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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第1章 偽りの皇帝
11/31

11.*

 今まで、北戎(ほくじゅ)の娘を殺したのは曉炎(ぎょうえん)が主犯という考えだった。

 煌威(こうい)が現場で見た、あの意味ありげな笑みに、諸々の事情。曉炎を主犯と捉えない材料のほうが少ない。

 あの笑みは、企みが成功してつい漏らしてしまった歓喜の笑みだと思っていた。

 だが、紅焔(こうえん)の言葉はこのすべてを覆すことだ。


「曉炎が帝国(くに)ではなく、個人(わたし)を欲していたからと言って、主犯ではないというのは早計過ぎないか?」


 こちらが想定していた目的が別でも、主犯でない証拠にはならないだろう、と煌威は言葉を返す。


「だからです。曉炎は何よりも殿下に固執していました。賢かった曉炎が、何よりも大事な場面、そして一番肝心なところで、つい笑ってしまうような愚行を犯すでしょうか」

「……有り得ないな」


 紅焔の返答に、「確かに」と煌威も頷いた。

 あくまで感情論の話で証拠にはならないという点では同じだが、曉炎の狡猾さだけは信用している。

 あの曉炎が、重要な場面でついうっかり愚行を犯すとは煌威にも思えなかった。

 ということは、あの愚行は確信犯だったわけになるが……


「……しかし、分からん」


 煌威が回廊の欄干(らんかん)に腰掛け、頭を掻きむしる。


「あの笑みがわざとだったとして、なぜわたしに見せた? 理由がまったく分からん」

「殿下に見て欲しかったからでは?」

「うん?」


 至極当然のように言われ、煌威は首を傾げた。

 正面に立つ紅焔を見上げる。


「どういう意味だ?」

「曉炎もあのとき、北戎の娘が降ってきたあの場で気づいた筈です。帝国を裏切ったものがいる、と。そして状況的に疑いは真っ直ぐ自分に向くだろうことも。……今、笑えば。殿下ならば、必ずそれに気づく。否が応でも殿下は自分を見る。そう、曉炎は考えたのでは?」

「っ……そ、れは……!」


 煌威は思わず絶句した。


 ――紅焔ばかり見る煌威(わたし)の視線を、己に向けさせたかった、と。

 曉炎は、煌威の視線を己に向けさせる為に、大罪人の汚名も辞さなかったと。そういうことになる。



「……曉炎は主犯と実行犯に見当があったのだろうか」


 最終的な切り札もなく、罪を被るなど曉炎らしくない。そう考えれば、曉炎は犯人達を知っていて然るべきだった。

 しかし、紅焔の返答は否定から入る。


「いえ、おそらく曉炎も主犯に見当はなかったでしょう。分かっていたなら、曉炎のことです。降って湧いた機会(チャンス)には乗らず、機会(チャンス)を利用する形で自分の目的を果たした筈だ」


 曉炎は紅焔にとって兄であるからか。「己と似通ったその思考は分かりやすく簡単に予想できる」と、苦笑して紅焔は言った。


「犯人に心当たりはなく、主犯も実行犯も分からなかった。しかしもう、殿下に対する恋慕は精神的に限界だった。だから、犯人は分からずとも曉炎はこの機会(チャンス)に乗った。貴方が誤解することも計算して。貴方の眼に映してもらえるなら、自分は犯人として処刑されてもいいと」

「…………わたしの、眼……?」


 持ち上げられた紅焔の右手が、そっとこちらの頬に伸ばされるのを煌威は視界の端に捉えた。それをただ黙って眺める。特に忌避したいものではないと、反応は鈍るものだ。


「一時でもいい。貴方のその、黄金の眼に映る為に」

「――!」


 掌に固い豆のできた武骨な手が、優しく労るかのように煌威の頬を滑った。

 その親指が、唇で止まる。


「貴方のその、唇で名を呼んでもらう為に」

「……っ、……」


 煌威はついそんなことの為に、と言いかけ、曉炎の血に濡れた必死の形相を思い出して唇を引き結んだ。

 ――これでは、以前と同じだ。この傲慢(ごうまん)さが、曉炎を追い詰めたというのに。


「……悪いことをした」

「いえ、殿下に責はありません。あれは曉炎が悪い。自業自得です」

「……だが、わたしがもっと……いや、待て」


 周囲を見るべきだった、考えるべきだった、と反芻(はんすう)して、重要なことを忘れていたことに気づき総毛立つ。


 曉炎が犯人ではないとしたら。

 実行犯どころか主犯も、野放しということになる。

 何も解決していない。北戎との条約すら、いや、北戎との条約自体が危うい。


「ッ紅え……!?」

 

 すぐに対策を取らねば、と煌威は腰を持ち上げようとして、紅焔の眼を見た瞬間息を呑んだ。

 ――またあの眼だ。と、呼吸を止める。

 甘い、蜂蜜色の双眸(そうぼう)が妖しい光を(たた)えていた。

 自然と溢れてくる唾を飲む。


「っ、……ッ」


 紅焔、と呼ぼうとして。声を出そうとしても出ないのは、何故なのか。


 かさついた紅焔の人差し指が、煌威の頬骨を(くすぐ)るように撫で、中指が顎のラインを辿(たど)る。

 煌威は自分の心臓が大きく軋む音を聴いた。どくどくとうるさい心音がそれに続く。肩の痣に口付けられたことを思い出した身体が、じわりと熱を持っていた。

 動揺を悟られないように、煌威は拳を握る。

 しかし、紅焔の薬指と小指が急所の一つである首の動脈に触れた瞬間、思わず体が震えた。


「……殿下?」


 紅焔が目を見開く。触れた動脈から早鐘(はやがね)を打つ煌威の心臓を察したのだ。

 煌威が気づかれたと思う間もなく、紅焔は弾かれたように触れていた手を離した。

 咄嗟(とっさ)に煌威も視線を外す。


 微妙な空気が流れた。

 お互い、どうにも謝るのは違う気がするし、かと言ってこのまま何事もなかったように会話を続けるのも違う気がする。


 正解を模索して、煌威が悩みあぐねていたときだ。微妙だった空気がふと揺れた。


「……殿下」


 静かに、けれど尖った声で注意を促すような紅焔の声を聞く。

 何だ、と煌威が視線で訴えれば視線で促され、紅焔が促す先に目をやって、反射的に腰掛けていた欄干から立ち上がった。


 正面からしずしずと歩いてくる女の姿に眉を寄せる。

 距離的に顔の造形は分からないが、襟ぐりや袖はゆったりした右衽(うじん)方領(ほうりょう)で、幅広の布の帯を締めている姿は優美だが活動的ではない。

 妙齢の、女だ。

 背後に三人の侍女をつけていることから、身分の高い女だということは分かるが、この城陽(じょうよう)で今いる身分の高い帝国側の女は煌凛(こうりん)以外に居ない筈だった。

 ゆっくりと煌威達に近づいてくる姿が鮮明になっていく。


 女は艶やかな黒髪を頭上で高く結び、金属製の華を象った繊細な飾りで留めていた。それだけでも人目を引く装いであるのに、高く頭上で結んだ髪を二つに分けて、それぞれを輪にした髪の先端は飾り芯の部分に差し込む、独特の髪型をしている。

 髪飾りをふんだんに使った装飾は、金属製の繊細な飾り留めだけではなく、準輝石(じゅんきせき)のピン、翡翠の(くし)、文字通り歩くと揺れる房のついた歩揺(ほよう)と、実務的な装いというより地位を表す華美なものだ。


 煌威の隣で紅焔が息を呑み、すぐに(ひざまず)く。

 ――なぜ此処に。そう思うが、煌威の口から出た言葉は、どうにもマヌケなものだった。


「……え?」


 首都である朝暘(ちょうよう)の皇居で、待っている筈の皇后が、母親がそこに居たからだ。


「久しぶりですね、煌威(こうい)


 皇后は煌威を見て、ゆったりと微笑んだ。



用語説明


右衽(うじん)…自分からみて左の衽を右の上に重ねる着方。


方領(ほうりょう)…前身頃の左右の端につけた方形の襟。四角い襟。


準輝石(じゅんきせき)…輝石(暗緑色、または黒色の鉱物)ときわめて類似している鉱物。


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