第三十七走 ガバ勢と捏戦、劣戦、超解せん
「なんじゃこりゃああああ!!!」
鏡を見せられたルーキは自分の変わり果てた姿にただ愕然とするしかなかった。
ぱんぱんに膨らんだボールのように服を下から盛り上げる筋肉。首の太さも二倍以上になっており、あご下からというより耳の後ろから伸びている。髪はヤシの葉のように伸び、さらに金色。そしてなぜか白目を剥いていた。
「ルーキ。君はさっきのエンカウントから安全確認をしていただろう」
背後からフルメルトの残念そうな声がする。
「そして、そこから再びエンカウントがないまま、この地点まで到達してしまった。それによって、君の強さが114514倍に膨れ上がってしまったんだ」
「強すぎィ! 一体俺に何が起こったんです!?」
「あの場からここまで、動物の警戒心に反応して、戦いを助長するための興奮剤と増強剤をばらまく植物がある。そうして動物を争わせ、飛び散った血液を、副食的に摂取するんだ。しかし、戦いが起こらない場合、植物は延々と物質を付着させ続けるから、対象となった人物は異様な戦闘力を持ってしまうんだ」
「聞いてもよくわからない! ここ、何かそんな意思があるみたいな植物ばっかですね!?」
「植物をナメちゃいけないっすよ!」
サクラの切羽詰まった声が割り込み、ルーキをぎょっとさせた。
「ヤツらこそ、昆虫以上に何を考えてるかわからない本能のみのキラーマシンなんすよ!? 迂闊に近づいただけで石ころになった走者が何人いることか! 大人しく自生してると思ったら大間違いだよバカヤロー!!」
「わかったよ! ナメた俺が悪かった!」
叫んでから、ルーキは改めて自分のムキムキの手足を見た。
軽く腕を振ってみても、これまでの人生では聞いたこともないような野太い風切り音がする。背丈はそのままなので、相対的にずんぐりむっくりなドワーフ型になっていた。
「しかし、本当にすごいパワーアップですね。こんなことが平気で起こるなら、ここに住んでるモンスターもとんでもないことになるんじゃ?」
「すでになっている。さっき戦ったカイワレボーイやキュウコンボーイは、元はただの野草だ。薬効によって本来持ちえないパワーを持つようになってしまった」
フルメルトの返答にルーキはうなずいた。
「確かに、俺もさっき手から魔法みたいな攻撃が出ました」
「気弾っすね。生命エネルギーの一部を放出してるみたいなものっす。あ、言っとくっすけど、次あれ使ったら兄さん死ぬっすからね」
「ヘアッ!?」
サクラは腕組みし、何も知らない素人に言い聞かせる口調で言った。
「そのムキムキの力、体が元に戻った後にも負荷が少し残るんすよ。少しといっても元が11万倍の負荷なんで、屈強な走者でもまともに身動きできなくなるっす。普段使えない気弾の反動なんて尋常じゃないんで、兄さんじゃ衰弱死間違いなしっすよ」
「バカなあああああ!?」
過ぎた力は身を滅ぼすというが、これがまさにそうだった。
さっき何も考えずにポーピーしてしまった後悔が押し寄せる。
こんな副作用があるのなら、確かに再走裁判所も、ここでの薬効を失格の対象にせざるを得ないだろう。失格にして即座に強制入院だ。
唖然とするルーキに、レイ親父の声が飛ぶ。
「おい、ムッキー」
「ルーキです! 何ですか親父ィ……!」
「おまえも失格だ。こっち来い。俺たちはいない人間だ。以降、試走してる連中に口出しするなよ」
「あ、はい……」
ルーキは力を失った声で応じ、ギュピッ、ギュピッ、と足音を立てながらレイ親父とサグルマのところへ向かった。途中振り返ってフルメルトの様子を確かめたが、彼は顔を伏せたまま、こちらも、前も、見ていなかった。
「お疲れだったな。まあ、こういう開拓地もあるってことだ」
サグルマが労う。
「すいません。もっと頑張りたかったんですが……」
「正直、ここを不正なしで突破できること自体が奇跡みたいなもんだ。気にするな」
生き残った走者たちが歩き出すのに合わせ、ルーキたちも進む。
「こんなにわけわかんないことで失格になるなら、どうやってこのルートを走るんですか。誰もここの開拓地を助けられないと思うんですけど」
疑問に思ってたずねると、まだ二人いるレイ親父が交互に答える。
「失格でも走り切ること自体は可能だ。おまえみたいに命の危機に陥らなきゃな」
「ただしタイム自体は認められないから、完走しても参考記録になる」
「そのせいで、ここのスコアはほとんど更新されずに来たんだが……」
「最近〈イノセンス〉たちがこぞって挑戦してるおかげで、ようやくチャートが安定してきてるって状況だ」
左右から同じ声で話される経験など一生に一度あるかないかだろう。ルーキは今の感覚を心に刻んだ。
「ホットな時期こそ、チャートを磨くチャンスだから、フルメルトには復帰してほしいんだがな……」
「不正行為についてはここにいる誰よりも熟知してるはずなのに、この前のことで、また知らないうちに不正を犯すんじゃないかと委縮しちまってる。先の不安なんて考えるだけ無駄だってことは、本人が一番わかってるはずだがよ……」
再び禁を犯すことの恐怖。フルメルトの動きが鈍いのはそれが原因らしい。
レイ親父の四つの目はただ、粛々と歩くフルメルトを後ろから心配そうに見守っていた。
もう、彼の背中を押すこともできない自分が恨めしい。それはレイ親父も同じ気持ちなのだろう。
それからしばらくは平穏な前進が続いた。
静かに歩いている限り、危険は少ないというのは本当のようだ。
むしろ怪現象によって失格になる危険性の方がはるかに高いのではないだろうか。
やがて遠くに村が見えてきた。
巻貝を半分に切って伏せたような独特の形状の民家が、三々五々点在している。こじんまりとした居住地だ。ルーキがこれまで見た中では一番小規模だった。
「ルタとの取引ができないから、開拓地も発展しようがねえ。ここらで採取できるものは、どれも禁止薬物だからな」
「軍医さんがうまいこと調合してくれるといいんですが……」
サグルマのぼやきにルーキが応じた、そのすぐ後だった。
草原に異様な気配が走る。
「敵襲ーッ!!」
「クソッ、あと少しのところで!」
叫んだ走者の声に含まれた緊張感が、その敵の異常性をすでに物語っていた。
今までの植物モンスターとはサイズが違う。これまで猿くらいの大きさだったものが二メートル近くの巨体になり、危険性を誇示するような赤紫色の全身も筋骨隆々たくましい。
「やばい、変種だ! 草の毒素で過剰にドーピングされてるぞ。気をつけろ!」
走者の誰かが警告を口走った時には、そいつはもうパーティーに躍りかかっていた。
三本の指の先には鋭い爪が生えており、一掻きで風を巻き起こし、手の長さ以上の範囲で草原を刈り取ってみせる。
「村はすぐそこだ! こんなところでやられんじゃねえぞ!」
「数で押せ! 六人に勝てるわけないだろ!」
しかし、変種モンスターは異様な速度で走者たちの間を飛び回る。
「やはりヤバイ!」
「いってえ! この野郎!」
「おじさんのこと怒らせちゃったねえ!」
ダメージを受ける走者も現れ始め、ルーキははらはらしながらその様子を見つめた。
自分がこのパワーで割り込めば、あっという間に勝負がつく。しかし戦いには参加できない。失格者が出張っては試走の意味が薄れるし、そもそも、次に力を使えば死ぬとまで釘を刺されている。
しかし。
「あ、やば……!」
走者たちの囲みを突破したモンスターが、離れた場所で、ルーキたち同様に傍観していたサクラに目をつけた。
「ちょっ……こっち来んなっす!」
今日のサクラは走者として来ているわけではない。
走者たちの陣形の中にいないことで、彼女は一人危険に晒されることになった。
逃げる相手は追う。それは植物だろうと変わらない本能らしい。
「あっ……!」
飛びのこうとしたサクラが、地面から伸びた植物のツタに足を絡み取られ、引きずり降ろされた。ここでは他者の闘争を糧にする植物すら存在している。それと同類の仕業か。
サクラは必死に草を解こうとするが、うまくいかない。
走者たちの救援は間に合わない。
ルーキからも遠すぎる。
赤い植物はもう駆け出していた。
唯一、間に合いそうなのはあの手段。しかし使えば――。
それでも。とルーキは歯を食いしばる。
どんな理由があろうと、たとえ自分の身が危なかろうと、仲間を見殺しにすることなんて、自分の意志を諦めることなんて、
「できぬう!!」
ポーピー!
ルーキの放ったグリーンの気弾が、弧を描いてモンスターに迫った。
「ギャア!」
驚いたような叫び声を上げて、変種の怪物が飛び退く。死角からの攻撃に対しとてつもない反応速度だったが、その動きさえルーキからは止まって見えた。
「クズは所詮クズなのだ……!」
モンスターが地面に着地した時には、ルーキはすでに真後ろで待機し、足を振り上げてシュート体勢に入っていた。
「!!」
モンスターが理解できたのは、全身を伝播する衝撃の、そのとば口だけだっただろう。
上空に跳ね上げられた怪物を追って跳んだルーキは、空中で赤紫の巨体を上下逆さまに捕まえると、自然落下のエネルギーと体重を合算して、そのまま地面に叩き込んだ。
地表が見えないスコップに掘られるようにへこみ、粉塵をまき散らす。
巨大なクレーターの底。持ち上げたルーキの手の中に、怪物の体は微塵も残っていなかった。
「何やってるっすか兄さん!? 冗談抜きで死ぬっすよ!?」
クレーターに飛び込んできたサクラが、血相を変えて詰め寄ってくる。ルーキはヤケクソ気味に言い返していた。
「仕方ないだろおまえが危なかったんだから! じっとしてらんなかったんだよ!」
サクラは驚いたように目を見開き、顔を歪める。
「……ッッ! こ、この……! 兄さんって人は……! バカッ……!」
うつむいたサクラの小さな肩が震えて見えた。ルーキも何とも言えない顔で黙るしかなくなる。
ふと、そんな二人の肩に手が置かれた。
「二人とも落ち着け。まだ時間的な余裕はある。あの村でなら反動を緩和する薬も手に入るはずだから、まずはそこへ行こう」
様子を見に来たらしいフルメルトだった。
落ち着いた彼の声に希望を見出し、二人は顔を上げる。
さっきの戦いでもまともに動けなかった彼の眼に、見たことのない小さな光が灯っているのを、ルーキは確かめた。
ムッキーが超武闘伝2のメテオスマッシュを使っている+810点(クッソ情けない自画自賛)




