第9話
朝早くから、ばっちゃんに、叩き起こされた。
いつもなら寝ている時間帯である。
朝ごはんは、一日の始まりと言う、ばっちゃんの一言でだ。
久しぶりの朝食を、黙々と、食べている。
学校が休みで、これといって、予定もない。
午前中は、部屋で、ゴロゴロとしていた。
友達は彼女と出かけ、慎二一人だけが、いつものように取り残されていたのだ。
午後から、気分転換を兼ね、外へ出て行く。
どこかへ、行こうと言う目的もなかった。
ただ、道なりに、ブラブラと歩いている。
「あーあ。暇だな」
「いい若い者が、何を言っておるのじゃ。男は、外で遊べ」
ばっちゃんが腕を組み、何度も、愚痴っていた。
隣にいるばっちゃんに、ついつい、ジト目になってしまう。
「誰のせいだよ。今頃、麗花ちゃんと」
「終わったこと、ぐちぐちうるさい」
鬱陶しいと、ばっちゃんが、上半身を慎二から離す。
都合のいいばっちゃんに、顔を歪めていた。
(好き勝手して)
どこか、楽しげなばっちゃんの姿。
徐に、憤りが湧き上がっていく。
「愚痴の一つぐらい、言いたいよ。今頃、みんな彼女と、いちゃついているだろうな」
盛大な嘆息を吐いた。
友達が、彼女といちゃついているところを、想像していたら、無性に腹が立ち、惨めになり、自分が、どこか遠い国へ行きたいと掠めている。
肩を落とし、この世の終わりですと言う表情だ。
足取りも重く、トボトボと、足を進めている。
やれやれと、情けない表情を窺っていた。
女の一人や、二人なんだと、情けなさに、ばっちゃんの方も、フツフツと怒りの舞い上がっていったのだった。
「こっちまで、しみったれてくるわい。そんなに女がほしいなら、次の女でも、見つけたらよかろうが」
立ち止まり、隣で、怒っているばっちゃん。
「そうだ。そうだよ、ばっちゃん。その手があるじゃん」
打って、変わった表情になり、晴天のような明るさだ。
ステップでも、踏むような動き。
羽根が生えたように、飛び跳ねていたのだった。
その様子を、呆気に取られながら、傍観している。
「軽いやつじゃ」
大通りに、慎二たちが出て行った。
手当たり次第、四人の女の子に、声をかけていく。
結果は、見事に大空振りで、ヒットすらない。
女の子の数も減り、疲れ、コンビニの前に座り込んでいる。
そして、女の子が来ないかと、待っていたのだった。
キョロキョロと、捜している姿を横目にし、脈絡もない女の子のタイプに、不信感が隠せないでいた。
「なぜ、あの、がめつい女の付き合おうと、思ったのじゃ?」
「麗花ちゃん? うーん、別に、ただ、可愛かったし……」
「あーいう顔が、いいのか?」
「別に……」
考え込みながら、首を左右に揺らす。
なんとも煮え切らない態度。
イライラ感を、募らせていった。
「目は、クリッとしている子がいいとか、細目がいいとか、あるだろう」
「とにかく、彼女に、なってくれるんだったら、誰でもいいや」
のん気な答えだ。
ダメだ、これはと、頭を抱えてしまう。
「脱、彼女なし」
呆れているとは、気づかない。
一人で、意気込んでいたのだった。
「バカ者が」
思わず、呟いてしまった。
慎二の耳に、届いていない。
彼女ができない訳を、把握できるような気がしたのだ。
「ばっちゃんはさ、彼氏、何人ぐらいいたの?」
唐突な問い。
一瞬、たじろいでいた。
「彼氏? ……一人に決まっておる。わしらの時代は、一人の人と、添い遂げる、これが、当たり前だった」
「一人って、じっちゃん?」
ばっちゃんが、コクリと頷く。
「なんか、寂しい感じ」
「お前たちが、おかしいんじゃ。何人もの人と、付き合いおって」
「古臭いな、何人もの人と、付き合うなんて、今どきの常識だよ、ばっちゃん」
「古いも、新しいもなかろう。我慢が、足りないだけじゃ」
怒っているばっちゃんだ。
古臭いと、連呼しながら、慎二が笑っていたのだった。
(じっちゃんって。確か、若い時に、死んだんだよな)
前の車道を見ていると、一台の赤い車が、瞳に飛び込んでくる。
助手席には、昨日、別れた麗花の姿があった。
「……」
車を凝視していることに気づき、慎二が見ている車内を、チラッと窺ってから、ゆっくりと双眸を、眉を潜めている慎二に巡らせたのだった。
目で走っている車を、まだ、追っている。
車が見えなくなっても、車が、消えた方向を眺めていたのだ。
「慎二」
幼い頃、笑っている慎二に、声をかけたように、とても暖かく、包み込んでくれるように声音で声をかけていた。
見えるはずのない車。
ただ、見たままだ。
「さすがに、キツいな。自分では、割り切っているつもりだったのに……」
想像を膨らます。
車内で、楽しげに笑っている、麗花の姿だ。
「次の日に、男と、車に乗っているところ、見ちゃってさ。すげぇー、ショック受けているの。情けない。笑ってくれよ、ばっちゃん」
自分自身でも、こんなにショックを、受けるとは思ってもいない。
初デートの日に、別れてしまい、次の彼女を見つければいいと、単純に抱いていた。
けれど、実際に、麗花が、他の男と一緒に、車に乗っている光景を、目の当たりにし、激しく、叩く太鼓のように動揺し、胸の底を、抉られるような痛みを生じさせていたのだった。
通り過ぎてしまう手を、慎二の肩に乗せた。
感じるはずもない、ばっちゃんの手の温もり。
「水鉄砲で、遊ぶか」
「水鉄砲?」
こんな時に、何、言っているんだと、訝しげに、ばっちゃんの顔を見上げている。
「昔の慎二は、水鉄砲で遊ぶと、すぐに、機嫌が直ったんじゃ」
「俺は、ガキじゃないよ」
「お前は、子供じゃ」
「ガキじゃないよって、言っているだろう。俺は、大人の男」
「どこがじゃ?」
辛気臭い慎二に、ばっちゃんが顔を近づけていった。
そして、慎二の顔や、腕や身体を、窺っている。
「ここに、いるだろう」
胸を張っている慎二だ。
「ちーとも、昔と、変わっておらん。ただのガキじゃよ」
ばっちゃんの憎まれ口。
沈没したような表情から、いつもの表情に戻っていたのだ。
慎二の脳裏には、昨日、見つけた水鉄砲が浮かぶ。
「水鉄砲か……」
「遊ぶ気になったのか」
「違うわい」
(きっと、俺が、大事にしていたのに、いつきちゃんも、ウサギの人形、大事にしていたんだろうな)
急に、立ち上がった。
そして、大きく背伸びをする。
「どれ。行きますか」
「女探しの続きか」
やれやれと言うばっちゃんの双眸に、晴れやかな笑顔を慎二が覗かせていた。
「はずれ」
「じゃ、どこへ、行くのじゃ?」
「どこでしょう」
怪訝そうな表情をみせるばっちゃん。
場所を告げず、行こうと促し、鼻歌交じりに、慎二が歩き始める。
「何を考えているじゃ。あの子は」
陽気な慎二の後ろ姿を、眺めていた。
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