言葉にはしなかった。


 これは、彼なりの理屈だ。こちらに理屈があるように、あちらにも理屈がある。

 さっき廊下で知ったことだが、リズは一人娘らしい。つまり、ティーゲルセイバー唯一の跡継ぎ。現当主として、娘がどのような相手とくっつくのか、一般家庭の親以上に神経をとがらせなければいけないことは容易に想像できる。


 王族は王族と、名族は名族と結ばれる。そんな社会の仕組みは、ルーキだって知っている。しかしもちろん、相手の言いなりになることとは別物の理解だ。


「ルーキ、ティーゲルセイバーの当主として、君に忠告しておかなければならないことがある」


 声に込められた力に応じて、ルーキも腹に気合をためた。


 何を言われても、真っ直ぐ、真っ向から向き合う。

 委員長は確かに勇者の血族。そして自分は一般通過ガバ走者。パーティーを組むにしても、交友関係を持つにしても、立場に違いがありすぎることは自覚している。


 しかし委員長とは共に死線を潜り抜けた仲だ。彼女は、一人前になった自分とのRTAを楽しみにしてくれている。それならば、こっちだってここで勇者の家名に負けるわけにはいかない。


「――あの子と寝るときは絶対に主導権を渡してはいけない。君から押し倒したまえ」

「トベウリャッ!!??」

「ティーゲルセイバーの女なんかに絶対に負けない! という自信がない限りは、あの子に手錠でもつけて自由にさせないことをおすすめする。この部屋の引き出しにもあるから、なんなら一つ二つ持っていくといい」

「ちょっ……ハロルドさん!? まずいですよ!! いきなり何言ってんですか!?」

「ルーキ君……」


 突然親しげに、というか同情するような呼び方に切り替えると、ハロルドは静かに切り出した。


「ティーゲルセイバーの女性というのは、聡明で美しく、優しく、公平で、勤勉で、本当に尊敬できる人々だ」

「は、はあ……」

「うそを嫌い、誠実で、一途にパートナーを愛し、いつまでたっても健康で若々しい。男にとってこれほど魅力的な存在はないだろう。しかし――」


 古びた眼差しにカッと生気が灯る。


「それゆえに非常に愛が強く、ものすごく高ぶりやすい! 夕べのお楽しみの時なんか一度火が着いたらもう手に負えんよ! 若いうちはそれでもいいと思うだろう。しかしさっきも言ったが、彼女たちは常に若々しいからな!? わたしは敵に命乞いなぞしたことは一度もないが、嫁さんには数えきれんほどした! まあ聞いてもらったためしはないが!? だから手錠でもかけて拘束しておかんといかんのだ! なーに、本人は結構喜ぶぞきっと!」

「わあああ! (勇者史から)消される! 消される!」


 大慌ててルーキが止めると、ハロルドは大きく息を吐いた。


 再び開いた口は、落ち着いた声を伴っていた。


「あの子が君とどういう関係になりたいかは、まだよくわからん。君の話はよくしてくれるが、その気があるのならもっとことが進んでいるだろう。あの子はティーゲルセイバーの女にしては奥手で引っ込み思案だから、人前ではっきりとものが言えないのかもしれないが……」

「えっ」


 誰がはっきりとものが言えないって?


「断っておくが、君たちのこれからについて、わたしから口をはさむつもりはないよ。さっきも言ったけれど、わたしも市井の出だからね。なにより、ティーゲルセイバーの女が見染めたのなら、それが答えなのだ。もし間違いがあるとしたら、それは彼女の答えを認めないことだろう。……だが、先ほど言ったアドバイスだけは忘れないでくれたまえ。君にも、そしてリズにとっても重要なことなのだ」

「は、はあ……」

「これを伝えたいがために、わざわざ君を呼び出してしまった。すまない。だが、よかったよ。君とリズの関係が出来上がる前に伝えられて。わたしの時も、義父の時も、気づいた時には手遅れだったからね……」


 話を聞きながら、ルーキは頭がこんがらがってきた。

 今、自分は何をしているのか。


 ここに来る前は、


「君のようなガバ勢が我が娘に近づくことは許さないッ」

「それは本人の口から聞かせてもらうッッ! 彼女の人生は彼女の好きなようにさせるべきだ。俺はそれを尊重するッッッッツツツ!」


 的な対立すら覚悟していたはずなのに。


 何で夫婦間の下ネタみたいな話を聞かされた挙句、娘を押し倒して手錠をはめるアドバイスまでされてるんだ?


 そもそも、一番大事な委員長の気持ちが置き去りだ。


(おかしい……)


 ルーキは、自分が彼から盛大に担がれているような気分になってきた。


 思えば、何から何まで不自然だ。

 異様に若いカッチャマ。

 大した負傷も記録されていないのに、弱り切って寝ている勇者。

 委員長が奥手で引っ込み思案とかいうのもウソくさい。


 これはもしや……ヒントなのか?


 一連のこれが、勇者の一族が用意したお芝居だと気づかせるための。

 こちらの注意力や判断力を計ろうとしている?

 ありないことではない。ガチ勢ならば。


 だが、常在戦場はガバ勢だって同じ。俺だって走者だ。


(探りを、入れてみるか……)


 ジャブでいい。こちらは薄々勘づいているぞと、相手にほのめかすだけの発言。まずそれで反応を見る。


「そういえば、委員長のお母さんのローズさんがユリノワールの制服を着てましたね。先生をしてるとは聞きましたけど、どうして生徒の格好なんでしょうね? もしかして、本当は委員長のお姉さんだったりして……」

「ああ、そのことか……。それはね、わたしが――」


 ハロルドの目が、ルーキの奥側をのぞくような真剣な光を帯びた。

 さっきとは気迫が違う。これは、やはりか……!?


「女子学生とか! 好きだから!!」

「( ゜Д゜)」


「頼めば大抵のことはしてくれるぞ! ローズさんおちゃめだから、けっこうノリノリで付き合ってくれて、わたしのことも先生と……あれ!? ルーキ君……ルーキ君どこへ!?」

「失礼しました。いつかよくなってください。さようなら」


 ルーキはマッハで部屋の入口まで退却すると、ぺこりと一礼して扉を閉めた。



英雄色を好むっていうし見事な戦歴だと感心するがどこもおかしくはない。

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