01 奄美剣星 著 魅了『鬼撃ちの兼好』
写真:ぱくたそ/河村友歌さん/©すしぱくさん
「……そういうわけじゃ、兼好君、よろしく頼むよ」
紋付き袴、白足袋に草履、ざんぎり頭に口髭の郡長が、人力車に若い神主を乗せて、山間の悪路をゆき村へ入った。稲刈りはとっくに終わって、村祭りもとどこおりなく済んだ時節だった。
人力車は、山里の奥まったところにある、素封家の正門で止まった。
「これはまた豪勢なお屋敷ですね」
「西崎家は鎌倉時代から続く旧家だ。屋敷は二千坪からなり、石垣塀と濠とで囲まれ、さながら小城のようじゃろ。そこをとり囲む集落は同家の一族郎党だ。儂の母の実家でもある」
「なるほど、郡長閣下の御親戚とあれば、不詳この兼好が汗を流すといたしましょう」
そこでだ。
「これはこれは、郡長閣下。それに神主の吉田様ですね――お待ちしておりました」
吉田様あるいは兼好君と呼ばれた若い神主は、彼の中世エッセイストの末裔で、内務省でも一目置かれる陰陽師だ。それがどういうわけだか片田舎の潮騒郡の村社社務所に閑居していたのであった。
西崎家の長屋門の下には、西崎家の若き当主・義之氏と、腰の曲がった番頭が出迎えた。
長屋門となった瓦屋根の上から、「ケンコー、一足先にきてたよー」と声がした。
屋根の上にいたのは、ショートヘアで、ゴスロリドレスに猫耳・猫尻尾をつけた少女だった。否、下手をすれば童女といってもいいかもしれない。
西崎氏と番頭が、声のしたところを見上げるや、少女のスカートの中がもろにみえてしまった。黒のガータベルトで白絹のソックスをつっている。そこから先はあえて描写すまい。
郡長、西崎氏、番頭さん、――三人並んで、鼻血ブー……。
「皆様、家内がとんだ粗相を。失礼いたしました」
道士を補佐して、怪異を目視したりする巫女を視鬼と呼ぶ。ゴスロリ姿の幼な妻は夜叉姫という兼好の視鬼であった。
「いえ、まことにけっこうなお点前。眼福の至り」
いつものように郡長は言うのだが、御当主・西崎氏は卒倒した。どうも病弱であるらしい。番頭が抱きかかえた。
西崎氏は帝大卒で博識だ。実質、家業は番頭に任せ、自らは東京の文士達と文を交わして詩作に遊ぶ、いわば高等遊民というものであった。しかし齢は三十になるところで、周囲はそろそろ嫡子をもうけるべきだと動きだしていた。
西崎氏が、当時はハンケチと表記するところのハンカチで鼻血を拭きながら、本題に切り出した。
「吉田様。魅了という言葉を御存じでございましょう。――魅了の《魅》は《鬼》と《未》で形づくられる。《未》を辞書で引いてみますと、『まだ……』とか、『完了していない』ことを表す一方で、十二支第八・南南西・二時前後『ひつじ』を表します。また、《未》は鬼門であり、丑三つ時でもある。鬼門からは鬼神がやってくる、未明のその時間こそが丑三つ時でもあるとうかがいます」
「つまり、この家の鬼門に怪異がいて貴男を《魅了》しつつあるというわけですね」
「《魅了》の《了》は、「了承」を表し、そして、「完結」することを意味する。つまり、私が、怪異の言うことに同意してしまったとき、私の命もついえてしまうと思うのです」
「さすがは帝大卒。博識です」
西崎氏は、背が高く、ほっそりとした、眼鏡の美男子だ。怪異ならずとも生身の娘達なんぞ、一目見て惚れてしまう感じだ。
*
さて、兼好とその《ヨメ》夜叉姫は、翌未明、屋敷の北西隅石垣に祭壇を設けて供物を置き、祓い言葉を唱えつつ榊を振った。もちろん、《儀式》のときになると、夜叉姫は、普段着であるゴスロリから巫女服に着替え、衣冠束帯の神主服となっている兼好の後ろでかしづく。
十三夜である。
黒髪を脚にかかるほど伸ばした十二単の伶人が現れ、祭壇横にある桃の木にしなだれているではないか。しばらく顔を扇子で隠していたのだが、やがて、そこから切れ長の目をみせた。長い睫毛だ。
兼好が数歩歩み寄る。
すると怪異であるところの伶人は、その分、後退った。
「未の姫神よ、貴女様が西崎氏に懸想をなされていらっしゃることは判りました。しかし、現世の人と常世の鬼神との恋はかなうものではありません。ほんの五十年ばかりのこと、待っては戴けませんか。そうしたら、その者も魂魄となり貴女様のところへ参りますゆえ」
姫神と呼ばれた伶人が手にした扇子の端から、吊り上がった柳眉がみえた。
――ほかの女と……五十年も……。駄目じゃ、許さぬ、汚らわしい。今すぐに、妾の胸へ。
未の姫神が手にしているのは、大きな扇子で紫色の房がついていた。それがフワフワと宙に舞った。
西崎氏と並んで、後ろに控えていた口髭の郡長が、「交渉決裂か」とつぶやきかけた。
郡長は知っている。
兼好の後ろに控えている《ヨメ》の夜叉姫は懐中にS&W《スミス・アンド・ウェストン》拳銃を忍ばせていて、夫が怪異と交渉決裂した際、それを手渡すことになっている。リボルバー拳銃の弾倉には一発だけ弾丸が装填されている。銅鏡の裏面によくある神紋が刻まれた銀弾だ。
この姫神を消し去るということは《神殺し》に当たる。
怪異とはいっても、下格の幽鬼に対しては効果があるのだが、上格である鬼神に効くかどうかは、ひたすらに術者の力量にかかっている。
夜叉姫が拳銃を兼好に手渡した。
このとき、後ろにいた、虚ろな目になっている西崎氏が、摺り足で兼好の横を通り、両手を拡げる姫神に抱かれようとしていた。
郡長は金縛りになって、止めることができない。
――ヤバイ。魅入られている。
兼好は、まっすぐ伸ばした手の先にある、拳銃のトリッガーを引くことができない。
姫神が嘲笑した。
――ひとの恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて死んでしまえ!
姫神にむけられた銃口が、兼好自身のこめかみに当てられた。
ズダーン……。
しかし銀弾は兼好のこめかみではなく姫神の胸を貫いた。
夜叉姫が兼好の腕に跳びついて向きを変えた。その弾みでトリッガーが引かれたのである。
未の姫神は、愛おしそうに、美麗な若い当主の髪を撫でながら霞み、そして消えた。
「ごめんよ……」
拳銃を手にした神主が涙目でつぶやいた。
了(ノート20171015)




