第2話
しっかりと、閉じている瞳。
怖くて、開けることができなかった。
今か今かと、車が当たるのを待っても、いっこうに当たる気配がない。
「……」
片目ずつ、目を、ゆっくりと開けていく。
薄っすらと、青々しくみえる芝生を捉えていた。
「……意外と天国って、リアルなんだな」
思わず、本音が漏れていた。
辺り一面、雲だらけの天国を、想像していたのである。
目の前のリアルさに、驚きを隠せない。
「……苦しまずに、俺は、死んだのか?」
何気なく、呟く慎二。
乾いた笑いが零れている。
車に当たった感触も、ぶつかった記憶もなかった。
痛くも、痒くもない身体を、手で触って、確かめる。
どこも、ケガしている様子もない。
身体が温かかった。
「生、暖かい……。何で、ケガしてないんだ?」
ふと、自分の足元を窺う。
足元から、少し離れたところに、ジュースが哀れな姿に変貌していた。
「あーあ。ジュースが……」
しゃがみ込み、無残なジュースの残骸に、手をかけようと伸ばそうとする。
「親不孝もの!」
いきなり、怒声に飛び上がり、尻餅をついてしまう。
「わっ」
目をパチクリとさせていたのだ。
視線を、声の主まで上げる。
そこに、八十は超えている老婆が、ぷっかぷっかと浮遊していた。
目を丸くしている慎二。
老婆が、やれやれと、肩を竦めていたのだった。
あんぐりと口を開き、驚愕している慎二に向かい、老婆が喋り出す。
「十七にもなって、親に心配かけて、どうする気じゃ」
開いたままで、言葉にならない。
そんな惚けた姿を放置し、どんどんと話を続けている。
「慎二。私を、忘れたのか? 悲しいの、あんなに、小さかったお前を、可愛がってあげたのに」
老婆が、泣く素振りをみせている。
指の隙間から、まだ腰が抜けている慎二の様子を窺っていた。
どう見ても、嘘泣きと言うことがわかってしまう。
(何だ……、下手くそな演技は)
マジマジと老婆を捉えていた。
ふと、幼かった頃の記憶を辿る。
きっちりと、白髪を襟足の上で、ダンゴ状にまとめている老婆を凝視した。
靄がかかっていた記憶が、徐々に、鮮明に蘇ってくる。
「ばっちゃん!」
「やっと、気づきおったか」
「な、な、な、なー」
言葉にならない声を、出してしまう。
細かい亀甲の模様が入った、海老茶色の着物を、着ているばっちゃんを指差す。
ばっちゃんの右の眉が、少し上がる。
目を細め、相手を威圧していた。
「眞人から、人を指差すんじゃないと、教わらなかったのかい?」
眞人は、ばっちゃんの息子で、慎二の父親である。
絶句し、言葉が出ない。
まだ、ばっちゃんを指差している。
「指すんじゃないと、教わらなかったのかいって、わしが言っておるんじゃよ」
「えっ。あ、はい」
ばっちゃんの迫力に押され、思わず、指を引っ込める。
ふんと鼻息を荒くしているばっちゃんだ。
「ごめん」
写真で見た姿と、一寸足りとも、変わらない姿だった。
食い入るように、目が離せない。
そして、自分は、死んでしまったと悟った。
慎二が、四歳の時に、ばっちゃんが亡くなっている。
「くそ。まだ、何も、していなかったのに」
「戯け! お前は、まだ死んでおらん」
「えっ? だって、目の前に、ばっちゃんがいるじゃん」
「勿論。私は、死んでおる」
ばっちゃんが、堂々と胸を張っていた。
胸張って、言うことかよと、思わず、内心で突っ込みを入れている。
「じゃ。俺って、何?」
「慎二、よく周りを見てみ」
ばっちゃんの言葉に促され、周囲を見渡す。
すると、遠くの方で、子供たちがサッカーをしたり、キャッチボールで遊んでいる光景が垣間見えていた。
それに、男女のはしゃぐ声が、耳に届く。
目をぱちくりとさせながら、その様子を見入っていた。
(俺、生きているの?)
「ここ、どこ?」
この状況を、まだ把握できていない仕草に、情けないと溜息をつく。
「わしの孫のクセに、ちーとばかり頭が悪いの」
「ばっちゃんに、言われたくない」
剥きになって、反論を口に出していた。
瞬く間に気圧され、口を閉ざすが、その口が、尖っている。
両親から、ばっちゃんは勉強とか、習い事が嫌いだったと、聞かされていた。
そのDNAを、受けついていると言われたことも思い出し、吐露した。
「お喋りが」
自分の息子、眞人の姿を、苦々しく思い浮かべる。
男の割りに、お喋りだったことを巡らせていた。
(ろくでもないことを、喋りおって。どうして、あの子は、お喋りだったんだろうね)
憤慨している、ばっちゃんを見つめる慎二。
近所のおじいちゃんから、お喋りな血筋は、ばっちゃんに、似たんだろうと聞いていたのを思い出していたのである。
(ばっちゃんに、似たんだろう)
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