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第五十三走 ガバ勢と女狐の憂鬱

「まさか、また君がこの店に来てくれるとは思わなかったよ」


 店の半分が怪物に噛み千切られたように壊滅したバー、〈ヤマネコ〉のバーテンであるラインコワは、カウンター席に並んだ異色の二人に、さっきから現実離れしたものを感じていた。


 一人は言わずと知れたレイ親父。この店舗の半分を噛み千切った竜にも勝る怪獣だ。

 だが、真に驚くべきは彼の同伴者。

 シノノメの実戦部隊を指揮する才女、ノール・エルロッソその人だった。


「すまんな、マスター。ここのところ急がしくてな」


 片目を隠しがちなアッシュのウエーブヘアーの下で、彼女は不器用に笑った。


「ここのところって、十年もかい?」


 まだ新米のコルボだった頃の彼女の方が、笑顔はずっと素直だったとラインコワは思う。

 シノノメ躍進の真の立役者。界隈では〈女狐〉などと呼ばれるまでに力をつけた反面、女性としての――いや人としての瑞々しさを失い、頬の筋肉にまで鉄骨を埋め込んでしまった今の姿に、言いたいことは一つや二つではない。


 だが。


「もうそんなにたつのか。時間がすぎるのは早い」


 そうしみじみ言った彼女に十年前の柔らかさを垣間見て、ラインコワは思わず「ほっ」と驚いたような笑いをもらしていた。


「知り合いだったのか」


 レイ親父がこちらと彼女を交互に見比べながら言った。ちびちびと落ち着きなくグラスに口をつけているのは、晩酌をノールに誘われたこと(きっとそうだろう。彼は意外と人を飲みに誘わない)に浮かれているのではなく、数日前のこの店での一件をバラされやしないかと内心冷や冷やしているからだろう。


 今更、そんなこと気にする必要ないのに。


「彼女が新米だった頃によく来ていたんですよ。ブラッディ・サムがお気に入りでしてね」

「そりゃ、トマトか?」

「ええ。飲みながらよく夢を語っていた。いつかシノノメを一番の企業にしてやるって。今は勝ち馬に乗りたがる人間ばっかになっちまいましたが、昔のコルボは自分の信じるもののために一から企業を育てようとしていた。彼女はその時代の忘れ形見みたいなもんです」

「よしてくれ。子供だっただけだ」


 ノールは本気で照れたように苦笑し、薄く色づいたジンのグラスを傾けた。場をわきまえた氷が、話に区切りをつけるようにカラリと鳴った。


「聞いてますよ。最初の食品工場襲撃以来、シノノメの実戦部隊は連戦連勝。バナジンの牙城に穴を空けつつあるって」


 ラインコワは、レイ親父の懸念を払拭しようと二人に水を向ける。

 今さら〈ブラックドッグ〉を壊滅させたことがバレても、レイ親父が咎められない最大の理由がそこにある。シノノメの破竹の勢いの原動力は、今やあの下品なゴロツキたちではなく、このガバの王。二言三言の小言が飛びはしても、解雇や断罪はありえない。


「まだ多少優勢になっただけだ。油断はできない」


 ノールが戒めるように言って、ちらりとレイ親父を見る。

 彼が十人並みのコルボなら、自分の活躍に水を差されてくさするところだが、当然違う。


 彼はこの場において唯一にして生粋の走者だ。RTAの真っ最中であり、完走するその瞬間まで気を緩めることはない。

 その、黙っていればあどけない目に、外見の若さとは裏腹の落ち着きを見て安堵でもしたのか、ノールは微笑を浮かべて続けた。


「だが、ここまで来れたのは間違いなくおまえのおかげだ。感謝するよ」

「そういうことにしとくか」


 はぐらかすようなレイ親父から視線を戻し、彼女はグラスに両手を添えた。


「正直、もうダメかと思っていた」

「………………」


 思わぬ告白だった。

 ラインコワもレイ親父も耳だけを向けて、黙ってそれを聞いた。


「業界二位にのし上がった時点でバナジンにはケンカを売ったも同然。後ろでは下位の企業がこちらの足首に手をかけている状況で〈ブラックドッグ〉を失った瞬間、わたしたちの負けはほぼ確定していた」


 ノールの目は下に落ちたままだったが、声ははっきりとレイ親父一人に向かっている。


「あの時、おまえが声を挙げてくれなかったら、シノノメの実戦部隊は終わっていた。負け戦に付き合うコルボなどいない。蜘蛛の子を散らすように逃げて、後は群がってきた蟻に食い散らかされるだけ。……だが、おまえは残ってくれた」


〈女狐〉などと呼ばれ、制服と硬い表情と言葉遣いで己を鎧っていても、中身は十年前のあの少女から地続き。柔らかい笑みと一緒にようやく吐き出すことを許された弱音は、半分がビアガーデン化した店内から出ていくこともなく、ここにいる三人の内側だけで小さく回った。


「何でそこまでシノノメに肩入れする?」


 数秒の沈黙という優しさを置いた後で、レイ親父は静かに聞いた。


「些細なことだ」


 ゆっくりと時間をかけて、ノールの声が返る。


「わたしが生まれたのは貧しい農村だった。中規模の食料プラントがあったが、管理している企業の搾取が激しかったせいで、日々の生活は苦しかった。そこを、ある日シノノメが買い取った。当時のシノノメは今とは比べものにならないほど小さな新興企業で、村とプラントの作業員であるわたしたちを大切にしてくれた」

「その恩か」

「いいや」


 ノールは首を小さく首を横に振る。ラインコワは、いつの間にか彼女の声に少女が戻ってきていることを聞き取った。

 若干の嫉妬と納得。まあ仕方がない。レイ親父の前では、鉄のメッキなど砂糖菓子のオブラートに等しいのだから。


「ある日、ABが村を襲った。後々にわかったことだが、そいつに依頼したのは前にわたしたちの村を管理していた企業だった。どうやらあれから工場の生産力が飛躍的に上がったことで、シノノメともめたらしくてな。腹いせにプラントを破壊しに来たんだ。その時、一人のコルボが村を助けに来てくれた。シノノメのエンブレムをつけていたよ。しかし、後で問い合わせても、そんなことをしたABはいないと言われてしまった。どうやら、依頼抜きで駆けつけてくれたらしい。いない、とした方が、本人のためにも、出撃を見て見ぬ振りをした社員にも都合がよかったんだ。わたしはそう思うことにした。今から、二十年も前のことだ」


 レイ親父がちらりとこちらを見る。

 ……その野獣の眼光はやめてくださいよ。


「そんな、まるで善人みたいなコルボを雇っている会社に、大きくなってほしかった。シノノメが一番の企業になれば、世界は平和になると本気で信じたんだ。だから、わたしはシノノメに入った。まあ、それだけのことだ。今日までわたしはシノノメの指揮官としてたくさんの火種を撒いてきた。それが現実だ。平和とこれほど縁遠い人間も、そうはいないだろう。あの日のことは、今では単なる昔話でしかないのさ」

「続けりゃあいい」


 レイ親父がグラスを傾けた。ノールの視線が静かに動く。


「途中どんなにガバったって、走り切れば、少なくとも自分には勝ちだ。ビリにはならねえ。それで上等だろ」


 彼は笑っていない。声も、目も。

 でも、言葉は優しい。


「……おまえは、おかしなヤツだな」


 ノールは微笑して、グラスを空にした。


 ※


 ノールは白髪のコルボと二人で街を歩いていた。

 ここらは鉄敷きの中心街と違って、開拓民が後から作った場所だ。あちらほど機械的ではなく、コンクリートにレンガに石畳。もちろん不便も不潔さもあるが、人の住む街としてはこちらの方が健全に思えるのは、本能が郷愁を理解するからだろうか。


「やけに静かだな」


 コルボが言う。


「ああ。この街はシノノメの傘下だからバナジンと戦争中も同然だ。並の神経なら、夜間は出歩けないだろうよ」


 自分はシノノメの上層部の意向に沿った作戦を立案し、実行するという狭い世界しか知らない。しかし、自分たちが起こした戦いが、こうして、その数千倍、数万倍の人々の生活を圧迫することは自覚している。


 たとえ抗争に打ち勝ったとしても、今この時醸成されている負の念は街にこびりつき続けるだろう。平和を求めるには、あまりにも遠回りで、勘違いしたやり方。


 だが……走り切れば、少なくともビリではない。

 どんなに遅くとも、遠回りでも……。


 ほどよい酔いと共に残っていた言葉を胸の奥で繰り返したノールは、不意に、十年前、初めてここに立った時と同じ匂いをかいだ気持ちになった。


 慣れすぎていつしかかぎ分けられなくなっていた、硬質で尖った街の匂い。


 生き残るためだけに多数の人間を踏み台にしなければいけない街の現実など想像もできず、トマトとカボチャとキャベツに囲まれて生きてきた田舎娘は、まだ土の汚れしか知らない手で、この夜空をキャンパスに夢を描いた。


 今では到底かなわないものと割り切っている。平和を求めるには、火薬のにおいが染みつきすぎた。

 それでも。


 それは、遠くにはあるのかもしれない。ずっと遠く、今ここから手を伸ばしてもとても届かないけれど、ちゃんと、そこに、今もまだ。

 もしそうなら、わたしは――。


 もう少しで大切な何かに思考の手が届きそうになった時、ノールは背後から接近する唸り声に思わず身じろぎしていた。


 黒塗りの車が石畳を猛スピードで走ってきている。

 こちらから少し離れた位置にけたたましいブレーキ音を響かせながら停車すると、夜にもかかわらずバイザーで目元を隠した黒服の男たちがばらばらと降りてきた。


 手に、拳銃が見えた。


 判断は一瞬だった。


 ノールは、白髪のコルボを突き飛ばそうとした。


 こいつさえ、こいつさえ無事なら、シノノメは戦える。

 自分が死んでも代わりはいるが、こいつの代役はいない。


 こいつが、シノノメを勝たせてくれれば。

 シノノメが、あの頃の気持ちを忘れていなければ。

 夢に届く。たとえ自分はいなくなっても、十年前確かにここにいた、あの無垢で無知な少女の願いは、叶う――。


 しかし。


「ぐっ!?」


 息が詰まった。


 相手を突き飛ばすはずの腕が空を切り、つんのめったノールの体は、細いくせに驚くほど頑強なコルボの腕に抱き留められていた。

 しくじったのではない。コルボがこちらの腕をかわして、腹の下に潜り込んできたのだ。


 こちらがぶつかってもぴくりとも揺らがない。まるで、娘を受け止める父親のような重々しさを感じた直後、


「オラァ!」


 コルボが足を振り上げ、地面を踏みつける。

 この街特有の大きな石畳がべろりとめくれ上がり、二人の前に立ちはだかった。


 銃撃音が鳴り響いたのはその直後。

 横殴りの雨のように撃ち込まれる弾丸も、分厚い石畳を貫通するだけの力は持っていなかった。


「ヘタクソが! こっちは慣れてんだよ、そうやって奇襲されるのはよォ!」


 コルボが立ち上がった石畳を蹴り押した。どんな馬鹿力か、水平に飛んでいった石畳が、男数人と車を弾き飛ばす。


 それを見届けるまでもなく、白髪のコルボはノールを担いだまま踵を返した。

 ノールはすぐに我に返って言う。


「あのビルへ向かえ! 役員用のセーフルームがある!」


 コルボの足は風のようだった。

 男か女かもわからず、出自も知れない上に、さっきのを見る限り同じ人間かどうかも怪しくなってくる。それなのに。


「おい、一つはっきりさせとくぞ」


 コルボがぽつりと言った。


「俺は、おまえを守る側だ。守られる側じゃねえ。余計なことはするな」

「…………ああ」


 思ってもみなかった胸のうずきに、返事が遅れた。

 こいつといると、安心している自分がいる。

 ビルが見えてくる。


「あそこだ。裏口が開いている!」


 後ろからヒットマンの生き残りが追いかけてきている。しかし、セーフルームはビルを爆破解体でもしない限りは突破不可能。そこまでたどり着ければ……。


 人気のないエントランスに、ちょうどエレベーターが来ていた。

 飛び乗ったコルボが、こちらを肩に担いだまま言った。


「何階だ?」

「七階だ」


 コルボが素早くボタンを押し、扉が閉まる。

 内部に特殊合金の板を通した特注品だ。閉まってしまえばもう拳銃程度では貫けない。

 もう一台あるエレベーターを使って追手が昇ってきても、その時にはもうセーフルームに逃げ込めている。ひとまずは安心か……。


 ノールが安堵の息を吐いた時、エレベーターが下降し始めた。


「なぜ下へ参る!?」

「うるせえ間違えたんだよ!!」

「バカ野郎!!」


 エレベーターはすぐに地下一階に到着した。

 コルボに続き、ノールも外に飛び出す。


「地下駐車場か……!」


 待ち伏せはなさそうだ。


「おい見ろ。ヤツら、早合点して上に向かってるぞ」


 コルボがもう一台のエレベーターのランプを見ながら言った。

 この白髪もガバガバなら、刺客までガバガバか。呆れながらそう毒づいた思考に、針のような違和感が刺さる。


「……待て。どうしてヤツらは、我々が上に逃げると知っていたんだ?」


 あらかじめこちらの逃げる先を予測していたとしか考えられない。しかし、セーフルームの場所は役員の間でしか共有されない最高機密の一つだ。ということは――。


「んなことはどうでもいいから、早く逃げるぞ!」

「ああ……!」


 確かに今は考えている場合ではない。

 エレベーターのボタンすら満足に押せないそそっかしいヤツだが、悪運だけはあるようだ。ここには車が無数にあり、そして追手は自前の車を破壊されている。


 ノールは窓ガラスを肘で叩き割ると、鍵を開けて車の中に滑り込んだ。

 服から携帯用コンソールを取り出し、車内のソケットにコードを噛ませる。

 電子ロックを一瞬で解除。しかしエンジンのタイプが旧式で命令を受け付けない。


「おい、フロントを蹴っ飛ばせ!」

「エイシャア!」


 コルボが車の鼻先を蹴り上げると、怒った牛のような声をあげてエンジンが動き出した。

 扉を開けてコルボが車内に入ってくる。


「いい蹴り加減だな。おまえ、さては相当の悪ガキだな?」

「それはお互い様だ、小娘」


 ノールはコルボとシニカルな笑みを交換すると、アクセルを踏み込んだ。


 こういう場合は出口に最低一人は置いておくのが鉄則だが、あの石畳で半数を失った襲撃犯に、地下駐車場の入り口まで抑える余力はなかったようだ。


 車はあっという間にビルを離れ、街の暗闇に、その車体も音も、溶け込ませていった。



何やってんだよ親父ィ!(一門)

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[良い点] 息をするような自然なガバ…俺じゃなきゃ見逃してるね… [一言] ガバしたって いいじゃない 人間だもの 兄貴
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