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第四十九走 ガバ勢と曲がった彼女の背中

《イクゾー! デッデッデデデデ!(カーン!)デデデデ!》


 ユグドラシル発の列車に乗ったルーキは、吹きっ晒しのオープンデッキに出ていた。


 果てしなく広がる大樹海の先に、ユグドラシルの白い影が遠く見えている。本番ではあそこまで走ることになるらしいが、序盤も序盤、赤い魔獣との一戦でテストの終了を告げられた身としては、本当にあんなところにまで行ける人間がいるのかと怪しみたくもなる。


 こちらとガチ勢一行は本来別パーティーだ。

 体力的には余裕があったので、サクラと二人で進もうと思えば進めたが、やめておいた。


「まだいけるはもう危ない」とは、ボウケンソウシャーの腕前を問わず定着している標語だそうで、ルーキも迷わず帰還を選択した。

 正式に挑むには、まだまだ精進が必要だ。


「ルーキ君。来てくれたんですね」


 後ろから声がした。振り向くまでもなく委員長だと知れ、ルーキは気安い声だけを返していた。


「呼ばれたからな」


 列車の発車前にこっそりと約束させられていたのだ。


「サクラさんは?」

「マリーセトスたちと一緒に、今回の地図とにらめっこしてる。やっぱ三人とも、生粋のダンジョン走者なんだな。話が尽きないみたいだよ」

「じゃあ、安心ですね」


 ルーキの隣に並んだリズは、眼鏡の奥の目を細めて笑う。

 そして、頭を下げてきた。


「今日はありがとうございました。助けてくれて、その上、わたしの弁護までしてくれて」

「いいんだよ。俺は最初から委員長の味方としてあそこにいたし、マリーセトスもきっとそれを承知で俺らを引き込んだ」


 ルーキの言葉に、リズは顔をうつむけたまま、少し苦笑いする空気を放った。かすかに自嘲の気配があった。

 それを感じ取ったルーキは、怪訝な気持ちをそのまま彼女に向ける。


「なあ委員長。今回の区間走、何か変だったぞ」

「…………」

「緊張はわかるけど、ものすごく肩に力が入ってた。どうして――」

「わたしはガチ勢失格です」


 二人の足元に吐き落された台詞に、ルーキは声をせき止められた。


「わたしは、プリム先輩が飛び降りるのを放っておけませんでした」

「それは別におかしなことじゃないだろ」

「以前までは割り切れたんです」


 ルーキの反論は、再びかぶせられた声に力を失う。


「あの魔獣の力は我々の手に余りました。こちらが取れる手段も、プリム先輩の意図も十分にわかっていて、それでもわたしは彼女を追いかけていたんです」

「……俺のグラップルクローをあてには?」

「まったく頭の中にありませんでした……」


 頼りにされていなかったことより、あの瞬間、彼女がまったく冷静でなかったということがルーキを驚かせた。委員長は常にクールに物事を見る少女だ。これまでずっとそうだった。


「まあ、委員長も人間なんだから、たまにはそういうこともあるさ」


 それでもかけたルーキの慰めの言葉を、空気に希釈させるように、リズは首を弱々しく横に振った。


「最近、ずっとこうなんです」

「え?」

「本走も、試走中でも、たとえチャートで仲間の脱落が決まっていたとしても、体が助けに向かおうとしてしまうんです。何か方法があるんじゃないかと考えてしまうんです。……あの日、から」

「あの日?」


 リズの苦悩に満ちた目が、上目遣いにこちらを見る。


「〈バーニングシティ〉で、あなたに助けられた日から」

「……!」


 あの日、リズは死を覚悟してルーキを逃がそうとした。しかしルーキはそれを無視し、何とか二人で生き残る奇跡を掴み取った。

 あのできごとが、彼女に何か異変をもたらしていたのか?


 不意に、とん、とリズの頭がルーキの胸に押し当てられた。思わず硬直したルーキに、彼女の這いずるような声が届く。


「あの日、わたしは自分自身を切り捨てました。その判断はガチ勢として正しいと思ったし、わたし自身も…………納得、していました。けれど、あなたに助けてもらえて……すごく嬉しくて……安心して……心から死にたくないと思っていた自分に気づいてしまったんです。それから、ひょっとして、これまで切り捨ててきたもの全部、そうだったんじゃないかって考えるようになって。……迷ってしまって。これでいいのか、このやり方で本当に正しいのか、自信がなくなってしまって……」

「……死にたくないのは誰だって同じだよ。プリムだって、委員長にお礼を言ってた。ガチ勢だって、本当に今のチャートが正しいかどうか悩むだろ? 普通のことさ」


 リズは首を横に振った。


「悩むのはいいんです。……それで迷って、正しく動けなくなってしまうことがダメなんです。ガチ勢は躊躇いや戸惑いを覚えるようでは務まりません。それにわたしはティーゲルセイバー。困難な決断を乗り越えてきた勇者の末裔です。でも、今のわたしは何も判断できない。わたしは、勇者にもガチ勢にも相応しいとは思えない。このままじゃ、わたしは、走者でいることさえできないのかもしれません……」


 リズがここまで苦しんでいるのを、ルーキは初めて見た。

 訓練学校時代はもちろん、走者になってからも、委員長はいつでも毅然とし続けていた。


 その真っ直ぐな背中が、今、折れ曲がっている。ガチ勢が持つ鋼の精神とのギャップ、一族の歴史と矜持の重みに耐えかね、膝をつきかけている。


 ルーキには想像もつかない重圧。険峻な高みにいるからこその重責。

 到底、共感しきることのできない彼女の苦しみに、自分が言えることは何か。


 ルーキは息を吸って新鮮な空気を肺に取り込むと、リズの肩にそっと手を置いた。肩は小さく揺れたが、動きはそれだけだった。


「俺はさ、委員長がガチ勢でも、ティーゲルセイバーでなくともいいよ」


 ゆっくり話しかける。彼女が聞きこぼさないように、自分が伝え残さないように。


「委員長がガバ勢ってのは想像できないけど、もしこっちに来るなら大歓迎だし、他にもRTAのグループはたくさんある。俺、ティーゲルセイバーがどれくらいすごいのかよく知らないけど、委員長が誠実で正しい人だってことは知ってる。それだけは確信して言える」


 何も反応を見せず静かに聞く彼女に、ルーキは少し笑って次の言葉を向ける。


「だからさ、胸張ってくれよ」

「……!」

「委員長が勇者じゃなくなるとか、ガチ勢じゃなくなるとかより、今日みたいに背中丸めて、世間体とか家柄とか、そういうのに押し潰されそうになってるのを見る方がつらいよ」

「わたしだって……そういうことで悩む時くらいありますよ」


 うめくような返事。うなずいて返す。


「ああ、当然だよな。委員長だって悩む時も泣きたい時もある。全然おかしなことじゃない。普通のことだ。だから……堂々と悩んでほしいんだ。あんなガチガチになって動けなくなるんじゃなく」


 手のひらを通じて、彼女の内側が震えたのがわかった。


「出し抜けに“悩んでるんですけど”ってぶっちゃけてくるくらいに、真っ直ぐに迷ってさ。それで、出した答えにも胸張ってくれよ。誰に何と言われようとこれでいいんだって。俺は、何があっても、委員長の出したそれが正しいって信じるから」


 リズの体が再び揺れた。それは、小さな笑い声を伴っていた。


「まったく、あなたという人は……。わたしがどれだけ立派な人間に見えてるんですか? 見ての通り貧相なナリの、ただの小娘ですよ?」


 ルーキは苦笑はしたがあえて取り合わずに、言いたいことを言った。


「真剣に考えるのはきっといいことだぜ。ただそれには、もっと自分をフリーにしてさ、根本的なところを、まずしたいようにすればいいと思う。外側にあるものは後で考えて、まず、自分一人の、リズって女の子のことから。……そういうのじゃ、ダメかな」


 リズはようやく顔を上げた。

 少し泣きそうな、けれどほっとした目が、眼鏡の向こう側にあった。


「はあ……。困ったものですね……」

「委員長?」


「あなたにガバガバにされて、あなたにその隙間を埋めてもらえて……。まるで、体の中にあなたの形をした穴が開いてるみたいです。わたしはいつからこんなダメダメな人間になっちゃったんでしょうね……。まだまだ走者として未熟という自覚はあったはずですが、どうやらそれ以上に、人として足りてなかったようです」

「委員長がダメダメなら、俺の良いところは一つ残らず完全消滅するわけだが……」

「ありますよ。ちゃんと見てますから」


 いつものように言うと、それがまるで何かの枷を外したかのように、リズは気安い笑みを浮かべた。


「もう一度考え直してみます。今度は何者でもない、わたしというただの一個人の思想として。きっと、かなり無責任なことを言い出すと思いますよ」

「いいさ、それで。俺は絶対賛成する」


 気楽に言うと、彼女は薄く笑った。


「その気になりますからね。わたしをこんなふうにした責任、取ってくださいね……?」

「俺にできることならな」


 委員長は嬉しそうに笑みを深くすると、それ以上は何も言わず、すっと身を離して隣の車両に戻っていってしまった。


 ルーキとしては完走した感想や世間話もしたかったのだが、さすがに呼び止められる空気ではなかった。

 立ち去る足にテストの時のような重さがないことが、ルーキの気持ちを少しだけ明るくさせる。大丈夫、きっと委員長は立ち直れるはず――。


 と。


「ゴ、ゴホン」

「!?」


 遠慮がちな咳払いに、ルーキはぎょっとして振り返っていた。

 見れば、オープンデッキに固定された物資箱の上に、一人の男が座っていた。

 知っている。ルーキは彼を知っている。


「オ、オニガミ兄貴!?」

「お、おう。ここで寝ていたら、何だかおまえたちの親密な話が始まってしまってな。別に、盗み聞きするつもりはなかったゾ」


 オニガミ。あの〈悪夢城〉を四十秒たらずで完走する、まごうことなき悪夢狩り(ヘンタイ)の一族だ。


 確かにこの車両は天井があるだけで壁もなく、多少の物音は聞こえもしないだろうが、それでも誰かがいれば気づく神経も、ルーキにはあるつもりだった。それをまったく無効化し気配も悟らせないとは、ガチ勢は寝ている時さえガチなのか。


「ルーキ……だったな? レイ親父殿のところの」

「あ、はい……」


 黒豹のような風貌が、少し安堵したように緩む。あの時一回走っただけ――というより引っ張られていただけのガバ走者のことを覚えていてくれたことに驚きつつ、ルーキの耳は続く彼の言葉を聞いた。


「差し出がましいが、気にしてるようだから一応伝えておこう。おまえの説得は良かった。さっきの娘は立ち直るぞ」

「本当ですか?」


 嬉しくなって聞き返す。


「ああ。人間、何かの外枠ができてしまうとそこに合わせてしまいがちだが、結局のところ、ガチ勢と呼ばれる走者たちは、自分たちの理屈を自分たちの流儀で突き詰めた人種だ。誰もガチ勢たろうとして走ってるわけじゃない」


 オニガミの言葉は、ルーキが伝えたことをそのまま補強してくれるものだ。やはりガチ勢本人から言ってもらえると説得力が違う。


「今の言葉、できれば、委員長にも聞かせてやりたいんですけど」


 リズの去った車両へ向かおうとする足を、オニガミの声が止めた。


「いや、彼女は悩ませろ。おまえも言ったはずだ。真剣に考えるのはいいことだと。彼女はもう、外面を気にせず自分のことだけを考えているはずだ」

「そうですか……」


 それなら、余計なことを言って気を散らせることもない。


「彼女のあれは、通過儀礼にすぎない」

「通過儀礼?」


 オニガミは隣の車両を見つめながら言った。


「誰もが走者としての自分のスタイルに悩み、見つけ、高めていく。彼女はその入り口に立ったんだ。我々もそうだった」

「悪夢狩りの一族も?」

「ああ。先祖のやり方(チャート)に倣い、腕を磨き、敵を学び、しかし本当にこれが唯一の答えなのかと悩み、考え、考え抜いて――――気がつくとホアィしていた」

「えっ」

「さらにドゥエドゥエしてヨロシキソしてシューシューカサカサしてシャーロッテしてジョンソンしていた」

「えっ、あの……え……?」


 オニガミはニヤリと、力強く笑った。


「だから、彼女も大丈夫だ。きっと良い走者になる。ガチ勢にも、勇者の名にも恥じない、ホンモノの走者にな……」

「それは……」


 問題の根本的な解決にはなりませんよね? という言葉がのど元に引っ込んでいく。


 なる。根本的な解決に。ただし走者としての根本ではなく、人類としての根本まで問題を掘り下げてしまうことになるが。


「あの、委員長に、あんまり思い詰めないようにとだけ言ってきてもいいですか?」


 ルーキはおずおずと挙手して、その許可を求めた。


 委員長は、どうか人間でいてほしい。

 壁とか素通りしてほしくないし、RTAを一分以内で終わらせないでほしい。一緒に走ることになっても絶対ついていけなくなる。

 人間やめますか、ガチ勢やめますか。


 できれば、ガチ勢の方をやめてください。


 ルーキは、ただ、そんなことを考えた……。


走者のくせにノーチャートで2ルート同時攻略してノーフューチャーとか恥ずかしくないの?

でも大丈夫。ここから一回もミスらなければハッピーエンドだから!

すべては誤差。ルーキ君頑張ッテ!


次回、ルーキ刺される


はい、よーいスタート!

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