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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第二章 悪意を呑んだ天命
27/31

27.

 少々、あからさま過ぎたかもしれないと、煌威(こうい)は後になって思う。

 しかし、自分を保てるか自信がなかったのだから仕方ない。皇帝が臣下の前で取り乱すなど、あってはならないことだ。


 返事を待つこともせず謁見を終了させた対応に、李冰(りひょう)がどんな顔をしていたか。そう今になって気にしているのは、やはり李冰を特別な存在として見ているということなのだろうと煌威はあたりをつける。


 実際に、父親だと信じていた先帝に対しては思ったことも、感じたこともなかった情が、李冰に対しては働くのを何とも不思議な感覚で捉えている。


 ――失望されたくない。

 李冰に対して、そんな感情が自分に芽生えたという事実が煌威を驚かせていた。


 随分と、現金な話だとは思う。

 李冰が実父だと知ったのは、つい最近の話だというのに、既に先帝よりも好ましいと思っている。できれば敵対したくないとも思っている。

 今や李冰は煌凛(こうりん)の夫だ。それだけでも敵対したくないと思う理由としては十分だが、心中だけとはいえ国を護る義務がある皇帝が、そんなことを思ってはいけないことも真実だった。


 余計な感情は邪魔になるだけだというのに、李冰の存在は酷く煌威の心を乱す。

 紅焔(こうえん)とはまた違う情が、明らかに煌威を(むしば)んでいた。


 煌威が苦い思いに顔をしかめたときだ。


「陛下」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、たった今連想していた紅焔の低い声音で、一瞬煌威の対応が遅れる。


 窓から差し込む夕日の色が視界の端に映り、煌威は謁見終了からだいぶ時間が経っていたことを知覚した。

 これでは謁見から直ぐ様、自分の寝殿に引きこもっていたのと変わらない。

 自分勝手な己の暗君ぶりに、やはり皇帝という立場は自分には荷が重いのかと、煌威は自嘲的思考に陥りながらも、紅焔が傍に居る気配を叱咤(しった)代わりに気を引き締める。


「……なんだ?」

「煌凛様が面会をご希望ですが、いかがなさいますか?」


 紅焔から返ってきたのは、予想だにしない言葉で一瞬息を止めた。

 面会の希望ということは、既に扉の向こうに煌凛が居るのだろう。


 我儘(わがまま)に近い形とはいえ、自分の護衛を紅焔にして置いてよかったと煌威は安堵する。

 悲観的かもしれないが、もし紅焔以外の衛士(えじ)だったなら煌凛の希望を伝えるどころか追い返し、北戎(ほくじゅ)に嫁いだのに、と煌凛を悪し様に(ののし)った悪い噂さえ流したかもしれない。


「……わたしが出向こう」


 暗に、煌凛へ部屋に戻るよう告げた。

 紅焔が「御意」と言って、何か密やかに煌凛へ告げている声が微かに届く。


 嫁ぐ前に煌凛が使っていた部屋は、王府(おうふ)にある。

 今や賓客(ひんかく)となった煌凛を王府に宿泊させるわけにもいかず、禁城の外城内にある賓客用の宿泊施設を案内したが、対して煌威の住処は今や後宮の寝殿だ。

 妹とはいえ他に嫁いだ女を、後宮に招待するにはいかなかった。


 耳を澄まし、煌凛と思わしき足音が遠ざかってから、煌威は扉をゆっくりと開ける。

 すぐ目の前に紅焔のみ姿を見つけ咄嗟(とっさ)に微笑めば、ぎこちない笑みだったのだろう。

 紅焔が苦笑気味に笑った。


「お供します。陛下」




 賓客用の宿泊施設は、賓客用と言うだけあって禁城の豪奢(ごうしゃ)な内装とは違い簡素なものだ。

 だが、そのぶん快適に過ごせるよう、他国の習慣や仕来りにも合わせることができる給仕を揃え、内装も臨機応変に対応できるよう(あつらえ)られた、簡素と見せかけた機能的で華美なものになっている。

 禁城が全てにおいて贅沢を極めたものなら、賓客用の宿泊施設は華やかな美しさの中に実用性を込めた内装をしていると言えた。


 しかし今回の賓客は、李冰と帝国の皇女だった煌凛だ。

 煌凛の為に用意した部屋は、彼女が使用していた部屋と似た内装のものを用意していた。

 


「兄上……いえ、すみません陛下」


 部屋に入って直ぐ、煌凛に頭を下げられ煌威は目を丸くしてしまう。

 皇帝に足を運ばせた、そういう意味合いであるなら不要だと笑い、兄上と呼んだことに対する謝罪なら尚のこと不要だと、昔のようにその頭を撫ぜた。


「別に兄上でいいぞ?」


 己が皇帝になろうと、煌凛が他家へ嫁ごうと、自分達が兄妹であることに変わりはない。

 そう煌威が言えば、煌凛はその双眸(そうぼう)を潤ませた。

 涙を堪えるかのような仕草で、何度か瞬きを繰り返す。


「あの……」

「……煌凛?」


 珍しい、と。煌威はただそう思った。

 煌凛の性格を一言で表すなら、明朗快活だ。それが、こんな風に言い惑うことなど、帝国に居た頃は無かったのに、と。


「…………」


 煌凛は無言で、板張りの床を見ている。

 心做しか、その両手は震えているようだった。


「……煌凛?」


 まさか、何かあったのかと不安になる。

 あの、武将として名高かった煌凛を、これほど悩ませるなど、余程のことが無ければ有り得ないと煌威は思っていた。


 李冰に何かされたのか、と。

 つい、それが口をついて出る。


「……まさか、李冰殿が何か?」

「ッ! 違います!!」


 煌凛の反応は早かった。

 弾かれたように顔を上げて、しかし口を開いたはいいものの、音に乗せることが出来ぬ、といった風情で口ごもる。

 しばらく、無言の沈黙が続いた。


「…………違い、ます……。李冰殿は……李冰殿は優しいです。その、優しくして……下さいます……」

「…………」


 やっと言葉を音に乗せたかと思えば、ぽつり、ぽつりと語り始めた煌凛はやはりどこかおかしい。


 夫となる男が母親の夫だった。

 それは、確かに驚くどころか微妙な感情を抱いたことだろう。

 しかし煌凛は、それを割り切って嫁いだものと煌威は思っていた。

 実際、そうだった筈だ。北戎を国にすると言ったときの、決意と覚悟に溢れた煌凛の眼は、李冰と母親である玉環(ぎょくかん)のことを知っても変わらなかった。

 ならば、煌凛のこの異変は何が原因だろうと思考を巡らせて、


「李冰殿が、離縁(りえん)したのです」


 続いた煌凛の言葉に煌威は目を見開く。


「李冰殿が、正室や側室の方をご実家に返したのです」

「そっ、れは……!」


 それは、一夫多妻が常識で普通の習慣である北戎では、珍しいどころか有り得ないと言ってもいいことだった。


 棟梁(とうりょう)は、その血を後世に残す義務がある。

 これは、北戎だけの話ではない。帝国の皇帝も同じだ。血筋を残す為に、妻は多いほうがいいとされている。

 それが、煌凛一人を残して、李冰は他の妻達を全員離縁した、と。


 煌凛が言い惑う理由が分かった気がした。


「……何か、企みがあるのではないかと」


 やはり、兄妹だなと煌威は密かに思う。自分でもそう考える。


 しかし、煌凛の様子から、煌威が考える状況とはまた少し違うのだということが(うかが)えた。



用語説明


賓客(ひんかく)…敬うべき客人。


衛士(えじ)…宮中の護衛を担った者の称。


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