02 かいじん 著 城 『城』
素材:足成
城 その1/蝉時雨
慶長5年7月11日(西洋暦1600年8月19日)
烈しい陽射しが、この城の瓦や、城壁、その他あらゆる物を灼き続け、酷暑の静寂の中で、蝉時雨だけが、辺り一面に鳴り響いている。
「亡き太閤殿下の御遺言を蔑ろにし、秀頼様より天下の権を、奪い取らんと目論む
「内府(内大臣・徳川家康)は断じて許せぬ」
この天守からの眺めを、ぼんやりと眺めていた、この佐和山城の城主石田冶部少輔三成は、そう言って振り返った。
「この度の事は、ひとえに秀頼様の行く末を案じるが故の事じゃ。……わしはこの事の他には何の存念も持っておらぬ。……何卒その事だけは、わかってくれ」
「……」
三成と向かい合っている男は、しばらくの間、考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「三成、……全ては時勢と言うものじゃ……」
一昨年前、太閤殿下が、伏見で薨去した時から 時世の勢いを得て、自らも周到な手立てを講じて、積み上げて来た、今の家康の威勢は、もはや揺らぐ事はあるまいと思われる。
「今の内府には時の勢いがある。昨今は多くの諸大名がこぞって、その勢いに靡こうと腐心しておる有様じゃ」
「はっきり言おう、三成……今、起つのは、よせ」
「それは出来ぬ。……既に会津方との、約定がある。」
「……」
二人は暫くの間、黙って向かい合っていた。
やがて、三成が天守の外に広がる真夏の青空の方に視線を移し、その鮮やか過ぎる程の青さをした空のまぶしさに目を細めた。
「小身の家に生まれた、このわしが、今の、この身に、そぐわぬ程の身上にあるのは、亡き殿下に見出され、殿下のお引き立てを受ける事が出来たからこそじゃ。……今、立たねばわしはあの世で太閤様に会わせる顔がない」
「……」
三成と向かい合っている、大谷刑部少輔吉継は、天井を仰ぎそのまま、黙り込んだ。
病の為に崩れた顔を、覆い隠している白布から、覗いている目は既に視力を失っている。
熱気を帯びた、闇の虚空の中で、蝉時雨だけが、鳴り響いていた。
(蝉時雨 了)
***
城 その2/落城の秋
見上げれば、やや西に傾きかけた日は相変わらず穏やかな日差しを降り注ぎ、澄み切った青さの空がはるかに高い所に広がっている。
そこから視線を落とすと、先程三の丸から挙がった火の手から立ち昇る煙が、みるみる勢いを増して北の方角にたなびいて行くのが見え、その辺りからは、一際激しく、武者達の雄叫びや鉄砲を放つ轟音が鳴り響いて来る。
この天上と地上との対比に、目の前の松永久秀の篭る信貴山城攻め、4万の軍勢に加わっている羽柴筑前守秀吉は、ある種の可笑し味と言い様の無い、ものの哀れと言った様な感情を抱いた。
彼は逆さ瓢箪の馬標の下で、泰然と床几に腰を降ろしていたが、内心は、今すぐにでも甲冑も具足も脱ぎ捨てて駆け出したい気分だった。
たまらなく女の肌が恋しかった。
三の丸から火の手が挙がったのは、われ等に内応して来た森好久に、予め引き入れさせた者共が火を放たせたのであろう。
朝からの総がかりで、この信貴山城にも落城の秋が迫っている。
大殿(信長)が御上洛の時、九十九髪茄子《名茶器》を差し出して、降って来た松永弾正忠久秀が、背いたのは、この度で2度目の事である。
驚いた事に、大殿はこの度も「平蜘蛛茶釜を差し出せば、助命する」
と仰せられたと言うが久秀が拒んだと聞く。
(公方《足利義輝》を弑逆奉り、東大寺を焼き払った、弾正めも、もはやこれまででや)
秀吉は思った。
やがて日が西に大きく傾き始めた頃、大轟音が鳴り響き、天守の窓や、壁の割れ目から炎と黒鉛が吹き上がった。
天正5年(1577)10月10日、松永久秀は名器、平蜘蛛茶釜に爆薬を詰めて、点火し自害、信貴山城は落城した。
久秀が三好三人衆が篭る東大寺に攻め入って、大仏殿等を消失させた、永禄10年10月10日から丁度、10年後の同じ日だった。
(落城の秋 了)




