第二十八走 ガバ勢と再走お嬢様
「見つけましたわよ。あの時の無礼者!」
つかつかとテーブルに歩み寄った少女が、気の強そうな目を自分に落としてくることに対し、ルーキは椅子に座ったまま、まともな対応が一切取れずにいた。
「何だこの小娘は?」
残り二枚のカードを握ったままレイ親父が眉をひそめると、その言葉が呼び水となって、ルーキの真っ白な頭に、目の前の少女の顔と名前を浮かび上がらせた。
「エ、エルカ・アトランディア嬢!?」
「誰だよ」
レイ親父はあきれ顔でそう言ったが、店内はざわつき始めていた。
「いや、アトランディアってまさか……?」
動揺を蠢かせる店内に少女は物おじすることもなく、つんと鼻をそびやかし、胸に手を当てて言い放った。
「ガバ底のみなさまごきげんよう。そうです、わたくしは再走裁判所上級判事グスタフ・アトランディアの娘、エルカ・アトランディアですわ」
再走裁判所……!
その単語が店内を取り巻いていた薄い酒気を消し飛ばし、走者たちの背骨を硬直させた。
「おいおいおい、何で再走裁判所がこんなとこに出張ってくるんだよ! だから俺そんなにガバってねえって言ってるだろうが!」
レイ親父から速攻で釈明が漏れる。
走者ならば誰もがそうなる。再走裁判所にはそれだけの権力と、問答無用に走者を取り締まって来た歴史があるのだ。
エルカは優雅な笑みをレイ親父に返すと、すぐに視線をルーキに戻した。
「ご安心ください。わたくしが用があるのはこのルーキという男だけですわ」
「な、何で俺!?」
「忘れたとは言わせませんわよ。あの日、わたくしにした野蛮な振る舞い。そして今日まで、散々もてあそんでくれたこと!」
「ファッ!?」
戸惑うルーキの周囲では一門たちが、
「何だ? 新入りのやつ、上級判事の娘に手を出したのか?」
「後輩? 何やってるんですか、まずいですよ!」
「(社会から)消される! 消される!」
と騒ぎ始める。
「違います違います!」と必死に釈明する間も、エルカの厳しい目がルーキから離れることはなかった。混乱する頭の中で記憶の糸を必死に手繰るが、絡まりまくって到底正解に行き着きそうにない。
「まさか忘れたんですの?」
両肘をおさえるようなポーズで腕を組むエルカの声が、業を煮やすように一段階険しさを増した。
「いや、その……。ここのところ毎日忙しかったんで、よく覚えてなくて……」
落雷を承知で白状する。当然の権利として、少女は激怒した。
「なんて人! さすがはガバ底の地底人ですわね。少し前、駅でわたくしとぶつかりそうになったでしょう。わたくし、大変驚かされましてよ?」
「ああ……! そういやそんなこともあったっけ。でも、それについては謝っただろ?」
「ええ。お詫びに何でもするっておっしゃいましたわ」
「言ってない! 言ったのは……言ったのは……」
ルーキの反論は徐々に尻すぼみになり、やがて完全に押し黙った。汗がどっと噴き出る。
「てゅわあああああああああああああ! 忘れてたあああああああああああ!!」
あの時自分が何を言ったか。
反省文を提出すると、そう伝えたのだ。
あれは別に冗談の類ではない。反省文は、再走裁判所が科すもっとも軽い罰のことだ。紙に署名し、センセンシャルと書いておけば済む。
他の罰としては、軽いものから順に、再走する、クソルートを走らされる、素人演劇フルコースを見せられる、何でもする、などがあり、特に後半二つは走者たちにひどく恐れられていた。
「あなたが反省文を届けに来るのを今か今かと待っておりましたのに、今日まで一切音沙汰なし。わたくし、ここまでもてあそばれたのは初めてですわ。法廷で会いましょう!」
「うおあああ!? 待って! 許してください!」
「ん? 今何でもするって言いましたわね?」
「言ってないけど何かはする! 埋め合わせになるようなことが、俺にできれば……」
エルカはそこで初めて微笑んだ。その表情の切り替えの早さは、まるで怒りの下に、あらかじめ今の顔を潜ませていたかのようだった。
「ではルーキには、わたくしの手伝いをしていただきますわ」
「手伝いっていうと、部屋の掃除とか草むしりとかそういうの?」
不安を抱きつつも、手伝いというからにはそう無茶なことも言うまいという希望的観測から、ルーキは聞いた。
「それはうちのメイドと庭師がやってくれてますので結構。ユメミクサ」
「はい。お嬢様」
「!!?」
いきなりだった。
エルカの隣に、一人のメイド少女が出現していた。
艶のない真っ黒のボブヘアー。顔立ちは愛らしいが、寡黙な表情には仕事一徹の頑な信条が如実に表れている。
服装にも佇まいにも隙がない一方で、整った髪から垂れた一筋の後れ毛だけが、奇妙な無防備さを感じさせた。
陰日向なく働くという言い回しがあるが、彼女の場合、日向よりも陰で懸命に働く姿がよく似合いそうだ。
「そこにいなかったのに、いた!?」
「何をおっしゃいますの。ユメミクサは最初からわたくしの隣にいましたわ」
「な……!?」
メイド少女――ユメミクサというらしい――は、そこだけが顔の可動部であるように一度だけ瞬きすると、折り目正しく頭を下げてきた。
(……?)
ふとした違和感。いやこれは、既視感。
見知らぬ少女に見知った何かの影を重ね見た気がしたルーキは、その正体を探るよりも早く「ルーキ。どこを見ておりますの?」というエルカの言葉によって、視線をテーブルの上へと強制的に引き戻された。
そこで見たものに、ルーキは驚愕していた。
「これは……!」
同じテーブルで動向を見守っていた走者たちからも驚く気配があった。
「トール・ベルソの手配書じゃないか!」
「あら。よくご存知でしたわね。ならば話は早いですわ。わたくしは、この街で行われるRTAをよりよいものにしたいと思っていますの。そのためにも、こういう手合いは決して許せません」
「それってつまり――」
「ええ。わたくし自身の手で、この男を捕まえるのです!」
とても面倒なことになってきたとルーキは顔をしかめた。
確かに手伝える範疇ではあるが、ルタの街は広い。ルーキとエルカ、このユメミクサという少女を加えても、たった三人で一人の男を見つけられるはずもない。
それにこれはRTA警察の仕事だ。走者には走者の役割がある。あてのない捜索に駆り出されている間にどこかの開拓地が襲撃されたら、それこそ本末転倒。
そんな理屈を胸に、助けを求めて視線を彷徨わせたルーキだったが、一門はまるではずれた神経衰弱のカードのように、次々に背を向けていく。
再走裁判所と関わりたい走者など、いるわけがなかった。ましてや、敵対するなどもってのほか。
「ルーキ」
「サグルマ兄貴!」
最後の頼みの綱は、やはりこの面倒見のいい先輩。
きっとエルカを説き伏せてくれると期待したルーキに対し、サグルマの発した一言とは。
「はーい、よーいスタート」
「もう始まってる!?」
悲鳴を上げたルーキを、エルカの声が叩いた。
「さあルーキ、もたもたしていると再走させますわよ。不正RTA断じて許すまじ! 即時行動あるのみですの! トールはどこに潜んでいるかわかりませんわ。ひょっとしたら、この店の中に紛れ込んでいるかも――」
彼女がそう言いながら、店内を見回した時だった。
突然一人の客が席を立ち、転がるようにして店を出ていった。
「ま、まさか本当に……?」
「早速怪しい人物発見ですわ。二人とも追いますわよ!」
「いざカマクラ……」
あれは誰だと周囲に問いかけるいとまもなく、エルカの声に尻を叩かれるように、ルーキは店を飛び出していた。
エルカお嬢様を「誰だよ(ピネガキ)」と思った人は第二走へ、はい、よーいスタート。




