第百走 ガバ勢と静寂のソーラ神殿
ソーラ神殿は沈黙の闇に沈んでいた。
窓がほとんどないこともあって、まるで洞窟を歩いているような気分だった。照光石が照らせる範囲は狭く、硬い床を叩く足音だけが奥の闇に吸い込まれて、どこへもたどり着けずに消えていった。
「ホントに誰もいないな……」
肌に食い込むような冷たい空気に白い息を吐き出しつつ、ルーキはつぶやく。
ソーラ神殿はすでに三階に入っていた。恐らくは半分近くまで上ってきている。
ここまで、驚異のノーエンカ。
何者かが息をひそめているような気配はあるのだが、それが近づいてくることはなかった。
「変ですね……。ここでの戦いはかなり苛烈なはずなんですが……」
リズが首を傾げると、カークがすかさず反論した。
「敵が出ねえならそっちの方がいいだろ。ツイてんだよオレたちは」
「レイ親父さんが敵を引きつけてくれてるんすかね……?」
サクラも懐疑的にそうつぶやいた時。
奥の薄闇を、何かが横切った。
「……!」
ルーキは慌てて照光石を掲げた。
ぼんやりした光の輪の中に、その姿が表れる。
「お、おいおいおい!? あれってもしかしてよォ!?」
かつてない驚きと歓喜の声を湧き上がらせたのはカークだ。
そこにいるのは、金色に輝く水銀のようなモンスターだった。
「知ってるぜあれ! ゴールデンメタルハグレだろ!?」
「黄金の鉄の塊?」
ルーキが聞き返すと、カークはそのモンスターから目を離さないまま、
「ゴールデンメタルスマイルっつーレアモンスターの上位版だよ! 話でしか聞いたことねえけど間違いないぜ! あれを捕まえられたら富と経験が合わさり最強に見えるようになるんだ! じゃあゲットするしかねだろ!」
「あっ、待ちなさ――!」
リズが諫めるのも聞かず、カークは駆け出していた。
ゴールデンメタルハグレのつるりとした表面に、ぱっちりと目が開く。口元は愛嬌のあるスマイルだ。
ハグレはカークの行動に気づき、流れる水のようにするりと床を滑って逃げ出した。
「待てコラガキ!」
それを嬉々として追いまわすカーク。一人にするわけにもいかず、ルーキたちも仕方なくそれに続く。
ばたばた走るカークに、俊敏なハグレ。両者の距離が縮まることはまったくないと思えたが、意外にもその追跡はすぐに終わった。
突然、ハグレがぴたりと止まったのだ。
「へっ……ようやく諦めたか。なーに、ちょっと触るだけだ。大人しくしてろよクックック……」
カークが両手をわきわきさせながらにじり寄る。が、ルーキはその先、ハグレの後ろ側で何かが蠢いたのを見逃さなかった。
「ま、待てカーク。何かいるぞ!」
照光石を掲げる。
ハグレの奥にいたのは……。
「おっほおおおおおおおおおおお!?」
カークがほぼイキかけましたのも無理はない。そこにいたのは、ゴールデンメタルハグレの群れだった。総勢で十匹近くいる。
「ヒャハーッ! 見ろよこの絶景をよォ! やっぱツキが来てんだよオレたちには!」
「やめなさいカーク! ゴールデンメタルハグレというのは……!」
委員長が制止の声を飛ばすのと、ハグレの金属表面に紫電が走り始めるのは、ほぼ同時だった。
《……閃熱呪文 》
ピッ。
「えっ?」
ルパンダイブしかけていたカークの頬を、細い光の筋が通り抜けていった。
「ゴールデンメタルハグレというのは、臆病なゴールデンメタルスマイルと違ってものすごく凶暴なんですよ!」
リズが警句を言い終わると同時に、ハグレたちが一斉に発光する。
《サンレイズ》《サンレイズ》《サンレイズ》《サンレイズ》《サンレイズ》……。
群れから一斉に放たれるビームに、神殿の暗闇が切り裂かれる。
ビーッビーッビーッ、ボンボンボンボンボン……。
「うぎゃあああああああああ!!!」
「カークゥゥゥゥゥ!!」
立ち上った粉塵から、カークは這う這うの体で逃げ延びてきた。
「に、逃げろおおおおお!」
ルーキたちは逃げ出した!
高速移動式ビーム砲台と化したハグレの群れが、光圧で神殿を削り取りながらそれを追いかける、さっきとは真逆の構図。無数の笑顔がピクリとも表情を変えずに迫ってくる。
「なんでお宝モンスターが閃熱呪文なんか使ってくるんだよォ!! しかも上位のサンレイズじゃねえか! 城の魔法使いでもなかなか使えねえぞ!」
戦犯カークが走りながら泣き言を垂れ流す。
ちなみに、閃熱呪文はサン、サンレイズ、サンズリバーの順に強くなっていく。サンズリバーを操れる術者は、魔力に秀でた妖物の中でも一握りだけだという。
「ガン逃げしてください! とにかく上を目指して! ここではぐれたら死にますよ!」
「ハグレに追われてるだけにってかァ!?」
ビーッ。
「オォン!? 何でオレだけェ!?」
「つまんないHHEM言ってるからですよ!」
他の敵にエンカするかも――などという心配をしている余裕はなかった。立ち止まったが最後、無数の光条に焼かれてあっという間にスミクズになってしまう。
ルーキはとにかくフロアを駆けまわり、階段らしいところを見つけては駆け上がった。こうしたダンジョンでは、階層が異なれば縄張りも変わる。追跡はそれで終わるはずだった。
だが、それでもハグレたちは追ってくる。群れで動いているため、互いがぶつかりあったり、乗り上げたりして、まったく連携が取れていないのが唯一の救いだ。
もうどこをどう走ったかも覚えていない。
さんざん走り回された末に、ようやくハグレたちは追撃を諦めてくれた。
「ど、どこだここ……」
気づけば、ルーキたちは体を横にしなければ通れないような細い通路に挟まっていた。
明らかに、チャートに記載されたメインルートからかけ離れている。
「な、何だろ。整備用の通路みたいだけど……。全然知らない場所だよ」
サマヨエルが弱気に言ってくる。案内人として〈ランペイジ〉の経験がある彼女の言葉は重い。
「完全に迷子ですね」
「この落とし前、どうつけてくれるんすか……って、まあ、もうついてる感じっすかね」
サクラが、最後尾でボロクズのようになっているカークを見て言う。
ちょっかいを出した張本人だからか、カークはハグレに狙い撃ちにされていた。今も立っているというより、壁の間に挟まって倒れていないというだけの有様だ。
「戻るのは危険すぎるな。道ではあるだろうから進んでみるか……」
覚悟を決めて前進すると、やがて道幅が広くなっていった。武骨だった壁にも最低限の装飾が見られるようになる。
「何だここ? 神殿の関係者用の通路なのか……?」
「まさか? 先人の地図にもない道ですよ……?」
が、リズの声はわずかに期待を含んでいた。敵が待ち構える危険地帯を迂回して目的地に着くゥのは、現代RTAの理想形の一つだ。裏道に発見者の名前がつくことも珍しくない。
「ハグレはマジで幸運のモンスターだった……?」
「冗談じゃねえ……。あいつらは真の悪魔だよ! 二度と見たくねえよ!」
ルーキのつぶやきに、カークが間髪入れずに反発してくる。すっかりトラウマになったようだ。
「ねえ、ルーキ。あっちの先が明るいよ」
サマヨエルが指さす方向に光が差している。
ルーキたちが急いで向かってみると、窓と呼ぶのもおこがましい、孔があった。壁に穴を開けただけの簡単な作りで、板戸もガラスも張られておらず、外からの光と寒風が容赦なく入り込んできている。
ルーキたちは全員、その穴にみっちり詰め込まれるような姿勢で、顔を出した。
「うおおっ……」
「わあ……」
思わず歓声が上がる。
まばたきを忘れるほどの絶景。ここからは、銀色に輝くロングダリーナ台地を一望できた。
黒々とした森や荒々しい岩地を、純白の雪が覆い尽くしている。道を阻んでいた大きな川も一目で上流まで遡れ、そこに広がる氷の湖は冴え冴えとした空気の中できらきらと光を跳ね返していた。
人の手が入らない、ありのままの台地。それを余すところなく見降ろせた。
「あっ。あれ、サファイアス様のほこら!」
サマヨエルが身を乗り出して指をさす。雪の白に埋め尽くされた平地にぽっかりと空いた緑の穴から、たった今、一つのパーティが出立しようとしている。
小さくてよくわからないが……。
「あれ、親父のパーティじゃ……?」
白髪は完全に雪に溶けているが、緑の着流しがわずかに見て取れた。
「まーだあそこにいるんすねえ」
「おいおい。何かあっちからモンスターの群れが来てんぞ?」
カークが言う通り、レイ親父のパーティに巨人たちが接近しつつある。
両者は即座に戦闘になった。
――「どぼじでごんなごどずるのおおおおおお…………」
バッサバッサ……。
何やら悲痛な叫びを台地全土に響かせつつ、レイ親父たちはルーラ鳥に運ばれていった。
巨人たちもやれやれといった様子で帰っていく。
「親父ィ……。おいたわしや……」
「生きてるようですし、まあ心配いらないでしょう」
委員長はあっさりとそう告げると、身をよじって、窓の外、上方向に目をやる。
「どうやら神殿のかなり高い位置にいるようですね。さっきの裏ルートの話、もしかすると、もしかするかも……」
ルーキたちは穴から顔を引っ込めると、前進を再開した。
ここが神殿の舞台裏にあたるのはほぼ間違いないようだ。だが、それだけでは何の意味もない。神殿には走者が把握していない場所など山のようにある。
RTAのゴールである祭壇に繋がっていること、それが唯一にしてもっとも重要なことなのだ。
厄介なことに、通路はそこからさらに枝分かれしていた。
道先を示す案内板のようなものもなく、ほとんどあてずっぽうで進むしかない。
これではRTAではなく、ただの冒険だ。
「うう……きっと今頃、上位陣はどんどんゴールしちまってるよ……」
ここまで好順位で来られていたというのに、ゴール周辺をぐるぐる回っているだけというのは、歯がゆいでは済まない焦燥感だった。
二つに分かれた通路を左に行こうとした時、突然、後ろから腕を掴まれた。
「ガバ兄さん。それ、さっき通った道っすよ」
「えっ……?」
戸惑うルーキに対し、リズが間髪を入れずに告げる。
「休憩しましょう。みんな、集中力が切れてます」
「……でも……いや、わかった」
ルーキたちは通路に座り込み、降ろした荷物の上に水筒と携帯食料を広げた。
足がしびれている。一旦歩みを止めてみて、自分がどれほど疲れていたかが理解できた。仲間たちの表情も似たり寄ったりだ。
「すまない、みんな。ゴールまであと少しだっていうのに同じところをぐるぐると……」
ルーキが口を開くと、サクラがすぐに応えた。
「敵に襲われてるわけじゃなし、ボウケンソウシャー用RTAの下見をしてると思えば大したことないっすよ。それに、何か解決策があるならとっくに口出ししてるっす。まあ、道はサクラが覚えておくっすから、兄さんはしらみつぶしに進んでいけばいいんすよ……」
リズも微笑んで言う。
「たしかに今、わたしたちは盛大にガバっています。しかし、今ここにある焦りの感情こそ、わたしたちがもっとも気をつけなければいけない敵だということを学ぶよい機会になるでしょう。ガバった瞬間の感情にどう立ち向かうか。それこそが、一番重要なリカバリー策なんですよ」
「委員長……」
「これは、以前訓練学校であなたがわたしに教えてくれたことです。言うなれば、“極めて有意義な失敗”。クッソ激烈な豪運に守られてゴールするよりもはるかに意味があります。だから、自分を責めたりいじめたりするのではなく、これからすべきことに頭を使いましょう」
言い諭すような彼女の声音が、胸に染み込んでいった。
「ありがとな……。何かこう、じりじりした今みたいな状況で二人がパーティにいてくれてよかったって、心から思うよ。安心できるっていうか、頼りになるっていうかさ……。いくらでも何とかできそうな気になるんだ」
ルーキは心からの感謝を込めたつもりだったが、サクラとリズの表情はどこか微妙だった。嬉しそうでもあり、また、お互い自嘲し合っているようでもある奇妙な目配せをしている。
「ルーキは、いい仲間を持ったよね。こういう時にちゃんと支え合えるんだから」
サマヨエルが明るい声を向けると、リズがつぶやくように声をこぼした。
「最初からいい仲間なんていやしませんよ」
「え?」
顔を振り向けたサマヨエルに、彼女は説明する。
「祖母の口癖なんですよ。良い仲間を得るためには、まず自分が良い仲間であることを示さなければならない。そうして信頼されて、良い仲間になっていくんです。今のこのパーティもそうですよ。サマヨエルさんもね」
「そっ、そうかな。だと、いいなあ……」
精霊人は照れ臭そうに頬を手で覆った。
「まあオレはそんなことより、こんな複雑な通路作ったヤツに文句の一つも言ってやりてえけどな。ぜってえ迷うだろコレ。バカじゃねえの(嘲笑)」
カークが軽口を叩き、みなを笑わせた。彼の愚痴はいつもぐだぐだとして鬱陶しいものだったが、今は違った。
(いいパーティなんだな。これ……)
ルーキはこの痛みのない窮地で、それをはっきりと悟った。
RTA心得一つ。平常心にガバなし。
落ち着いた心でいれば、人は失敗しない。失敗しても、冷静でいればすぐに挽回できる。(追記:ただしガバっても気づかない一門はのぞく)
長めの休憩で英気を養い、再出発する。
そこからの苦しい時間、ルーキはただ静かに自分の心と向き合った。
もはや順位もタイムもガバガバだろう。
しかし、半人前の自分の戦いは何も終わっていない。今を耐える。それも強い走者になるための戦い。
やがて通風孔から見える外の景色も薄暗くなってきた頃。
「こ、ここは……!?」
ルーキたちはついに、そこにたどり着いた。
〈ランペイジ〉の最終到達地点。ソーラ神殿祭壇の間。
ルーキたちは、その天井部の装飾の隙間から顔を出していた。掃除用の通路らしい。
はるか下方に、膨大な数の蝋燭に照らされた巨大な祭壇が見える。
あそこにサマヨエルを連れて行けばゴール。
ついに、ここまで来た!
ルーキが胸にこみ上げてくるものを感じ、仲間を振り返ろうとした、その時。
ゴル、ルルル、ルルルルル……。
「…………?」
風がのどを鳴らしているような奇妙な音を耳にしたルーキは、穴から身を乗り出して天井のすぐ横側を見た。
そこに――。
巨大な異形が、張り付いていた。
「――――!!!!!!!????????」
息を呑みそうになった口を、白い手が乱暴に塞ぐ。
委員長だった。彼女は真っ青な顔で、倒れ込むようにルーキを通路側に引き戻すと、声を出さずに、口の動きだけでこう告げる。
ソー……ラ……!
富と幸運の象徴から逃げ出した挙句、最悪な状況に直面する一門の鑑。




