26.
北戎棟梁の李冰が煌凛を伴い、禁城を訪れたのは夏至により一番昼が長く、夜が短くなった梅雨の日だった。
「お久しぶりです、絢琰帝」
煌威は拱手礼をとる李冰と、李冰から一歩下がって叩頭礼をとる煌凛の姿を玉座から見下ろす。
「ようこそ、李冰殿。歓迎する」
妹とはいえ、既に李冰に嫁いだ煌凛の名前を謁見の場で呼ぶわけにはいかず、言葉は李冰に向けて、視線は煌凛に向ける形で煌威は微笑んだ。
北戎との謁見は、煌龍帝国の首都・朝暘にある禁城の正殿で行われた。
禁城は主要宮殿を直線軸上に、皇帝の寝殿など後宮を一番北、執務殿などの外廷は南側にと配置され、その周囲を小宮殿で囲み、全ての宮殿を柱廊で繋ぐ造りをしている。
正殿は、禁城の主軸線上にある宮殿の一つで、三段の大きな台座の上に建つ、禁城の中で最も大きな建物だ。国内諸侯達の謁見他、諸外国の使節謁見や設宴が開催される宮殿であり、皇帝の即位、遠征出征など儀礼にも用いられる宮殿でもある。
煌威が即位式で紅焔を見下ろし、苦い思いをしたのもここ、正殿だった。
煌威を見上げる李冰の顔に、懐古の笑みが浮かぶ。
煌威の即位式に参列していた為か、それとも煌威の母を……、玉環のことを思い出しているのか。どちらにせよ、一国の皇帝に向ける笑みでないことは、誰が見ても明らかだった。
煌威の実父が李冰だと、実母である玉環が亡くなった今、知っているのは当人達だけだろうが、そんな表情をしていては人に気づかれるのも時間の問題だ。
――李冰には、隠す気もないのだろうか。いや、そんな筈はない。と、煌威は眉を寄せる。
李冰と玉環が先帝に、ひいては帝国にどれほど悲惨な目に合わされたか知っている身としては、どうにも理解できなかった。
帝国への復讐として、かどうかは完全に煌威の予想の範囲を出ないが、先帝の血を引いていない、李冰の血を引く煌威を何だかんだと皇帝の地位に推しあげた理由は、復讐以外に考えられないからだ。
李冰の血を引く煌威が皇帝としてこの煌龍帝国を支配し、皇族を己のが血筋に変えること。それが李冰の目的であり、復讐だと煌威は睨んでいる。
煌威が皇族の血を引いていないと判明すること、皇帝の地位から追われることは、李冰にとって忌避したいことの筈だ。
で、あるならば――。
隠そうとしないことも、何かの布石なのではないかと。
煌威には、予想のつかない謀略の布石なのではないかと思った。
「……条約から日が経つが、そちらで何か不都合はないか?長年の戦で互いに疲弊したのは変わらないが、そちらは遊牧生活だろう?」
「いえ、確かに土地を転々とする生活上、今までは行動範囲が決まっていて枯れた土地もありましたが、友好条約によって移動できる土地が増えましたので、食糧難に陥ることも無く、帝国には良くして頂いております。この度の謁見は改めて即位の祝辞と、その謝辞をと思い申請させて頂きました」
「……そうか。こちらも北戎から輸入された織物は、刺繍の細やかさも然ることながら、独特の模様も人気を博している。こちらとしても友好条約を結んだ甲斐が有るというもの」
「それはよかった。北戎は未だ国ではなく、遊牧民族です。本来ならば、侵略されて終わる存在だ。条約を結んで頂ける立場には届かない者を、対等に扱って頂いた恩をお返し出来たとすれば上好」
心から感謝を、と李冰に叩頭され煌威は面食らう。
謀略も何も無いのではないかと、一瞬心が揺らぐが、李冰含め北戎の民がただの遊牧民族では無かったから条約という手段を選んだのだと思い出し、煌威は舌を巻いた。
煌威の曾祖父の代から決着がつかず続いていた戦が、帝国の侵略で終わる筈など有り得ない。それを、さも北戎が格下のように述べている。
やはり油断ならない、と。
あの愚鈍で耄碌していた先帝なら騙されていたかもしれない、と煌威は気を引き締める。
考えてみれば、李冰は実父なのだ。血の繋がりで物事を考えるなら、納得した。
確かに、李冰の息子なのだろう、と。
「あれだけ帝国と対等に渡り合っていた北戎の棟梁が何を言う。条約を結べて上好なのはこちらのほうだ」
「ご謙遜を。帝国が古く大きな国であることは、諸外国の皆が知っています。……わたしとしましては、帝国との友好条約以上に、この煌凛と縁を築けたことにも謝辞を述べたい」
穏やかに笑う李冰が煌凛を見た。
「本当に。……先だっての縁はこの為のものだったとすれば、納得もいくというもの。良い縁を結ばせていただきました」
先だっての縁、とは玉環のことに違いない。
煌凛は、玉環の娘だ。煌威にとって異父妹にあたるが、李冰にとっては義娘にもあたる。その煌凛との婚姻を、穏やかな顔で縁と言う李冰に、煌威は何とも複雑な感情を覚えた。
それが真実ならいい、と思う自分を感じたからだ。
「李冰殿……」
煌凛が眉根を下げつつも、瞳を輝かせて李冰を見上げる。
あれは、信頼している目だ。
李冰を一人の男として、帝国や北戎など関係なく一個人の人間として、信じている眼だ。
「……っ」
李冰の穏やかな目が、偽りだとは思いたくない。
煌凛を見つめる慈しみに満ちた眼が、欺瞞だとは思いたくない。
だが……。
冕冠から垂れる旒は、皇帝が邪なものを見ないように視界を制限する役割があるというが、逆を言えば臣民から皇帝の表情をうまく隠してくれる役割を果たしてくれていて、煌威は密かに安堵する。
今、おそらく自分は酷い顔をしているだろう。
「……長旅でお疲れだろう。部屋を用意している。宴まで、ゆるりと休んでくれ」
尊大に。不遜に。
心情を悟られないよう、そんな振る舞いで、煌威は早々に謁見を切り上げた。




