第四十八走 ガバ勢とガチ勢にふさわしくない少女
「プリム――」
の声が出たかどうか、ルーキには記憶がなかった。
認識できたのは目の前の現実のみ。
赤い魔獣に自らを追わせたプリムが、一切のためらいなく崖から飛び出したことだけ。
怒りに我を失っていたのか、魔獣は崖を踏み外して先に姿を消した。
跳躍の中にあったプリムも、そのわずかな時間の後、崖下の闇へと消える。
はずだった。誰も、何もしなければ。
プリムが駆け出した直後、何かを察したように同じく動き出した影があった。
リズ・ティーゲルセイバー。
戸惑えば一瞬で過ぎ去っていたその短い時間の中で、視界を横切る白い影に、ルーキは考えるより先に体を動かしていた。
走らせた視界に一瞬、初めて目を丸くするマリーセトスの姿が映ったが、すぐに端へと消える。
リズが、崖から跳んだプリムに飛びついた。
どちらも完全に際の外。後はもう落ちるしかない白い外套へ、ルーキはグラップルクローを撃ち出していた。
噛みついた!
「う、おおっ……!?」
ルーキの腕が引っ張られる。フル装備の姫騎士と、大鎌を背負った少女、二人分の重量は予想外に大きい。
咄嗟にグラップルクローを撃った体勢は不十分で、重心を下げきれずに二人の自由落下に引き負ける。そのまま体が浮き上がる――。
「立ってるんじゃないっすよガバ兄さん!」
後ろから腰に抱き着くような体当たりを受けて、ルーキは前方へと倒れ込んだ。
犯人はサクラ。
しかし、倒れることで重心は下がり、接地面積も増えて地面との摩擦も強くなった。さらに彼女自身の体重も加わって、みんな仲良く崖下に引きずり込まれることは回避される。
「今、回収する。二人とも動くな!」
うつ伏せに倒れたままルーキは怒鳴って、グラップルクローのワイヤーを低速ハイパワーモードで巻き戻した。ロコが追加してくれた新機能で、スピードこそないが、大人五、六人くらいなら軽々と引っ張れる。
最後はマリーセトスも手伝って、二人を崖から引っ張り上げることに成功した。
「はあーッ……はーッ……!」
過呼吸にでも陥ったように、リズが荒い息を吐いていた。
彼女の全瞬発力を総動員した動きだったのだろう。
そんなリズとは対照的に、呼吸一つ乱さず、濁った眼もそのままなのがプリムだった。彼女は、だしぬけにこんなことを言った。
「何で助けたの」
糾弾の意思すら感じさせる台詞にルーキは驚き、何か言おうとしたが、腕を掴んできたサクラの手がそれを止めた。
プリムはちらりと崖を見やる。
「あそこの下は深い川になってる。飛び降りても七、八割助かる。このRTAにはもう復帰できないけど……強敵一匹道連れにできるなら、悪い選択肢じゃなかった」
低い声はいつになく明確に、強く、さらに続く。
「わたしたちは仲間を信頼してる。自分がいなくても、みんながいれば、RTAは完遂される。そう信じているから、後を託して自分の身を投げ出せる。でも――」
どんよりとした目がリズを射貫いた。
「一緒に身を投げてしまう人が仲間じゃ、安心して託せない。一緒にRTAはできない」
「……!」
リズの顔からさあっと血の気が引いた。
「もう一回聞く。何で助けたの?」
ルーキは凍りついていた。
石化したように強張った体の内側で、心音だけが生き続けてやかましく鳴り響いていた。
致命的な質問だ。
なぜ助けた。
普通の人間なら、大した質問じゃない。つい動いてしまった。仲間を見捨てられなかった。そんなありきたりの答えで済む。自分がそうだったように。
しかし彼女たちはガチ勢。それでは満たされない。
スコアのためなら仲間さえ切り捨てる冷酷なRTAをする人々。
だが、プリムの言動はそれを真っ向から否定している。
仲間がRTAをやり遂げるために、あえて捨て石になる。
仲間はそれを汲み取り、最小限の犠牲で窮地を乗り越える。
その信頼が最速を叩き出す。それがガチ勢の真実。
だから、人としてありふれた答えでは、ガチ勢たりえない。
強烈にして、純白の結束力。混ざり込んだ雑色すらかき消す、超高熱の真っ白な炎の意志。
それに耐えうる精神を持っているのか、否か。
「…………」
リズは明らかに答えに窮していた。
ルーキにはわかった。彼女の答えは、不正解なのだ。ガチ勢である条件を満たしていないのだ。言えば、失格になる。このテストに。
どうする。彼女は何も言えない。それでもきっと失格になるだろう。
何か、言えないか。どうにか助けられないか。
時間はない。彼女らは、迷う時間など与えてくれないし、迷う者を必要としていない。何か、何か、何か……。
プリムが小さくため息をつく。
時間切れ。リズの唇は一切の言葉を紡げないまま。
が。
「仕方……なかったん、です……」
ガチ勢の口が結論を出す寸前の空気に、ルーキはほぼ無意識に声を吐き出していた。
「何が?」
マリーセトスとプリム。健全とは言い難い二人の眼差しが圧を伴ってこちらにのしかかるこの瞬間、ルーキの中にまだ答えはなかった。しかし一度切り出してしまった以上、沈黙は許されない。
「何でかって……言うと……」
わずかな時間稼ぎ。ガチ勢がじっと見ている。サクラがハラハラした顔で見ている。リズが、今にも崩れ落ちそうな顔で見ている。探す。探す探す探す。言葉を探す。
「つまり彼女は……」
頼む。見つかってくれ。頭の中にあってくれ。この場を切り抜けるための正当な答え。あれ、あれ、あるんだろ。何か思いついてくれ。委員長のためなんだ。彼女を助けたいんだ。
「そういう……」
頼む、俺――。
「レ……」
「(レ)?」
「レ……ギュ、レー、ション、なんで……」
『…………えっ』
絞りに絞り切った脳みそから一滴垂れた答えを必死に繋げ、たどたどしく告げたルーキに反応し、二人がぱっとリズに向き直った。
「君、レギュレーショナーだったの……?」
「仲間を誰も脱落させない? ひょっとして〈覆い守る者〉?」
「あ、そ、その……」
口ごもるリズに、ルーキは必死に目線を送った。「はい」と言えと。この不出来な頭がなんとかひねり出した答えに乗ってくれと。
「はい……。〈ファフニール〉です。黙っていてすいませんでした……」
委員長はそう言い、二人に頭を下げた。
「なんだ……」
ふわりと空気を和らがせたのは、プリムの嘆息。
「じゃあ、一緒に崖から飛び出すのもしょうがないね……」
彼女は自身がレギュレーショナーとあって、あっさりと納得してくれたようだった。しかし、もう一人。マリーセトスの方は違った。
「それ、いつからそうなの?」
試すような笑みではなく、探りを入れる顔でその先を確かめる。
「……今回からです」
疑いをかけられない程度の短い沈黙で答えを決め、リズは返す。
「ふうん? 総合力が試されてるとわかってて、自分に制限をかけたんだ?」
「……そうです。生意気な真似をしてすいませんでした」
自分にレギュレーションをかけてテストに臨むということは、それでも突破できるという自信の表れだ。つまり、ガチ勢のテストなんて大したことないと言っているようなものだ。
その不遜な態度一つで、先輩走者からひんしゅくを買うこともありうる。それに気づいた瞬間、ルーキは青くなった。何とか送り出した助け船は、クソゲー河に浮いていたのだ。
何てこった、このガバ勢が!
呼吸すら忘れて見守る中、果たして、マリーセトスの反応は。
「やるじゃん」
とん、とリズの薄い胸の真ん中を小さな拳で叩くことだった。
「え」
「そういう度胸のある子、ボク好き。ちょっと実力が足りてないみたいだけど、そういうとこも含めてすっごく可愛い。ねえ、次は一緒に走ろうよ。今度はテストじゃなくて、ちゃんと仲間として」
「あ…………。は、はい。よろしくお願いします」
リズは再び頭を下げた。ヒヒッと笑うマリーセトスは、ちょっと不気味だったけれど、多分それが、彼女にしては嬉しい時の笑顔だったのだろう。
「そだ。言い忘れてたけど……」
プリムも思い出したように歩み寄る。
「ありがと」
「えっ」
「助けてくれて。七、八割助かるけど死ぬ時は死ぬし、死にたくはないから。ありがと」
リズは少し笑った。
「いえ。そういうレギュレーションですから」
「そうだったね……。ね、今度わたしとも一緒に走ろ? 最小歩数、脱落者ゼロのレギュレーションで。サクラと、あの男の子とも一緒に。あの子、乗り心地よかったから」
プリムの濁った眼が、毒々しい輝きを宿しながらこちらを見る。
ルーキはぎょっとしたが、リズはわずかに同情するように苦笑しただけで、
「はい。是非」
と穏やかに答えを返したのだった。
「ファフニール」か「崖の上のカーチャン」で悩みました。
「崖の上のカーチャン」が仲間の守護者である4つの理由:
1.「見つけたよ!」:守るべきものを見つけた喜び
2.「誰にも渡さないよ!」:何としても仲間を守ろうとする熱意
3.「これで大金持ちだよ!」:仲間は財産
4.「ホッ!? アアアーッ!」:止まることを知らない信念




