量的緩和政策の出口における困難について
2017年衆議院選挙の時、「政権評価の為の情報をちゃんと公開してくれないと、真っ当に選挙なんかできないから、最低限これだけは説明してください」ってな主旨のエッセイを僕は投稿したのです。
その中の一つに、“自民党が行っている量的緩和政策の限界とそれをどうソフトランディングさせるのかが全く説明されていない点”がありました。
日本銀行(と言うか、自民党と言ってしまっても良いと思います)は、量的緩和政策の出口について「時期尚早」とし、ほとんど議論を避けているような状態だからですね。
量的緩和政策について軽く説明しておくと、日本銀行が国債などの債券を大量に買い取って金融市場に膨大な資金を供給し、それによって投資を活発化、経済を成長させようってな経済政策の事です。
この量的緩和政策の結果、2017年度の段階で、500兆円という途方もない規模の資産を日銀は抱える事になってしまいました(が、2017年10月に日銀は国債保有残高を減らしたと発表したので、今後はどうなるか分かりません)。
この量的緩和政策には高いリスクが伴いますから、確りと計画が練られているかどうかを知る事は政権の実績評価に密接に結びついているので、選挙前にその情報の公開を求める妥当性は充分にあると思います。
ところが、その時、恐らくは自民党の支持者だろう人達が「量的緩和政策の何が問題なのか、説明してみてくれ」とそんな質問を僕にして来たのです。
正直に言うと、それで僕は頭の上にクッションマークが浮かびました。
何故なら、世界報道自由度ランキングで日本は非常に低く評価されていて、実際に規制されている疑いのあるテレビで流れない情報が数多くある訳ですが、この量的緩和政策の問題点については、普通にメジャーなニュース番組で流されているからです。しかも、状況の悪化に合わせて何度も。
それだけじゃありません。
2017年現在行われている日本の量的緩和政策に限らず、一般的に規模の大きな量的緩和政策はその出口において高いリスクがあると言われています。そしてこれは経済に興味を持っている人達にとっては、常識的な話のはずなのです。
それは市場環境が劇的に変化する事を意味しますから、当然って言ってしまえば当然なのですがね。
そして、2017年現在の日本の量的緩和政策は、世界の歴史を鑑みても凄まじい規模で行われています。不安視する声が上がるのはほぼ自明だと言えるでしょう。
つまり、仮にニュースを見逃していたとしても、政治経済に興味を持っている人なら、知っていなくちゃおかしい話なんですね。
だから、
「なんで知らないねん?」
って、なるのは普通の反応だと思います。
ですが、(自分の方が経済専門家よりも経済に詳しいと言わんばかりの書き方をしている人もいたので閉口しましたが)それから僕は冷静になってこう考えました。
「もしかしたら、これは“デイリーミー現象”の所為じゃないだろうか?」
と。
デイリーミー現象というのは、ある閉ざされた集団内で、自分達にとって都合の良い情報だけを採用し、伝え合う事でそれが反響して強化され、思想などが非常に偏っていってしまう現象の事です。つまり、誰も何も意図していなくても結果的に情報統制されているのと似たような状態になってしまうのですね。
そして、恐らくは自民党支持者だろうと思われるその人達も、相当に偏った思想を持っているようでした。
ならば、「自分達にとって都合の良い情報しか入って来ない環境にいる」のかもしれません。彼らはそんな環境で勉強している所為で、一般的な政治経済についての知識がなかったのではないでしょうか?
量的緩和政策のリスクは、自民党にとって不利な情報ですからね。
(因みに、こういう現象が人間達には起こるものですから、何かしら知識を集める時は、できるだけ様々な思想を持った人達の意見を読むか、それが難しいのなら、中立の人の書いた内容を読むのが良いのではないかと思われます)
このデイリーミー現象によって起こっているのではないかと思える面白い事例の一つに、こんなものがあります。
国家破産議論って耳にした事はありませんか?
「1000兆円以上にもなる莫大な借金を抱えている日本は、果たして国家破産してしまうのか否か?」
ってやつです。
僕が読んだ限りでは、「日本が国家破産するはずない!」と主張している国家破産危機否定派の主な主張は次のようなものです。
日本は国内だけで、借金のほとんどを賄っているので、紙幣を発行すればそれで借金は返せる。ただし、その場合、日本円は価値を失い物価は上昇する事になる。また、国には増税によって国民から通貨を集め、借金を返すという手段もある。だから、国家破産はあり得ない。
反対に「このままでは、日本は国家破産してしまう!」という国家破産危機肯定派の主な主張は次のようなものです。
このまま国の借金が膨らんでいけば、いずれは国際市場の信頼を失う事によって日本円の価値は暴落し、物価が上昇する事になる。また、国は国民から財産を没収し、それによって借金を返すという手段に出るかもしれない。
はい。
もう分かっている人もいるかもしれませんが、双方とも「このままでは、日本社会はこうなってしまう」と言っている内容は同じなのですね。物価上昇、または増税によって借金を返す。同じです(一応断っておきますが、通貨を増刷すると物価上昇が起こるのは、通貨が信頼を失うからとも表現できます)。
その同じ内容を国家破産危機否定派は「国家破産ではない」と表現し、肯定派は「国家破産だと」表現している。
つまり、本来議論するべき点は、その同じ内容を“国家破産”と呼ぶべきか否かということになる訳です。
これ、もし双方が積極的に意見交換し、等しく情報を共有したなら、直ぐに気が付けると思うのです。
だから、まぁ、僕はデイリーミー現象が起こっているのではないかと疑っているのですがね。
……この流れなら自然にそうなると思いますが、ここで“物価上昇”または“増税によって借金を返す”という状態を、果たして国家破産と呼ぶべきか否かという点について、僕の意見を述べておきたいと思います。
国家破産という状態を定義するのなら、債務不履行……、つまり「国が借金を返せなくなって踏み倒す」状態という事になるでしょう。
そして、こう考えるのなら、“物価上昇”にしろ“増税によって借金を返す”にしろ、間違いなくそれは国家破産と呼ぶべきなのです。
どうしてなのか、一つずつ、説明していきましょう。
まずは物価上昇から。
“物価上昇”は、借金が減る事を意味してもいます。例えば、仮に物価が二倍になったとするのなら、単純計算で借金は二分の一になります。つまり、借金を半分踏み倒しているのと同じなのですね。
もちろん、その物価上昇が充分な経済成長が起こった結果というのなら、“国家破産”と呼ぶに相応しくないかもしれません。ですが、経済が停滞したまま国が膨大な借金を重ね続け、遂には通貨価値が下落する状況にまで追い込まれてしまった状態を、“国家破産”と呼ばないというのは、いくらなんでも無理があります。
因みに、こういった話をすると、「日本がハイパーインフレーションに至るなど有り得ない」と主張してくる人がいますが、別にハイパーインフレーションじゃなくても、充分に国家破産と呼べます。そして、もちろん社会に与えるインパクトも大きい。物価が二倍になるという事は、貯金が二分の一になってしまうという事です。それで何も問題が発生しないはずがありません。例えば、貯金生活をしている人(主に高齢者)は、かなり生活が厳しくなるはずです。
次に“増税によって借金を返す”ですが、これは物価上昇よりももっとストレートに国家破産です。
普通、増税は何かしら国民にサービスを提供する為に行われます。集めた通貨で、医療の充実をしたり子育て支援をしたり。しかし、この場合は何ら国民へのサービスの提供は行われません。ただただ、借金を返す為にだけ行われるのです。
増税とか、そんな表現を使わないで説明すと、
「借金が返せなくなった。だから、金を借りた相手から金を貰って、それで借金を返す」
って事ですよ?
借金を踏み倒していますよね、どう考えても。
これで「借金は返した。破産していない」などと主張したら、絶対に馬鹿にされます(と言うか、怒られます)。
本来は
「借金をして行った経済政策で経済成長が起こり、その結果として自然に増えた税収で借金を返す」
という流れがあるべき姿のはずです。が、これが実現できず、
「経済政策に失敗し、税収が伸びなくなってしまったので、無理矢理な増税によって借金を返す」
という事をしているのですから、国家破産と呼ぶべきでしょう。
因みに、量的緩和政策によって、物価は(わずかとはいえ)意図的に上昇させられていますし、様々な手段によって直接的な増税の他にも実質的には増税と言える行為が国によって行われているので、今の状況は既に「緩やかに国家破産し続けている」と表現する事だって可能です。
もっとも、それを国家破産と呼ぼうが呼ぶまいが、それで国民生活が苦しくなりさえしなければ大きな問題はないのですがね(つまり、そんなのは些細な点なのです)。
国家破産議論についての主な主張に基づいて僕の意見を述べましたが、中には「いくら通貨を増刷しても物価上昇は起こらない」、「日銀が国債を買い取れば国の借金は消える」などといったトンデモなものもあって、それらについては触れませんでした。
理由は簡単で、原理的に“ほぼ”有り得ないからです。
(“ほぼ”と書いたのには理由があります。後で説明します)
永久機関って知っていますか?
文字通り、永久に仕事をし続ける装置の事です。もしこれを開発できれば、エネルギーの枯渇問題など発生しなくなりますから、当に夢の装置と言えるでしょう。
ですが、“永久機関が開発された”といった類の話は、恐らく真っ当な物理学者ならば聞いた途端に即座に否定します。何故なら、熱力学の原理に反しているからですね(熱力学の原理の否定とセットだったなら、或いは多少は興味を持つかもしれませんが)。
経済の話もこれと同じです。
通貨が通貨として成立する原理に反しているのなら、それは絶対に間違っています。
では、通貨が通貨として成立する原理とは一体、どんなものでしょう?
まず、通貨とは取引に用いられるだけのもので、本来、価値はほぼゼロです。硬貨はまだしも紙幣なんてただの紙切れですし、最近では単なる電子データだったりします。
だから、どれだけ通貨を増刷しても何らかの富を生むような事はあり得ません。
その本来、ほぼ価値がゼロである通貨に対して価値を与えているのは、(企業が発行している電子通貨などの例外もあるにはありますが)基本的には国です。……より正確には、国の力を背景に中央銀行がそれを行っているのですがね。日本の場合は、日本銀行がそれに当たります。
だから、その国の通貨に対する信頼が揺らげば、いとも容易く価値が下がってしまうのです。そして、国の通貨が信頼を得る為には、それに裏打ちされた何かしら価値のあるものが存在する必要があります(今は莫大な規模の金融ビジネスのマネーゲームの所為で、ちょっとそれだけでは説明し切れなくなっていますが)。
何の産業も持たない国が、何の保証もなく通貨を発行しても、それで取引を行ってくれる人など何処にもいないでしょう?
国じゃないですが、僕が勝手に通貨を発行しても、あなたはそれと何か価値あるモノを交換したりしてはくれないはずです。
では、
これらを踏まえた上で、“日本の借金”について考えてみましょうか。
まず、日本は借金によって様々な資源を買い、莫大な無駄遣いを行い続けてきました。
船の停泊しない港や、飛行機の降りない空港、車が通らない道路等々を造り続けてきたのですね。無意味かどうかは別問題にして、一時的な経済効果しか生まない防災設備などもこれに準じます……
これらを造る為に用いた資源には当然、価値があります。価値がある資源を、価値ゼロの通貨を発行して買う事はできません。
ですが、「通貨を増刷して、借金の穴埋めをする」というのは、実質それをやっているのと同様の行為なのです。
だから、もし仮に借金の穴埋めをする為に通貨を発行したりしたなら、それ相応の価値が失われる事になります。
つまり、日本の信頼が失われる事によって日本円の価値が下がり、物価が上昇する事になるのです。
もちろん、詳細を言えば実際のケースには数多なパターンが考えられるでしょう。ですが、どんな手段を用いたとしても、通貨の価値が本来ゼロである事実に変わりがない以上、それは避けられません。
どんな経緯であるかは分かりませんが、絶対に何かが犠牲になります。
ただし、通貨の価値は“信頼”という心理的なもので決まってきます。ですから、どれだけ滅茶苦茶な事をやっても、世界の経済市場が日本円を信頼し続けてくれるというのであれば、その限りではありません。
先に「原理的に“ほぼ”あり得ない」と書いたのは、だからです。
まぁ、もし、そんな事が実際に起こったのなら、日本人はまったく働かなくても日本銀行が通貨を発行し続けるだけで生活できる事になってしまいますがね……
さて。
ここまでを読んで、「どうして、量的緩和政策の出口についてのエッセイで、国の借金についてこんなに長く語っているんだよ?」と、疑問に思った人もいるかもしれませんが、それにはちゃんと理由があります。
量的緩和政策の出口における困難と国の借金には非常に深い関係があるのです。
先に「日本銀行が国債などの債券を大量に買い取って金融市場に膨大な資金を供給し、それによって投資を活発化、経済を成長させよう」とするのが量的緩和政策だと説明しましたが、その限界……、つまり市場に出回っている国債を日銀が買い過ぎてしまい、量的緩和政策が強制的に出口に追い込まれる段階で問題になって来るのが(もしかしたら、他の要因で出口を迎えるかもしれませんが)、国の借金による国家破産なんです。
いえ、国家破産にまで至るとは限りませんが、とにかく、国の抱えた膨大な借金が原因となって様々な問題が発生する恐れがあるのですね。
少しずつそれを説明していきましょう。
量的緩和政策は、一般的には景気刺激策だと言われていますが、「国が借金し易くするのが真の目的ではないか?」と考えている人達もいます。
日銀が国債を買い入れると、「日銀が買ってくれるなら」という理由で国債を買う金融機関が増えますし、長くなるので説明は割愛しますが、国債金利が低くなりもします。これは日本の借金の金利が低くなる事を意味しますから、借金が増えるスピードを抑えられます。
すると、もちろん、国は借金がし易くなります。ですから、量的緩和政策は「国が借金し易くるするのが真の目的ではないか?」と考えるのも無理はないのですね。
(因みに、マイナス金利政策についても、実は真の目的は「国が借金をし易くする事なのではないか?」と考えている人達がいます。
確かに考えてみる価値はあるかもしれません。
マイナス金利政策は、実は実質的には金融機関に対する増税と同じである上に、社会全体の金利が低くなる事で物価を低下させてしまう危険性があるので、アベノミクスの物価上昇という目標と矛盾しますしね。いえ、それを言ったら、アベノミクスにはもっと色々とおかしい点はあるのですが)
ただし、これは飽くまで短期的な話で、中・長期間を考えるのなら、そうとばかりも言えません。
実は“低金利の債券”というのは、資産としてとても危険なのです。もし、金利が上昇してしまったのならその価値が失われ、損失となってしまうからですが。
そして、量的緩和政策の出口においては、その“金利上昇”が起こってしまうと言われているのです。
『金融政策の「誤解」 早川英男 慶應義塾大学出版会』という本によれば、日銀の長期国債保有額が300兆円に達した2016年春の時点のラフな計算で、仮に2%にまで金利が上昇した場合、その年間の損失額は6兆円にもなるそうです。2017年現在は、既に約400兆円にまで達していますから、損失額は更に大きくなるでしょう。
日銀の純資産は約4兆円程度しかありませんから、その損失の穴埋めをする事はできません。日銀はこれに備えて積立金を始めていますが、とてもじゃありませんが足りない上にそれは国民負担となっています。
まぁ、だから、「日銀が潰れる」と警告を発している人達もいるのですがね。
(一応、断っておきますが、金利が上昇すれば、普通の金融機関も損失を受けます)
しかし、世の中には、これについてこんな反論をする人もいます。
「日本銀行は、通常の金融機関とは違うのだから、何の問題もない」
どうも、「低金利の国債を売らないで、そのまま残しておけば低金利とは言え収入になる。だから、損失にはならない」ってな理屈がその理由のようです(債券の金利が上昇した場合の損失は、飽くまで評価損なので、売らないで保有しておけば約束通りの金額を受け取れるのです)。
ですが、もし仮にそれが本当だったなら、「本来、通貨の価値はゼロ」という原則に反してしまいます。
話がややこしくなっているので分かり難いかもしれませんが、もしこれが成立するのであれば、「価値ゼロの通貨で、価値のあるモノを買えてしまった」という事になるからです。
これは(ほぼ)あり得ません。
過去に価値あるものを借金によって買ってしまっている以上、その借金が消えるのならばそれと同時に、絶対に何処かで価値の喪失が発生していなければならないからです。日銀が国債を買い入れても、何ら富は増えませんからね。
まぁ、答えを書いてしまえば単純な話で、実は日本銀行は金利を金融機関に支払っているのです。だから、保有している国債の金利と上昇した金利の差分だけ、損失が生まれる事になるのです。
もう少し詳しく説明しましょう。
日本銀行は金融機関から国債を買い入れたなら、その買った分の通貨を日銀の各金融機関の口座に入れます。
日本銀行は“銀行の銀行”ですから、金融機関の口座が日本銀行にはあるのですね。
その日本銀行の口座に入っている額のうち、法定準備額分については金利はかかりません。が、それを超える超過準備額については僕ら生活者の通常の預金と同じ様に金利が発生します。
そして、その金融機関に支払う金利が、国債の金利を上回ってしまったなら、その分は日銀の損失となってしまうのです。
「なら、金融機関に金利なんか払わなければ良いのじゃない?」
って、思いますか?
甘いです。
既に日銀にある金融機関の銀行口座には、数百兆円という規模の通貨が積み上がっていますが、もし金利を払わなかったら、各金融機関は損失を被ることになるので、その日銀の口座に積み上がっている通貨を引き出してしまうでしょう。すると、数百兆円という規模の通貨が市場に供給される事になってしまいます。金利が通常レベル以上に戻った状態で、市場に通貨が大量に供給されると、物価は急上昇します。
国家破産議論の時に説明しましたが、これは通貨価値の下落、国家破産を意味し、様々な問題が発生してしまいます。
「なら、金融機関が日銀口座から通貨を引き出すのを禁止にすれば?」
オーケー。
これなら上手くいきそうな気もします。が、すると今度は本来国が負担すべき金額を各金融機関が負担する事になります。
つまり、それは実質、金融機関に対する増税と同じだって事です。理屈で言えば、マイナス金利政策が実質的に増税なのと同じです。その負担に金融機関が問題なく耐えられるというのならばまだ分かりますが、それは単なる願望に過ぎないでしょう。一応断っておきますが、もちろん、金融機関だけじゃなく、一般国民だってその悪影響を受けます。
「借金を返す為に行われる増税は、国家破産と同じだ」
って、前に説明しましたが、だからこれも国家破産ですね。
もちろん、税金から日本銀行に通貨を入れたら、それはそのまま国民負担になります。
日本銀行が保有する大量の国債を売れば、この日銀の口座にある通貨を減らす事が可能で、つまりは金融機関に金利を払わずに済むのですが、それをやってしまったら、国債価格は暴落してしまいます(因みに、これも国家破産と見做せます)し、金利が高くなった状態だと金利の低い債券は、低い価格でしか売れませんから、ストレートに大損失になります。
まぁ、要するに、「誰も被害を受ける事なく借金が消える」なんて夢みたいな事は絶対に起こらないってな話です。それを国家破産と呼ぶかどうかなんてのは、先にの述べた通り些細な問題ですね(虚栄心が高い人にとっては、重要かもしれませんが)。何をどうしようが誰かがどっかで損を被ります。
そして、それが起こるのが「量的緩和政策の出口」になってしまう危険性があるのです。だから、とても困難なんですが。
仮に、もし奇跡が起きて、例えば通貨を増刷する事で借金の穴埋めをするなんて滅茶苦茶をやっても日本円に対する信頼が維持され続け、日本円の価値が変わらなかったとしても、その時は日本円の価値を信じた国外の通貨を使っている人達が損をするんです。
そんな事はまず起きないとは思いますがね。
ただし。
今まで絶望的な話ばかり語ってきましたが、希望がない訳でもありません。
何故ならば、借金による負荷からはどう足掻いても逃れられませんが、そのインパクトを和らげる事ならば可能だからです。
長期間に渡って積りに積もった1000兆円以上にもなる借金が、一度に襲いかかって来たなら、いかに強靭な日本経済といえども耐え切る事はできないでしょう。
僕らの生活は一気に苦しくなります。
しかし、それを時間、場所で分散すれば、ソフトランディングさせる事が可能かもしれません。
例えば、先ほど説明した“低金利を金融機関に享受してもらう”案。これも先ほど説明した通り、全ての負担を金融機関に押し付けるのは無理でしょうが、その一部を金融機関に負担してもらう事ならば可能でしょう。
これは先ほど書いた『金融政策の「誤解」 早川英男 慶應義塾大学出版会』という本の中で軽く紹介されてあった方法ですが、ある一定の制限を設けて、その一部を低金利で金融機関に我慢してもらうなら、それが実現できるかもしれません。
ちょうど、今、日銀がマイナス金利政策でやっているのと似たような感じですね。
後は、財政で余裕のある部分に着目すると、実は「意外にいけるんじゃないか?」ってな気分になってきます。
最近ではあまり話題にならなくなってきましたが、日本には“特別会計”という予算があります。この特別会計は国会を通さずに決められるという、いかにも政治家や官僚の皆さんが利己的な目的で税金を無駄遣いしていそうな制度になっていまして、つまりはこの部分を節約すれば、数兆円くらいならなんとか捻出できるかもしれないのです。
(かなり古い話で申し訳ないのですが、十年くらい前は確か12兆円くらい出て来るのじゃないかという話でした)
これはブラックボックスの話なので、本当はどうなのかは分からないのですが、もっと明確に節約できるものもあります。
いや、ま、これも特別会計の一部ではあるのですがね。それは“年金”です。
2015年度の実績で、年金はなんと56兆円も支払っている上に、はっきり言って払い過ぎているからです。収入が一千万を超える高齢者にも年金は支払われていますし、例えば夫婦そろって公務員なら月に40万円以上も貰っているケースだってあります(共済年金はなくなりましたが、今でも公務員優遇は残っているそうです)。
この払い過ぎを是正し、更に企業年金に税をかければかなりの収入になるはずです。
(因みに、日本銀行の総裁は、企業年金だけで月に28万円。これに厚生年金を加えると、合計で約50万円も貰っているそうです。これで自分達はまったく負担せず、国民に負担を丸投げしてきたら、流石に怒って良いと思います)
また、金額的な問題だけでなく、日本銀行の態度や能力にも希望を感じる部分はあります。
以前、数年前までは自民党及び日本銀行の発言は“イケイケ!”で、リスクを恐れず暴走してしまいそうな雰囲気がありました。今でも自民党の発言に弱気な部分は感じられません。が、しかし、日本銀行の態度は変わってきているのです。
冒頭の方で少し書きましたが、2017年10月に日銀は国債保有残高を減らしたと発表しました。しかも、実はそれ以前から、日銀は国債の買い取り額を減らしていて、だから「既に日銀は、量的緩和政策の出口に向かっている」、または「量的緩和政策の期間を延ばそうとしている」などと考えている人達もいるのです。
つまり、少なくとも日銀のメンバーには理性があるようなのです。少し遅すぎなような気もしますが、量的緩和政策に対してブレーキをかけている感じなのですね。
更に日銀には、以前に量的緩和政策を大きな混乱を起こさず終了させたという実績があるのです(と言っても、額の規模は現在のものに比べれば随分と少ないですが)。この日銀の能力には期待できるかもしれません。
が、これに対抗するような動きもあります。
2017年10月に、量的緩和政策に反対するメンバーが日銀の政策決定会合からいなくなってしまったのです。
これは、まぁ、自民党の意向だと考えて良いと思います。
自民党に関係している経済専門家の中にはリフレ派と呼ばれる人達がいるのですが、この人達は、通貨を増刷してばら撒けば、それで経済は回復すると考えています。これはどうも“信仰”のようなものになってしまっているらしく、以前にも量的緩和政策は行われていて、期待した程の効果を上げなかったのですが、それでも「量が足らなかったのだ」と言い、更なる追加緩和を主張しています。
或いは、この人達が暴走し、事態を悪化させてしまうかもしれません。警戒が必要だと思います。
一応断っておきますが、経済というのは、通貨を刷ってただばら撒けば発展するような簡単なものではありません。
生産性を上げて労働力を余らせ、その労働力に技能を身に付けさせた上で、再生可能エネルギーやIot、人工知能といった新分野に投入して“新たな通貨の循環場所を創る”という作業が必要になってきます。
この為には新分野への投資が必要で、この点に関しては確かにリフレ派の主張している内容でカバーできそうに思えなくもありませんが(日本は規制でがんじがらめに縛られていて、投資を促すにはその規制を緩和しなくてはならないのですが、それはあまり行われていないのです)、はっきり言ってそれだけでは必要条件を満たしてはいません。
経済成長を起こすには足りないのです。
話を量的緩和政策に戻しましょう。
先程まで説明して来たように、金利が上昇しても額的にはなんとか日銀が破綻せずに済むようにできるかもしれません。
ただし、このままでは、その負担が長期間続いてしまう上に、今の日本社会にはそれ以外にも様々な不安要因があります。
高齢社会の影響で医療福祉財政は逼迫していますし、生活保護費のようなセーフティーネットだってピンチです。
もちろん、財政赤字だって大きな問題でしょう。これは量的緩和政策の問題と一部は被っていますが、日銀だけじゃなく、前に軽く説明した通り、普通の金融機関も“低金利の国債”という危険資産を持っている点は捨て置けない事実です。
しかも、金利が上がれば、借金が増えるスピードが速くなってしまいますしね。
一応、少しだけ自民党安倍政権を擁護しておくと、こんな事態にまで至ってしまったのは彼らだけに責任がある訳ではなく、歴代の政権が半世紀もの間、国の借金や社会の高齢化という大問題を野放しにして来た所為でもあります。
(まぁ、ほとんど自民党政権ですが、恐らく仮に他の政党が政権を担っていたとしても似たような状況に陥ってしまったのではないでしょうか?)
そしてだからこそ、日本人は反省しなくてはならないとも思うのですがね。
民主主義社会においては、政治が悪いのは国民の所為でもあるからです。
量的緩和政策以外も、僕はこれからの日本社会に対して大きな不安を持っています。
例えば、国家破産状態になれば円安になって輸出面で日本企業は有利になりますが、国際競争力を近年になって落としてきている日本社会の現状では、それを充分に活かせないかもしれません。特に、日本は情報技術分野の教育が全く進んでいませんが、これが重いハンデになる可能性が濃厚です。
もちろん、打開策はあるのですが、国のトップの方々の言動を観ていると、古い考えに縛られてしまっていて、とてもじゃありませんが、そんな方法を考え、実行できるようには思えないのです。
まぁ、だからこそ、彼らの尻を叩く意味でも僕はこんな文章を書いたのですがね。
あ、それと、「自分の身は自分で護る」というのは忘れないでください。今まで説明して来た通り、国はまったく信頼できませんから。
参考文献は、作中で書いたので省略します。