第二十六走 ガバ勢と一人の悪漢
ここに一人の男がいる。
男は札付きのワルであり、鼻つまみ者だった。
わざわざ騒ぎを起こし、犯罪まがいのことにも平然と手を出していた。しかもそれを吹聴して回るものだから、さらに評判は悪化。行く先々で冷たい視線を向けられた。
しかし、そんなふうであり、さらに真面目に働いているところを誰も見たことがなかったにもかかわらず、なぜか金回りはよかった。
ある時、酒場でたまたま相席になった客が男にたずねた。
「なあミスター。どうしてあんたは人に嫌われるようなことばかりするんだい」
男は酒気混じりの薄笑いを浮かべ、得意げに答えた。
「あんたよ、赤ん坊の泣き声を聞いたことあるだろ。ぎゃあぎゃあうるさくて、心底イラつくあれをよ。
へ、へへ……だがよ、あいつらは賢いから知ってるんだ。人は気持ちいい音楽より、ムカつく音に反応するって。何だってそうさ。いいことより胸糞悪いことの方が頭から消えないんだ。だから赤ん坊はめいっぱい大人をムカつかせて、自分の存在を気づかせようとする。そうしないと何もできないからな。
俺はよ、それを真似してるだけさ。
無名より悪名ってわけさ。
大勢がムカついて俺に注目する。だが、全員がムカつくとは限らねえ。注目した中には、俺が真実を言い当ててると思い込むバカもいる。そのうちたった一人でいい。俺を気に入るバカな小金持ちがいれば、そいつのおかげでしばらくは遊んで暮らせる。そういうことさ。あんたもやってみろよ。案外うまくいくもんだぜ」
相席客は少し困った顔で首を横に振った。
「うまくいかなかったら、もうその町にはいられなくなる。金持ちに飽きられても同じだ。そんなことできない」
すると男はげらげら笑った。
「その時はとっとと町から出ていくんだよ。人間、身軽じゃねえと自由になんか生きていけねえぜ。それができねえあんたには、確かに一生、このシケた町がお似合いだ」
男が次の行き先に選んだのは、ルタという名前の街だった。
※
ルタの街は活気に満ちていた。
男はこれまでの経験からアタリだと瞬時に悟った。
大人しい町では彼のやり方は通じない。王都に近い場所は特にそうだ。
保守的な住民たちが揃っている。彼らは凪の海のように静かで、新しく巻き起こるものを歓迎しない。
しかし、ここのように熱狂的で浮ついた街では、騒乱が歓迎される。刺激的で過激な言葉が愛される。男はそれを肌で感じ取った。
早速、獲物を探す。
ここがRTAの本場であることは耳にしていた。
走者はさぞ幅を利かせているだろう。何しろ現代の勇者サマだ。つまり、逆にそうでない人間は肩身が狭い思いをしているはず。
世間というのは横幅が決まっている。誰かがもてはやされれば、それ以外の全員が割を食う。
男のプランはあっという間に決まった。
走者ではない人間を刺激する。日頃溜まっている鬱憤を爆発させるのだ。そしてその渦中に身を置き、弁士を気取る。
走者とそれに与する者からは蛇蝎の如く嫌われるだろうが、そうでない人間の気を引ければそれでいい。これだけ大きな街なら、そういった人間も多かろう。
男は、道を歩く小柄な人影に注目した。
白い髪、細いなで肩、萌葱色の着流し。大層な剣を背負っているが、明らかに不釣り合いだった。きっと駆け出しの走者が、まわりになめられないために大仰な武器を担いでいるに違いない。そういうハッタリ野郎を、男は何度も見てきていた。
男は新人と思しき走者の肩に後ろからわざとぶつかった。
ここからお決まりのパターン発動だ。
どちらがぶつかってきたかでひと悶着起こし、最終的に「走者がそんなに偉いのかよ!」と怒鳴り散らすまでがワンセット。
走者が偉いかどうかは、肩がぶつかったこととは何の関係もない。ぶつかったのはむしろこちらからだから、こちらが悪い。
しかし、ぶつかるところを見ていなかった者たちからすれば、この瞬間、言い争いの主題はどちらが肩をぶつけたかではなく「走者は一般人より偉いのか」にすり替わる。
人は、答えを見つけるのが難しい問題より、答えやすい問題に飛びつく生き物だ。
そして一度飛びつけば、最初にあった問題のことなど忘れてしまう。
そこから二つ目のプリセットを発動。
実は、男にはRTAの経験がある。決してまっとうなやり方のRTAではなかったが、駆け出しの新人よりは良いスコアを出せた。
騒ぎが大きくなってきたところで、RTAに参戦。そこそこの記録を出せば、「なんだRTAなんて誰でもできるんだ」と、走者を称えていた風向きが勝手に変わる。
ここまでたどり着ければ完璧。
言いにくいことをよく言ってくれた。スカッとした。そんなふうに絶賛されるようになり、しばらくは金に困らないだろう。
「いてっ」
白い髪の走者がよろめいた。小娘のような声だった。振り向いた顔はまさにそうで、若いというより幼くさえ見える。
ますます都合がいい。女は騒ぎを広めるのが上手い。男は胸中で舌なめずりした。
相手が何を言ってくるかはわからないが「道を歩くのにおまえの許可がいるのか」あたりを中間地点に言い争いを誘導していこう、と男は思った。
彼はこの瞬間まで、自分がうまくいっていると確信していたのだ。
しかし。
「おいゴラァ!」
「えっ……」
その白髪娘の一声で、先を記したロードマップの明るさが激減した。
「生きる免許持ってんのかオラァ!」
男は一瞬にして地面に叩きつけられていた。
道を歩く権利どころではない。生きる権利を問いただされていた。
「!!???」
わけがわからない。その質問もそうだが、いきなり胸倉を掴まれたと思ったら、抵抗する間もなく引き倒されていた。
男は長身だった。小娘が手を伸ばして、ようやく首元に手が届くくらいの背はある。そんな体勢で力が入るわけがない。いや、入ったとしても、小娘にこんな馬鹿力があるわけがない。何だ。何が起こっている?
「おまえ、わざとぶつかっただろ。はっきりわかんだよ、そういうのは! オレレァについて来い!」
言うが早いか、襟首を掴み直すと、うつ伏せに倒れたままの男を引きずり始めた。
男は必死に手足を動かしたが、擦り傷が増えるだけで白髪娘の歩みはまったく止まらない。
やはりヤバイほどの怪力。しかも、先ほどまでは大したことのないように見えた気配が、今はバケモノじみた圧力となって男にのしかかっている。
ひょっとして自分は、とんでもない怪物に絡んでしまったのかもしれない。
このままどこかに連れ込まれたら、確実に殺されてしまう。
「ギャアアアアアア!」
原始的かつ本能的な恐怖が腹の底から悲鳴をほとばしらせ、男は立ち上がった。
小娘に服を掴まれているせいで首が締まり、襟の部分が裂ける音がしたが、男は気に留めることもなく逃げ去った。
「逃げんじゃねえよコラァ!」
「ワアアアアアアアアア!」
男は生まれてこの方出したこともない声で叫びながら走って、走って、ついにはこの街を飛び出した。
男は勘違いしていた。
男は自分を狼、まわりを羊だと思っていた。だからいざとなれば、暴力で相手を黙らせようという心の余裕があった。
しかし実際のところ、男は体の大きな羊にすぎなかった。本物の牙を持つ生き物を知らなかった。
そしてルタの街には、ほぼ狼しか住んでいない。
図体だけの羊がのさばれる道幅などなかった。
余談だが、ルタの街は荒っぽい者が多いが、治安自体は決して悪くない、どころか、よその大都市よりもよほど犯罪が少ない。
特に、一般人に対して走者が暴力を振ることは滅多になかった。
それは、この街における「力」というものは、すべてRTAに注入されるべきものだからだ。
一般人に対して力を行使するということは、自分はRTAに立ち向かう力も勇気もないが、自分より弱い一般人となら戦えるクソ雑魚フナムシだと喧伝しているのと同じなのである。
当然、走者と町人の仲は良好だった。
男の計画は、場所選びの時点で完全に瓦解していた。
この後、隣の小さな田舎町で、錯乱した男が「生きる権利を落としてしまったのですが!」と叫ぶ姿が目撃されたが、じきその噂も途絶えることになる。
こうして、ルタの街に騒乱を起こしかねなかった一人の悪漢は、何か問題を起こす前に退場させられた。
これに関して、男を撃退した白髪の人物はお手柄だったと言える。
だから、これは、その走者に何か落ち度があったわけではない。
たとえば日頃の行いが天に見放されるほどクッソ激烈に悪いとか、あるいは、たぐいまれなクズ運で厄介ごとを呼び込むとか、そんな在り得ないことでもない限り、責任はない。ないのだが。
厄介なことに、
悪漢という本来の主賓を完全に欠いてから、この事件は始まる。
初めて主人公以外の視点で話が始まったというのに、記念すべき一人目がこんなクズヤローとは……(作者)




