第三十五走 ガバ勢と〈超ヤサイ諸島〉への挑戦
「お、新人。今からルート2・40・58の試走だぞ」
〈アリスが作ったブラウニー亭〉に入るなりレイ親父にこう言われ、ルーキは完全に頭が真っ白になった。
あごより低い位置にあるレイ親父の白髪の奥では、すっかりRTA支度を終えた走者たちが、荷物を床に置いて出発を待っている姿が見える。
遠足の日に一人だけ普段通り登校してしまったロウスクール時代の衝撃を再び味わいながら、ルーキは過去の記憶を探った。しかしいくら探しても、今日が試走の日だと伝えられた記憶は見つからなかった。
「あ、さっき決まったことだから、無理なら来なくていいぜ」
「どぼじでぞんなごとすぐぎめるのおおおおおおおおお!?」
ルーキが絶叫していると、横からサグルマが、
「悪いなルーキ。RTA警察に出してた申請が戻ってきたのが、ついさっきなんだ。で、善は急げってことでな」
「あっ、サグルマ兄貴! おはようございます! ……申請って、試走にそんなものが必要なんですか?」
「ルート2・40・58は、禁止薬物の原材料になる野草や山菜が山盛り自生してる開拓地だからな。色々と面倒くせえんだ」
「それって……もしかして〈超ヤサイ諸島〉ですか!?」
つい先日、耳にしたばかりの土地だ。常識では考えられない怪現象が頻発する開拓地。ふと視線を走らせれば、FXで有り金溶かした顔のフルメルト兄貴も、すでに荷物を背負って立っている。
「で、どうする新人。行くか、行かないか」
レイ親父が再び聞いた。
「行きます! 行きますよー!」
久しぶりの一門でのRTA。それに、レギュレーショナー〈イノセンス〉の心をへし折り、RTA警察からも警戒される難しいルートに興味がないわけがない。
ルーキは急いで荷物を取りに、安アパートへの道を駆け戻った。
※
「ってわけで、RTA警察の方から来たサクラが、本日の試走の判定員を務めさせていただくっすー」
「ヴェエエエエ!? ニンジャナンデ!?」
爽やかな潮風に包まれた駅の出入り口で待っていた人物に、ルーキはあんぐりと口を開けることになった。
いつも通り忍装束のサクラは億劫そうにこちらを見つめ、
「何でって、そういう慣習だからっすよ。〈超ヤサイ諸島〉じゃ再走裁判所が禁じてる薬物症状が五万と出てくるから、たとえ試走であっても脱落を判定する第三者が必要になるんす」
「おまえ、前はそんなこと一言も言ってなかったじゃないか」
「? 前ってなんのことすか」
「ほら、エルカと一緒にフルメルト兄貴を追いかけて――。ユメミクサの時に」
「んー? 知らんっすね。ひょっとして、たまーに部屋に掃除に来てるメイドの女の子っすか? えー、ガバ兄さんそんなにあの子のこと気になるんすかあー? はあー、やっぱああいう押せばおk! な大人しい子が好きなんすねえ」
「ファーイ!? あくまで白を切るつもりか、こいつ……っ!」
などと無駄話をしているうちに、
「よーし、出発!」
『カーン!』
レイ親父の号令にカーンを入れながら、一門はさっさと道を歩き始めていた。
「あっ、こら、ちょっと待つっすよ!もう! ほらガバ兄さん、遊んでないで早く行くっす!」
その遊び相手だったサクラに言われるのは解せないにも程があったが、とにもかくにもルーキも先輩たちを追って歩き出す。
今回の試走に臨むガバ一門は、レイ親父とサグルマ、それからフルメルトを含めても十人足らずといった少人数だった。
その理由はまず一つに、RTA警察からの許可に人数制限があったことが挙げられる。
〈超ヤサイ諸島〉が問題視されるのは、走者にとっての危険度が高いからだ。大人数で行けば不測の事態も起きやすく、また、合否の判定員の負担も大きくなる。
が、それは一般論にすぎず、今回の参加者が少ない最大の理由は、走者たち自身がここに来たがらなかったからだ。
ルーキは周囲を見回す。
陽光を照り返すエメラルドグリーンの海。自生している植物はどれも見たことのない種類だったが、緑青のような色彩が物珍しく、目に鮮やか。食べられそうな実をつけているものもある。
潮風に生臭さはなく、涼しい風と相まって清涼感が体を突き抜けていく。これで砂浜があれば、貴族の保養地と名乗っても何の不思議はない。
禁断の開拓地とはとても思えない美しさ。
しかし、一門の多くが試走を辞退した理由は、やはりこの一点に尽きるのだ。
一日たりともまともに歩けない。
何日もかけて現地に移動して、すぐ失格になるなら行きたくない。
厳格な〈イノセンス〉さえ陥れた〈超ヤサイ諸島〉の環境とはどれほどのものか。ルーキは緊張しつつ、数歩先を歩くサグルマに呼びかける。
「あの、サグルマ兄貴。ここではどういうことに気をつければいいんですか?」
すると彼は意外そうに振り返り、
「何だ。列車でチャートばっか見てたから、そっちは最初から諦めたのかと思ってたぞ」
「へ?」
きょとんとするルーキをよそに、サグルマはサクラを呼んだ。
「なんすか」
「そいつに、ここでの禁止事項を教えてやってくれ」
するとサクラは、背負っていたリュックから、大きな四角い箱を取り出してきた。
いや、それは箱ではなく、本だった。もはや立方体と化した一冊の分厚い本だ。
「ここにルート2・40・58の禁止事項が書かれてるっす。ちなみに、危険植物は別冊すから、これ読み終わったら貸すっすよ」
「いや無理だろこんなの!?」
中をちらりと見て、細かい文字でページが埋め尽くされているのを確認したルーキは、顔を歪めたままサクラに箱を押し返した。
「そうなるから、誰も読まねえんだよ。なるようになるってな。おまえもそのつもりかと思っていたが」
「チャートをよく読み込んでおけば大丈夫だと思ってて……」
ルーキが頭をかきながら不勉強を詫びると、サグルマはさして咎める気配もなく笑って、
「あまり気にするな。何しろ、判定員がいても完璧なジャッジは無理なくらいだ。ここをまっとうに走ろうなんてヤツは、あいつらくらいのもんさ」
さっきから黙々と歩き続ける先頭の走者へと視線を投げる。ルーキもつられてそちらを見た。
黙々と前進する藤色の長い髪。〈イノセンス〉の走者、フルメルト兄貴だ。
彼はここをベストタイムで完走した後に、薬物の影響下にあることが判明して失格となった。
今でも正面に回ればFXで有り金溶かした顔をしているが、そもそもレイ親父が〈超ヤサイ諸島〉への試走をRTA警察に申し込んだのも、彼を今のイップスから立ち直らせるためだという。
恐れからは逃げられない。
恐れは外ではなく、心の内に潜むものだからだ。
立ち向かう以外に、克服する方法はない。
「よし、ここらで休憩にするぞ」
歩き始めてからおよそ四時間。先頭を進んでいたレイ親父がパーティに指示を出し、一門はこれまで動かし続けてきた足をようやく止めた。
荷物を降ろし、持ってきた軽食を取る。
「意外と何も起こらないな。敵も出なかったし……」
ルーキはビスケットをかじりながら周囲を見回す。
駅を降りてからこっち、代り映えのない――しかし美しい景色が続いている。
まるでピクニックだ。
「一応、今は人間の土地っすからね。実際のRTAの時のエンカ率は相当なものらしいっすよ」
地べたに座るのがいやなのか、ルーキの肩に尻を乗せたサクラが返した。そんな馴れ馴れしさを気にするような間柄でもなく、ルーキはよそに目を向ける。
「さて、方角はと……」
サグルマが方位磁石で進路を確認していた。
ルーキはふと、フルメルトがそれを離れた両目でちらりと見た気がした。すぐに顔を背け、口をつぐんだ……というより、何かを言おうとして言葉に詰まったという感じがしたが、それを深く観察する余裕はなかった。
「敵襲!!」
一門の一人が叫び、全員が慌ただしく食事を中断して武器を取る。
!!!!!!!!!!!!!!!!!
テキがあらわれた!!!!!!!!!!!!!!!!!
「な、何だこいつら!」
ルーキはその姿を見てぎょっとする。
葉脈のような筋が入った皮膚。つぼみのようにたくさんのひだをつけた頭。
まるで植物と人間がない交ぜになったような奇怪な生物の集団が、ルーキたちに走り寄ってきている。
これがルート2・40・58に跋扈するモンスターらしい。
サクラよりも小柄だが、その分動きが俊敏で、顔つきも獰猛だった。
「おっとと……」
サグルマが方位磁石をリュックに戻そうとして失敗し、急いで入れ直す。
「そんなもん後にしろサグルマ!」
「すんません、なくすと厄介なんで……」
珍しく手落ちを詫びつつ、彼が腰の破動剣に手をやった、その時だ。
「ギャアーッ!」
「グェアー!」
突如、迫ってきていた植物怪人たちが吹っ飛んだ。
そのまま海に落ちて消える。
「な……!? 何だ!?」
ルーキが驚いて、もはや何の痕跡も見つけられない海面を見つめていると、背後からサクラの素っ気ない声がした。
「あ、サグルマさん、〈戦闘中に方位磁石を手に取ったのに使わずリュックに戻したので相手は死ぬ〉不正行為につき、失格っす」
「は!? ……はああああああああああああ!?」
ルーキの絶叫が、穏やかな水平線の果てに吸い込まれていった。
テーテテテテッテッテレテーレ! テーレ!
テテテデーン! デテレテッテッテッテーン(LVアップ)
(お読みの文章を作成した作者は正常です)




