第三十四走 ガバ勢とガバセンサーの謎
「とっても有意義なデータが取れたわ。みんなありがとう!」
実験を終えた軍医は、抱きしめたクリップボードを胸に埋もれさせながら上機嫌で言った。
対して、こちらの表情は様々。
サクラはいつも通りのほほんとしているが、リズとロコは顔を赤らめたままうつむきっぱなしだし、ルーキも大きな謎を抱えていた。
まだセンサーが完璧でないと言えばそうなのだろうが、それでもたずねないわけにはいかない。なぜ、最後、センサーが振動しなかったのか。
すると、意外な答えが返ってきた。
「センサーが反応しなかったのは、きっと、あなたがガバ勢だからよ」
「えっ……」
軍医はクリップボードを見ながら言った。
「センサーの反応が一番多かったのはサクラだけど、実際にガバったのはあなたが一番。移動の最短距離を何度も踏み外していたわ。でもこれはセンサーの故障じゃない」
「ど、どういうことですか」
「これには、センサーの原理について話さないといけないわね」
軍医の口調が突然真面目なものになり、ルーキを当惑させる。
「このガバセンサー、元々は、走者の心拍数を計るものだったの。要は、緊張を知らせて深呼吸を促すためのものだったのね。ただ、テストするうちに、心拍数が正常でも振動する場面が出てきた……。調べてみたら、どうやらガバと同じタイミングで反応していたことがわかったわ」
「? ガバったら焦って心拍数が上がりませんか……?」
率直な意見を述べると、軍医は首を横に振った。
「いえ。それがね、その時のテスターはチャートを勘違いしていて、ガバっているという自覚がまったくなかったのよ。それなのに、センサーはちゃんと反応した。これって、どういうことかわかる?」
「いえ……」
見当もつかないルーキに、軍医は少し興奮気味に言った。
「センサーは、心音ではないまったく未知のものを感知していたの。あなたたちのセンサーは腰の後ろに取り付けられているでしょう? もし心拍数を計るなら、胸や手首につけるのがちょうどいいと思わない?」
「ええ、まあ……。で、その未知のものっていうのが、ガバなんですか……?」
「そう。ここで重要なのは、走者本人も自覚していないガバに、どうしてセンサーが反応できたのか。もちろんセンサーにはチャートを記憶するなんて機能はないわ。わたしは、これには脳の機能が関係していると思っている」
軍医はルーキだけでなく、他のメンバーの様子も確かめるように、視線を巡らせる。が、頭のいい二人が半グロッキーなため反応は芳しくない。
「人は、実は一度見たものや聞いたものをほとんど忘れないという話を聞いたことはある?」
「……あります。人の頭は一度覚えたものをずっと覚えていて、人が忘却するのは、その記憶ではなく、記憶にたどり着くまでの道筋だとか……」
おずおずと答えたのはリズだった。ルーキは一度も聞いたことがない。
「それ、何か違いがあるんすか?」
サクラの質問に、軍医の目がきらりと光る。
「ガバセンサーのキャッチしているものが、まさにそれだという話よ。本人は勘違いしていても、脳は正しいチャートを覚えている。だからガバった際に、脳が何らかのシグナルを発して、センサーはそれを捉えているんじゃないかと思うの」
彼女はさらに興が乗ってきたように続けた。
「興味深いのは、さっきちょっと触れたけど、センサーの位置。これ、頭の近くに装着しても反応しないの。今の位置じゃないとダメなのよ。なぜ、そこなのか。わたしはここに、今まで誰も気づかなかった秘密の器官が隠されているんじゃないかと見ている」
「秘密の器官?」
ルーキたちは顔を見合わせた。
「人の臓器の種類と位置は、二百年前のターヘルアナトミアという医学書の中ですべて解明されたことになっているわ。だからもし、脳からのガバ・シグナルを受容している器官が特定できれば、それは走者の――いえ、人の解剖学の歴史に新たな一歩を刻むことになる。大発見よ。医者としてこんなに名誉なことはないわ!」
軍医が興奮に声を上擦らせる。同時に、圧力を伴った一歩をルーキたちへと踏み込んだ。
「今一番気になるのは、受容体の反応が人一倍鈍い、ガバ勢という人種よ。彼らは進化しているのか? それとも退化してそうなったのか? 何にせよ、常人とは違う何かがあるはず。これを詳しく調べれば、人は自分の体を今より一段階、有意義に活用できるようになる。緊張の緩和、思い違いや勘違いの撲滅、記憶の完全化……」
ディープブルーの瞳の底が抜け、暗い深淵が開く。
「背中を開いて見比べてみれば、受容体の正体を明らかにできるかもしれない。もちろん殺しちゃダメ。生きたままアジの開きのように背中を開いて、中身を剥き出しにしながらさっきのテストをするの。そうしたらもしかして…………」
「ヒイ!? 軍医さん!?」
ぞっとしたルーキが呼びかけると、軍医ははっとした顔で、二歩目を踏み出しかけていた足を引き戻した。
「あ、あら、いけない。ごめんなさいね。ちょっと興奮しすぎちゃったわ。妄想もいい加減にしないとね。そんなことできるわけないんだから……オホホ……」
軍医はごまかすように上品に笑ったが、それはまさしく本音を隠す笑いでしかなかった。ガバ勢がこの研究所に近づきたがらない理由はこれなのかもしれない。
本名も、経歴も不明の元軍医。
彼女の過去にどんな怪物が眠っていても、この街は知らない。今は、まだ……。
※
「今日は本当にありがとう。もし開拓地で治療が必要な時は、サービスさせてもらうわ」
一連のテストを終えたルーキたちを、軍医は研究所の入り口まで見送ってくれた。テスト後に垣間見せた狂気は微塵もない。理知的で大人の女性だ。
ルーキも多少気にはしたものの、RTAの新しいツールや、ガバセンサーという未知のアイテムに触れられたことはいい経験になった。酒場に戻ったら、みんなにここでのことを話そうと思う。
「あの……」
実験終了以降、口数の少なかったリズが、おずおずと口を開いた。
「あのガバセンサー、余ったりしてませんか。今日のあの実験、納得がいかなかったので家でも練習したいのですが……」
「うーん。あれはまだ試作品だから、貸し出せるほど数はないのよね」
「代わりに、また実験に協力しますから」
「それを早く言ってよ! ガチ勢はガバ勢より来てくれないんだもの! 取りに行ってくるからちょっと待ってて」
駆けだそうとする軍医を、別の声が引き留めた。
「あ、あの、所長」
「あら、何かしらロコ」
「僕もあれ、一つ借りていっていいですか。ちょっと個人的に調べたいことがあって……」
「いいわよ。どうせあなたの部屋はこの施設の中だし」
「どうも……」
急ぎ足で屋内に戻っていた軍医を見送り、ルーキは二人に声をかけた。
「二人とも真面目だな。委員長なんかガバったの終了間際の一回きりなのに、それすら許さないのか」
「えっ? え、ええ……まあ」
なぜか委員長は顔を赤らめてそっぽを向く。
「ロコも、今日だけで改良点に気づいたのか? やっぱ、技師の目は違うなー」
「えっ? う、うう、うん。そ、そだね……」
なぜかロコも顔を赤らめて視線をそらしてくる。
ルーキから背けられた二人の目が、気まずげに交わり、無言のままそっと外を向いた。
「?」
何とも不可思議な空気にルーキが首を傾げていると、それを吹き散らすようにロコが一歩近づいて声を張った。
「ねっ、ねえルーキ、またお店に行っていいかな。グラップルクローをこまめに点検しておきたいんだ。きっと、訓練学校時代よりハードな使われ方をしてるだろうし」
「え、もちろんいいけど、それより俺がここに来るよ。色々勉強になるし、RTAの話とかもしたいからさ」
「ほ、本当!? うん! して! 何でも話してよ!」
ロコは嬉しそうに言ってルーキの手を握ってきた。何だかんだで、顔見知りの多くない環境は寂しいのだろう。
「委員長もまたここに来るみたいだし、案外また会ったりしてな」
訓練学校時代に戻った気分になりながらルーキが言うと、リズは「まあ、ないとは言い切れませんね」と涼しい顔で返してきた。
一度離れ離れになった友人たちと、少し成長した後でまた合流する。ルーキはそれが何だかとても特別なことのように思えた。
こうして、初めての研究所見学は終わった。
リズとも別れた〈アリスの作ったブラウニー亭〉への帰り道、隣のサクラへと言う。
「何だかんだで、特に問題もなく終わったよな。色々勉強できて、行ってよかったよ」
するとサクラは口元を引きつらせ、
「はあー……。最後はうやむやになったにせよ、地雷の間で反復横跳びしてた人が言うことっすか? こりゃ、確かにガバ勢が進化なのか退化なのか、あの軍医さんの研究結果が待ち遠しいっす……」
「えっ……。ど、どういうこと……?」
「しらなーい(ク☆)」
ぴょんと飛び出して酒場へと駆けだしたサクラを、ルーキは慌てて追いかける。
ルタの街。穏やかな夕暮れ時のことだった。
卑猥な要素はありません。
また、この作品に書かれている知識はガバガバなので鵜呑みにしないようにしましょう。




