01 奄美剣星 著 太陽・船 『ヨット』
七月。
海の上の空は青というよりは、かなり水で薄めた淡い色だった。
恋太郎と愛矢は、クラブハウスのラウンジでモーニングを口にした。
「じゃあ、勝負といくか」
「望むところだ」
窓辺からは桟橋があって、フランス窓越しに、四人から六人乗りのクルーザーがたくさん係留されているのが見えた。一口に、ヨットといってもいろいろあって、エンジン付があったり、これがそうかよというような豪華客船みたいなものまであったりする。まあしかし、クルーザー以下の小型帆走船を指すことが普通だろう。
標準よりはやや高い程度の背丈の恋太郎と、その恋太郎よりも頭一つ伸びた背丈の愛矢。恋太郎は流し髪で、愛矢は長髪を後ろで束ねていた。二人とも肌は焼けていたが、細身。お世辞にもマッチョとは言えない。
食事を終えると、スロープになった、シーホッパー専用スロープへ歩いて行き、オレンジのライフジャケットを装着。置き場にあったそれぞれの小艇を、腰までつかって湾内に押し出した。
「なあ、恋太郎、入賞したら、雫ちゃんにお祝いしてもらうんだろ?」
「そっちこそ、チエちゃんに?」
――これを機に頬っぺたにキスじゃなく口に……。
ヨットレースは、ヨット・ハーバーからそう遠くない沿岸水域で行うものと、外洋で行うものとがある。沿岸で行うものをインショア・レースという。
ヨット専用水域は、ヨット・ハーバーをカバーする形で、旗の付いたブイを浮かべている。シーホッパーのレースは、さらに内部に設置されたブイを、規定の回数、周回して順位を争うものだ。
二艇はそこを一周した。
クローズ。
帆走船が逆風を受けている場合でも、四十五度までの角度なら前に進む。水に浮かんだ船の帆が風を受けると、船体片側に揚力、もう片側に抵抗力が生じる。これをジグザグに上手く操れば前に進ませることができるのだ。
長さ四・六メートル、緑が恋太郎、赤が愛矢の艇だった。
*
アビーム。
ヨットは真後ろからではなく、真横から風を受けると速力が出る。
大会当日、二十艇からなるシーホッパー・レースで、コーナーを周回して首位に立った恋太郎は、ゴールまで、あと百メートルというところまで来ていた。
二番手に愛矢がピッタリつけてきたのだが、ジリジリと突き放されてきた。
赤いリボンを結わえた髪に色白の雫が、スロープまで駆け寄ってきて、自艇を降りた恋太郎の両腕をとる。
「頑張ったわね。約束のご褒美よ」
そう言って、温かく柔らかな桃色の唇を、恋太郎の唇に重ねた。
恋太郎は雫の背を腕で覆い髪を撫でる。
そんな妄想が脳裏を横切った瞬間だった。
*
「あっ、恋太郎さんが飛んだ!」
愛矢のガールフレンド、チエコが言った。
陸で一緒にレースを観戦していた雫の目が丸くなった。
突然、真後ろから突風が吹き、ワイルドジャイブという操舵不能の状況になった上に、横波が来たのだ。どういうわけだか直撃を受けて吹っ飛んだのは恋太郎のヨットだけで、愛矢以下の艇が次々とゴールして行った。
艇が水面に横転した状態をハンチンといい、完全に逆さになった状態をチンという。恋太郎は豪快に自艇をチンさせた。
*
表彰台に愛矢が上った。
前にいる髪の長いチエコは誇らしげだ。きっとこの後すぐに祝福の口づけを交わすことになるだろう。
他方、恋太郎は、大会運営係員に手伝ってもらって艇を回収していた。
それでもスロープに戻ってきたとき、雫が、恋太郎の腕をとって、「頑張ったわね」と労いの言葉をかけた。
表彰の後、チエコと抱き合った格好の愛矢が言った。
「ここで問題です。――それでも雫ちゃんは恋太郎に、口キスしてくれるのでしょうか、それとも頬っぺたかオデコに留めるのでしょうか。あるいはしてもくれないのでしょうか……」
チエコが振り向いた。
だがあっちの二人は波打ち際で向かい合い立っていたまま。
「愛矢さん。ねえ、今、見ていたんでしょ。あの二人、口キスしていた?」
「さあ」
「ねえ、教えて!」
「チエコしか見てなかったから……」
まだ八時を過ぎたばかりだというのに、もう、太陽がいっぱいだ。
ノート20170725