05 紅之蘭 著 ノート『ハンニバル戦争・イタリアの剣』
【あらすじ】
紀元前二一九年の第二次ポエニ戦争で、カルタゴのハンニバルはアルプス越えをしてローマの庭先に侵入した。南進して南イタリアでカンナエの戦いを行い、迎撃に出たローマ軍を壊滅させた。続いてローマを包囲したのだが、豪胆な元老院議員ファビウスの籠城策に根負けして撤退。そしてついにスキピオが表舞台に立つ。
「乙女」ポンペイ出土 ナポリ 国立博物館(『世界美術全集』平凡社1957年より)
紀元前二〇九年冬。
スキピオがイベリア(スペイン)で華々しい勝利をたて続けに得ていたころ、南イタリアでは、相変わらず死闘が繰り広げられていた。ローマは、「恐るべき敵はハンニバルのみ」ということを知ってしまった。三十九歳になったカルタゴのハンニバルにぴったりくっついて、ハンニバルが前に出れば退き、横からふいに飛び出して来て、泣き所となる隊伍を奇襲してきたのは、六十一歳になるローマの前執政官「イタリアの剣」の異名をとるクラディスだ。しかし先日、半個軍団二千七百名もの兵を失った。
ハンニバル陣営では、戦いの少し前に、幸運があった。というのは、久々にカルタゴ本国からの船が補給物資を届けてくれた。補給物資の中に戦象がいたのだ。
「イタリアの剣」麾下の兵士達は、その戦象に恐れをなして敵前逃亡者が続出し、追撃を受けたのだ。おかげで二人の将官、百人隊長四人が撃たれた上に、隊旗六本が奪われた。通常、こういう無様な敗因を作った部隊には、十分の一刑が処せられる。十分の一刑とは、敵前逃亡をした百人隊のうち、残兵からクジ引きで、懲罰を受ける十分の一の兵を選び、仲間達によって棍棒で撲殺させるというものだ。
しかし、クラウディス付き書記官は、前執政官の処断は次のようであったと伝えている。
「部下の敵前逃亡を許した部隊の兵士達は、次回の戦いまで、小麦でなく大麦の配給を受けること。また、この部隊の百人隊長は、次の戦闘で、佩剣に鞘を携帯することを禁じる旨、各位了承されたし」
(――甘すぎる処分ではないのか?)
そう感じた書記官が、帷幕の老将を見遣る。その人は長身かつ精悍で、ぜい肉というものがない。
クラウディスは、「元老院への報告で、戦闘の敗北結果の前に、次に行う決戦での勝利結果が届くようにしたいものだ」と言って、「決戦前に食事を十分にとれ」と命じた。それから、敗残兵をまとめて、ハンニバルの主力部隊が望める丘に部隊をさらした。
「さあ、どうだ、ハンニバル。男なら我が挑戦を受けてみよ!」
ローマ軍は気勢を上げた。
ハンニバルの主力部隊も丘の上にいた。挑戦を受けて動きを始めたのと同時に、森の中に姿を消した。
(ここからどう読むか――)
途中、ローマの僚友クリスピヌス執政官の二個軍団が合流してきた。
カルタゴ軍は、いくら挑発しても乗って来ず、逃げ回っている。そして、どうも、両軍の中間にある小高い丘に布陣しようという気配だった。
「防御は攻撃に勝る。あそこを占拠して、我々を迎え討とうというのか。ならば先んずれば人を制すだ」
クラウディス執政官は、副将と息子達、それにクリスピヌス執政官と近習三百騎を率いて、丘の下見に走った。
しかし、それは隻眼の将ハンニバルの罠だったのだ。
たちまちカルタゴ麾下の伏兵が三百騎を取り囲む。クラウディス前執政官以下大半の将兵が討ち死にしたのだが、かろうじて、深手を負いつつもクリスピヌス執政官が脱出。前執政官の息子がこれに続いた。
ローマと同盟市の軍勢三万からなる大軍が、戦わずして敗走したのは言うまでもない。
書記官は、遺体を検分したハンニバルが、「イタリアの盾」をローマの葬礼に倣って火葬し、遺灰を宝石の散りばめられた小箱に収めて、遺族へ送ったとつづっている。だが、原書は失われたらしく、後世の歴史家によって、小箱が遺族のもとへ届けられたとも、宝石に目がくらんだ使者が横領して逃げてしまったとも伝えられている。
(ノート、了)
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
ハシュルドゥルパル……ハンニバルの次弟。イベリア半島での戦線で活躍。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。将領の一人となる。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。ハンニバルの親族。カルタゴには同名の人物が二人いる。第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておく。
ハスドルバル……ハンノと双璧をなすハンニバルの猛将。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……戦争初期、シチリアへ派遣された執政官。
ワロ(ウァロ)……執政官の一人。カンナエの戦いでの総指揮官。
ヴァロス……執政官の一人。スキピオの舅。小スキピオの実の祖父。
アエミリア・ヴァロス(パウッラ)……ヴァロス執政官の娘。スキピオの妻。
ファビウス……慎重な執政官。
グラックス……前執政官。解放奴隷による軍団編成を行った。
クラウディス……〝イタリアの剣〟と称賛される執政官。マルクス・クラウディウス・マルケッルス。
レヴィヌス……ブリンティシ執政官。寡兵でマケドニア王国に睨みを利かす知将。
ネロ前執政官……スキピオの前任の執政官。
レリウス……元老院が若いスキピオ将軍の未熟な采配を案じてつけた目付け役・監察官。
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《マケドニア王国》
フィリッポス二世……アンティゴノス朝の国王。カルタゴと同盟する。
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《シラクサ王国》
アルキメデス……ギリシャ系植民都市シラクサの王族。軍師。




