05 深海 著 太陽・船 『青空の広間』
写真:奄美剣星
俺はひたすら降りていた。
かつりかつり、軍靴の音を鳴らしながら。一段一段ゆっくりと、階段をひたすら降りていた。
そこはゆるやかな螺旋階段で、なだらかな円をなす壁はとても暗い。
見下ろす渦の底も暗くて果てしなく、覗き込むと穴に吸い込まれる感覚に襲われる。
何段あるのか、数えることを忘れたころ。
ようやく、延々と降りた渦巻きの底に行き着いた。
そこはかなり暗い広間で、なんとも不思議なものがあった。
「……舟?」
まさしくそれは水を渡る乗り物だった。丈長く、櫂がずらりと何十本も舟腹に並んでいる。
帆をはらない舟なのか、舟柱は見当たらない。
甲板には平たい社のような建物が建っており、聖なるものらしい緑の葉の輪飾りが入り口に飾られている。
「舟の上に、神殿? しかしなぜ、こんな地の底に?」
首を傾げると、いきなりあたりがぱあっと光り輝いた。まばゆい灯りで照らされたのだ。
どこかに灯り珠でもあるのだろうか?
きょろきょろ見渡せば、広間の壁は明るい青。
かがやく日輪が……その周りで舞い飛ぶ鳥たちが、壁の上部に描かれている。
「なんときらびやかな……」
『その舟にお乗りください』
どこからともなく、穏やかな声が降りかかってくる。
これに? 俺が? なぜ?
ずいぶん立派な舟だ。しかしこの舟は、外に出られるのか? どこかに出口があるのか?
四方には青空が描かれているが、舟が出ていける穴らしきものはどこにもない。
俺の心配など杞憂。そう思わせるような声が降ってきた。
なんとも甘やかな声が。
『それがあなたさまの棺です。国王陛下――』
「うわあ?!」
なんて夢だ?
俺は悲鳴をあげて飛び起きた。
ちちちと鳥が鳴いている声に惹かれて横をみやれば、宿部屋の窓から朝日がさしている。
窓の青さに俺はぞくりとした。
夢で見た青空を思い出したからだ。
いったいどんな意味だったのか、縁起がいいのか悪いのかよくわからない夢だった。
不思議な声になんと呼ばれたか思い出し、盛大に首をかしげて疑問符を大量に飛ばす。
「国王陛下って……なんで?」
俺はしがない料理人なんだけど?
いやその、王様からこっそり自分の剣を取り戻してこいとか命じられて。隠密行動して。昨日無事に完遂したばっかりで。そろそろ国に帰れるかなと思ってたんだけど?
――『大丈夫ですか? 我が主』
宿部屋に並ぶ寝台は四つ。狭めの部屋にひしめいてる。
俺のすぐ隣で猫目さんが、どてっ腹をこんもり山にして寝ている。
そのまた隣には白いウサギが大の字になって寝ている。
そのまた向こうでは、黒髪のおじさんがガーガーいびきをかいて寝ている。
声をかけてきたのはこのうちの誰でもなく、俺の枕もとに立てかけられている剣だった。
『私昨日、あなたさまに少々、やけどをさせてしまいました。それで寝付けずですか? 申し訳ありません』
「いや、怪我は大したことないさ」
メンジェール王宮に逃げ込んだ黒猫卿。エティアにて反乱を起こした張本人は、魔法陣に閉じ込められ、追いつめられたすえ――自刃して果てた。
すると彼が後生大事にしていた乙女の木像が燃え上がり、炎の大蛇と化して大暴れ。
俺は剣をふるって見事そいつを倒した。
いや、蛇を鎮めたのは俺じゃない……。
メンジェール王宮、丈高い城壁がそびえる城の一角。
ごうごう燃え盛る木の彫刻は、天に届くかとみまがうほどの炎を巻きあげてた。
あたりはひどく煙たくて、目にしみて涙がぼろぼろ。口を押さえないと咳き込む状況だった。
炎は異様な勢いで俺たちを舐めてきた。
いくつもの筋に分かれ、それがひとつひとつ竜頭のようになり、真っ赤な舌をチロチロ。
炎の牙をぐわりと見せて、噛み付いてこようとする。
熱さにくじけそうになりながら、俺は剣を薙いだ。
炎を斬るとか、そんなものじゃなくて。ただがむしゃらに扇いで火を遠ざけたかった。
それで少しずつ木像に近づこうとしたら――
『はい。もう大丈夫でございますよ、我が主』
ものの数十秒とたたぬうち、剣が戦闘終了を宣言した……
驚いて煙たさにしばたく目を凝らせば、木像はもろくも地に崩れ落ちていて、竜のような炎の筋が消えていた。
『見事な太刀さばきでございました、我が主』
『えええっ?!』
俺は数回、がむしゃらに振り回しただけだぞ?
呆然とする俺に、剣が飄々うそぶいた。
『木像の中に、精霊が住まっていたのです。それをいただきました』
『食べた……?』
大変おいしゅうございましたと、俺の剣はげっぷをひとつ。
『悲しみの強い魂ほど、美味なのですよねえ。げぷっ』
一瞬、炎がするすると剣を巻いたように見えた時があった。そのとき剣は、一瞬にして相手の「魂」を吸い込んだらしい…
「俺の力じゃ無いのになぁ……」
メンジェールの王宮から出てきた衛兵たち。そして貴人たち。
みんなが俺を見る目に俺は全身痛くなった。
あたかも剣聖とか英雄とか、そんなものを見るような目つきで刺されまくって……
『いや違うから! これ違いますからー!』
その場にい続けることができなかった。
だから黒焦げの現場から、俺は脱兎のごとく逃げ出した。剣をかついで全速力。
いやあ、逃げた逃げた。
兵士たちが「お待ち下さいー」とか、必死に追いかけてくるもんで、俺は炎に向かって剣を振り回すよりも一所懸命逃げた。ほとぼり冷めるまで宿屋に戻らず、がんばったよ。
俺はスメルニア派貴族の反乱で先陣を張ってたうえに、何万という兵士の魂を剣に食わせたらしい。
だがおそろしいことに、その記憶がほとんどない。
魔王の甘露というものに脳みそをやられていたらしく、操り人形状態だったようだ。
しかし昨日、俺はちゃんと正気を保っていた。なのにあんな、自分で感知できないぐらいのあっさり度、なんでもないような感覚のうちに、剣が魂を食らうなんて……。
俺の剣、どれだけ……とんでもないんだろう?
『心拍数が上がっておりますが? やはり負傷がご負担では』
「い、いや、大丈夫だよ?」
ほっぺたを両手で挟むようにパンパン。とりあえずしなきゃならないことに集中しよう。
いよいよ、料理大会の開催が明日に迫ったわけだが……俺と猫目さんとウサギと黒髪おじさんは、その大会が無事に開催されるのを見届けなければならない。
しかし――
「棺って……まさか俺、敵に呪われたわけじゃないよな」
『棺?』
「なんか、変な夢見たんだ。一面青空の絵が書かれたところに舟があって。それが俺の棺だって言う声が聞こえたんだよ……」
説明したとたん。突然剣からじゃじゃーん。
音源いくつ? っていうぐらい荘厳な音楽が流れ出した。
「な?!お、おい! まだ明け方っ……隣の人寝てっ……」
なんか異様に堅苦しい音楽だ。いつもの「あにそ」じゃない。
一体どうしたというんだ? も、もしかして、またこわれたとか?
「ちょっと静かにしろよっ」
『ああ……なんという僥倖。それはあれです、我が主。予知夢というものでしょうそうでしょう』
「はああ? どうでもいいから、音楽やめろっ」
『ですが喜ばしすぎて、自然に戴冠式の音楽が』
「たいかんっ? ちょ! すとっぷ! やめ!」
『ご即位、おめでとうございます』
「なにいってるんだーっ!」
なぜ俺がそんなことに……王様なんかになるんだよ?!
どう考えたってこれからそうなる可能性なんてまったくないだろうが?
エティアの王様だってこのメンジェール王国の王様だって、いやどこの国の王様だって、もともとの生まれは王族だろうに?
このメンジェールは料理大会に優勝するやつが王様になるってことになってるけど、挑戦できるのは王子だけじゃないか。
俺が王様になりえる国なんて、一体どこにあるというんだ――
『青空部屋の舟といえば、あの国のお舟でございましょうかねえ』
「えっ? おまえ舟のこと知ってるのか? あの国って一体どこっ」
『この大陸の人々は、みんな死んだら舟の棺に入れられますよねえ?』
「う、うんそうだけど」
死した者の魂は、天河に昇っていく。そこでしばらくたゆたううちに記憶が消えて、また地上にふりそそぐ。そうして生まれ変わりを繰り返すのが、この世の理だ。
ゆえに人の魂が無事に星の海へ昇っていくよう、俺達は死者を舟の棺に入れる。
荼毘に付された舟は、星空を目指して航海するのだ。
『それが王族ともなると、舟の棺がいっそう豪華になるんですよねえ。甲板に神殿みたいなものを乗っけちゃったりして』
甲板に神殿? それ……俺が見たの、まさしくそれっぽい。
『しかも王様の場合は、死した後は太陽神と一心同体になると言われている国もございまして。太陽を目指すよう造られた舟に国王を弔うのですよ』
「だからそれ、どこの国……」
『そりゃあもちろん、あなたの国でしょうそうでしょう』
「ええっ! え、エティア?」
『はい。かのお国の王廟は、一面青空の広間であると、お聞きしておりますが?』
「うそっ! だってジャルデ陛下は……いや、ちょっと待て。それ違うだろ。俺が王様になるんじゃなくて……」
俺はみるみる青ざめた。
王族の――エティア王の、舟の棺。
それが意味するものってつまり……
「ぴ、ピピさん! ピピさん! 起きてくださいー!」
俺は猫目さんのどて腹山を越え、寝ぼけ眼のうさぎを揺り起こした。そうして、即刻、エティアの国王陛下と連絡をとるよう願った。
この夢が当たらぬよう祈りながら――。
「それは心配な夢ですねえ」
猫目さんがあわててあくびを噛み殺し、俺の懸念にうなずいてくれる。
「ふああ、でもさ、夢なんてさあ、あてにならないのよー? 予言学的にゃあ、的中率低いんだぜー?」
ぶつぶつ半分寝ぼけながら、ウサギが水晶玉の伝信で王宮に照会するかたわらで、俺はそわそわ。なんともいたたまれなかった。
「なあこれ、俺の運命の夢じゃないって。ジャルデ陛下に関する夢だよきっと」
『いいえ、あなたさまのですよ。我が主』
うろたえる俺に剣がきっぱり断じてくる。なぜか自信満々に。
――「な、ななななんだってー!」
ほどなく。水晶玉の明滅を読んだウサギが素っ頓狂な声をあげ、俺の肝を縮ませた。
「や、ややややっぱり国王陛下に何かっ?!」
「いっやあ、ジャルデ陛下はめっちゃ元気だよ。そんでさ、すげえぞおい!
蛇のお妃様が卵産んだってよー!」
「そうですか! よ、よかった陛下はお元気……って、え? たま……ええええええーっ?!」
なにそれ! お妃様が卵って、つまりそれは……!
「それ、ふ、孵化したらお世継ぎ……に? なります? か?」
「なるんじゃ、ないでしょうか?」
猫目さんが喉をごくり。ウサギはにっこにこ。
「だよな! いやあ、めでたい!」
「うあー? 朝からなに騒いでんの、ぺぺ?」
黒髪のおじさんがのそのそ寝台から身を起こす。
太陽の舟の夢は、やっぱり俺が王様になる予知夢じゃないんだ――
俺はホッと胸を撫でおろした。
エティア王国は無事世代交代するって予知夢だったにちがいない――
俺はただただ、そう思った。
卵が孵ったら中から何が出てくるんだろうか。蛇? それとも半分トカゲのような人?
いずれにしても蛇のお妃さまはジャルデ陛下の正妃なんだから、卵から産まれたものがエティアの王統を継ぐだろう。あの二人でいったいどうやって卵ができたのかとか、難しいことはちょっと想像できないけども……。
「め、めでたいよな? めでたいよなこれ? そっか、俺が見たのって、吉夢ってやつだったんだ?」
しかし剣はブツブツ、俺の夢の解釈はそうではないといつまでもぼやいていた。
『王になるのはあなたですよ。きっとそうですよ、我が主』
「あはは、赤猫もういいって。主人の俺をヨイショしたい気持ちはわかるけどさ」
『いいえ。即位するのはあなたです』
俺は剣の言葉を信じなかった。だが、このあと――
「いやめでたい。お世継ぎご出産とか、幸先のいい報せだよな! 料理大会前日だし、これは前夜祭もかねて、ぱあっと盛り上がるかぁ?」
「宴会をするのですね?」
「おばちゃん代理! 酒! 酒もってきてー!」
「は、はいっ!」
なぜか……剣の言った通りの事態になってしまうのだが。
そして俺はそれを全く信じられないまま、頭に冠をかぶせられることになるのだが……。
不可解極まる話の顛末は、また別の、長い長い物語である――。
――青空の広間・了――