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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第1章 偽りの皇帝
20/31

20.*

 紅焔(こうえん)の唇は柔らかく、掠めるようなものだったが、触れられた(まぶた)が熱くなる。

 確かに神経の通った瞼が、自分のものではないような感覚に煌威(こうい)は襲われた。眠くもないのに瞼が開かない。

 かと言って、無理に開けようとは思わなかった。紅焔が無体な真似を働く男ではないと知っていたのもあるが、紅焔が望むならそれに応えたいと思う自分がいたのだ。


 閉じた瞼の向こうで、紅焔の喉が鳴る音を聞く。その気配から、煌威は顔を覗き込まれていることを察した。

 熱く、震える吐息が頬にかかり、そのまま喉仏を(ねぶ)るように首筋に吸いつかれる。

 今度は煌威が喉を鳴らす番だった。


 式典用の冕冠(べんかん)に合わせて用意された袞衣(こんえ)の、きっちりと締められていた帯を紅焔の手によって解かれる。

 煌威が思わず瞼を開けば、帯の下の蔽膝(へいしつ)刺繍(ししゅう)された、とぐろを巻く雄大な龍の尾が、寝台の縁を泳ぐように落ちていった。

 緩やかな衣ずれの音が、静かな部屋の中ではやけに官能的に響く。


「……なぜ、抵抗しないのですか」

「抵抗して欲しいのか?」

「……」


 煌威が微かに笑いながら返せば、紅焔は黙り込んだ。

 抵抗されないのは嬉しいが、抵抗されなければ心配になる。紅焔はそんな顔をしていた。

 理性と本能がせめぎ合っているのだろう。それを承知で、煌威は挑発するように紅焔の耳元で(ささや)いた。


「わたしが、いいと言っているんだ」

「――ッ!」


 吐息を吹きかけるように、耳朶(じだ)に舌を()わせるように、誘惑する。


「紅焔。お前の望みは?」

「……この状況でそれを聞きますか?」


 紅焔が皮肉げに笑った。



「……紅焔、わたしは皇帝になった」

「はい。おめでとうございます」

「ああ、だから……分かるだろう?」


 ――わたしのすることに口出し出来る人間は居ないし、その気になればわたしに逆らえるものはもう誰一人として居ない。


 お前の望むことを、と。

 紅焔が望むなら何でも叶えよう、と。


 そう煌威が言外に告げれば、紅焔は顔をしかめた。


「そのようなことを言ってはいけない……」

「お前がそれをわたしに言うか?」


 苦笑して返す。


 此処(ここ)は皇帝の寝殿だ。皇帝以外の男は立ち入り禁止と決まっている後宮だ。その男である紅焔を、この場所に留めていることが既に罪にあたる。即位して早々罪を犯しているのは申し訳ないと煌威も思うが、自分にそうさせたのは紛れなく紅焔だ。


「紅え……、!」


 煌威は腕をその首に回そうと持ち上げて、しかし目的は果たされず、紅焔に捕えられた手首が寝台の上に柔らかく押さえつけられる。


「……自分は、武官(ぶかん)です」

「知っている」

「……貴方より、七つも下の若輩(じゃくはい)です」

「それが?」

「……俺は、女でもない」

「今更か? お前が女だったら、わたしは押し倒されてないぞ?」

「……もし、俺が女だったら?」

「わたしが押し倒してた」


 明け透けで、あられもない告白だ。

 ふと、紅焔が笑った。つられて、煌威も笑う。


 そっと唇に触れてきた紅焔の指の腹は、硬いものの滑らかだった。人差し指と中指を使って、端からスルリと撫でられる。

 煌威が反射で半開きだった口を閉じれば、紅焔はその上唇に人差し指を添え固定し、中指で下唇を強引に押し開いてきた。

 カツン、と。煌威は自分の歯と、紅焔の爪がぶつかる音を聞く。


「……ン、」


 口腔(こうこう)愛撫(あいぶ)するように紅焔に撫でられ、お返しにと煌威は彼の指の腹を舐め上げた。

 ピクリ、と反応した紅焔の下半身を太腿(ふともも)に感じる。

 煌威はそれに、可愛い反応をしてくれる、と内心思いながら、押さえつけられた手首はそのままに、首だけを動かして眼前の紅焔の鼻梁(びりょう)に口付けた。


「……繰り返すぞ?紅焔」


 揺れる熱情を持て余す、獣のように瞳孔(どうこう)が開いた紅焔の瞳を間近に微笑む。


「紅焔、お前の望みは?」


 紅焔の瞳の中に、酷く醜悪(しゅうあく)な顔で笑う自分を煌威は見た。



 ――わたしは、もう紅焔を皇帝には望めない。


 煌威は、自分が先帝の血を引いていないと知ったとき、ぬか喜びすらなくその意味がなくなってしまった。煌威が皇帝でいてこそ意味がある。そんな状況になってしまった。

 煌威が我儘(わがまま)を通せば、帝国が滅ぶ。そんな可能性が無いとは言いきれない。


 先帝の血を引いていない男が、皇帝になりたくないと望むことを我儘と言う状況が、煌威も正常だとは言わない。いや、おかしい。異常だ。

 だが、いくら煌威でも分別はある。それでも自分の望みを優先させるほど、愚かではない。


 だから、紅焔の望みだけでも、煌威はすべて叶えようと思った。

 かつて主にと望んだ、唯一の人間。

 なぜこれほどに心惹かれるかは未だ分からない。ただ自分にとって、紅焔以上の存在はないと思わせた事実だけが確かで不変(ふへん)だった。

 その紅焔の望みを叶えることが出来る地位。それが皇帝なのだと。それだけが、煌威に残された最後の希望だった。



「……初めてお会いしたときから、お慕い申しておりました」


 押さえつけていた煌威の手首を離し、紅焔がゆっくりと身を起こした。


「うん」


 寝台の上で膝を折る紅焔に、向き合う形で煌威も上半身を起こす。


「俺は、貴方に仕えたい」

「そうか」

「貴方だけを……主と仰ぎたい。貴方の、一番(そば)()りたい。貴方の全てが、知りたい」

「…………」


 その意味を、正しく理解して言っているのだろうかと煌威は思う。

 煌威だけを主とすることは、煌威が死した後も追従(ついじゅう)するということだ。

 煌威の一番傍にと望むのは、どんなに汚い泥も共に(かぶ)るということだ。

 煌威の全てを欲するのは、自分の全ても捧げることだ。

 一蓮托生(いちれんたくしょう)。運命共同体。煌威が紅焔を皇帝としたいと同時に望んだもの。それとまったく同じものを、まさか紅焔本人から求められるとは思ってもみなかった。

 煌威の唇が、自然とつり上がる。


「……わかった。お前が一番(そば)で、わたしに(はべ)ることを許そう」

「!ありがたき……」


 興奮に顔を紅潮(こうちょう)させる紅焔に、投げ出していた左足を(うやうや)しく取られ、その爪先に口付けられた。忠誠を誓うという意味なのだろう。


 爪先から足の甲、(すね)と紅焔の唇が移動するのを、淫靡(いんび)になる雰囲気と共に煌威は享受する。


 夜の(とばり)が上がるまで、それは続いた。




用語説明


袞衣(こんえ)…即位の儀などに冕冠とともに用いられた皇帝の礼服。


蔽膝(へいしつ)…腰に締めた帯の下につける前掛け。身分の高い者の尊さを示すもの。


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