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彼岸の傾城傾国  作者: 高嗣水清太
第1章 偽りの皇帝
10/31

10.

 曉炎(ぎょうえん)煌威(こうい)にとって父親の弟の息子で、三人いる従兄弟の内の一人で、幼い頃は唯一の遊び相手だった。

 顔つきも今とは違い、曉炎は普通の、それこそ紅焔(こうえん)とよく似た眼をした子供だったと煌威は記憶している。

 当時は、従兄弟というよりは友。この言葉が一番しっくりくる関係だったかもしれない。


 幼い頃は常に一緒に居た。どこへ行くにも煌威の後には曉炎が付いてきた。

 同年であるにも関わらず、護衛だったと煌威が気づいたのは、ずいぶんと後のことだ。

 今思えば、おそらく将来は次期皇帝の補佐役として、幼い頃から曉炎は教育されていたのだろうと考える。

 まだ煌凛(こうりん)どころか他の弟妹も生まれていなかったあの頃は、皇帝の子供は煌威一人だったからだ。


 将来、皇帝の補佐役になる為の教育を受け、周囲からもそう期待され、こう在るべきだと人の善意という名の脅迫に晒され続ければどうなるのか。そう考えられなかった過去の自分を、煌威はできるなら殴りたい気分だった。

 幼かった、と言ってしまえばそれまでで、万事を見通せないのは人間である限り当たり前だが、自分はそれが許されない立場の人間だったのに。


 煌威は、曉炎が自分のことを嫌っていると思っていた。根拠も証拠もなく、決めつけていた。

 紅焔一人に必要以上に執着する自分は、皇帝には相応しくないと。なぜ皇太子が曉炎(じぶん)ではなく煌威(わたし)なのかと、そう思われているものとばかり思っていた。


 曉炎も、元から今のような悪漢(あっかん)ではなかったと、幼い頃を知っている煌威はわかっていた筈なのに。

 紅焔の存在を知ってから、周囲に対する対応がぞんざいになったのを、曉炎はどんな気持ちで見ていたのか。


 ――今はもう、聞くこともできない。



 煌龍帝国(こうりゅうていこく)首都、朝暘(ちょうよう)には、池・石・木・橋・亭、五つの要素を組み合わせて、世の中に存在しない仙土・桃源郷を現実化させたと言われる庭園がある。煌威が幼い頃から見慣れている、皇家庭園がそれだ。

 それはそれで美しいが、此処城陽(じょうよう)の領主邸城館にある、回廊で外界と遮断された私家庭園も負けずとも劣らないものだった。


 煌威にとって、曉炎との思い出など幼い頃ならいざ知らず、今はほとんど無いも同然である。

 だが、この回廊に立ち庭園を見渡していると、瞼の裏に悪漢ではなかった頃の、曉炎の顔が浮かんでくるようで苦い気持ちになった。


 人が一人死んだ現場だというのに、庭園のその景観の美しさは少しも損なわれていない。むしろ、その美しさに磨きがかかっていると言ってもいいほどの美観(びかん)が、また煌威の感情を強くした。



 城陽の庭園には皇家庭園と違って池はないが、太湖石と黄石がよく使われていた。

 黄石は築山に味わいのある景観を作り出していて、一方、太湖石は石単体で庭に配置されている。太湖石は太湖の湖底から採られる石で、長年太湖の水によって浸食された結果、多くの穴が開いて複雑な形をしているものが多い。

 大きな穴や多くの穴が開いていて反対側が見える太湖石は、一説には向こう側(・・・・)を覗けるとも言われた。

 ――だから、かもしれない。曉炎がそこにいるような気分になるのは。



「……殿下」


 控えめに声をかけられる。

 振り返り見る必要もなく、それが紅焔だと分かった自分に煌威は苦笑した。

 かけられた声に、香ってくる匂い。そして常人には分からないだろう、気配すら紅焔を形作るものとして覚えた自分は、どれほど曉炎を(ないがし)ろにしてきたのだろうか、と。


「……貴方に落ち度はありません」


 紅焔が言った。

 落ち度、という点で言うならそれは間違いだ。自分は、落ち度だらけだと煌威は思う。

 煌威は紅焔に盲目になり、曉炎を誤解し、それが元で曉炎を追い詰めたのだ。落ち度でなくて何と言おう。


 結局、曉炎は晒し首になった。

 既に息の根は紅焔によって止められていた為、民の前で公開処刑はできなかったが、自分の私利私欲で帝国を裏切った大罪人としてだ。

 これで北戎(ほくじゅ)との条約は一歩、先に進むだろうがどうにもやるせなかった。


 改めて思う。

 煌威は、皇太子として国を思う気持ちに変わりなく、国務は誠心誠意こなしたし、人道に反することもしていないつもりだ。

 だが、曉炎の顔つきがいつから悪漢と言われるものに変わったのか覚えていないことを考えると、どう考えても自分は次期皇帝には相応しくない。


 曉炎は、常に冷静に物事を見て、捉えていたのだと思う。

 導き出された答えが、支配下に置いたこの土地で暮らす国民の為に、煌龍帝国という名の歴史の為に、帝国を我が物とすることなのであれば、煌威に批難する資格はなかった。

 ――いや、曉炎の望みが国ではなく、本人が語った通り自身だったとしても、煌威に批難する資格はなかった。それだけ、煌威は見ていなかったのだ。臣下が、曉炎が何を望み、何に焦がれていたかに気づかなかった。


 しかし、資格と権利、そして義務は別問題だ。煌威に曉炎を批難する資格はなくとも、国を挙げての戦争で叛逆を企てている臣下を止める権利はあり、帝国の皇子として国を護る義務はある。


 これは、その結果だと紅焔が言っているのは分かる。

 だが、煌威自身がそれを認めることはできなかった。一旦の原因は、間違いなく自分にあるのだと、煌威は考えていたからだ。



「……殿下」


 今度は疑念を含んだ声だった。

 状況から哀れみなら納得できるが、疑念の声にふと煌威の心が騒ぐ。


「……本当に、兄上が……曉炎が犯人なのでしょうか?」


 紅焔が続けた言葉は理解不能で、煌威は思わず振り返りその顔を凝視した。

 紅焔は微かな笑みもなく、唇を真一文字に引き結び、真剣な顔でこちらを見ている。

 けれど、煌威は返す言葉が見つからず、口を数回開けては閉じることを繰り返した。まったく予想すらしていなかった言葉に、返答も何もない。


「曉炎は賢い男です」


 知っている。煌威はそう返そうとして、また口を噤んだ。そんなことは紅焔の経験からして、百も承知のことだろう。


「自分は、暗殺を仕組んだのが兄である曉炎だと、気づくのに三年かかりました」


 ――ああ、そうだ。わたしも、曉炎が紅焔を殺そうとしていることに気づくのに二年はかかった。と、煌威は過去の記憶に思いを馳せる。

 それまで、煌威どころか誰にも尻尾を掴ませなかったのだ。曉炎は。


 紅焔は顎に手をやりながら、「()に落ちない」と呟く。


「笑ったところを見た……でしたね?」


 煌威は茫然としながらも、無言で頷く。

 北戎の娘の身投げに出くわしたとき、曉炎の笑った顔を見たことは、忘れようと思って忘れられるものでもなかった。



 紅焔は躊躇(ためら)いがちに、口を開く。


 ――それは、本当に?


「わざと、ということはないですか?」

「――!」


 紅焔の言葉に浮かんだ光景が、煌威を苛むように嘲笑った。



 ――『 お前のことだ。帝国を手に入れる為に俺が裏切った、とでも思ったんだろう 』



 曉炎は確かに、北戎の娘を殺したのは自分だ、とは一言も言っていなかった。




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