第10話
昨日、いつきが、ウサギのマスコットがついたカギを、失くした場所に立っていた。
呆けたような眼差しで、慎二を見ているばっちゃん。
気恥ずかしさで、慎二の頬が、ほんのり色づいている。
「……ばっちゃん。触ることできなくっても、昨日の犬、探すことは、できるだろう」
揺るがない慎二の目を、捉えていた。
覗き込むような、ばっちゃん視線に、眉を潜めている。
「なんだよ。なんか、文句でもあんのかよ」
「いや。お前に、こんなところがあったのかと、思っただけじゃよ」
ばっちゃんが、気味が悪いほど、ニターと、口角が上がっていた。
「うっせーな」
思わず、視線を外してしまう。
慎二の耳が、少し、赤くなっていることを見逃さない。
「照れおって。可愛いの」
「テレてねーよ」
惚けて、目を合わせようとしない。
ばっちゃんは、慎二の正面に、回り込む。
けれど、慎二も、それに対抗し、正面に、ばっちゃんの顔が来たら、すぐに、そっぽを向いていたのだ。
「どうして、わしに、その可愛らしい顔を、見せてくれんのじゃ?」
「ばっちゃんが、顔を、近づけるからだよ。それに、俺のこと、可愛いと、思ってないくせに、そんなこと、言うなよな」
「可愛いと、思っておりますよ。可愛い、可愛い慎二が、こんなにも、照れると、こんなにも、可愛いものかと思って、驚いているところだよ」
「可愛いって、連発するなよ。気味が悪い」
さらに、慎二の耳が、燃えるような赤に、変わっている。
「可愛いの、可愛いの。慎二ちゃんは、本当に可愛いの」
「……」
(くそー、ばっちゃんめぇー。絶対に、ばっちゃんに、勝ってやる)
「ごちゃごちゃ言わないで、さっさと探せよ」
「それじゃ、探してくるか。可愛い慎二ちゃんも、頑張っておくれ」
ばっちゃんが浮上し、犬を探しに、向かっていく。
見送りながら、辺りを気にすることなく、怒鳴っていた。
周囲にいる人たちは、慎二の独り言に、目を合わせようとしなかったのだった。
「可愛いは、余計だろう! ばっちゃん」
ばっちゃんは答えず、犬を探しに行ってしまった。
「ったく」
辺りを見渡してから、歩き始める。
「ノラっぽいよな」
泥だらけだったゴールデンリトリバーを、思い出していた。
ゴールデンリトリバーには、首輪がついていたのだ。
だが、汚れ具合を踏まえ、野良犬と、判断したのだった。
「厄介な犬が、持っていったよな」
ゴールデンリトリバーが、逃げていった方向を探す。
けれど、それらしい犬と出逢わない。
その近辺を、三十分以上も捜索するが、今日に限って、一匹の犬にも、会わない状況だった。
こめかみから、大粒の汗が流れている。
「何やっているんだろう」
小走りで、探していた慎二。
立ち止まり、電柱に背中を預け、真っ青な空を見上げていた。
空を眺めながら、自分がしていることが、おかしい気がし、急に笑い出していたのだ。
少し前の自分には、考えられない行動だった。
「マジで、変な俺」
涼しい風が吹く。
涼しい風が、心地よく感じ、ひと時の安息が訪れていた。
「どれ。探すか」
小走りで走り出し、光るものを発見する。
光るものに、近づいていった。
「……」
「慎二」
首を傾げ、見下ろすばっちゃん。
立ち止まっている、慎二の姿があった。
「あの犬、見つかったぞ。けれどな、なかった」
「そうか……」
ばっちゃんの方を向かず、ひたすら、雑草の上の光るものを、食い入るように見つめている。
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