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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第二章 悪意を呑んだ天命
22/31

22.*

 皇帝と言えど、煌威(こうい)が朝からの沐浴(もくよく)紅焔(こうえん)と何ともふしだらな行為に及んでしまった事実は否めないが、本来の沐浴はもちろんこんな用途で使うものではない。


 沐浴の必要性は、早朝の謁見(えっけん)にある。仕事前のお清め、とでも言えばいいか。

 大袈裟(おおげさ)かもしれないが、地上で一番尊いと言われる身分の皇帝は、多少のくすみも許されない。と、いうことだ。

 煌威は馬鹿らしいと思っているが、尊いと言われる人間が薄汚い格好をしていたら、威厳も何も無いのは分かるので従っている。


 早朝の謁見は、煌龍帝国(こうりゅうていこく)首都・朝暘(ちょうよう)以外の領地を配分された、各諸侯からの連絡報告、諸侯以下の貴族や農民からの嘆願(たんがん)が主だったものだ。

 それは毎日あるものではなく、数ヶ月に一回の定期報告と、不測の事態が起こった場合である為、沐浴後は寝殿に戻り午後からの執務までゆっくり過ごすこともあった。

 今日も、謁見は無い為に煌威は寝殿へ逆戻りだ。


 煌威が寝殿に戻ってすぐ、様子を伺っていたかのように宮女が朝食を運んでくる。

 朝食は一日の始まりに相応しく、栄養を考え品数を多くするのが帝国の特徴だ。


 目の前に白米と玄米、あわ、ひえ等を一緒に煮た(かゆ)を置かれる。その右横に数種類の包子(パオズ)、奥に雲呑(ワンタン)を置かれ、次に甘いものと辛いもの二種の豆花(ドウホワ)、豆乳、 油条(ユウティアオ)が左横に置かれる。これが今日の朝食のようだった。


 粥はもちろんのこと、湯気を立てる包子は蒸したてで、一つを割ると中にたっぷり包まれた挽肉(ひきにく)から光る油が(あふ)れて落ちる。

 油条はサクサクとした揚げたてを温かい豆乳に浸して食べると美味いが、しかし前方斜め前に立つ紅焔の視線に、煌威の手はなかなか進まない。

 雲呑は生姜の香りが食欲を刺激していて、豆花は黒蜜がかかったものが美味そうだが、やはり視線が気になった。

 前方に立つ、紅焔のジクジクとした視線を、身体全体に感じる。

 

 なぜそんなに見つめてくるのか、宮女の手前聞くに聞けず、煌威はまず完食することに意識を集中させた。

 


 朝食が終わると、午後から皇帝としての執務になるわけだが。


「……紅焔」

「はい」


 紅焔を伴って執務殿に向かう途中、煌威はそれとなく声をかけた。朝食時、なぜあんなにジロジロ見てきたのか、聞くには今しかない。

 寝殿を出て、二つの柱廊(ちゅうろう)を通らなければいけない執務殿は、雑談をするのに適していた。


「朝食時のことだが……」

「はい、申し訳ございません」


 あっさりとした謝罪と紅焔の返答に、煌威は面食らう。


「紅焔? ……なぜ?」

「申し訳ございません。幸福を実感しておりました」

「……?」


 まったく予想していなかった返答の切り口だった。幸福が、なぜあの強い視線になるのか。


 煌威は、じっとこちらを見てくる紅焔の眼を見返す。

 一見無表情のように見えるが、紅焔が何かを言いあぐねているときの顔だと知っていたからだ。

 視線で、続きを促した。


「……〝貴方の一番傍で〟」

「……うん?」

「あの約束を、守ってくださっている陛下に、感極まってました」

「……あぁ!」


 皇帝に即位した宴の、二日目の夜のことかと思い当たった。

 

「沐浴の付き添いもお前にしたのに、今更か?」


 沐浴だけではない。元来、皇帝は朝食を一人でとるものだ。例外は給仕係の宮女だけで、皇后ですらそこに同席するのは許されない。護衛という名目だが、煌威はそれを紅焔に許した。

 小さなことから大きなことまで、煌威は全て紅焔の望む通りにした。


 ――わたしの全てを知りたいと言うから、同性で歳下の従兄弟でもあるというのに、閨事(ねやごと)でわたしが受動的な受け身に回ることも許した。


 ――わたしは、どうせ(あと)を残すなら胸に残して欲しかったが、紅焔が足を望むからそれも許容した。


 ――わたしは、紅焔と一線を越えることも(やぶさ)かではなかったが、皇帝(わたし)の身体を暴くことはできないと紅焔が言うから、快楽を与えられるのみに(てっ)した。


 煌威は、それなりに示してきたつもりだ。紅焔が望むことを、一番に叶えると。言葉だけでなく、行動でも。


「わたしは、信用がないのだな」


 煌威は苦笑して、紅焔の肩を軽く小突くように手を添えた。

 言うほど悲しんでいるわけではなく、意外に伝わっていなかった情を、ただ少しばかり残念に思っただけだった。

 しかし、紅焔はハッとした様子で煌威の手を掴んできた。


「いえ! いえ、決して……っ陛下を疑っているわけでは……!」

「っ紅焔?」


 皇帝の手を許可なく(つか)む。普段ならそんな行動をする男ではない。

 そのことが紅焔の動揺ぶりを示していて、煌威がなんとも面映(おもは)ゆく感じたときだ。


「紅焔殿」

「皇帝陛下」


 同時に重なった二つの声に、煌威は思わず掴まれていた手を振り払った。

 一瞬、紅焔の顔が歪むのを見たが、今は構っている場合ではなかった。微かに視界に映った髪色が、紅だったからだ。


 紅焔と同じ紅い髪は、皇族であることを証明している。加えて、目に入った臙脂(えんじ)色の官服に、胸章は武官と文官のもので、それを(まと)う人物像を頭に思い描くのは簡単だった。

 煌威が視線を動かして見えた顔は、想像した人物と同じで胸を撫で下ろす。


 今の動作が、少しでも遅かったらと思うとゾッとした。

 自分はどのような噂を立てられようとも、皇帝である以上どうとでもなるし構わないが、紅焔を悪く思われるような事態は避けたかった。



「皇帝陛下」

「執務殿に向かうのが遅かったようで……申し訳ございません」


 拱手(きょうしゅ)で挨拶をしてくる武官と、謝罪を口に頭を垂れる文官、二人に改めて煌威は身体を向ける。


「いや、丁度よい。共に行こうか」



 朝の謁見と違い、毎日行われる午後からの皇帝の執務とは、内政を文官と打ち合わせたり、武官と外政について討論する軍事会議が主だったものだ。つまり声をかけてきた二人は、これから執務殿で会議予定の官僚ということになるが、紅い髪をした皇族官僚は、 煌威の時代において下の兄弟二人しか居なかった。


 弟の嗣尤(しゆう)と、抄昊(しょうこう)である。




包子(パオズ)…中華まん


豆花(ドウホワ)…豆腐よりも柔らかいゼリー状の食品。


油条(ユウティアオ)…細長いスティック状の揚げパン


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