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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第1章 偽りの皇帝
16/31

16.

「何をしている紅焔(こうえん)! 殺せ!!」


 皇帝が李冰(りひょう)を殺せと叫ぶが、名指しされた紅焔は煌威(こうい)の傍から動かない。

 むしろ、紅焔の眼は煌威の意志に(のっと)り、皇帝を捉えて離さなかった。


 臣下が皇帝(じぶん)よりも皇太子(むすこ)の命令を優先したということがどういうことなのか、考えもしないのだろう皇帝が舌打ちする。そしてそのまま周囲を見回すが、娘である筈の煌凛(こうりん)は皇后の背後から(とが)めるような視線を寄越すだけで動く気配はなく、最初に命令した紅焔は煌威から離れようとしない状況に、皇帝はやっと味方が誰もいないと気づいたようだった。

 唇を噛んで、憎々しげに李冰を見やる皇帝は、今自分が周囲からどう見られているのかさえ分からないらしい。


 ――態度を取り(つくろ)うこともしないとは。


 耄碌(もうろく)した、どころの話ではない。と、煌威は顔をさらに(しか)めた。


 ただ()えればいいだけの家畜と違うのだ。理性を持つ生き物として当たり前で、簡単なことの筈だ。人のものを取ってはいけないと理解することも、人の嫌がることをしてはいけないと己を(りっ)することも。今どき、幼子でさえ悪いことだと知っている。


 誰よりも法を熟知し、法を()き、自らその法を厳守しなければいけない地位にいる皇帝が、その法を犯したのだ。皇帝だからと言って、何をしてもいいわけではない。

 

「こんな……っお前のような男に……ッ」


 皇帝がギリギリと歯を噛み締め、なおも李冰を睨む。


 自分が何をしたのか。自分がしたことを棚に上げて、李冰を睨む愚かさを分かっているのかいないのか。

 いや、確実に分かっていないのだろう。さらに皇帝が続けた言葉は、暗愚(あんぐ)なその性格を如実(にょじつ)に表していた。


「こんな……蛮族(ばんぞく)の男に花姑(かこ)は……なぜっこんな……、こんな男の娘など死んで当然だ! 蛮族の男の娘など……っこんな男の血統を我が国に入れてたまるか!!」

「っ父上!!」


 煌威は咄嗟(とっさ)に声を上げたが間に合わず、皇帝の裏切りを示す言葉が室内に(こだま)する。

 どこまで帝国の品位を(おとし)めれば気がすむのか。

 これが己の、血の繋がった親なのだと思うと、煌威は羞恥(しゅうち)を覚えた。


「まさか……」


 李冰が愕然(がくぜん)としたように呟く。

 当然だ。これでは、帝国は最初から条約を結ぶ気は無かったどころか、北戎(ほくじゅ)の娘を殺す為に条約という(えさ)(おび)き寄せたことになる。

 正確には、皇帝は確実に北戎棟梁(とうりょう)である李冰とその娘を殺す腹積もりだったのだろうが、それは皇帝自身が画策したことにより皇帝(イコール)帝国という図式になってしまった今では些細な違いだった。


 皇帝が、醜悪(しゅうあく)表情(かお)で笑う。


「花姑が想う男の……っ北戎の娘など要らん! 男も娘も存在自体が邪魔だ! 皇后は(ちん)のものだ!!」

「……っ」


 自分勝手な欲望の為に、北戎の娘を殺したのは皇帝(じぶん)だと宣言したも同然の父親の姿は、帝国を何とも思っていないことの証明で、それは酷く煌威の胸を刺した。


 皇帝が、私利私欲で動いては終わりだ。皇帝は帝国の象徴であるだけではない。導くものだ。国の在り方を決める皇帝が愚帝(ぐてい)では、いつかその国は滅びる。


 ――いつからなのだろうか。皇帝がこうなってしまったのは。


 煌威の中で、記憶にある父は民を思って法を()き、歴代の皇帝にも劣らず立派な献帝(けんてい)と呼ぶに相応しい出で立ちをしていたように思う。

 しかし今の皇帝を見ていると、あの姿は幻だったのかと思ってしまうほどその落差は激しい。単に自分が皇帝の理想を父親に見ていただけなのか。


 悲しいという感情と、しかしああ……だから、という思考も煌威の中にはあった。犯人が皇帝であるなら、姿を見かけても不審に思われないし咎められない。

 北戎の娘が死んだとき、全くと言っていいほど目撃情報が出てこなかった理由がはっきりした。



 李冰だけでなく、北戎側からの視線が突き刺さる。どう責任をとるつもりか、と眼が言っていた。

 李冰からは皇帝への憎悪を飛び越え、殺意すら感じる。

 そんな中、似つかわしくない艶やかな笑い声が響いた。


「……ふふっ。貴方に、いいことを教えて差し上げますわ」


 声の主は、妖艶な美しさで虫を誘って食べてしまう食虫花のような笑みを浮かべた皇后だった。 麗しい笑みを浮かべて、皇后が爆弾を落とす。


「李冰殿の連れていた娘は(わたくし)が二十七年前産んだ娘です」

「な……っ」


 煌威と紅焔は、皇后と李冰の再会現場に居合わせたことから前もって知っていた情報で、北戎側の重鎮(じゅうちん)達も知っていたようだが、皇帝にとっては初めて聞く内容だったらしい。大きく目を見開いて、立ち尽くしていた。


 (さら)ってきて三十年近くも傍に置いて、皇后のことを何も知らなかった。知ろうともしなかった、という事実が明るみに出る。


 しかし、皇后はさらに追い討ちをかけた。


「父親は李冰殿だとお思いなんでしょう」

「……当たり前だろう」

「……ですが、父親は貴方です」

「な……ッ!」

「なんだと!?」


 皇后の発言に、皇帝だけでなく李冰も目を見開いて愕然と立ち尽くす。

 李冰のその表情は信じられないものを見る眼で、皇后は一度ぐっと固く両目を閉じた後、震える唇を開いた。



用語説明


蛮族(ばんぞく)…野蛮人の別称。

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