第7話
「さすが、わしの孫じゃ」
経緯を黙って、窺っていたばっちゃん。
満足げな顔を滲ませていた。
視線の先は、夢中になって、探している慎二といつきだ。
二人は、顔に泥がついていることも、忘れている。
慈しむような双眸で、二人の様子を、眺め続けていたのだった。
「可愛い子じゃ」
一生懸命に、カギを探しているいつきだけを窺う。
いつきのこめかみから、一筋の汗が、流れ落ちていた。
「ばっちゃんも、探せよ」
いつきに、聞こえないように、小声で抗議した。
雑草が、茂っているところに、ばっちゃんが手を振って、みせる。
茂っている雑草を、ばっちゃんの手が、素通りしていった。
「ほれ、わしは、ダメじゃ」
「言った俺が、バカだった……」
はっきりと慎二の瞳に映る、ばっちゃん。
死んでいると言う認識が、慎二の中で、すぐ消えてしまうのだった。
だから、生きている人のように、扱ってしまうのだ。
「お兄ちゃん!」
不意を突かれた、いつきの声に、驚く。
いつきが、見ている視線。
目を傾けると、泥だらけのゴールデンリトリバーが、フェルトでできた、ウサギのマスコットをつけたカギを、加えているのが、慎二の目にも、飛び込んできたのだった。
「あれか?」
「うん」
返事を言う前か、同時のタイミングで、慎二の足が、すでにゴールデンリトリバーに、向かって、走り出していたのである。
「待て、わんこ!」
猛スピードで、向かっていく慎二だ。
驚いたゴールデンリトリバー。
突進してくる慎二から、逃げるように走り出す。
「止まれ!」
叫ぶ慎二。
けれど、慎二の言葉に、ゴールデンリトリバーも、従わない。
その後ろ姿を追いながら、ばっちゃんが、犬に言葉なんか、通じる訳がないだろうと、冷静に突っ込んでいた。
さらに、その後ろを、必死に、いつきもついていく。
だが、慎二と、いつきの距離が離れていった。
いつきの持久力が、徐々に落ちていったのである。
「待って、お兄ちゃん !」
力、尽きてしまい、地面に、ダイブしてしまう。
いつきの転倒に、気づいたばっちゃんが、飛ぶ速度を速めた。
「バカが!」
いつきの転倒したのも気づかず、ゴールデンリトリバーを、必死で、慎二が追いかけていたのだ。
「慎二、慎二」
走るスピードを、落とすことなく、顔を横に巡らせる。
その顔は、邪魔するなと言っていたのだ。
「後ろを見るのじゃ。いつきちゃんが……」
走るスピードをやや落とし、できるだけ顔を、後ろに傾ける。
いつきが、転倒していることに、ようやく気づく。
(クソ!)
その場で、足踏みした。
どんどん小さくなっていく、ゴールデンリトリバーと、いつきが倒れている姿を、交互に見比べ、悔しい顔を滲ませながら、いつきの元へ、足を向けて走り出していたのだ。
「いつきちゃん。大丈夫」
痛みで顔を顰めている、いつきの元へ来て、身体を助け起こす。
両膝は、皮が捲れ、赤い血が、痛々しく流れていた。
いつきの表情が、苦痛で曇っている。
抱きかかえ、近くの公園に、連れて行った。
そこにある水道水で、傷口を洗って、手当てしてあげる。
そして、持っていたバンドエードを、張ってあげた。
「ありがとう。お兄ちゃん」
「ごめんよ。カギを取り戻せなくって」
首を横に振る。
その顔は、沈みきっていたのだ。
どうすることも、できなかったことを、悔やんでいた。
「いつきちゃん、ごめん……」
自分が悪いのに、慎二が、落ち込んでいる姿に、元気いっぱいな姿を装っていた。
「お兄ちゃんは、悪くないよ」
「……」
「私が、落としちゃったんだから」
「家に、入れないだろう?」
「大丈夫。お父さん、もう少し経ったら、帰ってくるから」
もう一度、大丈夫か?と、慎二が念を押したのだ。
元気よく、大丈夫と答えていた。
その元気そうな姿に、よかったと、安堵したのである。
「そっか」
「じゃ。お兄ちゃん、帰るね」
ぎこちない足取りで、いつきが、帰っていった。
いつきの姿を見送っていると、神妙な面持ちで、ばっちゃんが話しかける。
「母親が、いないそうじゃ」
「へぇ? ……どうして、知っているの? いつきちゃんと、知り合いなの?」
呆れ気味な顔で、惚けている慎二を捉えている。
「知り合いの訳がなかろうが。あの子の守護霊に、聞いたんじゃ」
「へー。あの子にも、いるんだ。ってことは、あの子の守護霊は、母親?」
頭を振っているばっちゃん。
「誰にでも、おるわい、このバカ者が。それに、あの子の守護霊は、母親ではない。三代前の、ご先祖様じゃよ」
「バカって、言うことないじゃん」
眉を潜め、剥れてしまう。
剥れている慎二を無視し、徐々に小さくなっていく、いつきの後ろ姿を眺めながら、話を続けていた。
「ウサギの人形、亡くなった母親が、作ったそうじゃ」
「……」
ばっちゃんの話を聞き、見えなくなりそうなほど、小さくなった後ろ姿を眺めていた。
「大切にしていたと、言っていた」
「……」
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