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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第二章 悪意を呑んだ天命
28/31

28.

 謁見(えっけん)の場で、李冰(りひょう)から一歩下がって立つ煌凛(こうりん)は、武将ではなく女の眼をしていたように思う。

 嫁いでから何があったのか、離れた土地で暮らす煌威(こうい)に推し量ることは出来ないが、おそらく李冰を人間としても男としても、信頼する何かがあったに違いないと考える。政略結婚とはいえ、夫婦は夫婦だ。共に過ごすことで余人には分からない信頼関係を生むこともあるだろう。

 というか、信頼関係がないと夫婦としてやっていけない。特に国を背負い、民を背負う責任のある立場の人間同士は。先帝と、その正妃であった玉環(ぎょくかん)の二人がいい例だ。


 そう考えれば、煌凛の顔色を見るに李冰との二人の関係は、悪いものではなかったのだろう。

 この婚姻は、条約の為の婚姻であり、国にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。二人が仲睦まじい夫婦でいる必要はなく、帝国と北戎(ほくじゅ)を結ぶ(かすがい)であればいい。そう望まれた婚姻だ。

 けれど、それを煌凛は今、良しとしていないのだ。


 煌凛が帝国を母国で、己にとって唯一の国と捉えていることに変わりはないだろう。

 だが、おそらく比重は変わっている。帝国と北戎、いや、この場合は帝国と李冰、だろうか。煌凛は、帝国と李冰を同等に見ている。

 愛して、しまったのだろう。帝国を想うのと同じように。もしくは、それ以上に。


 煌威にも覚えのある感情だから分かる。

 正しく同じかと問われれば違うものだが、煌威にとってのそれは紅焔(こうえん)だ。

 紅焔を皇帝とする為なら、どんな汚いことでも、どんなに人から恨まれようとも、何でも出来ると思った。今でもそれは、別の形で煌威の内にある。だから、李冰の行動に思い悩んでいる煌凛の気持ちが分かる。


 李冰が己以外の妻を全員離縁したという事態に、帝国ですら一夫多妻が当たり前の姻習(いんしゅう)だったのだから、煌凛は戸惑ったことだろう。

 そこで女の優越感が出てこないところはさすがだが、李冰を真に想い、上に立つ人間としての自覚があれば戸惑うのが当然だ。


 皇族には、血筋を守る義務がある。

 とある国のように血統の純血性を守る為、近親婚を推奨しているわけではないが、血筋を尊んでいることに変わりはない。

 皇族の生まれである煌凛にとって、女としての自尊心より優先させて然るべき義務を無視した李冰の行為は、相手を愛しているからこそ納得のいくものではないと捉えるのが普通だ。



「李冰殿に、子供はいません。先だっての……、その……、あのとき、亡くなられた御息女以外に子は無かった」


 なんとも複雑な顔で、言葉に惑いながら煌凛が言う。


「……ああ、知っている」


 だからこその、婚姻によって締結される不可侵条約だった。

 李冰にとって、ただ一人の血が繋がった娘。その娘を差し出すという行為事態が、帝国と北戎の信頼関係にも繋がっていた。

 それが、横恋慕というにも烏滸(おこ)がましい、最低なことを仕出かした先帝と、(さら)われる形で皇后に収まった玉環の娘だったと判明するまでは。


 玉環が李冰の妻で、攫われて先帝の正妃にされていた等と。実は李冰の子供とされていた娘が先帝の娘で、皇太子とされた先帝の子供が李冰の息子だった等と。誰にも、予想などできなかった。


 今は皇帝であり、皇太子だった煌威が李冰の実子だと知っているのは、肝心の産みの親である玉環亡き今、李冰と煌威当人だけだが、それが問題だ。


 李冰は条約締結の条件に、崩れかけた信頼をまた築く為だと詭弁(きべん)(ろう)して、「妻だった玉環の忘れ形見である皇太子を煌龍帝国(こうりゅうていこく)皇帝に」と言いながら、本当は先帝ではなく自分の息子である煌威を皇帝とすることで、裏から帝国を支配しようとしている。そう思われてもおかしくない。

 実際、真実はそうでないのかと煌威自身疑っている。


 玉環から聞くまで己の出自がどういうものか、煌威自身どころか李冰も知らなかった。それは確かだが、知らなかったでは済まされないのが現状であり、もし万が一それが判明した場合、帝国は北戎に弓を引くだろう。


 そもそも裏を知らない、表しか知らない人間にとって、李冰が友好条約において煌凛を(めと)ったことだけならまだしも、北戎に利となるわけでもない煌龍帝国の皇帝を煌威に、と指名して条約締結としたことに、なぜ誰も違和感を抱かないのか煌威は(はなは)だ疑問だった。

 しかし、誰かが違和感を抱いたとして。

 事の発端や全てを調べ、煌威の出自やらが白日の元に(さら)された場合、煌威は皇帝から引き()り降ろされた末に処刑されるのは確実と言えるのが悩ましいところだ。

 次の皇帝は弟達か紅焔かで揉めるところまで想像出来る。


 今の北戎と帝国の関係は、正直言って危ういものだ。

 例えるならば、断崖絶壁に生える木のようなものであり、根が外に出ている木は踏ん張る力もなく、ほんの少しの雨やそよぐ風で崖下に落ちてしまう。

 解決策は、雨を(しの)ぐ屋根を作り、そよ風すら通さぬ壁を設置させることぐらいだろう。

 断崖絶壁という、下手をすれば解決策を講じた人間すら共倒れになる場所で。

 それが分かっていて、第三者に解決策を講じさせるわけにはいかなかった。



「……宴でそれとなく李冰殿に話を振ってみよう」

「陛下……!」


 煌威の言葉に、煌凛が目を輝かせる。

 期待と、少しの罪悪感を湛える目だ。

 事態を解決出来るかもしれない、頼れる兄に対する期待と、しかし私利私欲と言っていい事柄に一国の皇帝の手を煩わせる自分を恥じている、そんな眼だった。


「ありがとうございます兄上。ありがとうございます陛下……」

「…………」


 深く腰を折って拱手礼(きょうしゅれい)をとる煌凛の姿は、どちらかというと叩頭礼(こうとうれい)の形に近い。

 つくづく、煌凛は生真面目で清廉潔白な人間だと煌威は思う。自分とは大違いだ、と。


 ――わたしが行動する理由は、正しくは煌凛の為ではなく、わたし自身の保身の為だと言ったら、煌凛はどんな反応を見せるだろうか。


 煌凛を妹として大切に思っている。これは本当だ。だが出自が露見したとき、処刑されることを恐れているのも確かだ。間違いではない。間違いではないが、更に言うなら煌威の本音は別のところにあった。


 ――やっと、紅焔を皇帝にと望むことを諦め、紅焔の望む皇帝であろうとしているところに、皇帝の地位から引き摺り降ろされては堪らない。


「……大丈夫だ。煌凛を妻にしている今の状況で、まさか李冰殿も帝国と戦争をしようなどと思ってはいまい」

「……はい」

「妻が一人だけ、というところに李冰殿を想えばこそ不安を抱く気持ちも分かるが、北戎と帝国では文化や習慣が似ているようで違うところもあるだろう」

「……はい」

「真に煌凛を想えばこそ、李冰殿にも何かしら思うところがあっての行動なのかもしれない」

「……はい」


 言葉を弄する。というのは、こういうことを言うのだろう。

 煌威自身も李冰を疑っているにも関わらず、そんなことはないと。煌凛を想うが故の行動かもしれない、と。私利私欲の為に、煌凛を慰める甘い言葉を吐く。


「李冰殿は悪い御仁(ごじん)ではないよ」


 なんと言っても、煌威と煌凛の母である玉環が命懸けで愛したと言っても過言ではない男だ。

 頭が切れるぶん油断ならないが、無闇(むやみ)に民を虐殺(ぎゃくさつ)するような悪い人間ではないということだけは煌威も確信を得ている。


 基本的に李冰は悪い人間ではないのだ。

 考え方を変えれば復讐の為、離縁は妻達に被害が及ばぬようにという配慮の可能性もある。

 ただしその場合は、李冰が煌凛をも巻き込んだ復讐を計画しているということになり、あまり良い状況ではなくなるが。


 李冰は悪い人間ではなかった。立派な、というと語弊(ごへい)があるかもしれないが、人の情を踏み(にじ)るような酷い人間ではなかった。

 もしそんな酷い男に李冰が変わったのだとしたら、帝国が歪めたということだ。妻だった玉環の娘である、まして今や己の妻でもある煌凛をも手にかけるほどの非情な男に。


 さすがに煌威もこれは言葉にしなかったが、兄の意図を察したのか、煌凛は力強く頷いた。


「はい。李冰殿を信じています」




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