第四十三走 ガバ勢と孤独の走者
会心の勝利だ。
誰がどう見ても、ビルはソウダを圧倒した。
種族的に戦闘特化の妖魔を、一人の人間が肉体的にも精神的にも上回る。初めて見る者からすれば、それは歴史的快挙に等しかった。
しかし。
強敵を制した余韻にひたってしかるべき壁のように大きな背中は、突然丸められて彼の絶叫に震えた。
「鎖マンンンンンンンンンンンヌゥゥゥツツツツ!!!! おまえが視界端にチラチラ見えてるせいで自殺のタイミングが一秒遅れたアアアアアアアアアアアアッッッ!! 存在で意識を阻害するなあああああああッッッウウウェェェェッ!!!」
『な!!?』
場が当惑に停止する。
「そ、そんなもの知るか!! わたしはここから一歩も動いていない! 何でもかんでもひとのせいにしやがって、この偏執狂めッ……!」
いち早く立ち直ったクサリがもんくを言ったが、ビルはそれをまったく無視して頭を抱え、ガチ泣きを始めていた。
「これでまた再走だああああああああッッッ! モオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
ルーキもリズもぽかんとする他なかった。
二メートル級の大男が。数々の妖魔を素手で屠り去ってきた超人の中の超人が、背中を丸めて人目もはばからず号泣している。
どうも、さっきの残己のタイミングを誤ったことを悔いているらしい。
しかも、彼曰くその差一秒。それは誤差ではないのか。あれがガバなら、自分たちが普段からやっているのは何だというのか。
ともあれ、その冗談のような光景は、今この場においては、致命的な隙を生んだ。
ここは街の入り口から客人を殺す気満々の〈バーニングシティ〉なのだ。
クサリが物音もなくビルに滑り寄る。その体から紫紺の瘴気が噴き出した。
ルーキがあっと思った時には、クサリは音もなく跳躍していた。巨大な魔獣が、人間にとって完全に死角となる真上から、憎悪に燃え盛る鎖を振り下ろし――。
「し――」
「死ねええええええええええええええええッッッッゥエエエ!」
直前。うずくまっていたはずのビルが動いた。
片足を軸にして体をぐるりと旋回させ、鎖の軌道上から鮮やかに体を逃がすと、その回転の勢いを殺さずに、強烈なハイキックで着地した直後のクサリを狩った。
「ぐッえ!?」
一発では終わらない。まったく同じモーションで放たれる蹴りの連打が、クサリの体を瘴気もろとも徐々にねじ曲げていく。
最後には浮き上がったところを蹴り飛ばされて、妖魔は道路のはるか先に飛んでいった。
人体という複雑な形状をまったく気にしない勢いで地面を転がり、やがて遠くの曲がり角の先へと消えていった。
それが、動いている『絶対絶滅推奨種』を見た最後になった。
気がつけば、もう妖魔たちはどこにもいない。
あれほどの強敵たちを、たった一人で、本当に片づけてしまった。
しかし、その人類を代表するレベルのヒーローは、血の一滴も残されていない修羅場のど真ん中で、膝を抱えて座り込む。しくしくという湿った声だけが聞こえてきた。
委員長と困った顔を見合わせてから、ルーキは恐る恐る声をかけた。
「あっ……あのう」
ビルは、丸太のような腕に埋めていた顔を上げた。
「ん……? 何だ? オレ様の目曰く、貴様らは妖魔じゃないようだが?」
「お、俺たち走者で、その……」
「な!!!??? まさか、新規参入者か!!!!!?????」
ゴオッという突風を伴いながら立ち上がり、ルーキの手をガガシシと握ってくるビル。すぐにリズにも視線を向け、
「まさか、そっちの貴様もか!? 二人か!? 二人もここを走る走者が増えたのか!?」
「あっ、ち、違うんです。俺たち迷子で、何も知らずにここにたどり着いて。それであなたに助けてもらって――」
「寝てる時だけ耳元に飛んでくる藪蚊ァァァアアッッッ! せっかく仲間が増えたと思ったのに勘違いかあああああ!! ふざけるなあああああああああッッッッンンンウウウウウ!」
ビルは再び絶叫してその場にうずくまってしまった。
「あ、あの、バーニングファイター?」
すさまじい大音声に耳を押さえたままリズが呼びかけるも、彼の号泣は収まらない。
鎖マンに対する熱い風評被害。さっきからの言動を見る限り、ビルにはこの世の悪いことすべて、クサリのせいとしか見えていないようだ。
ルーキはふと、クサリが纏っている悪意の大半は、彼が生み出したものなのではないだろうかと思った。だからこそ、クサリのパワーはビルにはまったく通用しなかったし、あっさりと敗退したのではないかと。
そして数十秒後。
「なるほど、事情はわかった。際どい所で間に合ったようだな」
ビルはいかつい顔に、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。
ルーキとリズは曖昧な笑みを返す。
彼の笑顔がうさん臭かったわけではない。泣き顔からの転換が唐突すぎて、それくらいの表情しか返せなかったのだ。
彼は、本当に、中間なく、顔面中の体液を容赦なく垂れ流す汚い泣き顔から、一瞬で男前に戻るのだ。
(やっぱガチ勢はどっかおかしいよ……)
ルーキは輝くような彼の笑顔を見てそう思った。
「しかしヤツの声真似とは考えたな。オレ様は確かにイッチバーンを聞くと、たとえ音として認識できていなくとも、体が勝手に現地に急行するようにできている」
「それはそれでどうかと……」
「単なる悲鳴くらいではこの街の騒々しさにかき消されてしまう。あれほどのピンチでオレ様を呼ぶ方法を思いつくとは、いい判断だったぞ。ルーキよ」
「ど、どうも……」
頭をかきながら、照れ笑いを返した。
正直、ほとんどヤケクソだった。確証なんか何もなく、悪足掻きのつもりでやった。
それが唯一正しい答えだったとは今でも信じがたい。一門の看板には悪いが、やはり神はいるのかもしれない。とびきり気まぐれで、相当追い込まれないと手を貸してくれないほど性悪の。
ビルはルーキたちを見つつ、なでつけた金髪をがりがりと掻いて、ため息をついた。
「それにしても不思議だ……。どうしてこの街には走者が来ないのか。オレ様曰く、こんな快楽に満ちたRTAができる開拓地は他にないのだが」
「いや、難しすぎるからでしょう……。妖魔は滅茶苦茶強いし、敵の多さは異様だし。RTAの依頼だって、普通の走者たちには公表されてないみたいですよ」
ルーキは万人がうなずく正解を告げたつもりだったが、ビルは心外そうに首を横に振り、
「祈祷力を高めれば大したことはない。街は古典文学のような名作性と郷愁に溢れていて、動く歩道は住みやすさナンバーワン。聖人も多く住み、ご近所トラブルはゼロどころかマイナス。不動産価格は年々上がり続けてオーバーフローしているという噂がオレ様から出ているほどだ」
「………………。聖人……?」
「ああ、さっきのデブだ」
「全員ぶっ飛ばしたように見えましたが」
「ああ。四人まとめてぶっ飛んでくれる。それこそが聖人性の証」
(どうしよう。全然何言ってるかわからねえ……)
一応、知っている単語が使われているはずなのだが、それが文脈にまったく着席してくれない。しかしそれでいて、ビルの声は確信に満ち満ちていた。
ひょっとして、スタールッカーのように実はまったく会話できていないのではないか。お互いが知っている言葉を使いつつ、本当はまったく違う意味として受け取っているのではないか。そんなふうにさえ思えた。
ルーキの恐怖をよそに、彼の話は続く。
「近年、この街にクズしか住んでいないような噂が流れているのは、姉妹都市であるファイナルシティの市長の陰謀だとオレ様は見ている。バーニングシティの住みたい街ランキングが上がってしまうと、あちらの走者がこちらに雪崩れ込んでしまう。それを危惧している可能性は非常に高い。さすがだ。やはりここは世界――いや多元宇宙が丸ごと嫉妬する街。オレ様の母になってくれるかもしれない黄金の大地……」
(ダメだ……やっぱりわからねえ!)
ルーキは頭を抱えた。
「あの、それで、バーニングファイター。わたしたちはルタの街に戻りたいのですが、この近くに駅はありますか」
放っておいたら延々と続きそうなビルの独演会に、リズが申し訳なさそうに割り込む。
話を中断させられたことに嫌悪を表すこともなく、彼はにこやかに応じた。
「ああ。駅ならこの街から少し離れたところにある。オレ様が送ってやろう」
「いいんですか? RTAの最中なのでは……」
「スコアのことならいい。さっきガバってしまったので、再走は決まっている。なに、焦らずとも理想の結果はおのずと出るだろう。たかが4000回に0回完走できるチャートを組んでいるだけなのだから」
「いやそれ純粋に不可能ですよ!?」
「いいや、現実的な祈祷力で達成可能だという説がオレ様の間でささやかれている。それどころか、自分の戦い方がまだまだ未熟ということもわかっているのだ。さらなる高みへの道を、何千、何万の試走を積み重ねて進んでいく……これほどの快楽が他にあろうかいやない!」
「えぇ……」
他のことはさておき、彼がまだ自分の戦闘技術に不足を感じていることに、ルーキはただただ絶句するほかなかった。
「それに、貴様らにもしものことがあれば、さすがのオレ様もレイ親父とウェイブ親父に申し訳が立たないからな」
『……!』
ルーキとリズは驚いて顔を見合わせた。さっき簡単な自己紹介はしたが、こちらがどこの所属かまでは話していない。
ビルは得意げに片方の眉毛だけを持ち上げると、
「鎌を背負った貴様はティーゲルセイバーだろう。勇者の家系ならガチ勢の総本山に行かない理由がない。そっちの貴様が背負っているのは、レイ親父の鞘だ。おおかた、彼が差し出したそれに掴まろうとしてすっぽ抜けて列車から落ちてきた……そんなところだな?」
バカな。この人、頭おかしくない……?
「だが少し時間をくれ。さすがのオレ様も少し疲れた。体力を回復したい」
その言葉にルーキははっとなる。
そうだ。彼は激闘の後なのだ。しかも、普通なら命を一度落とすほどの無茶もしている。
こちらの都合だけで話をしすぎていた。ここは一旦、安全な場所を探して休憩を――とルーキが考えていると、ビルは道端に置かれている立て看板に近づき、突然それを蹴り壊した。
中から現れたフランクフルトを鷲掴みにし、なんとその場でむしゃむしゃ食べ始める。
「何でそんなところから食べ物が!? それ食べて平気なんですか!?」
ルーキたちがドン引きしながら聞くと、
「ああ。これは妖魔たちが隠したオヤツだ。長年これを食べているが、体のどこにも異常はないぞ」
ビルはフランクフルトだけでは物足りなかったらしく、細長い缶が並んだ棚のような機械に近づいた。よくわからないが、あの細長い缶を自動で販売している機械……か何かなのだろうか。あの缶に食料が入っているのかもしれない。
ビルがその機械の棚を二つにへし折って叩き壊すと、中から丼に入ったラーメンが出てきた。
「何でだよ!!」
「名作には意外性がつきものだ」
彼は何の疑問も示さず、ハフハフとうまそうに食べた。
後にリズから教わることになるが、かつてビルは、この危険な街を走るガチ勢としては、常識の範疇におさまる走者にすぎなかったらしい。
しかし、ここを走るたびに強さと言動がおかしくなっていって、今ではここが楽園だと言い張るようになったそうだ。
ちなみに、サグルマ兄貴たちの出身地である東方の国には「ヨモツヘグイ」という考え方があるという。それは死者の国の食べ物を食べたら、もう生者の世界には戻れないというものらしい。
両者の関係はもちろん、ない。
「よし、これで全快だ。では行くか!」
腹ごしらえを済ませただけですべての傷を修復したビルを先頭に、ルーキたちはバーニングシティを進んだ。
先刻までの命がけの探索は何だったのかと思うほど、悠々と前進した。
開拓地が襲われている真っ最中とあって多くの妖魔たちが襲ってきたが、いずれもビル一人で粉砕してしまう。
というか、彼が襲う側だった。
飲食店から出てきた高楊枝の相手をいきなりビール瓶で殴りつけるのは序の口、道路端でウンコ座りをしていただけの妖魔たちに無言のままダイナマイトを投げ込んだり、店のショーウインドーを見ていた妖魔の後頭部を平然と棒で叩いたり、前を歩いていた妖魔を躊躇なく銃撃したりもした。
妖魔たちから彼が憎まれ、恐れられている理由がよくわかった。
一方で、彼は口振りこそ横柄だったが、性格は陽気で人当たりがよく、話好きだった。
道中、バーニングシティに挑む仲間たちの話を聞かせてくれた。
RTAこそしないが、ビルが師と仰ぐ謎の仙人“ミスター・ノウ”――不可能という言葉に対し「それはNOだ」と反論するのが癖らしい。この街で生き抜くすべは、すべて彼から教わったそうだ。
他にも、小動物的な可愛らしさを持ちながら、敵対した相手はすべて地面に埋めてしまうという凶暴な一面を持つ少女や、敵に倒されるごとに一枚ずつ服を脱いでいく変わり者、インコなど、みな癖は強いが気のいいライバルだと、嬉しそうに語った。
「もしRTAの新たな快楽を知りたくなったら、是非、この街を訪ねてほしい。バーニングファイターはオレ様だけの称号ではない。ここを走る全員のものだ。貴様たちにも、それを贈ろう」
「そこまで強くなれたら必ず来ます。ありがとうございました。バーニングファイター・ビル」
「ご武運を。また会いましょう」
案内された古びた駅の前で、ルーキとリズは、バナナの束のようにでかいビルの手と握手を交わした。
「…………」
「…………」
彼は握った手を離さず、
「今すぐ走る気はないか?」
「それはちょっと無謀すぎるかなって……」
「モオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
「すいませんホントに必ず来るんで! マジで! ゼッタイ!」
「待ちかねるぞ!」
泣き顔から一瞬で立ち直ると、彼は去っていった。
熱い男だ。何だかわからないが、相当な熱量だったことは間違いない。
そんな大きな背中が少し寂しそうで、ふと、本当に追いかけたくなるが、ぐっとこらえる。
ビルはきっと喜んでくれるだろう。けれど、それはただ彼の足を引っ張ることにしかならない。
今はまだ。
絶対にここに戻ってこようと、ルーキは心に誓う。
雑魚にすら歯が立たなかったリベンジを必ず果たすのだ。
大切な仲間を失いかけた。自分の命も落としかけた。そして超人に出会った。それらは全部、これからもRTAを続けていく上で何一つ無駄にはならないだろう。
この街――バーニングシティに来られて、よかった。
時折振り返り、何度も手を振ってくるビルを最後まで見届けると、ルーキは小さく息を吐いて言った。
「あんなに強い人でも、一緒に走る仲間がほしいんだな」
「強いからこそ、孤独の意味を知っているんですよ」
リズが街の方を遠く見据えながら言った。
レイ親父やサグルマ、オニガミ、ガチ勢の頭領たるウェイブ親父、そしてスタールッカー。いずれも本来なら群れる必要のない凄腕の走者たち。そんな彼らが、どうして他の誰かと共にいようとするのか。
それはきっと、独りが、つまらないからだ。
どんなに強くても、独りであることの穴埋めにはならないからだ。
開拓地に住む人々だけではない。走者もまた、誰かとでなければ生きられない。
ふと、そんな気持ちになった。
「そ、それはそれとしてですね、ルーキ君……」
不意に、リズがいつになくそわそわしながら言ってきた。
「さ、さっき、わたしがすっかりヘタレてたことなんですけど……みんなには……」
「え? ああ……」
クサリにされそうになって、怯えていたことだろう。
どうやら、みっともない姿を見られたと思っているらしい。しかし、あれは人ならば誰でもそうなるものだ。恥ずかしがることなんてない。
いつになく気弱な委員長が物珍しくて、ルーキは笑って言った。
「大丈夫。誰にも言わないし、きっとすぐ忘れるよ。今日のことはバーニングファイターと鎖マンが全部持っていっちゃったから。俺も自分が何をしたかとか、言ったかとか、もうすでに忘れかけてるくらいだ。はは……」
ウソはついていない。実際、ビルが現れたあたりまでしか、きちんと記憶を遡れない。
これでリズも安心してくれると思った。
が。
「いえ。やっぱりちゃんと思い出してください」
「えっ」
「今日あなたが見たこと聞いたこと言ったことしたこと全部、生涯、忘れないでください」
前言撤回してきた顔に、直前までの狼狽ぶりは微塵もなかった。
「で、でもそれだと、委員長が覚えていてほしくないことまで覚えてることになるけど……」
「あなた一人になら別にいいです。そもそも、他人に言いふらすようなこと、ルーキ君がするはずないですし。だから必ず全部思い出すように。特に、ルーキ君がわたしに何を言ったか!」
「そ、そんな……」
ルーキは頭を抱える。
こんなことで悩めるのも、ほんの少し前からすれば贅沢な話だったが、じーっと見つめてくるリズの目の圧力はホンモノだ。思い出せなかった場合、この目がどんなふうになるか想像もつかない。
彼女は、口元だけはほんのりと和らがせながら言う。
「いいじゃないですか。どうせ時間はたっぷりあるんです。列車では二人きりで、他にすることもないですし、正解するまでぴったりと隣で付き合いますよ。朝だろうと夜だろうと、どこででも、何時間でも……ね?」
仄暗く光るリズの双眸に見据えられながら、シャツの袖をそっと握られ、ルーキは次のRTAがもう始まっていることを自覚した。
バーニングファイトは新たな走者を待っているゾ。
みんなも走ろう!(作者は文章で走ったのでセーフ。セーフじゃない?)




